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5分でわかる湾岸戦争!概要、原因、イラク戦争との違いをわかりやすく解説!

更新:2020.11.25 作成:2018.2.17

アメリカがイラクに対して攻撃を仕掛けフセイン政権を倒し中東に勢力基盤を築いたのは割と新しい話ですが、そのきっかけは中東の揉め事にアメリカが参戦したことに始まります。今回は、1991年に起こった湾岸戦争について見ていきましょう。

湾岸戦争の概要を簡単に紹介

湾岸戦争とは、1991年にイラク、クウェート、サウジアラビアといったペルシャ湾周辺の国家地域で起こったイラクのサダム・フセイン政権とアメリカを中心とした多国籍軍によって行われた戦争で、日本では1980年に同地域で起こったイラン・イラク戦争と区別する際に特に「湾岸戦争」と呼びます。

元々、いわゆる湾岸地域と呼ばれるイスラム諸国では東西冷戦以来ずっと戦争が続いていましたが、1980年に始まったイラン・イラク戦争はそれぞれの政権が支持する教派の違いと先進国への石油輸出の権利を巡ることによって起こりました。

1988年、一旦は国際連合の仲裁によって両国間に停戦が成立しましたが、両国の戦争による財政難は非常に深刻でした。そこでイラクのフセイン政権は石1990年に油を大量に保有しているクウェートに対して攻撃を仕掛け占領します。フセイン政権のこの行為は当然、国際社会から非難を浴びることになります。

国連安保理はイラクに対し期限までにクウェートから撤退することを要求しますが、イラクはこれを拒否。こうして1991年1月、アメリカを中心に非戦闘参加国を含む合計35ヵ国による多国籍軍がイラクなどに対して攻撃を開始。通称「砂漠の嵐作戦」と呼ばれる空爆が数週間に渡って行われました。

空爆が行われた後、戦局は「砂漠の剣作戦」と呼ばれる地上戦に移行します。空爆によって重要拠点が機能停止していたことで勝敗は明らか。戦争は数ヶ月でイラクの停戦合意、そしてクウェートからの撤退という形で終わります。

湾岸戦争の原因は?

長い目で見ると、湾岸戦争は長く続く中東戦争の中の一部分に過ぎません。その背景には長い長い歴史の中で起こった対立構造を理解する必要があります。

中東地域のイスラム教の国々は、イスラム教の開祖ムハンマド(570?-632)の時代は全て一つの国でした。しかしそのムハンマドが後継者を明確に指定しなかったことから後継者の地位を巡って争いが起こり、イスラム教はシーア派とスンナ派に分かれました。それから千年近くに渡って妥協と分裂を繰り返しながらも存続した両派。

契機となったのが16世紀になってからのこと。当時中東はオスマン帝国の時代でしたが、この時代になってシーア派が特に激しく迫害され続けました。オスマン帝国はおよそ700年以上もの歴史を誇った国でしたが、第一次世界大戦によってあっさりと滅亡。その故地には多くの民族が問題を抱えたまま放置されます(現在の領土・民族問題が形成される)。

そんな中、イスラム教を信仰する部族の中で台頭したのがホメイニー率いるイラン政権、そしてフセイン率いるイラク政権でした。両者は前者がシーア派、後者がスンナ派という歴史の中の古い対立構造を持ち出して戦争を開始します。その原因は外国への石油輸出権でした。

フセインはイランの石油輸出権を奪うためにイランに奇襲攻撃を仕掛けますが、実はそのバックでイラクを支援していたのが大国アメリカとロシアでした。アメリカは中東での利権拡大のために「イスラム原理主義」と呼ばれる他宗教に対する排他的な思想を有するイランのホメイニー政権に危機を感じていたのです。

戦争の結果、イランのホメイニーがイランから亡命しますがイラクは思ったように戦果を得ることができないまま停戦せざるを得なくなります。しかしイラクにはアメリカから借りた軍事費の債務がそのままのしかかり、債務の延長を図るもののアメリカからは拒否されました。

こうして財政難に陥ったイラクは他国から利益を盗むことで財政難を打開しようとし、ついにクウェート侵攻へと踏み切り、湾岸戦争になるのです。

湾岸戦争の口火を切ったのはアメリカですが、この時にアメリカはナイラというクウェート人少女がイラク軍がクウェートで化学兵器を使用するなどの残虐行為を行っているという演説を放映しました。しかしこのナイラは実は元クウェート王族・現駐米大使のサウードの娘で当時アメリカにいて戦争とはまったく無関係、そしてこの演説がアメリカのコンサルティング会社によるプロバガンダだということが発覚したのです。

