女同士の恐ろしく利己的で複雑な人間関係を、無駄な美化や卑下をすっかり削ぎ落としてありのまま描かれる等身大の登場人物達。乃南アサの作品には「そうそう、そうなのよ!」共感し納得し、恐ろしくなったその先に、「これでいいのか。またがんばろう」そう思える何かがあります。
乃南アサは1960年生まれ、東京都出身の作家です。早稲田大学中退後、広告代理店勤務を経験し、1988年デビュー作「幸福な朝食」にて日本推理サスペンス大賞優秀作に選ばれました。
どこにでもいる女性の平凡な生活の中に潜む狂気、そしてそこに至るまでの過程を丁寧に描くその作風で幅広い女性の支持を得ます。1996年には『凍える牙』が心理描写の細やかさを評価され、直木賞を受賞しました。
「沼田志保子」は、美しい容姿に恵まれ常に人の注目を浴びた幼少期を送っていました。華やかなことが好きな志保子自身もこの才能を生かすしかないと芸能界を目指します。
しかし、志保子が高校生在学中、まさにこれからという時に志保子にそっくりな「柳沢マリ子」が芸能界に現れます。瞬く間に人気者になったマリ子。それでも、志保子は自分の夢を諦めることはなく、芸能人を目指して上京しますが、君臨するマリ子の影で流されるまま芸能界の片隅で人形劇の人形使いをして生計を立てることになります。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
- 1996-09-30
そんな折、マリ子と若手俳優とのスキャンダルが取り上げられます。その相手は、志保子が演じる人形劇の声優として知り合った「青山良助」でした。何かの影で生きるしかなかった志保子の人生が少しずつ狂っていき、心の奥にしまい込んだ悲しい過去の記憶が少しずつ蘇ってきます。
「ヴァンサンカン(25歳)までに」翠は目標を決めます。
結婚と恋愛は別。どちらの良い所も手に入れたい。適当な相手との結婚とは別に、思い出として楽しい恋愛がしたい。不倫はゲームだと思う。
中堅アパレルメーカーに一般職として勤める「仲江翠」は、上司「萩島」と不倫関係を続けながらも同じ会社の恋人「星恭一郎」とも付き合っています。
条件の合う星、上司としてはまずまず頼りにもなり我儘も聞いてくれる萩島。二人との関係は悪くないと翠は思っていました。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
- 2008-03-07
そんな折、上司と女子社員が不倫関係のもつれにより無理心中する事件が起きます。第一発見者は、皮肉にも萩島でした。翠と萩島は互いに割り切った不倫関係を確認し合います。
自由奔放、欲しいものは全て手に入れるかの様に見える翠ですが、カルティエの時計を不倫相手にゆする傍らで、駅からアパートまでの遠い道のりを疲れた足で歩きながら、無理をしてでも次の給料で自転車を買おうと考えてもいます。一緒に暮らすペットの緑亀に「ただいま」と話しかけることもあります。
決して華やかとは言えない生活は、翠の言葉と馴染まず、危うげな翠の心は、24歳の誕生日に届いた一通の手紙から大きくバランスを欠いていくことになります。その手紙の送り主は、例の無理心中で生き残り、刑務所で罪を償っている女子社員からの物でした。
明け方の六本木歌舞伎町。冷えた外気の中、平凡な主婦「塩沢織江」は目を覚まします。なぜこんな道端で眠っていたのだろう。同窓会で、ひさしぶりにお酒を飲んだことは覚えています。深酒の影響か再び睡魔に襲われそうになった所で一人の大人びた少女に「こんなところで寝ると死ぬよ」と声をかけられます。
少女は、家には帰らず毎日をこの辺りで適当な援助交際相手を見つけて暮らしているようでした。今日はあぶれてしまったので泊まる所もないという少女に、心配になった織江は、「見張っていてくれたお礼」と一万円を渡します。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
何とか家にたどり着いた織江は、久しぶりの二日酔いのどんよりとした頭で、元同窓生たちの昔と今、そして昔自分がまだ少女だった頃を思い出します。「出る杭は打たれる」、目立たずただただ普通の生活を送ること。それが織江でした。
織江は、ふとバッグの中の包装紙に気が付きます。「お礼に、これ、あげるから」少女がそういってくれたことを思い出します。小さくて重いそれの中を確認すると、掌に収まる小さな拳銃が入っていました。
刻印は「KOLT」。本物であるはずがないと考えた織江は、それがおもちゃであることを確認するために情報を集め、それを実証しようとします。社宅の中でカーテンを閉め、最大限にテレビの音量を上げ、裏返したテーブルの上にはクッキーの缶、毛布を何重にも折りたたみ。
そして、何度も躊躇いながらも引き金を引きます。重い抵抗の後に銃声と細い煙が立ち上る。恐る恐る毛布の中を確認するとそこには弾があります。それは本物でした。
「この手で拳銃を撃った」織江は、いままでなかった様な万能感を得ます。織江の中で何かが変わった瞬間でした。
織江は大切な置きに利のアクセサリーの様に可愛いレースのポーチの中にコルトをしまい、バッグの中に入れ持ち運ぶことにします。織江が強くなるために必要としていたものは何か。
「冷たい誘惑」コルト。この拳銃を手に入れた人々の人生を集めたオムニバスです。
誰もが一度は持ったことがあるであろう自分の体へのコンプレックス。それを題材に描かれた短編集『躯(からだ)』。
ある日、愛子は高校生の娘にへその整形をしたいとお願いされます。水着を着るのにこの丸いへそがどうしても恥ずかしい、何も顔にメスをいれるわけでもないのだからと懇願されます。
