日本語の素晴らしさを発信し続ける水村美苗。文学者ならではの鋭い視点から見た日本文学の味わいをぜひ感じてみてください。
1951年に東京で生まれた水村美苗。12歳の時に親の仕事の関係でアメリカにわたり、イェール大学、大学院を卒業しました。現地で大学の教授を務め、日本近代文学を教えていたそうです。
教鞭を執るかたわらで小説の執筆をはじめ、1990年に発表した『續明暗』でデビュー。これは夏目漱石の絶筆となった『明暗』の続きを書いたもので、芸術選奨新人賞を受賞し、一躍有名になりました。
アメリカに住み始めた当初は、なかなか異郷に馴染むことができず、手元にあった『日本文学全集』にのめり込むようになったそうです。
『續明暗』以降も数々の作品で文学賞を受賞し、また小説以外にもエッセー、評論、論文形式とその著書は多岐にわたります。
本作は世界三大悲劇と謳われたエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に着想を得て書かれたもの。昭和の軽井沢の洋館を舞台にして、2人の男女の究極の愛の物語が描かれています。
主人公は、貧しく浮浪児同然の太郎。孤独と不幸にまみれた彼の唯一の救いは、隣の家に住むよう子という少女でした。
性格は正反対の彼らですが、しだいに惹かれあっていきます。しかし身分の差がある2人が一緒になれるような時代ではなかったのです。
- 著者
- 水村 美苗
- 出版日
- 2005-11-27
本作は、2人のラブストーリーであると同時に、太郎の成長物語でもあります。彼は『嵐が丘』のヒースクリフのように、貧しい環境におかれた自らの道を切り拓いていくことになります。辛い運命を背負いながらも力強く生きていこうとするその姿は、魅力的で輝いて見えるでしょう。
『本格小説』と銘打たれた本作は「語り」が特徴的です。本人たちの心の内が語られることは少なく、第三者からの目線で、あるいは興味深い噂話といったようなニュアンスで、3人の語り手から伝えられます。この仕掛けが非常に巧妙で、この物語をベタな恋愛話ではなく高尚な文学へと押し上げています。
レトロで懐かしい昭和の雰囲気と、きめ細やかに描かれるディテールは、見事な美しさで胸を打たれます。『嵐が丘』を読まれた方にはもちろん、読んでいない方にもぜひ手に取っていただきたい一冊です。
2008年に発表された、水村の評論集です。
現代の日本の学校教育における英語の重要度は、もはや議論をするまでもなく、高いものになったといえるでしょう。時代の移り変わりを経て諸外国が身近に感じられるようになった今、私たちの生活と英語は切り離せないものになっています。
しかしその一方で、日本の「国語」は軽視されているのではないでしょうか。本来の日本語が持つ美しい表現や、響きは失われつつあるのではないか……水村はこう投げかけています。このままでは日本語が亡びる――と。
- 著者
- 水村 美苗
- 出版日
- 2015-04-08
「いうまでもなく、私が言う「亡びる」とは、言語学者とは別の意味である。それはひとつの〈書き言葉〉が、あるとき空を駆けるような高みに達し、高らかに世界をも自分をも謳いあげ、やがてはそのときの記憶さえ失ってしまうほど低いものに成り果ててしまうことにほかならない。」(『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』より引用)
日本文学の本当の良し悪しが分かるのは、読まれるべき名著を読んできた人間にしかわからない、と彼女はいいます。ショッキングなタイトルですが、インターネットが普及した現代、美しさを纏った書き言葉は鳴りを潜めています。日本語が「亡びる」というのも大げさではないといえるでしょう。
私たちはもう1度、この日本の教育の在り方と、日本文学の尊さに目を向けるべきなのかもしれません。
1916年、夏目漱石の死によって未完に終わった長編小説『明暗』。70年以上の時を経て、漱石の独特な文体をそのままにして続きが描かれました。
水村美苗のデビュー作でもあり、芸術選奨新人賞を受賞しています。