アメリカの真意は、冷戦によって財政危機に陥ったことからそれを打開するために石油事業を掌握することだったのです。しかしそれにはイランのホメイニー政権のようにいわば他宗教に排他的な政権が邪魔だったのでちょうど対立関係にあったイラクを利用しました。つまり、湾岸戦争は用済みになったイラクからさらに搾り取るための方便だったと見るべきでしょう。

湾岸戦争とイラク戦争

湾岸戦争の終了後、アメリカはイラクに対して大量破壊兵器の不保持を義務付けます。しかしこの時以降、検査が抜き打ち方式となったためイラクはアメリカの要求に対して素直に応じません。アメリカらはこれに対し軍事攻撃を散発的に繰り返すことでイラクを威嚇するなど、緊張状態が何年もの間続いていました。

2001年、アメリカでジョージ・ブッシュ(息子)政権が発足してまもなく、アメリカ・ニューヨークでアフガニスタン系のタリバン政権麾下のテロ組織アルカーイダのビンラディンが指示したとされる同時多発テロが発生、数台の飛行機がエアジャックされ世界貿易センタービルに突撃し多くのアメリカ国民が犠牲になりました。

この事件を受けて、アメリカは国民の心情を追悼から反戦、そして戦争へと操作していき開戦への理由を「イスラム原理主義による過激思想」へと持ち込んでいきます。当時アメリカでイスラムに対する差別や過激派運動が横行しており、人種に関係なくターバンやサリーを巻いただけで襲撃されました。

イラクのフセインはアメリカ市民に追悼の意を表するなどむしろアメリカに対し好意的な姿勢で望んでいました。しかしいざアメリカが報復のためにアフガニスタンに侵攻を始めると、イラクにアフガニスタンテロ組織との関連性を指摘する情報がアメリカから流されます。

明くる2002年、アメリカはイラン・イラク・北朝鮮の三国をテロ支援国家、通称「悪の枢軸」だと厳しく糾弾し、イラクに対して強引に大量破壊兵器の調査を実行するよう命じます。結果イラクは膨大な報告書を提出しアメリカの体制を非難しますが、さらに明くる2003年にアメリカは国連にてフランス、ドイツ、ロシア、中国が反対を押し切って強引にイラク攻撃を可決。ついにイラク戦争が始まるのです。

2006年、フセインが米軍に捕らえられて処刑。2011年、米軍の完全撤退を持ってアメリカの完全勝利で一連のアメリカ侵攻が終わり占領時代へと入ります。こう見ると、湾岸戦争はアメリカがイラクを介して中東の石油戦略に参入した契機だと見ることが出来るでしょう。

湾岸戦争への日本の対応

湾岸戦争には、日本も資金援助のみという形で参加していました。ご存知のとおり、日本は太平洋戦争以来多くをアメリカに依存していましたが、当時の海部俊樹内閣の日本はバブル崩壊直前の絶頂期でマスコミからは金満国家と言われるような経済復興を果たしていました。

その繁栄を謳歌する背景には、アメリカが欲してやまない中東での石油利権にありました。日本は自動車産業の拡大にあたって石油を多くを中東から輸入していたのです。

折しもこれより数年前、東芝の子会社がアメリカからは禁止されていたロシア企業へ製作機械を輸出していたことが発覚、さらに三菱地所がロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収しており、経済危機にあえぐアメリカからは日本は異質な国だと非難が集中していました。

そんな状況下で起こった湾岸戦争で、アメリカは当然傘下に等しい日本にも「武力参戦」を要求します。しかし日本は自衛隊発足以来一度も実戦経験がなく、かつ国内から戦争反対論が起こるなどとても答えられる状態ではありませんでした。さらにアメリカの強行的な戦争論に対し、日本は独自でイラクへの経済制裁を行い、かつイラクへ撤退を促すことを検討していました。

日本は国軍に相当する自衛隊が派遣できない以上民間企業に海外派遣を促しますが、これもアメリカからは自国中心主義だと非難されます。そんな時国会では自民党幹事長(当時)の小沢一郎が海部首相を押し切って自衛隊派遣をする法案を制定しようとしますが最終的には否決され、海部首相と橋本龍太郎大蔵大臣は最終的に計130億ドルを米ドル建てで軍事費として提供し、軍事力は出さないことを決定しました。

しかしこれも毎回10億ドルの分割払いであったことから日本がアメリカに至極消極的であるという印象を与えたとされています。こうして日本国内でも人的貢献がない限り積極的貢献だとはみなされないという見解で一致し、最終的には自衛隊が地雷除去部隊として派遣されることが決定。

戦争時からの物資援助、そして地雷除去や現地での円滑な資金提供によって日本は少ないながらも確かに多国籍軍に貢献しています。国際社会(主にアメリカ)に対して武力に屈したとする意見は今でも少なくありませんが、クウェートからは資金援助をしたことを感謝され、東日本大震災の際にはクウェートから石油の無償提供を受けるなど好印象を受けています。

