小説で一番難しいのは「色」と「食」―。 そんな例えがあるほど、「食べ物」に関する小説の描写は読者に深い印象を与える、重要なシーンとなります。 単なる食事というだけではなく、登場人物の心象やその時の状況、または物語の展開に影響することもある大切な小道具でもありますね。 近年では「料理」を題材にした作品が増えてきました。それも味覚にまつわる人間ドラマを描き出す、重厚な内容の小説が人気です。 一皿に込められた思いが胸を打つ、料理が際立つおすすめ小説5作品をご紹介します!
『ヤッさん』原宏一
職を失いホームレスになってしまった青年「タカ」は、早朝の路地裏で突然蹴り起こされます。見上げると角刈りのいかついTシャツ姿のオヤジが仁王立ちしており、人の迷惑になる場所で寝るなと怒られ、「飯を食わせてやる」との言葉に従って訳も分からず身だしなみを整えさせられるのです。
角刈りオヤジの名は「ヤッさん」。実は彼もホームレスなのです。
が、ただのホームレスではありません。かつてプロの料理人として店舗を構えていた腕利きの職人であり、その経験をフル活用して食材を扱う人と料理人の橋渡しをする「食のコーディネーター」をしているのです。
しかし彼は一切の金銭的謝礼を受け取りません。ただ、報酬として「飯を食わせてもらう」ことだけを条件としているのです。
ヤッさん
タカが連れて行かれたのは築地市場。勝手知ったる様子で一軒の魚屋さんに入ったヤッさんにすすめられるまま、手にしたのは「マキ」と呼ばれる車海老の小さいものでした。頭をとってミソを吸い、殻を破ってぷりぷりの身をそのまま口に入れると、信じられないような弾力と甘味に魅了されてしまうのでした。
料理ともいえないようなストレートな一皿でしたが、素材そのものが持つ力と食に関わる全ての人の見えない努力に感銘を受けたタカは、以後ヤッさんに弟子入り志願して食のコーディネーターとしての人生を歩み始めます。
グルメという言葉とはまた違う、食への熱い思いと誇りが胸に迫る、ハッピーな物語です!
『侠飯』福澤徹三
就職活動中の大学生・良太のもとに、ひょんなことから「組長」を名乗るコワモテの男・柳刃とその部下が転がり込んできます。彼らはヤクザの抗争に絡み、良太の部屋を拠点に何やら怪しい監視行動を続けます。
他言無用と脅されつつも、良太の心を捉えたのは柳刃が繰り出す手料理の数々。ありあわせの物で食事からお酒のつまみまであっという間に食卓に並べ、緊張感あふれる毎日に奇妙な安らぎを添えるようになります。
- 著者
- 福澤 徹三
- 出版日
- 2014-12-04
ヤクザと同居しながらの就活という異常事態にも関わらず、やがて良太は柳刃の男らしい生き方に憧れを抱くように。そして面接前のある日、食事をとる余裕もなく出かけようとする良太に、柳刃はありあわせのレトルトカレーにスパイスを加え、大阪風のドライカレーを用意します。
生卵とウスターソースで調味するそのドライカレーは、昭和を思わせるノスタルジックな味わいで面接に臨む良太の緊張をほぐしていくのでした。
作中ではとにかく細かく料理のポイントが語られます。ヤクザと大学生の会話というとぼけた設定を忘れるほど真に迫り、なおかつ心温まるシーンが続くのも本作の魅力です。
柳刃の意外な正体と合わせて、最後まで楽しませてくれる作品です!
『ラストレシピ 麒麟の舌の記憶』田中経一
第二次大戦前夜、宮中の料理人・直太朗は軍部の命を受け、満州国である任務に就くこととなります。
それは満州族と漢民族の料理を200品にわたり供するという、中国最高の「満漢全席」を超えるレシピを完成させること。
国家の威信をかけたプロジェクトに、全身全霊をかけて打ち込む直太朗。しかしその裏には、ある恐ろしい陰謀が秘められていたのです。
物語は、現代の料理人・佐々木がある人物の依頼を受けて、散逸した直太朗のレシピを集め、その料理を再現することを目的として進行します。
佐々木は失われたレシピを探しながら、戦時下という極限状態でレシピを作り続けた直太朗という料理人の心に思いを馳せ、やがて彼が国家のためではなく、最後には大切な家族を思い描いて料理を作り続けたことを理解します。
- 著者
- 田中 経一
- 出版日
- 2016-08-05
それを象徴するのがレシピの最後に挙げられた「すっぽん雑炊」。
実は孤児だった佐々木が、顔も知らぬ親が持たせた唯一の道具である「土鍋」と深い因縁があったのです。
鍋そのものに染み込んだエキスによって、自然とすっぽんのスープが染み出してくるという魔法の土鍋。それこそが直太朗のレシピの謎を解き明かす鍵となります。
愛する人たちのためを思い、心を込めて構想された料理の数々と、佐々木自身の出生の秘密が感涙を誘う、レシピに秘められた愛の物語です。
巻末に掲載された全ての料理名が、さらにイメージを膨らませてくれます!
