『夢喰見聞』はオムニバス形式の大正浪漫ミステリーです。悪夢を糧にして生きる貘のもとに、今宵も悩める者が救いを求めてやってくる……毎話、予想外の結末があなたを待っていますよ。衝撃のラストまでページをめくる手が止まらないはずです。スマホの漫画アプリで無料で読むことができるので、ぜひ読んでみてくださいね。
『夢喰見聞』は、「月刊ステンシル」と「月刊Gファンタジー」で連載されていた真柴真の作品。
悪夢に悩まされる者が救いを求めて、悪夢を糧として生きる「貘」である蛭孤(ひるこ)のもとを訪れる大正浪漫ミステリーです。
この記事では、毎回予想外の展開にうならされる本作の魅力をご紹介していきます。ネタバレを含むのでご注意ください。
- 著者
- 真柴 真
- 出版日
- 2002-07-27
時は大正末期。物語の舞台は、帝都の一角に佇む喫茶「銀星館」です。ここには悪夢を糧として生きている獏である蛭孤が居て、悪夢に悩まされ迷っている者たちが救いを求めて訪れます。
「さぁ眠れ しばし現にお別れだ」(『夢喰見聞』1巻より引用)
蛭孤は依頼人を眠りへと誘い、ともに悪夢の世界へ。なぜ人は悪夢に悩まされるのか、なぜくり返し同じ夢を見てしまうのか、なぜ夢のなかですら願いを叶えられないのか……。
その謎を解くカギとなるのは、依頼人の心に潜む闇や思念です。
ほとんどのストーリーが1話あるいは2話完結のオムニバス形式になっていますが、随所に銀星館や蛭孤の過去にまつわる伏線が張られており、読み進めるにつれて秘密が紐解かれていきます。
- 著者
- 真柴 真
- 出版日
夢のなかでは自由なはずです。行けなかった場所へも行けるし、できなかったことも成し遂げられる。しかし、その逆もまた然りなのです。
夢は心を映すものであり、現実を映す鏡。表裏一体の存在です。
人は自身が持っている願望を知らず知らずのうちに夢に反映し、ときに夢に逃げこんでしまいます。
悪夢が終わり目覚めたとき、必ずしも幸福が待っているとは限りません。知らないうちに悪夢に込めていた想いが、今度は行き場を変えて現実を狂わせることもありますから……。
蛭孤は依頼人とともに悪夢に入り込み、ときには望むままに夢の内容を書きかえることができます。しかし彼が手を加えられるのは悪夢自体であり、その原因ではありません。
夢とは?現とは?そして物語のもうひとつのカギとなる「妄想」とは……?
不思議な世界観で物語が進んでいきます。
物語の舞台は大正末期の帝都。街並みは電線1本にいたるまで丁寧に描かれ、煉瓦づくりの建物が水銀灯の明かりで照らされて喫茶の珈琲の香りも漂ってきそうです。
まさに「大正浪漫」という言葉がぴったりですが、そんななかで物語自体は淡々と進んでいきます。
悪夢や人が持っている心の闇さえも繊細な作画で描かれれるので、読者はその静かな世界観に自然と惹きこまれてしまうのです。
物語の性質上、ホラーやミステリーに分類されることもありますが、過激な描写は一切ありません。登場人物たちの丁寧な言葉運びと濃淡のある雰囲気たっぷりの作画で、不思議と妙な説得力をもちながら読者の心を動かしていきます。
第壱夜の「下リ階段」という話では、蛭孤のもとにひとりの少年が訪ねてきます。
「悪夢ならもう長いこと見ています」
「供養して頂きたいのは 僕の夢の中のお嬢様なのです」(『夢喰見聞』1巻より引用)
話を聞くと、お嬢様は現実ではもうずいぶん前に亡くなっているものの、夢ではまだ遺体が屋敷の塔の中に取り残されており、夢ながら哀れでならないとのことでした。
蛭孤は、「供養はお門違いだ」と面倒くさがりながらも、少年とともに悪夢の中へ。少年は屋敷の門番だそうで、彼にとってお嬢様は到底手の届かない憧れの存在でした。そんな少年に向かって蛭孤は、ここは君の夢なのだからしたいことをすればいいと伝えます。
「本当は僕 一度でいいからお嬢様を抱きしめたかったんです」(『夢喰見聞』1巻より引用)
いざ屋敷の扉を開くと、そこには下りの螺旋階段が。塔の上にいるはずのお嬢様のもとへ向かうのに、なぜ階段を下るのでしょうか……?
