徳川幕府の2代目の将軍となる徳川秀忠ですが、非常に地味な存在であり、あまり脚光を浴びていません。しかしよくよく彼の功績を紐解いてみると、一筋縄ではいかない人物であったことがわかります。今回はそんな秀忠の足跡をたどってみましょう。
徳川秀忠は1579年に、遠江国は浜松に徳川家康の3男として誕生します。時代的にはほぼ室町幕府が無くなる時、本能寺の変が起こる直前です。
彼が生まれた年に、長男である信康が切腹、次男の秀康が出自の関係により豊臣家に養子に行ったため、実質的な家康の跡取りとなりました。その後、豊臣秀吉の養女・江(ごう)と結婚します。
関ヶ原の戦いでは家康の別働隊として別ルートから進軍しますが、真田幸村らの上田城攻めに手間取り、さらに天候も悪く、本戦に間に合わないという失態を演じました。
1603年、家康が征夷大将軍となり江戸幕府が開かれますが、秀忠はその人柄を買われて右近衛大将となります。さらに1605年、幕府が開かれてからわずか2年後に、家康は世襲を知らしめるために秀忠に将軍職を譲り、彼が第2代将軍となったのです。
ただし実質的な権限は、大御所である家康が握っていました。
1616年、大坂の陣が終わり家康が死去すると、秀忠は独自路線を歩みはじめます。息子たちや弟を各地に配置、朝廷にも娘を入内させ、外国船が寄港できる港を限定するなど江戸幕府の制度の基礎を作ります。
そして1623年、父の家康同様、家光に将軍職を譲り隠居しました。その後も最後まで江戸城に江と住み、1632年に亡くなっています。
1:恐妻家だった?
妻の江は、彼より6才上の姉さん女房でした。有名な淀殿の妹です。江は非常に活発で、嫉妬深かったそうで、織田信長の姪ということも含め秀忠は非常に気を遣っていたようです。彼が亡くなった際も、江の隣に埋葬してもらいました。
2:早くも文治政治へかじを切る
彼が現役の将軍だったことは、まだ戦国時代の名残が残っていましたが、秀忠は法の整備に邁進するなど文治政治への転換に着手しています。このあたりの才能を家康は見抜いていたのでしょう。
その一方で、豊臣恩顧へ改易をすすめるなど、やり手でもありました。
3:徳川家康を怒らせた
関ヶ原の戦いの際、別働隊として中山道から本陣と合流すべく移動していた秀忠一行でしたが、真田昌幸と真田幸村の戦術にはまり、そこへ悪天候も重なって、合戦に間に合いませんでした。本戦は家康本体のみで戦ったのです。そのため家康の怒りを買い、大津城で面会を求めましたが3日間会ってもらえませんでした。
4:大坂の陣でも失敗
関ヶ原の戦いで遅刻したので大坂の陣では絶対に同じ轍は踏めないと、強行軍で現場に向かいましたが、今度は急ぎすぎて兵が疲れ果ててしまい、またも家康に叱責されています。
武将としての手腕はあまりなかったようです。
5:鉄砲で撃たれたことがあるらしい
徳川秀忠の遺骨には銃創の跡が残っていました。つまり彼は鉄砲に撃たれた経験があるということで、戦での指揮は最前列で取っていたと考えられます。おとなしそうなイメージとは裏腹に、意外と勇猛だったのでしょうか。
6:冷静な男
秀忠がまだ若い頃、儒学の授業中に牛が教室に乱入して騒ぎになりましたが、彼は慌てることなく授業を聴いていたそうです。また観劇中に地震が起こった際も、建物は壊れないので動くなと冷静に指示を出し、被害を抑えています。何事にも冷静沈着な面がありました。
偉大なる父・徳川家康と、6才年上の姉さん女房である江に押さえつけられる形で地味に活動していたといわれる徳川秀忠。本書は、彼の本当の人間像をあぶりだす伝記です。
筆者は、家康死後の秀忠の容赦ない政策にスポットを当て、彼がただの凡庸な人物であったかに疑問を投げかけます。
- 著者
- 河合 敦
- 出版日
- 2011-04-01
彼が父親のただの操り人形ではなかったことが、家康死後の彼の治世の手法に現れていることが、本書を読むとわかります。とにかく武家政権を確固たるものとするために多くの大名を潰したことを知ると、尋常な人物ではなかったことがわかるでしょう。
