夏目漱石の代表作『こころ』——授業では教えてくれない読み方

更新:2021.11.9

高校国語の教科書に収録される文学作品として、定番化しているといえる夏目漱石の『こころ』。授業では「親友への贖罪」とされることが多い先生の自殺の理由について、先生の考え方を分析することで迫ります。

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『こころ』あらすじ。先生はなぜ自殺したのか?

教科書に掲載されることの多い「先生と遺書」の部分は、『こころ』の第3章、「下」の箇所にあたります。以下が、「上」と「中」を合わせた全体のあらすじです。

学生である「私」は、鎌倉の海岸で出会った「先生」という人物の不思議な魅力に惹かれ、交流を持つようになります。しかし「先生」は、親友を裏切って恋人を妻にしたために、親友を自殺に至らしめてしまったという過去を持つ人物でした。先生は長年の罪悪感に苦しみ、ついには「私」宛に遺書を残して自殺してしまうのです……。

先生が自殺を選んだ理由について、世間一般の物事の見方を当てはめて考えると、確かに「裏切ってしまった親友Kへの贖罪」や、「妻への罪悪感」であるように思えます。しかし、先生がそういった考え方を持つ人物ではないということが、本文中にはしっかりと描かれているのです。

先生の自殺の理由を考えることで、漱石がどれだけ丁寧に登場人物の性格を描いているか、その凄みを味わっていきたいと思います。

 

著者
夏目 漱石
出版日

先生とK、そして静の関係性は

まず考えてみたいのは、先生とKの関係、先生のKに対するライバル意識です。

「私には其所が愉快でした。彼のふんと云った様な様子が、依然として女を軽蔑しているように見えたからです。女の代表者として私の知っている御嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬は、その時にもう十分萌していたのです。」(『こころ』より引用)

この場面で先生は、自分よりも博識なKが女性を見下す頑固な考え方を持ち続けていることに、優越感を抱いています。同時に、自分よりあとに下宿人としてこの家にやってきたKが、奥さんや御嬢さん(のちに妻となる静)と仲良くなっていくことに焦りを感じてもいる場面です。

先生が友人であるKと自分を何かと比較し、どこか張り合う気持ちをもっていたことが示される部分だといえるでしょう。

このことを踏まえたうえで先生のその後の行動を見ていくと、静との結婚は先生自身の望んだことというよりは、Kが望んだから自分のものにしたくなったのではないかと考えられます。

それまでただ好意をもって静に接していた先生は、Kに想いを打ち明けられて以降、明らかに焦り、これまでとは違った行動を起こすようになるのです。

注目すべきなのは、Kに恋心を打ち明けられてから、先生が静の母親である奥さんに直談判を起こすまでのことを書いた先生の遺書のなかに、静の様子を描く文章がほとんどないことです。

「私は丁度他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。」(『こころ』より引用)

こういった部分に表れているように、先生は恋心の対象であるはずのお嬢さんには目もくれず、Kの一挙一動を見つめ続けていることが分かります。もともと静に特別な感情を抱いていたわけではなかった先生は、Kの恋心を知ってはじめて、Kの求める存在である静を意識するようになったのです。

フランスの哲学者であるジャック・ラカンは、「人間の欲望は他者の欲望である」という有名な言葉を残しています。他の人が欲しがるから自分も欲しくなる、そんな欲望のあり方は、この小説が発表された時代に西洋から輸入されてきた、近代資本主義の土台となるものでもあります。

『こころ』の「明治の精神」とは。先生の自殺の本当の理由

先に述べた近代資本主義という考え方にも関わってくるのが、「明治の精神」という言葉です。遺書の中で、先生自身は自分の自殺の理由を「明治の精神」への殉死であると述べています。これは一体、どういう意味なのでしょうか。

作者である漱石は、1867年に誕生しています。これは明治維新の前年にあたる年であり、漱石はまさに、声高に文明開化が叫ばれた明治の時代を生きた作家であるといえます。

当時の「明治の精神」は、これまでの漢学的教養(中国の学問や漢文についての学問)を踏襲したもので、目上の人に対する忠義を重んじる封建道徳や儒教道徳を基調とした考え方でした。おそらく、先生にとっての「明治の精神」もこういうものであったのでしょう。

しかし時代の流れとともに、次第に西洋の考え方が輸入され、「明治の精神」は変化の時を迎えます。

個人の自由や権利を尊重する個人主義思想、個人が経済的な利潤を追求しようとする近代資本主義思想といった、ある意味で封建道徳と相反する考え方が徐々に浸透していったのです。漱石と先生が生きていたのは、人々の考えが少しずつ混ざりあいながら逆の方向に転換していく、そんな時代でした。

ここで、先生の過去に注目してみます。

先生はかつて、信頼していた叔父に裏切られ、父の遺産を横領されたという経験をもっています。このことから、先に挙げた個人主義的な資本主義の考え方は、先生にとって許しがたいものであったと想像できるのです。

ところが先生は、他人の欲しがるものにこそ価値があるとする、非常に近代資本主義的な欲望に負け、自分を信頼していたKを裏切ってしまいます。先生は、自分のなかにあった「明治の精神」が、徐々に新しい考え方に感化されていることを感じたでしょう。

「私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。」(『こころ』より引用)

先生の意識が、Kへの罪悪感ではなく、「人間の罪」という抽象的なものに向かっていたことが、こんなところにも示されています。具体的な事物や人間よりも、抽象的な倫理観といったものの方に重きを置いていた先生にとって、自分の価値観の変化というものが大きな意味を持っていたであろうことは想像に難くありません。

「私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。」(『こころ』より引用)

天皇に対する忠義を尽くすために自らの命を絶った乃木大将の死を知って、先生は自殺を決意します。主君のあとを追って自害する、そんな封建的な「明治の精神」は確かに存在していました。

しかし一方で、天皇の崩御と乃木大将の殉死は「明治の精神」の最期の象徴、といったイメージも与えました。新しい時代を迎えるこれからの日本には、もはやその精神はなくなっていってしまうだろう……そんなことを予感させる出来事でもあったはずです。

時代の流れに従って、資本主義的な考え方に支配されることを拒んだ先生は、「明治の精神」のあとを追って自ら命を絶ってしまったのです。

こうした先生の考え方は理解するのも共感するのも難しいため、高校国語の授業においては誰もが共感しやすい理由を説明されることが多々あります。

しかし、丁寧に先生の考え方を辿っていくと、先生の一貫した考え方と行動の必然性がきちんと浮かびあがるのです。そんな繊細で厳格な人物造形のあり方からは、日本を代表する文豪・夏目漱石の実力を感じることができるでしょう。

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