蛭孤はもう答えがわかっているかのように、少年に正体を訪ねるのです。僕は何者なのだろう、なぜ階段を、下るのだろう……。少年は疑問に思いながらも階段を下り続け、そして塔の上に到着しました。
お嬢様を抱きしめて冥福を祈り、涙を流します。そして、自分が何者であったのか思い出すのです。彼にとってお嬢様は、本当に「手の届かない」存在でした。
さて、少年の正体は何だったのでしょうか。なぜ塔の上にいるお嬢様のもとへ、階段を下ったのでしょうか。
ひとつひとつの物語に、思いもよらぬ結末が待ち受けています。毎回驚かされ、飽きることがありません。
本作を語るにあたって外すことのできない重要な人物が、銀星館の主である霧霞(みづき)の兄、梓(あづさ)です。
成金男の妾の子として生まれた自身の境遇を呪い、その想いが母を追い詰めて死なせてしまったと思い込んでいて、自分の存在を憎んでいました。消えたいと心の底で願ううちに、自分の体が薄れ消えゆく夢を見るようになります。
そしてある晩、恐ろしい姿をした化け物が彼の前に現れるのです。
「我が名は蛭孤 悪夢を食らう『貘』である」
「お前が人間という存在を放棄するのと引き換えに そこに纏わる苦しみから解放してやろう。お前は蛭孤(われ)となり、貘として生まれ変わるのだ」(『夢喰見聞』2巻より引用)
自身を捨てたい梓と、生まれた場所も滅する場所も持たずに虚無感を抱いていた蛭孤は、共鳴しあうのです。
そうして梓は貘となり、「蛭孤」として生まれ変わりました。そう、彼はいわば2代目の蛭孤なのです。
では、いま銀星館にいる蛭孤はいったい……?
- 著者
- 真柴 真
- 出版日
- 2007-04-27
物語は、その謎を知る女性、神志名(かしな)が登場することで急展開していきます。
蛭孤の本当の名前は黒須千寿(くろすちとせ)といいます。かつて家の人々からまるで玩具のように虐待を受けていて、神志名はその手当をしてくれていました。
しかし彼女自身は、もし千寿が死んだら次に標的にされるのは自分だという恐怖に取りつかれていて、それゆえの行動でした。そしてその恐怖は、彼女にあらぬ「妄想」を見せてしまうことになるのです。
一方の千寿も、くり返される虐待から逃れるために「妄想」の世界に逃げ込んでいました。それはそのまま悪夢に形を変えるのです。
初代の蛭孤は滅する場所を千寿のなかに見つけ、蛭孤となった梓は千寿を探し出します。そして2人が出会ったとき、衝撃の事件が起こりました……。そして、その一部始終を見ていた神志名は、今日まである「妄想」を抱き続けていたのです……。
おそらく、1度読んだだけでは結末のすべてを理解するのは難しいのではないでしょうか。まさに夢と現と、そして妄想が入り混じった不思議な世界です。
しかし、物語は必ず「真実」へと導かれます。どんな人生でも現実が辛くても、「生きていること」の幸せを考えさせられる結末でした。
ラストシーンでは、千寿の想いが語られます。
「僕には 失うものが…ちゃんとある」(『夢喰見聞』9巻より引用)
この言葉の本当の意味は、最後まで読んだ人にしか分からないはず。ぜひその真意を知ってください。