奥泉光のおすすめ小説12選!現実と夢を往復しながら展開する「謎」を描く

更新:2021.12.13

芥川賞作家なのに、ミステリーやSFの要素を織り込み、ユーモアたっぷりの作品も発表している奥泉光。特徴的でありつつも多彩な作家です。今回は、読者を「異世界トリップ」させる奥泉光のおすすめ作品をご紹介します。

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現実と夢と、知識を散りばめて読者を魅了する奥泉光

奥泉光(おくいずみ ひかる)は日本の小説家で、近畿大学文芸学部の教授です。1956年に山形県東田川郡三川町で生まれ、埼玉県立川越高等学校を経て国際基督教大学教養学部文学科を卒業しています。当初は研究者を目指していて、その頃の共訳書に『古代ユダヤ社会史』があります。

その後、すばる文学賞に応募をした『地の鳥天の魚群』が最終候補作になり、「すばる」に掲載されてデビューしました。

『滝』が三島由紀夫賞と芥川賞の候補となり、のちに『石の来歴』で芥川賞を受賞しました。他にも『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、瞠目反文学賞、『神器』で野間文芸賞、『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞を受賞しており、2016年現在は芥川賞選考委員を務めています。

作品はミステリーテイストのものが多いのですが、物語の中で次第に謎の位置や形を変え、虚実の曖昧さの中に読者を落とし込むパターンが得意なようです。デビュー時から文語体の書き手として評価されています。また、作品の中に多種多様の知識をもったいぶらずにたっぷりと詰め込む作風でもあります。

趣味はフルート。バンドを組み、音楽活動を行っていて、都内などで路上パフォーマンスもしているそうです。将棋もかなりファンなようで、2012年には名人戦第5局の観戦記まで執筆しています。

漱石文体の模写で、死んだはずの「猫」の運命に新展開?

あの夏目漱石の名作『吾輩は猫である』の別展開を文体模写で描き切ったオマージュ作品です。

麦酒に酔い、水がめで溺死したはずのあの「猫」が上海に現れ、将軍、伯爵、虎君といった各国の猫と親しくなります。「猫」が溺死したはずの日に、飼い主・苦沙弥先生が密室で殺害されたと伝える新聞を見つけたことから、ホームズという猫と将軍、伯爵、虎君たちの推理競争がはじまり……。

著者
奥泉 光
出版日
2016-04-05

前半は猫同士の会話、安楽椅子探偵もののスタイルで展開します。苦沙弥先生殺害の容疑者たちも上海に現れ、更にホームズの好敵手・モリアーティまでが登場し、「食人豚」などの動物兵器や時間旅行装置が出てきて、どんどん荒唐無稽になっていきます。

同じ夏目漱石の作品である『夢十夜』各夜の夢の物語が展開の中にはめ込まれているという趣向も施されていますので、奥泉光の作品と夏目漱石の本来の作品を読み比べてみるのも楽しいかもしれませんね。

独身ジャズピアニストの語りと突っ込みの冴えとともにファンタステックな空間にはまる

36歳の独身ジャズピアニスト・希梨子は、フォギーという仇名を持っています。はじめてのオリジナル曲も「フォギーズ・ムード」という徹底ぶり。

人が少ないライブのときには、柱の陰の聴き手を想像し、その人物に聴かせてやると思いながら演奏をしていますが、ある夜、ほんとうに柱の陰に聴き手がいたのです。その女性は、祖母の曾根崎霧子を彷彿させるものがありました。演奏した「フォギーズ・ムード」について、「ピュタゴラスの天体」や「オルフェウスの音階」などと謎の言葉で感想を言われるのです。

祖母のことを考えるようになった希梨子は、1944年のドイツになぜかタイムスリップ。祖母に再会し、謎の言葉の意味を知っていくと当時に、彼女は想像を絶する冒険の中に入っていくのでした……。

著者
奥泉 光
出版日

ヒロインの語りがこれだけ魅力的な作品はなかなかありません。面白くて冴えているんです。奥泉光の脳みそを覗いたらこんな感じなのかも?なんて思えるくらいです。

ジャズのアドリブ精神というのでしょうか、「とりあえずやってしまえ」「なるようになれ」的な心意気や度胸のようなものがみなぎっていて、言葉もわからない、年代も違うナチスドイツ時代に飛ばされても適応するし、見事にカッコイイ女なのです。

