坊ちゃんは、夏目漱石が書いた2番目であり、「吾輩は猫である」と同様に一人称の作品。やんちゃで無鉄砲な坊ちゃんの悪戦苦闘ぶりと、それを見守る清が作品に温かみを与え、物語は進んでいきます。 最後、坊ちゃんはどうなってしまうのでしょうか。この記事を読むことで全てが明らかになります。ぜひ最後までご覧ください。
「親譲りの無鉄砲で子供のころから損ばかりしている」
(『坊っちゃん』より引用)
有名な一文から始まる小説『坊っちゃん』。主人公である坊ちゃんは、教師をしており、曲がったことが大嫌いでとても正義感の強い人物です。この物語は明治時代を舞台としており、坊ちゃんが四国の学校に赴任したところから物語はスタートします。
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
坊ちゃんが赴任する学校は愛媛県の松山。ここは古くからのしきたりや人間関係が色濃く残っている地域でした。
一方で坊ちゃんは東京出身。当時の東京は明治維新後のため、近代化が急激に進んでいました。そんな東京出身の坊ちゃんが、田舎の松山の古い慣習に従えるわけがありません。坊ちゃんは長所でも短所でもある無鉄砲さを発揮しながら松山の学校で悪戦苦闘していきます。
松山の学校の教師達も保守的で、自分たちの慣習を守るためなら卑怯と言われるような行動に出ることもいといません。それでも坊ちゃんは自分が正しいと考えたことを通そうとします。
この点から、この作品には明治政府への皮肉も込められているのかもしれない、という推測もできます。300年以上も続いた江戸幕府を倒し、明治政府が立ち上がり、開国をして新しい日本がどんどん出来上がっていきました。
しかし、この改革はすべてが良いことではなかったのです。明治政府にはお金もなく、内部で戦争もしていました。当時の夏目漱石はそういった明治政府のことをあまりよく思っていなかったのでしょうか。そんなことを考えながら読むことで、この坊ちゃんにより一層の深みが増します。
『坊っちゃん』に登場する主な人物をご紹介いたします。
この坊ちゃんには滅びの美学があるように描かれています。組織の権力者である赤シャツに坊ちゃんは果敢に挑み、そして負けます。なぜなら、赤シャツは人事権という絶大な権力を握っているからです。人事操作は胸三寸。そんな赤シャツに坊ちゃんが勝てるはずもありません。そのことを分かっていても坊ちゃんは自分の正義を貫こうとします。
組織社会に身を置く以上、ある程度の理不尽さは付き物です。この理不尽なことを受け入れなければいけないのが大人になることだと、私たちは社会に出ることで痛感します。そういったことに目をつむり、歯を食いしばり必死で生きていきます。誰もが坊ちゃんのように自分の正義を貫けるわけではありませんが、きっと誰もが自分の気持ちに正直でありたい考えていることでしょう。だからこそ、坊ちゃんに魅力を感じ、憧れるのではないでしょうか。
本作のストーリー展開には、腐敗した権力に立ち向かう坊ちゃんの姿とは対照的に「清の愛」が隠されています。キーワードは「母性」です。
坊ちゃんの両親は、兄にばかり愛情を注ぎ、坊ちゃんことをあまり構うことはしませんでした。親には恵まれなかったものの、彼のことを心の底から認め、愛していた人物がいます。それが清です。坊ちゃんがどれだけやんちゃをしても可愛がり、受け止め、包み込んでくれました。
坊ちゃんは最初、彼女の愛情を受け止めませんでした。なぜなら清は家族ではなく奉公人であるため、血のつながりがないからです。しかし、坊ちゃんは松山の学校に赴任し、清のもとを離れて、ようやく彼女の愛の深さに気づいたのです。母親からの愛情をあまり受けていない坊ちゃんにとっては、清こそが母親だったのかもしれません。この清という人物が実は作品上、重要で、ストーリーに温かみを与えてくれます。
坊ちゃんは山嵐と一緒に赤シャツに制裁を加えようとしました。赤シャツは、うらなりの婚約者を言葉巧みに横取りをし、自分の権力を最大限に使って、うらなりを転任させてしまうという非道な行為をするのです。
このことを知った坊ちゃんは赤シャツに抗議をします。しかし、彼は自分の非を認めません。自分の非を認めないばかりか、昇給を餌に坊ちゃんを自分の味方に取り込もうとします。もともとこういった曲がったことが大嫌いな坊ちゃんです。とうとう堪忍袋の尾が切れてしまいます。
この作品を読んでいると坊ちゃんの正義感に魅せられ、いつの間にか拳をギュッと握りしめ彼を応援してしまうのではないでしょうか。それは無鉄砲ではあるが、弱きを助け強きを挫く正義感を持ち、体制にも臆さない勇気が坊ちゃんにはあるからです。
しかし、人の考えや行動が感情に大きく左右されることもまた事実。正論ばかりでは通用しません。この「まっすぐさ」が坊ちゃんの長所でもあるのですが、それと同時に欠点でもあるのです。しかし読みはじめて最初のほうこそ、「この状況でその一言は余分では?」、と思うところがあるものの、物語が進むにつれ、権力に抗い、正義を貫き通す坊ちゃんがとてもかっこよく見えてくるのです。
普段自分ではできないことを坊ちゃんが損得考えずに行動している姿に、いつの間にか自分の理想の姿を投影して物語に引き込まれてしまう、主人公の設定。そういったところがこの『坊っちゃん』の面白さでもあり、魅力でもあるでしょう。
そして最後は、この土地の人間ではなくなる坊ちゃん。自分を待ってくれていた大事な人と東京で暮らすという結末は、一回り大きくなった男の姿を感じさせます。
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
ここでは、最後に作品の世界観を感じられる名言を紹介します。
「きのう着いた。つまらん所だ。
十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。
かみさんが頭を板の間へすりつけた。」
(『坊っちゃん』より引用)
坊ちゃんが下宿することになった宿屋に五円の心つけを渡しました。そうすると、部屋の広さが倍になり、坊ちゃんへの扱いも大きく変わってしまったのです。これはまさに資本主義社会の本質を描写しています。
このころ、日本はちょうど資本主義社会への本格的な移行期でした。お金を優先に考える世の中への不満を夏目漱石が坊ちゃんに託していたのでしょうか。坊ちゃんはこの資本主義社会への流れを「くだらん」といって、日本の運命に逆らいながら生きていきました。
「金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、
高利貸しでも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。
中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。
人間は好き嫌いで働くものだ。
論法で働くものじゃない」
(『坊っちゃん』より引用)
坊ちゃんは、多くのことが重なって松山が嫌になりました。嫌になった坊ちゃんは、その気持ちをそのままにしておくことができません。そして赤シャツへの反逆を起こすのです。ここに坊ちゃんの潔さを感じられます。しかしそれがどれほど大きな影響となろうと、自分の行動にまったく後悔をしません。
この作品は明治時代に書かれた小説ですが、現代にも通じる普遍的な考えた方が書かれています。坊ちゃんを過去の作品としてではなく現代の作品として読むことで、私たちにもとても共感できる部分を見つけられるのではないでしょうか。