今や日本文学を牽引する一人ともなった村上春樹。春樹の業績は日本国内に留まらず、海外でも高い評価を受けています。国際的な作家として活躍する春樹は、翻訳家としても大変有名です。 今回は村上春樹が翻訳した小説を6点ご紹介いたします。
村上春樹は小説家であり、またアメリカ文学の翻訳家でもあります。京都府に生まれた春樹は早稲田大学文学部へと進学し、在学中に開いたジャズ喫茶の経営の傍らで小説の執筆を始めました。1979年に『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞してデビューを果たすと、その2か月後には翻訳の活動も始動させたそうです。「群像新人賞を獲って一番嬉しかったことといえば、思う存分翻訳ができるようになったこと」とコメントしていることからも、海外文学の翻訳への熱意が感じられますね。
平易な文章と難解なテーマ、そして芸術的なまでの比喩表現などが特徴的な村上春樹。そんな春樹が特に影響を受けた作家は、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーなど海外の作家ばかり。自身の作品にも登場させたり、表現方法を模倣していたりして、傾倒ぶりがうかがえます。
余談ではありますが、この海外文学志向の背景には両親の影響があります。春樹の両親は二人とも国語教師であり、日本文学をとうとうと語ることが多かったとか。そんな両親の話を聞きすぎて辟易としてしまい、海外の作品をよく読むようになったそうです。もしかしたらこの両親の影響がなかったら、今の村上春樹とその作品はなかったかもしれません。
村上春樹が特に影響を受けた作家の一人として挙げる、スコット・フィッツジェラルドの作品です。春樹の大ベストセラー『ノルウェイの森』でも主人公の敬愛する作品として登場します。
主人公は世界大戦から帰還したニック。ニックは中西部の生まれですが、戦争を境に別の仕事で生計を立てようと東部へ移住します。移住先での住まいとして間借りした家の隣にある豪邸に住んでいるのが、ギャツビーでした。貧しい生まれながら、東部で見事になり上がったギャツビー。彼の周囲に集まった人も豪華絢爛で、実に豪勢な生活を送っています。そんな一見豊かにみえるギャツビーと周囲の人たちでしたが、ふとしたことからある事件が起きてしまいます。
- 著者
- スコット フィッツジェラルド
- 出版日
日本国内のレビューを見てみると、内容や背景が難しいという意見もあります。アメリカ文学の文体や文化背景を全く知らないままだと理解が難しい所もあるようです。
本作の魅力として、村上春樹による『グレート・ギャツビー』の解説が充実している点が挙げられます。また、作者の人物像に対する考察、本が書かれた背景や翻訳作業に関する説明もあるので、他の翻訳本よりも作品についての理解が深めやすい一冊となっています。
原書はアメリカ文学を代表する一冊として評価されており、アメリカの超大手出版会社であるModernLibraryの「英語で書かれた20世紀最高の小説」では2位にランクインしています。
また余談ですが、スコット・フィッツジェラルド関連として、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』というエッセイに翻訳小説が2本載っています。『グレート・ギャツビー』の村上春樹版を読む前に、準備として読んでみるとより深く読み込めるかもしれません。
アメリカ文学界で「短編の名手」として名をはせたレイモンド・カーヴァーの短編集です。ピューリッツァー賞のフィクション部門で候補作ともなった、彼の代表作品となっています。
本作は1983年に発表され、1988年に50歳で亡くなった作者の晩年期の作品といえます。レイモンド・カーヴァーは若くして家庭を持ち、離婚を機にアルコール依存症となりましたが、40歳になる時にテス・ギャラガーという女性詩人と交際を始めました。『大聖堂』を書いたのはテス・ギャラガーと生活している頃でした。そのため、人情にあふれた温かいお話となっています。
- 著者
- レイモンド カーヴァー
- 出版日
