5分で分かる『吾輩は猫である』!登場人物、あらすじ、結末から名作を解説!

更新:2018.6.12 作成:2018.6.12

夏目漱石の処女作である「吾輩は猫である」は、日本の名作として、現代でも読まれている小説です。この作品は猫である吾輩が独特な一人称で人間生活を語っていきます。そこに独特の視点やユーモアが含まれており、その世界観にまたたく間に引き込まれてしまいます。 「吾輩は猫である」のあらすじはもちろんですが、全体の世界感も解説。ぜひ最後までご覧ください。

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まずは『吾輩は猫である』のあらすじをご紹介

「吾輩は猫である。名前はまだない」(『吾輩は猫である』より引用)

吾輩は猫であるの冒頭の有名な文章です。この文章を皮切りに物語はスタートしていきます。主人公である吾輩は、猫であり、名前がありません。名前がないことは、人間の視点で考えると、あやふやな者として存在していることを連想させます。そんな「吾輩」という独特な一人称の猫。その人間を違う生物として客観的に見る存在から、人間生活の様子が描かれます。

主人公である吾輩は生まれてすぐ、一度人間に捨てられました。生きるために仕方がなく苦沙弥(くしゃみ)家に住み着いたのです。始めは、人間を軽視し、馬鹿にしていた吾輩ですが、徐々に彼らを認め、尊敬するに値する存在と認めるようになります。そして最後は人間に憧れをいただき、人間のように生活をしたいとまで考えるようになるのです。

「吾輩は猫である」には特にストーリー性はありません。人間生活を独特な一人称で吾輩が語っていくだけ。そして人間に憧れを抱いてしまった吾輩は最後にどうなってしまうのか。結末は予想もしない衝撃的な展開が待っています。

著者
夏目 漱石
出版日

登場人物がユニーク!主人公にモデルはいるのか?

吾輩は猫であるに登場するキャラクターが非常にユニークで作品に温かみを与えてくれる存在ばかりです。ここでは、「吾輩は猫である」にどんなキャラクターが登場するのかをご紹介いたします。

吾輩
猫ではあるが、ずっと一人称で吾輩と言い続ける猫。まるで自分が人間であるがのごとく話す口調が特徴です。人間を客観的に見る独特の視点がストーリーの奥ゆかさと面白さを醸し出しています。見事な博識っぷりには敬服するばかり。後述する、三毛子に恋をしています。

珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)
「吾輩」の飼い主になった中学校の英語教師。夏目漱石自身がモデルであったと言われています。妻と3人の幼い子どもがいて、非常に多趣味。胃腸が昔から弱いです。

迷亭
苦沙弥の友人で、しょっちゅう彼の家に上り込んできます。嘘話をして苦沙弥の神輿をかついで楽しむという悪趣味の持ち主です。美学者である大塚保治がモデルであると言われていましたが、この件は、夏目漱石本人が否定したそうです。

金田鼻子
近所に住む実業家である金田の妻。巨大な鼻が特徴で、吾輩は金田夫人のことを鼻子と名付けました。この人物は、明治時代の落語家である三遊亭圓遊を参考にして創作されたとも言われています。

金田富子
金田の娘です。とてもわがままな性格をしています。金田夫人に似ていなく鼻は大きくありません。演奏会で後述の水島寒月に一目惚れします。

水島寒月
苦沙弥の旧門下生で理学士をしています。バイオリンを趣味としており、お金があり頭もよいです。金田富子との縁談話が持ち上がっており、彼も彼女に演奏会で一目惚れ。つまり、金田富子と水島寒月はお互いに一目惚れし、両思いになるのです。モデルは寺田寅彦と言われています。

越智東風
水島寒月の友人です。金田富子に憧れを抱いており、寒月とは恋敵になります。金田富子に新体詩を捧げましたが、残念ながらその想いが届くことはありませんでした。

三毛子
二弦琴の師匠の飼い猫です。我輩のことを先生と呼んでいます。とても器用であたまがよく、近所でも有名な美貌を備えています。まさに才色兼備の猫。吾輩は三毛子のことが好きでしたが、残念ながら三毛子はその気持ちに気づくことはありませんでした。


車屋の飼い猫です。大柄で乱暴な性格をしています。わかりやすくいうとドラえもんに登場する「ジャイアン」のようです。ねずみを捕るのが得意ですが、イタチが苦手。吾輩が恐れている猫でもあります。

『吾輩は猫である』の魅力とは?結局、どこが面白い?

