阿佐田哲也、という名前は知っているけど作品を知らない、という人にとって、イメージはきっと麻雀の小説の人!ではないでしょうか。 でも麻雀を全く知らなくても彼の作品はとても面白いです。今日はその中から5冊をご紹介します。
1929年生まれの阿佐田哲也は、色川武大という別名義でも作品を発表しています。
第二次世界大戦後の混乱期の中、雀聖とも呼ばれるほどの腕を身につけた彼は一念発起してアウトロー生活を抜け出し、紆余曲折の果てに色川武大名義で書いた小説で賞を取ることができました。
そこで一度麻雀をやめるのですが、なかなかスランプから抜け出すことができず、これまた紆余曲折の末、娯楽小説として麻雀小説を書くことになります。
色川武大としては純文学を、そして阿佐田哲也としては博打小説を。二つの名義を使い分けた彼でしたが自分が志したものが売れず、違う方ばかりが売れてしまうという作家としての葛藤があったようです。
しかし雀聖とまで言われ、博打を究めた人にしか書けない……阿佐田哲也の作風はまさに、麻雀の神様に愛された作風と表現できると思います。
本作は昭和58年、阿佐田哲也が亡くなる6年前の作品です。
ギャンブルというイメージ的に荒々しい人格を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、阿佐田の話し方はとてもソフトで柔らか。自分の破天荒な人生経験があるせいか、どんな人も受け入れる穏やかでおおらかなオーラが感じられます。
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
このエッセイの中に、深夜に彼のもとを訪れた知らない若者に、麻雀だけではなく自分の人生に正反対だと思われることもやってみるように、もしも大学へいってみる気になったら入学金は自分が立て替えてやろうとアドバイスをする話があります。
結局その若者は彼が不在のときに2万円借りに来たっきり、そのまま消息不明になってしまいましたが、阿佐田哲也はその彼に怒ったり悩んだりすることなく自分と出会ったひとつの偶然についてどんな気持ちでいるだろうか、と文章を結びます。
自分の好意を無にしやがって、でも、2万円返せ、でもなく、若者の将来を思い悩むでもなく、ただそれをすべて受け入れ覚えている、それが阿佐田哲也の懐の深さではないでしょうか。
阿佐田哲也、といえば『麻雀放浪記』を紹介しないわけにはいかないでしょう。本作が書かれたのは昭和44年、彼が40歳のときの作品です。
戦後日本の混乱期、誰もがぎすぎすした時代に坊や哲という呼ばれる学生服を着た16歳の少年が麻雀や他の博打を通してさまざまな人に出会い、もがき苦しみながら成長していく物語です。
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
麻雀の記号が小説中に出てくるので麻雀のルールを知らなければ読めないのでは、もしくは面白くないのでは、と思われがちですが、そんなことはありません。
麻雀のルールを全く知らなくても、その勝負場のひりひりと肌を刺激してくるような感覚や時には命をなくすことになるかもしれない程の大勝負になっていく緊張感、それが行間からにじみ出てくるようにすら感じるのが阿佐田哲也の麻雀小説の魅力です。
映画にもなったとても有名なタイトルですし、続編も多いのですが、まずは一冊手に取ってその独特の緊張感を味わってみてはいかがでしょうか。
『麻雀放浪記』で坊や哲と最初に出会った主要人物の一人であるドサ健と呼ばれる男を主人公に据えた、『麻雀放浪記』の10年後、つまり日本が戦争の敗北から立ち直り始めたころの話になります。
博打の道をさまざまな形で去っていく坊や哲や他のものたちと違い、ドサ健は徹頭徹尾博打の道で自分を生かそうとします。
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
いろいろな事情でひとりずつ減っていく仲間たちと同じように、時代の流れに従って博打の道を捨てて一般的な道へ進むという選択はドサ健にはできなかったのでしょうか。
