古典や近代文学を現代の大衆文化と融合させ、独特の世界観を生み出す作家、高橋源一郎。彼にしか描けない世界の中に隠された文学の意味、そして文化のあり方をご紹介いたします!
1951年生まれ、広島家出身の作家で、文芸評論家、文学者としても活動しています。
高校時代から全共闘運動に参加し、1969年に横浜国立大学に進学した後も活動家として学生運動に日々を費やし、逮捕された経験があります。拘置所に入れられ、失語症になった経験をもとに1981年『さようなら、ギャングたち』を執筆。「群像新人長編小説賞」の優秀作に選ばれました。
パロディやパスティーシュなどを扱った当時としては前衛的な作風で、ポップ文学の旗手といわれています。
そのほか競馬評論やエッセイなど執筆活動は多岐にわたり、近年はSNSなども利用して日々発信を続けています。
1981年に群像新人長編小説賞の優秀作に選ばれた、高橋源一郎のデビュー作です。
彼は学生運動に携わり、逮捕され拘置所で過ごしたことから、失語症を患ってしまいます。喋るだけでなく読み書きもほとんどできなくなり、リハビリを始められるまでにおよそ10年間もかかったのだとか。
本書は、彼が言葉を失った経験をもとに描かれた小説です。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 1997-04-10
人々は自分の「名前」を持っていない不思議な世界が舞台。断章形式で文章が記されています。
この世界では、名前は恋人同士で付け合い、親密の証として呼ぶものとなっていました。本作の主人公のわたしは、恋人に「中島みゆきソング・ブック」という名前を与え、彼女もわたしに「さようなら、ギャングたち」という名前を付けます。2人は猫の「ヘンリー四世」とともに暮らしていました。
わたしは詩の学校で先生をしています……。
わたしはソング・ブックと出会う前の彼女との間に子供いました……。
「キャラウェイ」と呼んでいた子供は死んでしまい、わたしはキャラウェイを子供用の墓地に連れていきます……。
文章は断片的で、エピソードの配置も時系列もバラバラ。しかしそのなかで描かれる突飛なアイデアや表現、レトリックが、本作の世界観を作っているのです。
ある日、4人のギャングがやってきて、ソング・ブックを連れ去ってしまいます。彼女がいなくなると、ヘンリー四世が突然喋り出しました。
「何も食べたくない。トーマス・マンが読みたいんだ。どこかでトーマス・マンの短編集を買って来て」(『さようなら、ギャングたち』より引用)
それまでひと言も話していなかった猫が突然言葉を発しても、わたしはちっともおかしいと感じませんし、読者ももう驚かないでしょう。
名前とは?言葉とは?本書を読めばその概念が変わるはずです。
先述した『さようなら、ギャングたち』、『虹の彼方に』とあわせて初期三部作と呼ばれる本作。
主人公が、精神障害者になってしまった男の治療をする物語です。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2004-04-10
ポルノ作家をしている主人公は、ある時「すばらしい日本の戦争」と名乗る人物に出会います。彼の頭の中には常に死体が居座っており、そのことばかりを口走る奇妙な男です。
主人公は彼の中にいる死体をどうにかして追い出そうと手を尽くすのですが、何をしても効果が出ません。
ある日、「すばらしい日本の戦争」は、自分の誕生日パーティーで発作を起こしてしましました。それを鎮めるため、主人公は最後の手段を用いてしまうのです。
「あなたはきちがいのまねをしているだけ」(『ジョン・レノン対火星人』より引用)
絶対に言ってはいけないと思っていたひと言。この言葉を受けた男の行く末は……。
ある時、3歳の男の子ランちゃんのもとにお姉さんが現れました。彼女は世界を救ってほしいと言い、もしできなければ二度と両親と弟に会えないと伝えてきます。
幼いランちゃんは時空を超えて、パラレルワールドで「悪」との戦いを始めるのです。
ファンタジー色の濃い一冊で、高橋源一郎らしいオリジナルの言葉選びと世界観を楽しめるでしょう。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2013-06-05