『鴨川食堂』柏井壽
京都の街角にひっそりと佇む「鴨川食堂」は、依頼者の思い出の味を再現してくれる不思議な料理屋さんです。
元刑事という異色の経歴をもつ店主と、看板娘のこいしが切り盛りするその食堂には、さまざまな思いを秘めて料理の再現を依頼に来る人が後を絶ちません。
ある日やってきた男が依頼したのは、亡き妻がいつも作ってくれていた「鍋焼きうどん」。
しかし、料理にほとんど関心を払ってこなかったその男の証言だけではヒントが少なすぎ、味の再現が困難となります。
- 著者
- 柏井 壽
- 出版日
- 2015-05-08
そこで元刑事の経験を活かし、店主自ら探偵さながらの調査を重ねて思い出の味の再現に取り組むのです。
普段買い物をしていた商店や、近所の人への聞き込み、そしてさらなる記憶を呼び覚ます巧妙なインタビュー等々、あらゆる工夫で完璧な「亡き妻の鍋焼きうどん」を再現してみせます。
そこには、男に対する故人の温かな心配りが秘められていました。つゆを飲み切ってこそ初めて分かる、おいしかったかどうかを確かめるための小さな魔法。そんな細やかな情愛がいっぱいに詰まった一皿のお話です。
そして新たな人生を踏み出そうとする男のために、鴨川食堂はもう一つの魔法を料理に込めていました。その小さな違和感に気付いた男に、店主は知らん顔を決め込んで静かに送り出します。
料理人の粋な心遣いが胸を打つ、おすすめの物語です!
『竜馬がゆく』司馬遼太郎
言わずと知れた超有名作品、『竜馬がゆく』。
龍馬を中心に、幕末の動乱を駆け抜けた魅力的な人物たちが活躍しますが、ここでは海援隊の陸奥陽之助(むつようのすけ)という青年にフォーカスしてみましょう。
彼こそは後の陸奥宗光(むつむねみつ)、不平等条約による領事裁判権の撤廃を実現させた「カミソリ外交官」として名高い人物です。
元は紀州藩の生まれでしたが、勘定奉行であった父親の不遇から故郷に見切りをつけ、やがて海援隊へと身を投じ浪士として活動するように。ですが優秀な彼は龍馬から目をかけられるも、鼻持ちならない高慢な態度ゆえ仲間たちからは浮いてしまい、孤独感からか夜遊び・朝帰りを繰り返すようになります。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1998-09-10
長崎滞在中のある日、いつものように朝帰りしたところ、朝食中の龍馬にばったり出くわします。気まずい思いから陽之助はおどけて、龍馬が食べようとしていた厚揚げの煮付けをせがむのです。
普段なら甘やかして食べさせてくれそうなところを、龍馬はその厚揚げをぱくりと自分で食べてしまうと、陽之助に心から期待していることを伝えます。その言葉に発奮した彼は、以後海援隊の重鎮としてその才能を開花させていくのでした。
陽之助が欲しがった厚揚げの味付けまでは書いていませんが、きっと長崎らしい甘めのつゆをたっぷり含んだジューシーな料理だったのではないでしょうか。
それは陽之助の龍馬への甘えと、そこから脱皮するきっかけが混ざり合った、運命を変えた一皿だったに違いありません。
これらはすべて、「食べさせる側」、「作る側」の視点がメインとなっています。
それは単なる「グルメ」という言葉では表現しきれないような、食べてくれる人のことを思いやる心を描いた物語です。
読みながらお腹が空いてしまうのはもちろんのこと、きっと大切な誰かに一皿の料理を食べさせてあげたくなるのではないでしょうか?