希梨子とジャズの魅力と、奥泉光のこの作品を読んで異世界にトリップするような充実感をぜひ味わってみてくださいね。特にジャズのお好きな方にはおすすめです。

奥泉光のシューマン愛のほとばしりを味わうミステリー

シューマン生誕200年にあわせて書き下ろされた長編ミステリーです。

「私」が高校時代の友人・鹿内堅一郎から受け取った手紙は、当時の仲間だった永嶺修人がドイツでシューマンのピアノ協奏曲を弾くのを見たという内容でしたが、修人はある事件で右手中指を失っているのです。「私」は彼の指が切断された瞬間を目撃していました。

再生など絶対にありえません。はたして、鹿内の見た修人とはいったい……?

著者
奥泉 光
出版日
2012-10-16

そのような謎をめぐって、音大のピアノ科の受験を目指す「私」と後輩の天才ピアニスト・永嶺修人の物語はこうしてはじまっていきます。思春期特有の文系男子の友情と葛藤が巧みに描かれ、この作品に説得力を与えてもいます。

しかし、なによりも、奥泉光のシューマンへの愛情、マニアぶりを味わうことのできる作品なのかもしれません。ミステリーでありながら、まるでシューマンの音楽論のような内容が随所に出てくるのですから。

シューマン好きはもちろん、聴いたことがない人にもシューマンを聴くきっかけの1冊として読んでみていただきたいです。

冴えない桑潟助教授の夢と現実の謎を解き明かす

大阪の短大助教授・桑潟のもとへ持ち込まれたある童話作家の遺稿は、出版された途端、ベストセラーとなりますが、関わった編集者たちがつぎつぎと殺されていきます。この遺稿の謎を追い駆ける主人公の北川アキは、やがて超物質の存在に行きつき……。

冒頭は、女子短大で日本文学を教える桑潟助教授のサエない日常の喜悲劇が延々と続き、首なし死体発見の新聞記事が出てくるというのに、ミステリーっぽくないはじまり方をします。あまりの情けなさに笑ってしまっているうちに、殺人事件の推理がスタートするのですが、物語は今度は助教種の夢の中へと入り込みます。

現実の謎解きと夢の謎ときを行ったり来たりし、架空の雑誌記事や新聞記事が挿入され、挙げ句、作者の奥泉光までが登場します。更に、作中人物が自分が小説の中の登場人物だとわかっていて、行動が定石通りなのか、どうすれば「死亡フラグ」を立てずにすむかを話し合ったりもするのです。

著者
奥泉 光
出版日
2008-08-05

一見、ハチャメチャな感じですが、まったくそんな印象にならない奥泉光の筆力はさすがです。
桑潟助教授やその他のキャラクターたちの行動に笑いつつも、あちらこちらに散りばめられた知識の洪水に溺れることができる作品です。

他に類のないミステリー、おすすめです。

石を収集する趣味を持つ、まじめな男の日常が崩壊していく芥川賞受賞作

終戦後、レイテから戻って来た真名瀬は、実家の古本屋を継いで結婚して普通の生活を送りつつ、石の収集にのめりこんでいきます。それは、レイテで逃げ込んだ洞窟で出会った上等兵が、死の間際に地学の話をしていたことが影響していました。

長男は、真名瀬と同じ趣味を持ちますが、石を取りにいった先で殺されてしまい、もともと冷え切っていた夫婦仲はついに壊れてしまいます。家族など最初からいなかったのだとばかりに石にのめりこんでいく真名瀬は、悪夢を見るようにもなって……。

著者
奥泉 光
出版日

真名瀬の3つの顔が交互に入れ替わりつつ、物語はテンポよく進みます。

その顔とは、ひとつめが男としての自分、ふたつめが石収集家としての強い意志を持ち、ひとからも尊敬される誇らしい自分、最後が家族を守るべき父親としての自分です。最後の顔を失った後はふたつめの顔が強く現れるようになるのです。失ってしまったものこそが大事だとわかっているから、悪夢に苦しむのかもしれません。

後の作品に比べると純文学に近い部分が多いですが、やはり得意のSF要素は織り込まれています。こんな作品も書くのだと、奥泉光の作品の幅広さに感心しつつ、読んでみていただきたいです。