坊や哲ができたその選択を彼ができなかったこと、そんな人生を選ぶことしかできなかった人もいるのだと、阿佐田哲也は言っているように思います。
余談ですが、「我こそがドサ健のモデルだ」と言い張る人たちが阿佐田哲也の周りにはたくさんいたそうですが、特にモデルとした人は居ないのだとか。
逆に、ドサ健のような人がその時代にはたくさんいた、ということかもしれません。
これはギャンブル小説ではなく、昭和という時代の中の一部分を切り取った時代小説とも言えると思います。
阿佐田が亡くなる1年前、1988年に発表された『阿佐田哲也の怪しい交友録』
長年の無理がたたり身体をかなり壊して入院手術を繰り返していた阿佐田ですが、彼を襲った病魔の一つがナルコプレシーという精神病でした。
他の書で作者が書いていますが、この病気は精神の揺らぎがもっともいけないらしく、怒っても泣いても笑っても嬉しくてもそれが精神的なダメージとなりコントロールできない眠気を引き起こす、というものなのだそうです。
と言いつつも阿佐田哲也の周りには有名無名含めていろんな人が常におり、当人も人と共にあることをとても喜んでいたのだとか。
実際に阿佐田家にはさまざまな人の出入りが多く、常に来客があったそうです。
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
そんな阿佐田哲也の交遊録として書かれたこの本は、本当にさまざまな人と交友があったのだな、と驚かされるほど個性豊かな面々ばかり。
有名無名にかかわらず、その人となりが阿佐田哲也の目を通して面白おかしく、ときにはしんみりと伝わってきます。
作家として名を成したあとの、阿佐田哲也のギャンブル人生をまとめた短編集。
こちらは昭和53年に発表された作品です。昭和36年に色川名義で文学賞を射止めたあと長いスランプ生活に陥り、純文学作家として生きていきたいと一度は博打を封印した阿佐田哲也。しかし博打うちの血はさまざまな誘いによって蘇り、本場のカジノへいったり昔の仲間と麻雀をやったりという生活に戻ってしまいます。
随分と体調を壊してからの短編集なのですが、それでも本当によくやるものだ、と逆に感心してしまうほどです。
- 著者
- 阿佐田 哲也
- 出版日
この短編集にはギャンブルそのものの描写よりもそれを通して阿佐田哲也が感じた思いが詰まっています。
昔の仲間から感じる切なさやもう時代が変わったのだという諦めにも似た心境。
若い人たちが道を踏み外そうとしていることについて、それもひとつの道だと思いつつもときには説教めいたことをしたくなる老婆心。
そして体調を心配してくれる仲間たちへの感謝の気持ち。
博打を打つだけではなくそこに人とのかかわりを大事にしてきた阿佐田哲也ならではの短編集だと思います。
吉行淳之介が阿佐田に体を大事にしなさいよ、と忠告したときに
「吉行さんの前に出ると、昔から従順な女のようになってしまう」
という阿佐田をこの目で一度見てみたかったな、と思ってしまいました。
吉行淳之介に対する尊敬と敬愛が、阿佐田哲也らしい口調で描かれているシーンではないでしょうか。
以上が阿佐田哲也のおすすめ本5選です。
麻雀小説が当人の予想以上に大ヒットしてしまい、世間一般では麻雀小説の作家だと思われがちですか、阿佐田自身はいずれ純文学で身を立てたい、と志していました。しかし純文学に力を入れ始めた途端に、心筋梗塞による心臓破裂でこの世を去ることになります。
麻雀の神様が彼を手放したくなかったから連れていってしまったのだ、という話も、もちろん偶然ではあるのでしょうがあながち嘘とも言い切れないのかもしれません。
しかし実際に阿佐田哲也の本を読んでみると、麻雀の他に競輪や手ホンビキ、カジノと手掛けるギャンブルはとても幅広く、まさに博徒という言葉がぴったりな人だったのではないだろうかと思います。
ギャンブルそのものが全くわからなくても、博打といういわゆるアウトローな生き方をしてきた阿佐田が書くギャンブル小説は、そこに「良くも悪くも人としての本能をむき出しにして生きる人々」の凄まじさや切なさ、そして博打に対する一種の敬意のようなものが現れているのではないでしょうか。