『明暗』のあらすじは、会社員の津田とお延夫妻、そして津田の元恋人である清子の三角関係が中心です。津田は清子の存在を隠していますが、お延はまわりの反応からうっすらと彼女の存在を認めていくことになります。
どうしても清子のことが忘れられない津田は、上司の奥さんに勧められ、温泉宿で再会する……というところで物語は終わっています。
- 著者
- 水村 美苗
- 出版日
- 2009-06-10
本書ではその続きを描いているのですが、まず驚かされるのは文体ではないでしょうか。たとえ続けて読んだとしても、別の作家が書いたとは思えません。水村の、漱石への尊敬の念がうかがえます。
「なぜ、突然……僕は嫌われたんでしょう」(『続 明暗』より引用)
津田は清子に「なぜ自分を捨てて、他の男を選んだのか」と訊ねに温泉宿に行きます。しかしなかなかそのことを切り出せず、清子も相変わらずの津田にいよいよ呆れてしまいました。
そしてそこに現れたのが、夫を心配して追いかけてきたお延。さてどのような結末を迎えるのでしょうか。
水村美苗の見事な筆致と、伏線を丁寧に回収しまとめ上げていく力には驚嘆のひと言です。漱石の『明暗』につづき、ぜひ本作も読んでみてはいかがでしょうか。
本作は、実母を看取り、終末医療の問題点を見てきた水村美苗自身の体験をふまえた長編小説です。2012年に大佛次郎賞を受賞しました。
主人公の美津紀は80代半ばの母・紀子の介護に追われる日々を送っています。50代になった自分の体調管理も難しくなり、また夫はどうやら不倫をしているらしいのです。そんな目まぐるしい毎日に疲労困憊しているにもかかわらず、母は生きていて、永遠とも思えるような時間が流れていきます……。
- 著者
- 水村 美苗
- 出版日
- 2015-03-20
「殺してちょうだい! こんなんなって生きてたってしょうがないから、殺してちょうだい!」
「ママなんか殺して、殺人罪に問われて一生を台無しにしたくないわよ!」(『母の遺産―新聞小説』より引用)
わがままな母にはうんざりさせられる美津紀ですが、2度と歩けない彼女のことを思うと不憫で涙があふれるのでした。介護に携わる親子の確執や苦労は、現実の問題としてリアリティがあります。また著者自身も疑問を感じているという延命治療に対する考え方も述べられています。
本作は読売新聞に連載されていましたが、副題の「新聞小説」に含まれる意味は他にもあります。美津紀の祖母は新聞紙上に連載された『金色夜叉』にのめり込み、はるか年下の男と駆け落ちした挙げ句、紀子を生んだのでした。美津紀は新聞小説がなければ私たちがこの世に生まれることはなかったと悟ります。
人生の終わりに向き合う女性たちの姿を鮮やかに描ききった一冊です。
本作は水村本人を主人公に据え、英語交じりに書かれた実験的小説となっています。ただ大部分が日本語なので、英語に馴染みのない方でもご安心ください。
12歳の時に親の都合でアメリカに住むことになった水村は、言葉や人種の違いに疎外感を覚え、日本文学の世界にのめり込むことでしか自分の居場所を見つけられずにいます。
大学院生になりニューヨークでひとり暮らしをする彼女が、同じくひとり暮らしをしている姉の奈苗と長電話をするお話です。
- 著者
- 水村 美苗
- 出版日
- 2009-03-10
アメリカ生活が長い2人の会話には、ところどころに英語が混じります。その内容は姉妹らしく、愚痴や世間話に花を咲かせ、時には過去を振り返りながら物語が進んでいきます。
2人が20年間のアメリカの生活で感じたことは『私小説』と言うだけのこともあり、重々しいほどに濃厚でリアルです。異郷の文化に馴染むことの難しさ、心を許す場所がない居心地の悪さを感じたことのある方は、共感できるのではないでしょうか。
水村はアメリカで暮らすなかで自らに日本文学を刻み込み、英語から逃れるように日本語を愛し、日本語を守る使命感のようなものを感じながら小説家になる決意をします。本作ではそんな彼女を形づくっているものの一部を垣間見ることができるでしょう。
まさに水村にしか書くことのできない一冊です。
どれも深いテーマのものばかり。日本近代文学の素晴らしさをみなさんも感じてみてください。