武将としてはいまひとつだったという評価を受けている秀忠ですが、関ヶ原の戦いで失敗をしても、「できない男」という評価に耐え、父にも敵わないと認識しつつも最後まで努力を重ねた生き方が描かれています。
確かに功績自体は地味ですが、父親の路線を間違いなく推し進めた点において、家康が彼を後継者として選んだのは成功だったに違いありません。徳川幕府初期の動向を知るのに最適な一冊だといえるでしょう。
初代家康と3代目家光の間にはさまれ、影が薄いと言われる2代目将軍秀忠。本書は、彼の施策について史料を丹念に検証し追究した一冊です。
戦績はほぼないに等しい秀忠がいかなる政治的立場にいたかを検証する作品となっており、当初の大御所との二元政治から、自らが先頭に立って政治をおこななった際の違いが分かりやすく説明されています。
時代が変わると自分の役割も変えるという彼の柔軟な姿勢が、その後の江戸幕府の安定をもたらせたことがわかり、ただの平凡な2代目というイメージをくつがえす内容となっています。
- 著者
- 小和田 哲男
- 出版日
本作は7章にわたり、彼の出生から家光に将軍職を譲るまでを検証しています。この一冊で徳川秀忠のすべてがわかるといっても過言ではありません。
特に二重政治の部分と、秀忠が独自路線にはしった部分を読むと、彼の特異性を見ることができ、ある意味非常に冷徹な人物であったことがわかります。
筆者は「守成」の役割もまた重要であると我々に説きます。現代のビジネスにも通ずる、自分を冷静に見ることのできる2代目トップという観点から知る徳川秀忠像は、非常に興味深いものがあるでしょう。
徳川秀忠を題材にした小説で、忍者の頭目であった服部半蔵の息子で秀忠付きの小姓、花垣半六の目をとおして語られます。
物語のスタートは、関ヶ原に向かう途中の秀忠の軍が上田城を目前にして足止めをくらっているシーンです。そこへ家康の家臣である本多正信が登場、彼と会話をするのですが、その時点ですでにただ事ではすまない緊張感が漂っています。
- 著者
- 戸部 新十郎
- 出版日
- 1997-03-01
冒頭から非常に緊迫したシーンが続くので、ページをめくる手が止まらないでしょう。かつての大敗を知る古参たちが、今後の展開をどうするか議論のすえに出した秀忠のひと言に注目です。
ここで描き出される秀忠は、非常に頑固で融通の聞かない涼し気な若殿というイメージであり、はたから見ると優柔不断なやさ男という印象を持ちます。
権謀術数渦巻く戦国時代を活写した活劇といえる一作です。
秀忠の正室となった江は、浅井長政の三女で、有名な淀殿の妹に当たる人物です。そんな彼女は、3度目の結婚で徳川秀忠の正室となりました。その年の差、なんと6歳。
戦国時代における政略結婚に翻弄されつつも、したたかに時代を生き抜いた江と、秀忠の生涯を描き出した作品です。
全6章から構成されており、主人公はあくまでも江。彼女の動向を追うことで話が進んでいきます。
- 著者
- 立石 優
- 出版日
姉さん女房と実直な夫というスタートから、秀忠の関ヶ原での大失態、そして思いもよらなかった将軍の正室、二元政治による大御所側の春日局との確執などが語られます。
非常に厳しい人生を歩んだ江ですが、何よりも興味深いのは、彼女が第3代将軍の母となり、明正天皇の祖母になったという点です。おてんばできかん坊だった女の子が、人生を上りつめたストーリーだといえるでしょう。
もちろん、さまざまな戦や事件が詳しく描かれており、当時の空気感も再現されているので、江に興味を持たれた方のみならず、時代小説がお好きな方にはうってつけの作品です。
徳川秀忠というと、家康はさておき息子の家光と比較しても、有名でもなく華々しい功績があるわけでもないと言われていましたが、こうしてみると彼は彼で相当な人物だったことがわかります。ステレオタイプな見方から脱した秀忠の再確認を、ぜひこれらの本でしてみてください。