名作といわれる歴史小説を数多く残した吉川英治。彼の描く登場人物たちは、みな教科書からはわからない個性を持ち、読者の心に共感を呼びます。映像化された作品も多く、まるで眼前にいるかのようにイメージさせるその手腕にも頷けるでしょう。この記事では、そんな吉川の作品のなかでもとくにおすすめのものを10作厳選してご紹介していきます。
1892年に神奈川県で生まれた吉川英治。戦前戦後を通して、歴史をテーマにした大衆小説が大変な人気を博した作家です。新聞に連載している当時から幅広い世代のファンを獲得し、誰もが彼の名を知ることとなりました。
しかし作家としての地位を確固たるものにするまでには、実はそれなりの時間を要しています。さまざまな雑誌の賞に入選しながらも、日の目を見ない日が続いていました。
きっかけとなったのは1922年に東京毎夕新聞社に入社したことです。しだいに文才を認められるようになり、『親鸞記』の連載をはじめ多くの作品を生み出しました。作家として一本立ちしたのは、1925年に雑誌「キング」で『剣難女難』の連載をしたころ。この時初めて吉川英治というペンネームを使っています。
ここから多くの作品が評価されるようになり、人気作家の道を駆け上がっていきました。
歴史小説を得意とし、史実にもとづいたあらすじのなかで活躍する個性的なキャラクターが魅力です。
1939年から新聞で連載された小説をまとめた一冊。
戦後に単行本として出版されるやいなや爆発的な人気を博しました。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-04-11
本書の基本的なストーリーは、中国の『三国志演義』に基づいています。しかし吉川英治流の日本人向けのアレンジが大胆に加えられており、今でも幅広い世代から支持され続けているのです。
特に注目したいのが、作品冒頭部分の劉備・関羽・張飛の3人を中心にした物語。「演義」ではこの3人が義兄弟としての誓いを交わすのですが、吉川は彼らが意気投合するまでの過程を創作。巧みな人物描写が魅力です。
青年の恋やコンプレックス、成長など、史実に小説的エッセンスを加え、ひとつの独立した作品として仕上げられています。
1935年から朝日新聞で連載された本作。誰もが知る大剣豪・宮本武蔵が一人前になるまでを描いた成長物語で、以降の歴史小説に大きな影響を与えた作品として知られています。
現代に根付いている「剣に熱い宮本武蔵」の姿は、もしかすると吉川作品に由来するものかもしれませんね。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 2013-01-28
本書を執筆したきっかけは、小説家の菊池寛と直木三十五がくり広げた、宮本武蔵に関する論争が発端だといわれています。「宮本武蔵を剣の名人と呼ぶべきか否か」。歴史上の人物を語る際、こういった問題がたびたび挙げられますが、そのひとつが宮本武蔵でした。
吉川は「宮本武蔵は剣の名人である」という説を支持し、本書を書きました。それまで剣の一大流派の開祖という姿が注目されていましたが、彼は武蔵の経歴をとおしてその偉大さを示したかったのかもしれません。
剣にも人情にも熱く、読者を魅了する武蔵のキャラクターにぜひ注目してください。
1935年、吉川が40代前半の時に発表された作品です。
彼は若いころから親鸞や蓮如などの偉人を慕い、さまざまなシーンで創作の糧にしていたといいます。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1990-08-03
親鸞は、歴史の教科書に必ずといっていいほど載っている鎌倉時代に活躍した僧侶です。浄土宗の開祖である法然を師と仰ぎ、浄土真宗の宗祖となりました。ただ彼の人生はけっして順風満帆なものではなく、困難の連続だったといいます。
とくに注目したいのが、幼少期を描いたシーン。親鸞は貴族の生まれでありながらわずか9歳で出家し、仏道へと入りました。その時の彼の暗い胸の内や、どれだけ勉学に励んでも未来が見えてこずに悩む姿からは、現代の人にも共通する将来への不安が見てとれるでしょう。
そんな親鸞の人生を踏まえ、吉川英治はこう述べています。
「私は、何と言うことなく、親鸞が好きだ、蓮如が好きだ。好き、嫌いで言うのは変だけれど、正直な表現で言えば、そうなる」(『親鸞』より引用)
吉川にとって親鸞が、単なる歴史上の一人物ではなく、確かな肉体を持った憧れるべき男でした。これまで教科書上で学んできた親鸞像を再度捉えなおすことができる一冊です。
1926年から「大阪毎日新聞」にて連載された小説です。
司馬江漢の随筆『春波桜筆記』にヒントを得て、江戸時代に起きた「宝暦事件」や「明和事件」などの謎を盛り込んだ作品となっています。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-09-04
物語の舞台は江戸時代中期。阿波徳島藩主である蜂須賀重喜(はちすかしげよし)が、反幕を目論んでいるという情報が入り、甲賀の隠密・世阿弥がスパイとして送り込まれます。しかしそれから10年、阿波が鎖国となったことで、通信が途絶えてしまうのです。
そこで同じく隠密の法月弦之丞(のりづきげんのじょう)が再度潜入を試みます。
見どころは、切迫した事情を持つ隠密と、反幕の秘密を隠し通そうとする阿波徳島藩との攻防戦。お互いの生死がかかった戦いに、胸が熱くなるでしょう。潜入を阻もうとする数々の敵を、弦之丞がいかにして突破していくのか注目です。
またもうひとつ、世阿弥の娘であるお千絵の恋も見どころ。彼女は弦之丞に恋心を抱いているのですが、彼が隠密の身である以上その恋は叶いません。胸を焦がすような切ない想いに、多くの歴史小説ファンが虜になっています。