夫の顔色を窺い、何をするにも夫の機嫌を気にする愛子は、「へそを整形させたい」などと夫を説得する自信はないと突っぱねますが、娘に家庭円満の為には黙っていてくれた方がいい、父親に話すと問題が大きくなるだけだと説得されてしまいます。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
愛子には、娘に対する負い目がありました。以前、娘に彼氏ができた時、内緒だと言われたのにも関わらず、うっかり夫に話してしまったばかりに、夫が激怒し相手を調べ上げて破談にしてしまったことがあったのです。娘の言う「内緒」の言葉を軽く受け止めたばかりに。それ以来、娘は、父親は勿論のこと、愛子にさえ心を開かなくなっていました。
この願いを聞いてくれないのなら、勝手に整形でもなんでもすると言われ、娘と共に美容整形外科を訪ねることになります。
雑居ビルの中に美容整形外科は、まるで美容院やサロンのような清潔感のある後ろめたい所のない快適な空間でした。娘のカウンセリングに仕方なく話を聞きに来ただけの愛子でしたが医師に目尻の皺を取るだけでも若返りますよと言われ…。
とある殺人事件から始まる家族の物語、それが乃南アサの『風紋』です。
軋みながらもかろうじて家族の体を成し、日常を重ねていた高浜一家。教職の夫と専業主婦の妻という、絵に描いたような二人三脚の生活を満喫していた松永一家。
対極とも言えるそれぞれの一家は、ある日松永家の夫が高浜家の妻を殺してしまったことから全てが狂い出します。
身内を失った悲しみに暮れる暇もなく、犯罪被害者という立場に翻弄される高浜家。警察による冤罪を主張しながらも、加害者として白い眼を向けられる松永家。本作はこの両家を主軸に、現代日本の犯罪事情をこれでもかと描いていきます。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
- 2014-10-16
報道の自由を嵩に、不躾かつ無体な報道を繰り返すマスコミ。被害者に同情しつつも、どう接すればいいかわからず戸惑うばかりの学校。そしてどこか臭いものに蓋をするように扱う親戚達。
人情なんてものはなく、許容も慈悲もありはしない。そんな苛烈ともいえる内容は、罪を犯すということの報いと犯罪に巻き込まれた側の過酷さを同時に表し、読者の目を離させないようにしています。
そしてもう一つ、本作を語る上で欠かせないのが両家の生き様です。
前にも少し書きましたが、本作において両家の立場は一貫して対極的なものとなっています。不仲と円満、サラリーマンと公務員、そして被害者と加害者。こうした関係は場の状況を理解しやすく、絶妙な対比となって堪能することが出来ます。
また、本作を読み進めて行くと両家のスタートラインにそれ程大差がないこともわかります。一見被害者と加害者という明暗の別れた立場にも見えますが、実際はどちらも等しくどん底に沈んでおり、ひたすら安らぎを追い求めてもがいているのです。
タイトルの『風紋』とは、気流によって砂漠や砂丘等に出来た自然意匠を示します。殺人事件という風が、両家にいかなる傷痕を残して去るのか。その果てに彼らは何を見出すのか。それは是非、本作を読んで確かめてみて下さい。
乃南アサの『しゃぼん玉』は、とある青年の再生と改心を描いた物語です。
親からも見捨てられ、通り魔やひったくりなどの犯罪に明け暮れていた伊豆見翔人。逃亡の途中、彼は宮崎県の山村に迷い込み、そこで一人の老婆を助けることとなります。
成り行きから老婆の家に居候することとなった翔人は、シゲ爺をはじめとする村人達にもすんなりと受け入れられ、日々労働力として駆り出されることに。
荒んだ心も徐々に癒され、村の生活に馴染んでいく翔人。ですが、その先には避けては通れない自らの罪が待ち受けていました。
- 著者
- 乃南 アサ
- 出版日
- 2008-01-29
主人公伊豆見翔人は、作品前半においては、ろくでなしな人間です。不仲な両親の元に生まれてしまい、進学・就職もままならない人生を送る毎日。何かをやろうと決心しても、翌朝になれば見る影もなく無気力になってばかり。しまいには小金目当ての犯罪を繰り返し、その果てにとうとう傷害沙汰まで起こして逃亡する始末。
そんな彼が宮崎の山村、椎葉村で過ごす姿は、前半の印象を覆すようなものばかりとなっています。
染み付いた怠惰が抜けきれないながらも、農作業に祭りの準備にせっせと働く日々。純朴な老人達に囲まれて過ごす時間は、それまでの人生で得られなかった安息そのものであり、読み手の側すら彼の立場を忘れてほっこりしてしまうものがあります。
そしてそれだけに、彼が今までの罪を振り返り改悛していく姿は、読み手の胸を打つものがあるでしょう
また、椎葉村の歴史も本作を語る上で欠かせない要素となっています。椎葉村の村人達は、遥か昔流れ着いた平家の血を引くいわば末裔達。源平合戦に敗れ流れ着いた彼らと、逃亡生活の末に流れ着いた翔人とはどこか重なり合うものが見られ、ある種運命めいたものさえ感じさせます。
触れれば割れて散ってしまう、そんなもろいしゃぼん玉のような生き方をしていた伊豆見翔人。改悛の果てに、彼がつかみ取った選択を是非、実際に読んで見届けてみて下さい。
乃南アサの作品では、ある日突然何かの幸運が舞い込んできて悩みが解決することはありません。誰かが見返りも期待せずに助けてくれることもありません。ただそこには同じように悩み、間違いを犯し、なんでこんなことになったのかと途方に暮れる人たちがいます。
ですが、最後に彼ら彼女らは諦めるわけでもなく、ただありのままを受け入れていきます。それでいいやと思えることで、楽になることもあると気づかせてくれる気がします。