表題作「大聖堂」は、主人公の妻の知り合いで盲目の黒人が家に泊まりに来るシーンから始まります。障害と黒人に偏見のあった主人公ですが、彼の明るい性格から自分の偏見に疑問を持つようになりました。ちょうどその頃テレビではヨーロッパの大聖堂に関するドキュメンタリー番組がやっていました。大聖堂に興味を持つ黒人ですが、夫婦はうまく説明できません。そこで黒人が提案をしました、「2人で大聖堂の絵を描いてみよう」。主人公は黒人と手を重ねて絵を描き始めます。絵が出来上がった時、主人公は今までにない感覚が芽吹いたことに気づきます……。
この翻訳本の特徴はなんといっても、村上春樹しか翻訳をしていないということでしょう。
また、春樹はこのお話に関して、「モーツァルト風にいえば、肝のところで例の決定的な転調が訪れるのだ。そのはっと澄み渡る意外な一瞬が素晴らしい」とこの上ないコメントをしています。あの村上春樹が絶賛する「澄み渡る意外な一瞬」とはどんなものなのか、とても興味深い一冊です。
1851年に出版された本作は、青春小説の古典として名高い一冊です。日本語訳は村上春樹訳を含めて4人の翻訳者から翻訳されています。一人称で主人公の心情などと一緒に物語を進めていくので、サクサクと読むことができます。
ホールデン・コールフィールドという少年がクリスマス前のニューヨークを舞台にあちこちをめぐるという内容です。高校を放校になり、街に追い出されたホールデンとその友人や知人との他愛無いやり取りのお話ですが、いわゆる「はみ出し者」としての心情やどこか欺瞞で満たされた社会への鬱憤を晴らす言動に満ち溢れています。こうした社会に対する鋭い視線を投げかける内容は、時代を越えて若者の共感を呼び、代々読み継がれてきました。
- 著者
- J.D. サリンジャー
- 出版日
今でこそ名著とされている本ですが、ホールデンの言動が教育者目線で問題とされ、ある州では一時期学校や図書室から一掃されたこともあるそうです。他にも社会への影響が強い作品とのことで、いかにメッセージ性や示唆に富んだ作品かということがうかがえます。
この作品に関しては翻訳の読み比べができる点が最も特徴的でしょう。過去には1952年:橋本福夫訳、1964年:野崎孝訳、1967年:繁尾久訳、2003年:村上春樹訳と4種の翻訳本がありますが、最もテンポがよく、口語的な表現が多いのは村上訳だと言われています。翻訳した時代や、翻訳者のバックグラウンドなどが関係しているのでしょう。
また、この事に関して村上春樹は興味深いコメントを残しています。
「翻訳には賞味期限みたいなものがある。旧訳があるものに新訳を存在させることは読者に対する親切だと思う」
自身は野崎孝訳を読んだということなので、野崎訳と村上訳と読み比べてみると、村上春樹の視点がよりよく分かるかもしれません。
本作はトルーマン・カポーティにより1858年に発表された中編小説です。その3年後には映画化され、かの名女優オードリー・ヘプバーンの主演により一躍有名となりました。映画のイメージが強いのがこの作品の特徴ですが、だからこそ原作である小説を読むべきかもしれません。
物語の舞台は華の都ニューヨーク。自由奔放な生き様で人生を謳歌するホリー・ゴライトを中心とする青春小説です。物語はホリーの男友達であるポールの語り口によって進行していきます。
ホリーはポールに次第に恋愛感情を抱くようになり、未熟で大人になりきれない二人の甘酸っぱくも幸福感に満ちた姿が描かれることになります。映画では成熟した魅力的なヘプバーンとナイスガイの大人の恋、といった感じなので、原作とは少し違う印象がありそうですね。
様々な男性との出会いや別れを通してホリーが女性として、大人として強く、自分らしく生きる方法を模索していく、というお話です。
- 著者
- トルーマン カポーティ
- 出版日
- 2008-11-27
ところで、本作で気になるところといえば、まずはタイトルだと思います。「ティファニーで朝食を、ってどういうこと?」という感じですね。ティファニーは有無を言わさず有名な宝石ブランドですが、小説ではティファニーに食堂らしきものがあるといった設定になっています。そこから、そんなところで朝食を食べられる身分になりたい、というホリーの憧れが現れているのがこのタイトルなのです。