本作で描かれる「悪」とは、ある種の弱さを表しています。それは、人間の心から生み出される怯えや不安、焦りなどの感情。それと子供が戦うというポップな設定に落とし込み、小説にしています。
「あくって、なんかかなしい」
「あくって、そんなにわるくないきがする」(『「悪」と戦う』より引用)
ランちゃんはまだ3歳なので、大人が使うような高尚な言葉は使いません。子供ならではの感覚的な言葉で「悪」を表現するのです。
「悪」とは幼いからこそ寄り添うことができ、幼いからこそ素直に認められる存在なのかもしれません。
謎のゴーストを探して、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの2人がアメリカを旅する物語。
時空すらも飛び越えて疾走する冒険譚です。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2010-04-09
主人公の2人は、ガンマンであり強盗団でもありました。彼らが追ってるいるのは、「ゴースト」です。しかしその正体は物語の最後まで明かされません。
作中には随所にパロディの要素が仕込まれています。松尾芭蕉を表すであろう「BA-SHO」、芭蕉と旅をした曾良こと「SO-RA」、ドン・キホーテに登場する「アントニア」など……そのどれもが原作に基づいたキャラメイクをされており、知っている人も知らない人も面白く読めるつくりになっています。
また東京の空を飛び回る正義の味方「マン・タカハシ」が、ゴーストに呼び出された後に見せる行動は、小説自体の軽妙さを表現しており、荒唐無稽ながらも読ませる力に満ちた作品です。
日本近代文学を率いた文豪たちが明治時代と現代を飛び回り、そこに横たわっている問題に直面していきます。
爆笑できるユーモアにあふれた一冊です。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2004-06-15
物語は、明治時代の文豪たちをひとりひとりピックアップする形で進んでいきます。かつての作家が何を考え、何を書こうとしていたのかを、高橋源一郎が再解釈しているのです。
日本の近代文学は、前進と後退の連続でした。誰もやったことがない新しいことを模索して小説や詩の形にまとめあげ、高い評価を得られたり得られなかったり。かと思えば新しいものより古典が注目されるなど、文壇として苦難の時代だったといえます。
その苦悩が近代を抜け出して現代とつながり、彼らがまたしても新しいことをやってみせるのです。田山花袋が自然主義のすえにAV監督になったり、石川啄木が伝言ダイヤルにはまったりする珍妙さ……新しい作家の一面を再発見することができます。
明治から現代まで脈々と受け継がれている、日本の小説について綴った評論です。
単なる「日本文学史」の形にとらわれることなく、その価値のあり方を高橋源一郎の目線から再発見しようと試みています。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
明治以降の小説は、海外から流入してきた文学に影響を受けたものが数多くあります。諸外国の進んだ文化に触れ、刺激を受け、文豪たちは自分の作風を模索していました。
そのなかで、たとえば「死」についてや「小説の縮小」についてなど、およそ100年間で起こった問題をひとつひとつ考えていきます。
言葉とはそもそも「わからないもの」を具現化するためのツールです。
私たちは身の回りの人が亡くなった時、悲しみ死を悼みます。それは自分のためであり、死者のためでもあります。しかし果たして、死者はお経やお祈りを聞いているのでしょうか。それは誰にもわかりません。
この「わからないもの」を具現化するのが小説の仕事ですが、では生きている人間にリアルな「死」を届けることができるのでしょうか。
普段は意識していない文学の問題を再検証する大作です。
「あの日」とは、2011年3月11日のこと。「東日本大震災」と「原発問題」について記した一冊です。
高橋源一郎は震災が起こったその日から、公式Twitterや雑誌などでこの問題について語り続けました。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2012-02-25
高橋はさまざまなメディアを駆使して言葉を発信していますが、特にTwitterは、驚くほど広い幅を持った感情や言葉が飛び交っている場所だとしています。