奥泉光が描く東京偽史

『東京自叙伝』では安政の大獄、明治維新から東北大震災にまつわる諸事件まで、数々の事件のその端緒に、全て「私」が関与しています。奥泉光にかかると、その告白伝は現実ではない、とも言い切れない物語となるのです。

「私」は、ある時は柿崎幸衛門の養子、柿崎幸緒であり、ある時は陸軍参謀となる榊春彦、そしてある時は放火犯の戸部みどりになっています。彼らはそれぞれ当人としての人生をまっとうしていきますが、ある期間は「私」が憑依して「私」として過ごしていくのです。

大量の鼠が現れ、大地震が発生するとき、彼らが「私」になります。これらをきっかけに、「私」は人物を渡り歩き、時によっては、当人同士が同時に「私」でありながら、同時に相対するという、もう訳が分からない状況が生み出されるのです。

著者
奥泉 光
出版日
2017-05-19

「私」は東京にいる場合は活発に活動するのですが、東京を離れると急にやる気が薄れます。それもそのはず、「私」は東京の地霊なのです。この「私」がやることなすことテキトーで、悪い結果になっても「まあ、しかたがない、こう考えれば悪いだけでもない」と割り切っています。東京でのある人物の不作為が歴史を形作っていき、それが未来の東京に受け継がれていくのです。

『東京自叙伝』には過去と未来に対する強烈な皮肉と突き放しが描かれています。荒唐無稽な物語でありながら、どうしても次のページを繰ってしまうのは、奥泉光の筆致力とメッセージが強く込められているからでしょう。

サイバーワールド&リアルワールドが生み出すオリジナルな世界観

あえていうなら近未来電脳スイングミステリーとでもいうか、これはとんでもない物語です。奥泉光の『ビビビ・ビ・バップ』はサイバーから落語・ジャズまで広大な拡がりみせます。

フォギーこと木藤桐は音響設計士として働いていますが、本業はジャズピアニストです。音響設計士とは家や公共空間の音響をデザインする専門職であり、その縁で山萩貴矢から電脳墓の音響デザインを任されています。

著者
奥泉 光
出版日
2016-06-23

山萩貴矢はグローバルロボット制作会社の社長で膨大な資産を保有しています。彼は20世紀末から21世紀初頭の文化をこよなく愛し、その莫大な資産を用いて「電脳墓」の中に新宿の寄席やジャズライブハウスを再現し、アンドロイドロボットで落語家の立川談志やジャズビッグジャイアントであるエリック・ドルフィーを再現してしまいます。

そんな世界で人類が恐れるのは、生体パンデミックとサイバーパンデミック。物語では、まもなく死んでいく天才科学者の脳完全コピーを企業が悪用しようとして逆に乗っ取られてしまう世界が描かれています。

その天才科学者のコピーと戦うのは死ぬ前の天才科学者であり、ジャズピアニストであるフォギーなのです。

奥泉光の文体はその膨大な知識で積み上げた世界観ゆえか、一文がとても長くなっています。ですが、テンポよく物語を引っ張っていくための体言止めや、丁寧語が適宜組み合わされており、スピード感をもって読み進めていくことができるのです。

世界を覆う生体・電脳パンデミックとジャズや落語といったライブ文化の融合が壮大なスケールで組み合わさった『ビビビ・ビ・バップ』は、奥泉光のほとばしる才能が創り出すワンダーランドストーリーです。

夢と現実、過去と現在が混じりあう不思議なミステリー

学生時代に参加した共同生活コミューンの現在を確認する旅は、その土地の伝承と相まって織りなす不思議な事件の始まりでした。

式根は学生時代の友人とともに山形方面に旅に出ます。それは15年前の高校時代に参加した共同生活コミューンを再び訪れる旅でした。

夏休みを利用して参加したコミューン活動は完全自給自足を目指す共同生活活動でしたが、結果として一緒に参加した恋人を残して式根は独り元の生活に戻っていきます。その後彼は二度とその活動には戻りませんでした。しかし15年を経て、自身の結婚を前に改めてコミューンを訪ねることを決意します。元恋人と、その元恋人に愛を告白した当時の友人の消息を訪ねるのです。