また、ホリーは猫を飼っていますが、この猫には名前がついていません。さて、物語上で重要な意味を持つこの猫ですが、どんな存在なのでしょうか。さらに面白いことに、名前のない飼い猫は村上春樹の作品『羊をめぐる冒険』にも登場します。こんなところにもつながりを感じることができますね。
レイモンド・チャンドラーによるハードボイルド小説シリーズです。ハードボイルド小説の古典とされるこの作品は9作に渡る連作となっており、2016年現在、村上春樹は『ロング・グッドバイ』『さよなら、愛しい人』『リトル・シスター』『大いなる眠り』『高い窓』を翻訳しています。
物語は、地方検事局を命令違反でクビになってしまい、ロサンゼルスで私立探偵を開業することになったフィリップ・マーロウが主人公です。権力に屈せず、依頼人との約束を守るためにはどんなことも厭いません。その優しさから、カネにならない仕事も引き受けてしまい、窮地に追い込まれてしまう一面もある、人情派の男です。
- 著者
- レイモンド・チャンドラー
- 出版日
- 2010-09-09
村上春樹が中でも特に感銘を受けているのが『ロング・グッドバイ』とのことです。「これまでの人生で巡り合った最も重要な三冊の本」のうちの一冊としてこの本を挙げるほど。マーロウが偶然知り合った紳士的な酔っ払いや魅力的な人妻との出会いと別れを通し、真の友情と愛情を描く物語となっています。
あとがきでは、「フィリップ・マーロウという存在は、生身の人間というよりはむしろ純粋仮説として、あるいは純粋仮説の受け皿として、設定されているのではあるまいか」と考察しています。少し難しいですが、一人の人物をフィルターとして、あるひとつの世界観を創り出している、ということでしょう。確かに考えてみると、春樹作品の主人公とも通じるものを感じます。
なんにせよ、村上春樹という作家の土台を築いたチャンドラー。春樹は小説というものを書くにあたって、多くの物事を学んだといいます。この本にはそんな村上春樹のエッセンスともいうべきものが多くありそうですね。
アメリカの作家ポール・セローの小説の短編から、日本の小説家村上春樹が選び抜いて翻訳した短編集です。シンプルかつ重厚なストーリーはあなたを必ず夢中にさせることでしょう。今回はこの本の主な魅力を3つに分けて紹介しましょう。
- 著者
- ポール セロー
- 出版日
魅力1.村上春樹のリアリティ溢れる翻訳
村上春樹の鋭い表現がさまざまなところに散りばめられています。短編「文壇遊泳術」では、登場人物たちのディナーでの会話がユーモラスに表現されていますし、また短編「ボランティア講演者」では、アイヤヒータムという町について、非常に見事に表現されています。
他にも村上春樹の訳した魅力溢れる表現が多くあり、ポールセローの書いた登場人物の戸惑いや悲しみが時に情緒的に、時にユーモラスにそしてリアルに翻訳されていて、非常に読み応えにある作品となっていて、オススメです。
魅力2.どこかで出会いそうな登場人物たち
短編「ワールズエンド(世界の果て)」では、「ワールズエンド(世界の果て)」と呼ばれる街に越してきたロバージの一家が登場します。
また短編「サーカスと戦争」はフランスへホームステイに来たディーリアとそのホームステイ先の家族の物語です。
どのキャラクターもどこか近しい雰囲気があり、読み終えたあなたは、登場人物のような人たちがどこかで生きているのではないかと思うことでしょう。
魅力3.読者が知らない’’異国’’な短編の数々
この小説は全部で9つの章で形成されてます。舞台はロンドン、プエルト・リコ、コルシカなど短編ごとに変わっていきます。プエルト・リコに移り住んだカップルや、コルシカ島で妻に逃げられた教授、世界の果てで登場人物おのおのが見る真実に心が揺さぶられること間違いなしです。
今や世界的に有名になった春樹ですが、その裏にはこうした世界の名作とされる数々の文学にインスパイアされた秘密があったんですね。作品ごとや作者ごとに深い理解と洞察を持っている村上春樹の翻訳は、たとえ他の翻訳者に訳されたものを読んでいてもとても面白いと思います。