以後、日本では1992年にPKO協力法が成立し平和活動においては自衛隊が実際に派遣されるようになり、国際紛争に対して積極的姿勢を見せるようになりました。日本は湾岸戦争をきっかけに、国際社会を傍観する姿勢から脱却したのです。

和書随一と評される湾岸戦争戦車大全

日本現代史の中では、およそ初めてであろうとされる大規模な軍事戦争。本書は上下両巻合わせて757ページの大長編で、現在出版されている中ではこれ以上ないほど湾岸戦争について詳しいとされています。特に注目すべきはタイトルのとおり戦車です。

湾岸戦争について現段階では和書で最も実態に迫ったものと評されるように、非常に信頼性の高い価値を持ったものだと言えるでしょう。
著者
河津 幸英
出版日
2011-07-12

絶賛されている本書の内容は、タイトルの戦車に限らず戦争の経緯や多国籍軍総司令官シュワルツコフの意見も非常に詳細に描かれています。出版当時の環境から主に多国籍軍側の記述が中心となっていますが、イラク側が陸戦において思わぬ善戦をしたことで多国籍軍を戦々恐々とさせたことについても外していません。

多国籍軍擁するM1A1と、イラク軍擁するT72のわずか2日間の陸戦は、最後まで勝敗の予想がつきませんでした。陸戦史における非常に重要なのは1ページを知るには必携の1冊です。

戦争の悲劇、二度と繰り返さないために

戦争は戦勝国に莫大な利益をもたらし、「英雄」の伝説を誕生させます。しかしそれは力ある者のエゴに過ぎません。大多数の人間、特に子供は戦争に対して無力。湾岸戦争、そしてイラク戦争で受けた劣化ウラン弾の後遺症は今でも子供たちに容赦なく襲いかかっているのです。

平和を謳歌しているように見える日本もつい73年前には原爆が落とされ、今も後遺症に苦しんでいる人が大勢います。本書はそうした悲しい現実を繰り返さないために警鐘を鳴らした写真集です。我々はこの現実から目をそらしてはいけません。
著者
森住 卓
出版日
森住卓は米軍基地や環境問題を主に取り組んでいるジャーナリストですが、主要な作品はセミパラチンスクやコソボ自治区、そしてイラク、福島と戦争や原子力被害に苦しんでいる地域の実態を隠すことなく移しています。本書の内容は写真展にもなりました。

彼は人間が作り出した核による被害を正面から見つめ、現在我々人類が直面している危機を訴えかけています。日本ではつい数年前に福島大地震で原子力汚染が問題になりましたが、行政や一般市民のこれに対する態度はまさに他人事でネットの悪口のネタ程度にしか捉えられていません。

今憲法改正によって集団的自衛権が軍事の自由に書き換えられようとしている中で、我々は戦争とは何かをもう一度よく考える時が来ているのです。

戦争の分岐点となったIT技術、情報戦

上掲の「湾岸戦争大戦車戦」の作者、河津幸英のバックナンバーです。前掲書以前から現代戦争を長きに渡って研究している著者は、湾岸戦争の予算が日本の手によって捻出されたことを忘れてはならないとして日本の一般国民が戦争と生活をあまりに切り離して考えていることに警鐘を鳴らしています。

本書は2001年の段階でかなり調査が進んでおり高度な内容となっています。湾岸戦争を知るには、前掲書と合わせて読むべき一冊です。

著者
河津 幸英
出版日
本書の特徴は、「砂漠の嵐作戦」と言われ日本でも空爆の威力を思い知らせたあの航空兵器が、実は1991年段階で依然未熟で空爆が決して多国籍軍勝利の決定打ではなかったのがわかることです。湾岸戦争で重視されたのはIT革命というように、情報戦です。

多国籍軍が圧倒的な情報量を駆使してイラク軍の狙いを挫いたことが勝因であると判断した著者の視点から、兵力差があっても油断ならない戦争の機微とアメリカの情報操作の上手さを垣間見ることができます。現在戦地で支援活動をしている日本も、決して無視できない情報があふれているのです。

いかがでしょうか。湾岸戦争は日本も関与した戦争です。国際社会で起こる戦争は今やどの国も決して無関係ではいられません。我々日本人は特に戦争というものにことのほか無縁であるために危機感が非常に薄く感じます。

湾岸戦争は屈辱の外交として知られていますが、果たして日本は本当にアメリカがいうような自分勝手な国なのでしょうか?現在も続く中東戦争の実態を知るために、我々は湾岸戦争を学ばなければなりません。その点で、今回紹介した3冊の本は非常におすすめです。