1950年から雑誌「週刊毎日」でおよそ7年の間連載をされた歴史小説。1953年には「菊池寛賞」を受賞しました。
『平家物語』だけでなく、『保元物語』『平治物語』『義経記』『玉葉』などさまざまな古典をもとに、源氏平氏や公家の栄枯盛衰を描いています。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-03-24
物語は、平清盛が幼少期のころから始まります。長年にわたって政権を握り続けた源氏の力が弱まってきた時で、彼が30代後半になったころ、ついに「保元の乱」、「平治の乱」で源氏の有力武士を滅亡させるのです。
また戦い以外に、彼の出自にまつわる葛藤にも注目。母親との確執があるなかで、自分の本当の父親は誰なのか思い悩みます。
平安時代から鎌倉時代に移り変わる過渡期の様子は、本書が発表された戦後の過渡期の人々を大きく動かしました。
本書は935年に起きた「平将門の乱」を主軸にして、ひとりの人間としての平将門を描いた作品です。1952年に発表されました。
教科書に載る平将門は剛毅なイメージがあるかもしれませんが、作中での彼はひとりの青年としとて悩み葛藤する弱さを見せてくれます。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-05-09
平将門を描いた作品は数多くありますが、なかでも吉川英治の書いた本作は歴史上の人物を身近に感じさせてくれる力があります。意外と知られていない幼少期の苦悩の日々と、「平将門の乱」などで魅せる豪傑な一面のギャップが素晴らしいです。
また、地方豪族の息子として生まれた彼の世間知らずさも面白いところ。吉川がその出自を活かして主人公として新たな一面を与えました。
将門がいかにして偉大な人物になったのか、ぜひ小説で知ってみてください。
1958年から「毎日新聞」で連載された、吉川英治晩年期の小説です。
南北朝時代を描いた『太平記』をもとにした作品で、数ある吉川作品のなかでも傑作との呼び声が高い一冊になっています。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1990-02-05
物語は、南北朝時代に天皇家に対して謀反を起こした足利尊氏を主人公にして進んでいきます。
本書が発表されるまで、天皇に従わない足利家は「悪」として捉えられていました。しかし歴史を見てみると、どんな戦いにも双方に正義があり、また双方に悪があるのです。吉川は複数の視点から物語を描くことでその事実を明らかにし、歴史上の人物である足利尊氏に新たな側面を持たせました。
また尊氏と同じくそれまでのイメージを覆したのが、楠木正成です。彼はかつて天皇に仕えた剛毅な大忠臣としてのイメージが定着していましたが、本作での正成は温厚で争いを好まない性格をしています。
それでも主人のために力を尽くさなくてはいけない苦悩が描かれいて、読者の心に共感を呼びました。
天下統一を果たした豊臣秀吉の半生を描いた『新書太閤記』。
1939年から「読売新聞」で連載された大作で、同名のテレビドラマや映画も発表されています。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1990-04-23
豊臣秀吉といえば、織田信長が果たせなかった天下統一を実現させた武将として有名です。幼少期からその頭の良さを買われ、さまざまな名将から愛され、そして恐れられてきました。
しかし彼はコンプレックスの塊。まともな暮らしができないほど貧しい家に生まれ、身分も低く、また体格も小柄だったのです。とても天下統一を成し遂げる人物像ではありません。
そこからなんとしてでも這い上がっていった秀吉の力強さを、吉川がこちらもまた力強く描いています。
未完の絶筆となった『新・水滸伝』。全6巻が発表されています。
『三国志』と並び幅広い人に読まれた中国の伝奇『水滸伝』を、吉川流にアレンジした作品です。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-06-02
人気の秘密は、中国文学ならではの壮大なスケールに、吉川が小説的エッセンスを織り込み、セリフまわしやキャラクターの描写に大胆なオリジナリティを加えたところでしょう。
ちなみに吉川は少年時代から『水滸伝』にかなり親しんできたそう。物語の展開が軽快でどんどん引き込まれていきつつ、小説ならではの人間の悩みや葛藤みしっかりと描いています。
ちなみにストーリーとしては区切りのよいところで終わっているので、未完とされていますが、安心して読むことができるでしょう。
1942年に発表された本作は、上杉謙信の生涯と、さまざまな合戦の様子、そしてライバルだった武田信玄とのやりとりを大衆小説らしくドラマチックに仕上げた作品です。
- 著者
- 吉川 英治
- 出版日
- 1989-10-02
戦国時代を語るうえで欠かせない人物、上杉謙信。越後国の大名として、関東を武力で支配し、数々の戦を勝ち抜きました。とくにライバルである武田信玄とは、常に一進一退の攻防をくり広げています。
また彼は、「義」を重んじ続けた人物でもありました。戦乱のなかにあっても、塩不足に苦しんでいた信玄の領土に、塩を分け与えたそうで、これが「敵に塩を送る」という故事の由来となっているのです。
史実にもとづきつつ、キャラクターの個性を存分に生かした吉川の真骨頂ともいえる作品になっています。
吉川英治が残した歴史小説は、どれも大衆向けで読みやすく書かれています。これまで歴史小説に敷居の高さを感じていた方も、そのドラマチックさに驚くのではないでしょうか。キャラクターたちはどれも人間味にあふれていて、壮大な歴史のなかで悩み葛藤する新しし一面を見せてくれます。どの作品もおすすめなので、ぜひ気になったものからお手にとってみてください。