 

「吾輩は猫である」の作品の魅力はなんといっても物語が独特の一人称で語られている点と言えるでしょう。「私は猫です」「ぼくは猫です」「吾輩は猫である」のニュアンスの違いがお分かりになるでしょうか。同じ自己紹介をしているのにもかかわらず、「吾輩は猫である」はなんとも偉そうな感じがします。

本来はペットであり、人間から餌を与えられて生きている猫ですが、「吾輩は猫である」ということによって、人間より尊厳のある生物のように感じてしまいます。そこがこの物語の魅力や面白さの一つと言えるでしょう。「吾輩は猫である」と偉そうに語っていながら、人間に憧れを抱いていく吾輩の姿は、時に矛盾を感じながらも、独特なユーモアを生み出してくれる効果があります。

物語自体には特にストーリー性はなく、人間生活の日常以外の何物でもないのですが、吾輩が語り手になることで、普段気づかないような人間模様を気づかせてくれます。本来、人間生活をしているときは、私たちは犬の世界がどうなっているのか、猫の世界がどうなっているのかなどは考えることは少ないと思います。と同時に、動物も人間生活のことは考えないでしょう。

吾輩はというと、自分は猫であるのにもかかわらず、人間生活を一人称で語ります。あたかも自分が人間かのように語っていくのです。そこに、「吾輩は猫である」の構造上の歪みがあり、この独特な歪みが、この作品の特徴でもあり、魅力となって今世まで、名作として残されているのではないでしょうか。

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ストーリーの最後が意味するものとは?結末を解説!

吾輩は最初、人間界とはある一定の距離を置いて生活をしていました。さらに言うと、人間を軽視し、馬鹿にするような発言を繰り返していました。本作は、主人公をあえて猫にすることで、人間界を客観的な視点から描き、その素晴らしさや、恐ろしさを同時に描いています。そしてそれらの日常を監察しながら、吾輩は最後にとうとう悟りを開くのです。
 

我輩は最後にビールを飲み、「ありがたいありがたい」と口にしています。この発言から考えられることは、おそらく吾輩は人間のことを馬鹿にしながらも、苦沙弥家で暮らしていくうちに、人間には愚かさや欲深さはあるものの、それらを受け入れながら生活している人間に対して、憧れをいだき、いつの日か人間になりたい、人間のように生活をしたいと思うようになったのではないでしょうか。
 

本作は人間に捨てられたところからスタートしました。人間に裏切られたことで、人間を信頼できなくなり、嫌いになった主人公。彼は生きるために人間のもとで生活をすることを選びますが、そこで「本来の人間の姿」というものに気づきます。それが吾輩にとって、人間への憧れを抱かせるようになり、さらには自分を同様の存在だと思うまでにさせるのです。

これは、結末で吾輩が生きることを諦め、人間のように南無阿弥陀仏を唱え、「ありがたいありがたい」と発言しているところからも見受けられます。

吾輩は最後まで名前を手に入れることはありませんでした。もしかすると、それが人間、憧れの象徴であると感じていたからこそ、あえて冒頭の一文で語られていたのかもしれません。彼は猫であるにも関わらず、まるで人間のように考え、日々を過ごし、死んでいきました。

最後に『吾輩は猫である』の名言から、世界観の魅力を解説!

著者
夏目 漱石
出版日

 

「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
(『吾輩は猫である』より引用)

作品の冒頭にこのセリフがあります。この作品の有名な箇所ですね。名前が無いということにより、吾輩自体を人間世界ではとてもあやふやな存在にしています。人間界に存在はしているけど、存在は認められていないような独特なイメージを持たせる一文です。この作品は、この一文に象徴されている印象すら感じさせられます。

「吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。
こんな働き手を見るたびに撲(なぐ)ってやりたくなる。
こんなものが一人でも殖(ふ)えれば国家はそれだけ衰える訳である。」
(『吾輩は猫である』より引用)

吾輩は心の中では人間を軽視し、馬鹿にし、愚かなどと思っていました。しかし、このセリフをきっかけに、人間の良い面や地道に一生懸命生きる姿や、様々な知識や知恵を使いながら共存してく姿に感銘を受け始めます。

そして、このあとに「人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい」といったような発言をしています。吾輩が人間を認めた瞬間です。吾輩は「人間が自分の立場を自覚すること」を条件に、人間自体を肯定していきます。人間は人間なりに尊重するべき点があると吾輩は述べているのです。

「ありがたいありがたい」
(『吾輩は猫である』より引用)

このセリフは吾輩の最後のセリフです。このセリフで『吾輩は猫である』の物語は締めくくられます。吾輩はなぜこのセリフを吐いたのでしょうか。それは、最初は軽視し、馬鹿にしていた人間に、吾輩が憧れを抱くようになり、最後は人間の生活でき、人間に近くことができたと自覚したため、このセリフを吐いたとも考えられます。

また、人間は愚かで情けないところも多いが、結局は素晴らしい存在だというこの作品のメッセージを感じとることもできます。人間というのもの非常に肯定している作品とも捉えられるかもしれませんね。

 

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