著者
奥泉 光
出版日

訪れた土地は、キリシタン伝説や高貴な罪人をかくまった伝説に加え、旧村長一家を端とする恐怖の噂に支配されていました。そして、式根が訪れた際にも殺人事件が起きるのです。

奥泉光は明るいトーンで広大なスケールの物語を創作する場合も多いのですが、本作『葦と百合』のようにじっとりした、夢と現実が混ざりあうような物語にも定評があります。作中に散見される山百合の描写は、ストーリーの展開と相まって、じっとりむせる様な匂いまで感じるようです。そのような匂いたつ、じっとりした人々の関係性が、長年の時を経て変化していきます。

結末まで続く夢と現実の交錯を、じっとり感にあえぎながら読み進めることで、奥泉光ワールドにどっぷりと浸かることができるのです。

奥泉光が描く、艦船を舞台にした戦時下の幻惑的なミステリー

時は1941年12月。大日本帝国海軍の大型潜水艦である伊24は、米国海軍の防衛線をくぐり、ハワイ近海へと近づきつつありました。真珠湾を攻撃する機動部隊の援護のためです。

そして12月8日に場面は変わり、真珠湾攻撃した空母「蒼龍」の艦内。艦上爆撃機の操縦士である榊原大尉が、帰等後に謎の服毒死をとげます。そして同じ頃に伊24では、搭載された小型潜水艦に乗って出撃した乗組員の遺書が盗まれる事件がおきました。伊24の先任将校、加多瀬大尉は、榊原大尉の未亡人に頼まれて、榊原の死の真相を追い始めます。

著者
奥泉 光
出版日

序盤は、服毒死の謎と盗まれた遺書の行方が焦点になりますが、それだけにはとどまりません。

軍部と関係している「国際問題研究所」にたどりつき、軍の中将との癒着が明るみになります。しかもその中将がかかわる秘密結社が太平洋戦争の推移を幻視しているらしいとの疑いまでもが出てきます。

真珠湾、ソロモン、ミッドウェーと名だたる戦場でのエピソードがからみつつ、戦時下の東京での物語が克明に語られるのです。登場人物たちはそれぞれ主義主張を持っており、その内容も当時の知識人が実際に議論していたものを網羅しています。

様々な意味で「グランド」と呼ぶのにふさわしい内容。『グランド・ミステリー』は、奥泉光の手腕が遺憾なく発揮された作品です。戦時下の記録を相当に読み込んだ形跡があり、例えば飛行機のエンジンの描写でも、実際にその場にいるような感覚が伝わってきます。文庫版で1000ページ近くに及ぶ大作を、この機会に手にとってみてはいかがでしょうか?

奥泉光が描く、人間の心の奥底

主人公の「私」を含む4人の30代の男性は、かつて大学生時代の恩師だった教授の葬儀で数年ぶりに再会します。葬儀の帰りに4人は居酒屋に立ち寄り、酒を酌み交わしながら亡くなった教授を回想し、学生時代の思い出を語り合うのでした。そのうち話題は、学生時代の仲間だった石塚という男性のことに変わります。

学生時代は共に経済学を専攻していた4人は、大学内で経済史の基本文献を読む研究会を開いていました。その研究会に所属していた石塚はある日の夜、大学にある5階建ての図書館ビルの屋上から、4人が見ている前で転落したのです。事故か自殺か不明のまま終わったその事件について話し始めた1人は、実は石塚は何者かに殺されたのであり、犯人はこの4人の中にいると言うのでした。

主人公の私は、石塚が研究会の中で異質な存在であり、皆と意見がぶつかることが多かったことを思い出します。さらにはそんな石塚を排除しようという動きが研究会にあったことなど、忘れていた学生時代の様々な出来事を思い出していくのでした。

4人と石塚との関係には、異なる主義思想の論争というよりも1人の異端者に対する複数名の残虐さが見え隠れしています。短い作品ですが、人間の心の奥底に迫る緊張感あふれる傑作です。

著者
奥泉 光
出版日
2015-04-26

上記の「ノヴァーリスの引用」の後に収録された「滝」という短編では、ある宗教団体に所属する少年たちの奥日光での山岳清浄行を描かれています。

わずかな食糧と装備で山道を進むのはリーダーの巌を中心とした5人の少年です。共に修行をする裕矢という語り手の少年を通して、巌という少年がいかに心身ともに優れた素質を持っているかが描かれていますが、巌自身の心理描写は描かれていません。

