江戸時代後期に、歴史学者の頼山陽(らいさんよう)が完成させた『日本外史(にほんがいし)』。当時の人々の心を熱くさせたベストセラーです。この記事では、作品の概要やあらすじ、作者の人物像などをわかりやすく解説していきます。また漢文の書き下し文や現代語訳されたおすすめの書籍もあわせて紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
幕末から明治にかけてもっとも人々に読まれた歴史書のひとつ。前漢の司馬遷が書いた『史記』の体裁にならいながら、武家の栄枯盛衰を、家と人物別に記述したものです。
平安時代末期から、作者である頼山陽(らいさんよう)が生きた江戸時代徳川家治の治世まで、およそ800年間にわたり興隆と衰退をくり帰した武家。おもに源氏、平氏、北条氏、楠木氏、新田氏、足利氏、毛利氏、後北条氏、武田氏、上杉氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏の歴史が記されています。
完成したのは1826年、発売されたのは1829年のことです。当初から歴史考証の不正確さや先行資料との齟齬が指摘されていましたが、頼山陽のダイナミックで独特な史観は、幕末に尊王攘夷運動を率いた多くの志士たちに影響を与えたといわれています。
頼山陽は1781年、朱子学を研究する儒学者である頼春水(らいしゅんすい)の息子として大阪で生まれました。春水は後に広島藩の学問所創設にあたった人物で、山陽もほとんどの時間を広島で過ごします。
幼い頃から聡明だったそうで、特に詩文の才があったほか、歴史にも興味を示しました。1788年に広島藩学問所に入学し、父の都合で江戸に移った際には、叔父で学問所の教官を務めていた頼杏坪(らいきょへい)に学びます。1797年には江戸に遊学し、春水の友人である尾藤二洲に師事しました。
1800年、広島に帰った後、突如として脱藩を企てて上京します。しかし杏坪に見つかって自宅に幽閉。ここからかえって学問に専念するようになり、3年ほどの時間をかけて『日本外史』の初稿を完成させたそうです。
幽閉が解かれた後はしばらく学問所の助教などを務めていましたが、1811年に再び出奔し、上京します。
京都で多くの文人と交わりながら文筆活動に励み、1826年に『日本外史』を完成。翌1827年、老中首座の松平定信に献上しました。高い評価を受けたことで名声を集め、その後はサロンのようなものをつくって創作活動に励んだそうです。
酒をこよなく愛したことでも知られ、白雪・剣菱・泉川・男山などの酒を称賛する詩歌を多数残しています。
『日本外史』は主に武家の栄枯盛衰を描いています。
古代の日本では、軍隊を率いるのは天皇・皇后ら天皇家の人々でした。神武天皇の東征、日本武尊の熊襲討伐、神功皇后の三韓征伐などが主な例です。平安時代になると、蝦夷を征討した坂上田村麻呂をはじめ、軍を率いるのは貴族たちの役目に変わっていきました。
さらに平安時代末期になると、この役目を源氏や平氏ら武家が担うようになっていきます。当初、武家は政務に参画することができませんでしたが、「保元・平治の乱」を経て平清盛が政権を握っていったのです。
「源平の合戦」により平家が源氏に倒されると、源頼朝が鎌倉に幕府を開きました。その後は鎌倉幕府が倒れ室町幕府が成立し、織豊時代を経て徳川家康により江戸幕府成立と歴史が動いていきます。この間、さまざまな者が興っては衰えををくり返していましたが、政治の実権自体は武家が握り続けていました。
頼山陽は『日本外史』を通じて、本来は天皇家が主君であり武家はその臣下である、という目線を貫いています。将軍家について触れる際には改行して1文字上げる一方、天皇や朝廷に関して記す際には2文字上げることでより深い敬意を示し、天皇家と将軍家の上下関係を示そうとしていました。
『日本外史』の最後には、こう書かれています。( )内は補足です。
「源氏、足利以来、軍職(征夷大将軍)にありて、太政大臣の官を兼ねるものは、独り公(徳川家康)のみ。けだし武門の天下を平治すること、これに至りてその盛を極む」(『日本外史』より引用)
幕末の志士たちはこれを読み、「武門の盛りの極み」とはすなわち「天皇家の衰微の極み」と解釈しました。これにより志士たちは尊王攘夷を唱えるようになるのです。
しかし頼山陽は、徳川幕府を批判する目的で『日本外史』を書いたわけではありません。なぜなら8代将軍吉宗の孫であり、幕府の中心にいた松平定信に本作を献上しているからです。また松平も保作を読み、「穏当にしてその中道を得る」(無理がなく理屈がとおり、偏りがない)と評価しています。つまり内容は偏った幕府批判ではなかったことがわかるでしょう。
頼山陽が持っていた文才によって多くの人の心が動かされたのは事実で、ペリー来航以降先の読めない状況の時に、『日本外史』は新たな時代を切り拓く潮流をつくったといえるのではないでしょうか。
- 著者
- 中村 真一郎
- 出版日
- 2017-03-08
『日本外史』を執筆し、幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えた頼山陽。 本書は、作品をつくるにあたって彼がおこなった膨大な調査のもと、父・春水や叔父・杏坪をはじめとした一族や、文化人との交流、はたまた女性関係まで網羅をし、頼山陽という「人間」に迫っています。
漢詩の才能に秀でていたことから、お堅い人物はないかという印象がありますが、しかし彼は脱藩したり女遊びにはまったりと、かなり人間臭く破天荒な生活を送っていたことがわかります。学者としてだけでなく、人間・頼山陽の一面を知ることのできる作品です。
- 著者
- 頼 山陽
- 出版日
- 1976-09-16
頼山陽は漢詩に秀でたことで有名で、『日本外史』も漢文で書かれています。1875年に清国で発売された際は、『史記』や『左伝』に倣った風格が高く、優れた文章であると評価されました。
とはいえ、普段ほとんど漢文に親しみをもっていない読者にとっては、原文のまま読むのは難しいでしょう。そこでおすすめなのが本書です。
難解な漢文を書き下し文で掲載し、原文よりも簡単に読むことができ、また中国の文士たちが称賛した文章の雰囲気を味わうこともできます。
記載されている内容は学校の授業でも習う有名なエピソードばかりなので、幕末の人々の心を熱くたぎらせた歴史的名著の雰囲気に触れたい方は、ぜひお手に取ってみてください。
- 著者
- ["頼 山陽", "長尾 剛(訳)"]
- 出版日
- 2009-12-16
現代語で書かれた文章しか読みたくない!という方には本作がおすすめ。『日本外史』のなかから現代の我々が興味を持てるエピソードを抜粋し、現代語訳にして収録しています。
聞きなじみのある歴史上の合戦が、さながら実況中継のように軽妙かつスピーディーに展開されていくさまは圧巻。江戸時代に若者の心を掴んだベストセラーの楽しさを実感できるでしょう。
各出来事についての記述もわかりやすいので、日本史の世界に足を踏み入れる第一歩としてもおすすめの一冊です。
江戸後期を代表する歴史学者・頼山陽が著した『日本外史』。ペリー来航という未曽有の危機に直面した当時の日本人たちの心を熱くさせ、彼らの行動が武力討幕・明治維新と日本の歴史を大きく動かしていくことになります。また源平時代から江戸時代までの歴史を知るうえでも参考になるので、ぜひ1度読んでみてください。