江戸時代後期、幕府は老中・水野忠邦を筆頭にして、天保の改革と呼ばれるさまざまな政策を実施しました。ここでは、改革がおこなわれた背景や経緯をお伝えし、あわせておすすめの関連書籍もご紹介します。
江戸時代後半の1830年から1843年にかけて、老中の水野忠邦(みずのただくに)がおこなった一連の政策を「天保の改革」といいます。
1716年におこなわれた「享保の改革」、1787年からおこなわれた「寛政の改革」と並ぶ江戸時代三大改革のひとつです。
当時ひっ迫していた幕府の財政を再興するために実施されましたが、各政策は目立った成果を出すことができず、失敗に終わっています。主導していた水野は老中を免職され、失脚しました。
このころは薩摩藩や長州藩、水戸藩などの大きな勢力は自立して各地で独自の財政政策をすすめていましたが、天保の改革の失敗により、幕府と地方の繋がりや信頼関係がさらに弱まることになってしまいました。
江戸時代も終盤のこのころは、変化の時期でもあり、徐々に従来の政治が通じなくなっていく動揺の時期でもありました。
たび重なる天災や飢饉によって米の価格が高騰し、一般庶民の不満がたまっていきます。全国各地で百姓一揆が発生し、都市部の下層民による打ちこわしも頻繁に起きていました。
11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)は、奔放な政治を展開。そのせいで幕府のモラルが緩み、財政赤字が増えていきます。
対外的にも欧米からの接触が徐々に増えはじめ、1824年に大津浜事件、1828年にシーボルト事件、1837年にアメリカ船が日本近海に出没するモリソン号事件という緊急事態が続きます。
また、1842年にアヘン戦争で清がイギリスに負けたという事実も幕府に衝撃を与えていました。
このような状況で、政治の動揺を落ち着かせつつ財政を改善する必要があったのです。
人事改革
家斉時代の幕府高官たちは多くが改革に反対したため、約950人が処罰されました。代わりに遠山景元(とおやまかげもと)、鳥居耀蔵(とりいよいぞう)、江川英龍(えがわひでたつ)らが登用されています。
軍事改革
アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことを受けて、幕府は従来の強硬路線を見直すことになります。「薪水給与令」を出して、日本に漂着した外国船には燃料や食料を与えることにしました。
一方で軍備の増強にも力を入れ、西洋流砲術を取り入れています。
風紀取締り
庶民を含めて「倹約令」を徹底し、過度な贅沢を禁止しました。寄席を閉鎖したり、有名な歌舞伎役者を処罰したりしています。
経済政策
幕府の収入源は、おもに農村からの年貢です。しかし貨幣の流通によって、農村から都市部へ出ていく人が増え、農民人口とともに年貢自体も減り、財政赤字に繋がっていました。その対策として「人返し令」を発令し、幕府は江戸に住んでいた農村出身者を強制的に帰郷させます。
また、高どまりしていた物価を安定させるため、「株仲間」を解散させて自由競争を促します。しかし従来の流通システムが混乱してしまい、かえって景気の悪化を招きました。
武士の借金の利息をゼロにして分割払いにさせたり、一般民衆の借金の利息を下げて救済を図ったりもしましたが、結果的に貸し渋りが増えて借り手を苦しめることになるのです。
さらに、貨幣の改鋳をして利益を得ようとするものの、急激な勢いで実施したためインフレを招いてしまいます。水野の側近だった鳥居耀蔵は、インフレを抑えるためにさまざまな政策を打ち出しますが、かえって混乱を招き不況が酷くなっていきました。
また、「上知令(じょうちれい)」を出して江戸や大阪など、都市部の大名や旗本から領地を召し上げて直轄にしようとします。しかし各方面から大反対を受け、中止になりました。
これは12代将軍・徳川家慶(いえよし)の不興を買い、水野は老中を解任されて失脚します。
水野忠邦の側近だった鳥居耀蔵に焦点をあて、天保の改革の実像に迫る一冊です。
1844年に職務怠慢・不正を理由に解任され、その後23年間、お預けの身として地方で軟禁生活を送り、明治維新後まで生きた鳥居。その78年の生涯とはどのようなものだったのでしょうか。
- 著者
- 松岡 英夫
- 出版日
- 2010-07-23
鳥居は、天保期に目付・町奉行・勘定奉行として実権を握り、さまざまな政策に影響を与えました。その一方でライバルの奉行を失脚させたり、嫌いな学者を取り締まって自殺させたりしたため、悪代官としてのイメージも持たれています。
彼の功績だけでなく、人となりも客観的に説明しており、読み物としても参考書としても役に立つでしょう。
混乱する経済。悪化する財政。迫りくる外国……天保期の内憂外患を、当時の幕府官僚はどのように捉え、対応しようとしたのでしょうか。
本書では、膨大な数の史料文献に基づき、天保の改革を江戸の都市問題、文化・思想統制政策、対外政策、経済政策などに分けて冷静にかつ具体的に分析しています。
- 著者
- 藤田 覚
- 出版日
著者の 藤田覚は日本近世史学者。実証的かつ検証をしながら記しており、安心して読むことができます。 天保の改革を正確に理解することができる貴重な一冊だといえるでしょう。
やや難解な部分もありますが、本格的に読み込むと歴史の実像がよりはっきりと見えてくるはずです。
株仲間の解散や人返し令など、本書では三大改革のひとつとして知られる天保の改革の詳細を、古文書をとおして学んでいきます。
- 著者
- 出版日
- 2008-06-01
全部で150ページほどと手ごろなボリュームですが、中身はしっかり読みごたえがあります。
遠山金四郎と水野忠邦が対立していた様子、日光参詣の経緯、尾張の領民にスポットを当てた解説など、ミクロな視点で改革を理解することができるでしょう。
教科書ではほんの少ししか描かれない天保の改革。具体的にどんなことがされたのか理解していた人は少ないのではないでしょうか。単純に政策を時系列順に調べるだけでなく、当時の世相や登場人物の人間性にも焦点を当てて勉強してみると、現代にも通じるよりリアルな歴史を知ることができます。