「「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつに簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです」(『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』より引用)
国を揺るがすような出来事があると、人はより「正しさ」を追求しようとします。それはボランティアであったり、物資の提供であったり。有事の際に自分には何ができるのか、考えること自体は素晴らしいことでしょう。
しかし行き過ぎると、それはやがて同調圧力として襲いかかってきます。「すべての人がこうあるべきだ」「こうあらねばならない」という意識が生まれ、少しでも逸脱する行為は戒められてしまうのです。
高橋源一郎と辻信一の共作。
単に強さの反対側にある「弱さ」ではなく、「弱さ」を「弱さ」単体として認識しています。
- 著者
- ["高橋 源一郎", "辻 信一"]
- 出版日
- 2014-02-20
本作のなかで彼らは、フィールドワークとして訪れた「祝島」について語っています。祝島は瀬戸内海に浮かぶ小島で、島民たちは対岸に建設を予定されている原子力発電所の建設反対運動をおこなっていました。
「離島は、発展という面から見ると非常に不利だと見られてきた。なぜなら中央への依存度を増していくのが開発であり、発展であり、依存すればするほどいいみたいに考えられてきたから。……でもそうしていると、世の中に大きな変化が起こったときに真っ先にだめになっちゃうんです。……小さいからこそ、遠くて不便だからこそ、つまり「弱い」からこそ、逆にいろんなことが可能であるという例です」(『弱さの思想:たそがれを抱きしめる』より引用)
どんどん便利になっていくとされる現代社会。しかし、もしも東京が震災に襲われたら日本のほとんどのシステムは機能しなくなってしまうのではないでしょうか。現代の「便利」とは「不便」と隣り合わせの位置にあるのです。
当たり前のことを当たり前とせず、今一度考えなおすきっかけになる一冊です。
夏目漱石や石川啄木など、近代の文豪たちの作品を現代に呼び出すスタイルをとった一冊。
高橋源一郎らしく、文化の再発見を促しています。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
- 2013-06-15
高橋は明治時代の作家たちを例にとり、日本の文学が完成されたと説明します。目に見えないものを可視化し、言葉として納める小説の存在意義を説いたのです。
そのうえで、現代小説の綿矢りさについて論じています。若くして芥川賞を受賞した『蹴りたい背中』や『インストール』などを例にあげ、現代文学の究極の言語表現が比喩を描くことだと説明しました。名前の付けられない事象、動物の鳴き声など、手に取ることができないものを言語化するのが文学なのです。
現代文学はどうしても近代文学と比較して考えられがちですが、現代文学は過去の延長にあるということを教えてくれています。
小説家をOSに例えているのも面白いところ。作家たちは皆、過去の作品を読んでOSを完成させ、その上に自分の作品を書くという考え方です。わかりやすい言葉で文学を論じている貴重な一冊です。
110の書評をが記してある一冊。
高橋源一郎の文学評論家としての目線を借りて、小説の魅力をわかりやすく解説しています。
- 著者
- 高橋 源一郎
- 出版日
単なる書評ではなく、読者が読みたくなるように本を薦めています。近代文学、現代文学、海外とジャンルを問わず、彼が本当に「面白い!」と思ったものだけを載せているのだそう。
小説は最後にオチがついているものが多くありますが、それをオススメと評してただ明かしてしまうのでは、魅力を半減させてしまいます。彼はそれを明かさずに、それでも作品の魅力を教えてくれるのです。
高橋が普段どのようなところに目を向けているのか、体感してみてください。
高橋源一郎の小説世界は、自らが評論でも語る「わけのわからないもの」を語るさまを体現しており、小説としての前衛的な試みを楽しむことができます。また評論やエッセイでは打って変わってわかりやすい文体が多く、彼が伝えたいことをストレートに言葉にしているのです。気になったものからぜひお手に取ってみてください。