宗教団体という限定された狭い世界の中で、周囲の人物がそれぞれの思惑で巌という少年を見ることにより起こる悲劇が描かれています。「ノヴァーリスの引用」にも共通する、人の心に生じた悪意がいとも簡単に他人に発せられることへの警告が感じられる作品です。

奥泉光のベストに挙げる人も多い作品

物語はテレビモニターに映る砂漠の映像から始まります。そこには無防備にうずくまる人々に機関銃の銃口を向ける迷彩服を着た兵士たちが映っていました。

主人公の木苺勇一は、そのモニターを観ながら語り合う数人の男たちの中にいました。木苺は埼玉県の北西部にある大学で週1回ドイツ語の講師をしています。その他に神田の予備校で週に4日英語を教えていますが収入は微々たるものです。

木苺は学生時代から熱心に学問を続けてきましたが、博士課程修士論文を書いた後は勉強らしい勉強ができず毎日仕事で疲れていました。大学教授の職を得るため妻の親戚の伝手を頼っていますが、未だ返事はありません。しかし妻が妊娠したことから、木苺の「オトーサン」としての生活が始まってしまいます。

著者
奥泉 光
出版日
2002-05-01

以後、妻と共に理想の育児のためにアパートの模様替えをしたり「オトーサン」として日記を書いたりするなど、木苺の日常が描かれていきます。しかし微笑ましいともいえるその日常の合間に、突如として木苺とその友人の2人だけによる不思議な会話が始まるのです。

冒頭に描かれた砂漠で捕らえられた人々の映像や暴力のあり方など、穏やかな木苺の日常に似つかわしくない不穏な場面や会話が繰り返されるうち、木苺の日常に怪異な出来事が起こり始めるのでした。

不穏な会話を共にする友人とは何者なのか、砂漠や暴力の描写に何の意味が込められているのか考えながら読み進むうちに、最後にそれら全てが繋がっていたことに驚愕させられます。それまで見えていたものが一気に覆される展開に、自分の判断力や認識力がいかに不確かなものであるかを思い知らされる哲学的な作品です。

奥泉光が描く、戦争の狂気

第二次大戦中、主人公の石目鋭二は軽巡洋艦「橿原」に下士官兵として配属されます。巨大な鉄の棺を思わせる橿原の様相に、石目は不吉な予感を覚えるのでした。着任早々、石目は無人であるはずの兵員室から自分に呼びかける声を聞きます。暗がりの奥に目を凝らせば通風ダクトの奥に死角になっている空間があり、そこに1人の傷病兵らしい男がいました。その男は石目に謎の言葉を残し、いつの間にか軍艦内部から姿を消してしまいます。

橿原では以前に1人の男が謎の死を遂げており、未解決の殺人事件として語り継がれていました。橿原には通常の軍艦とは違う何かがある事を石目は感じ、同じ下士官の福金や根木と情報を交換し合っていましたが、ある日福金は突如行方不明になってしまいます。そして根木は死体となって発見されるのでした。

著者
奥泉 光
出版日
2011-07-28

作品中には下士官である石目たちが受ける海軍の上司からの理不尽な暴力などが描かれています。軍隊では戦死以外にそうした軍隊の内部での暴力による死も当たり前のようにあったのです。しかし主人公の石目の語り口はあくまでも軽く飄々としており、陰湿で悲惨な場面ですら滑稽なものであるように感じさせられてしまいます。その語り口により読者は物語の中に易々と引き込まれ、気が付けば石目と共に当時の異様な状況を受け入れてしまうのです。

タイトルが「殺人事件」であることと、主人公の石目が学生時代に探偵小説を書いていたという設定から、最初は殺人事件を解決する探偵小説かと思われますが、物語はまったく予想外の方向に進んでいきます。戦争という狂気を実感させられる、壮大かつ衝撃的な作品です。

現実と夢の空間を行き来しつつも、しっかりと人間を描く奥泉光。その奥深い才能と振り幅の大きさ、いまどき珍しい文語体の文章をいろいろな形でご堪能してみてくださいね。

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