小説『檸檬』の意味をネタバレ解説!梶井基次郎が「不吉な塊」で象徴したこと

更新:2021.4.19

1925年1月1日発行の同人誌『青空』1月創刊号の巻頭に掲載され、アメリカ、スペイン、中国、フランス、ドイツでも翻訳版が刊行されている『檸檬』。「得体の知れない不吉な塊」という言葉から始まる梶井基次郎の名作です。難解!良さがわからない!という声も聞きますが、近代文学の名作として評価が高い作品です。 とはいえ確かにこの名作が少し変わっているのは事実。名作or意味不明?!不思議な魅力を持つ小説「檸檬」を徹底紹介です!

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1 まずは、小説『檸檬』の作者・梶井基次郎をご紹介

梶井基次郎は、明治34年生まれの小説家です。昭和の初めまで活躍した文豪ですが、文豪というイメージがないのは彼が31歳という若さで早逝したためでしょう。

大阪で生まれ、少年時代から科学に興味を持ち電気技術者を目指しますが、しだいにその興味は文学へと移り、同人誌「青空」を仲間とともに創刊します。

文壇にデビューし認められてからまもなく亡くなってしまったため、20編あまりの作品しか残していません。ですが、その評価はむしろ死後高まったと言えます。

余分なものをそぎ落とした感覚的でクールな文章と、鮮やかな心象風景の描写は、後のあらゆる世代にも高評価を受け、現代では近代文学の文豪としてファンが多い作家です。 

著者
梶井基次郎
出版日
2011-04-15

2 小説『檸檬』の簡単なあらすじ。梶井基次郎の代表作!

得体の知れない不吉な塊に心を押さえつけられていた私。それは持病の肺のせいでも、借金のせいでもない何か。好きな詩も音楽の力を持ってしても楽しい心を取り戻すことができないものでした。

ある日散歩中、お気に入りの果物屋の前を通りかかった私は、鮮やかな檸檬を見つけ、1つだけ買い求めます。檸檬の存在のおかげで、気分が少し浮き立った私は「丸善」に立ち寄ります。以前は好きな店の1つでしたが、今は何を見ても憂鬱になってしまう場所になっていました。 
 

やはり今日も画集を開くごとに気分は滅入ってきます。積み重ねた本を眺めるうちに私はふと、あることを思いつき、行動にでます。 

 

3「得体の知れない不吉な塊」の意味とは?若者らしい、主人公の不安

この作品の一番のネックになるのが、「得体の知れない不吉な塊」です。それがいったい何のことであるのか、作品中には書いてありません。

思うに、それはこの年代では当然のことなのではないのでしょうか。主人公の私は若者です。若い時期の心情は複雑です。憂鬱になったり滅入ったりするのは日常茶飯事。将来の事、今のこと、人との関わりがどんどん変化していく日常に、不安や期待に心を揺さぶられるのは当たり前のことですよね。 

でも、その気持ちをはっきりと言葉に表すというのは不可能なのではないでしょうか。自分の心を抑えているモヤモヤとしたものが何なのか、自分にもわからないのかもしれません。

主人公の好きな店である丸善に対しての思いから、得体の知れない不吉な塊の正体をさらに知ることができるように感じられます。 
 

 

 

丸善は将来の憧れの象徴のような意味で存在し、描かれているのではないでしょうか。その丸善に対しての鬱屈した思いは、ずばり、目指す道への不安なのかもしれません。目指す道への不安が得体の知れない不吉な塊となり主人公を憂鬱にさせているのではないでしょうか。

素直に店の中のものを楽しむことができない何かが、主人公の心を押さえつけているということです。将来に踏み出せない何か、将来を阻む何か、漠然とした不安が、積み重ねられた本に表されているようです。 

 

 

 

4 モチーフは、なぜレモン?変化していく気持ち

この作品で何と言ってもインパクトがあるのが檸檬。よく他の果物だったら?他の色だったら?なんて仮定したりする感想がありますが、確かに他の果物や色ではこんなにもインパクトはないような気がします。

カラーセラピーでは、黄色という色が表す意味として、明るさ、軽さ、若さ、興奮などの意味を表します。 よく黄色い声援と言いますが、声援に色がついているわけではないのに、この言葉から声援から伝わってくる感覚がより理解できるように感じられます。赤い声援やオレンジの声援ではなんかピンと来ないのではないでしょうか。

反面、黄色は、危険、緊張という意味あいも含んでいます。どちらにしても黄色はインパクトのある色として捉えられるでしょう。 

また、檸檬という果物自体が持っているエネルギーも感じられると思います。檸檬を齧ってしみじみとおいしいと味わう人はなかなかいません。檸檬の持つ独特の迫力が存在感を与えているのではないでしょうか。 
 

檸檬が日本で初めて栽培されたのは明治になってからです。檸檬という果物の存在自体が新しいものを表現しているともいえます。鬱屈した主人公の心には、爽快な迫力ある新しい象徴としての檸檬が飛び込んできたのかもしれません。 

 

 

5 丸善に仕掛けた、小さな爆弾。結末の意味を考察!

主人公は結末で、檸檬を爆弾に見立てて丸善に仕掛けます。よく結末の意味がわからないという意見もありますが、梶井基次郎の作品は、意味を1つ1つ拾って理解するというよりも、感覚で読む作品です。色彩の鮮やかさ、それにともなう心象風景に特別な意味を求めるよりも、脳で読むより受ける印象や気持ちで読みたい物語です。

丸善という憧れの場所、しかし不安の塊でもあるその場所に、それらを吹っ飛ばす爆弾という形で、新しく刺激的で明るい檸檬を仕掛けてくるというのは爽快な印象を残します。だから何度でも読めるのが梶井基次郎の作品!残された檸檬爆弾が丸善の中で吹っ飛ぶ心象風景は、何度でも飲めるソーダのようではないでしょうか。 

6 最後に、小説『檸檬』の名言から、作品の世界観をご紹介!

小説の中には、時々絵のように鮮やかに風景が目の前に広がるものがあります。火事の炎、電灯に浮かびあがる影など、映画のように美しい光景を描くことができます。

「檸檬」はまさにそんな作品。 

著者
梶井基次郎
出版日
2011-04-15

「果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、
その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。
何か華やかな美しい音楽の快速調(アレッグロ)の流れが、
見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、
あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
青物もやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれている」
(『檸檬』より引用)

たかが果物屋の描写とは思えない!真っ黒な漆塗りの上に鮮やかに並ぶ果物が目に浮かんできます。 
 

「裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、
また近所にあるかぎ屋の二階のガラス窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、
その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった」
(『檸檬』より引用)

眩しい電球の光と、ガラス越しに見える柔らかい果物の眺めの対比がとても綺麗です。

他にも美しい表現が溢れている『檸檬』は、感覚で読み楽しむ物語。小説というよりかはどこか抽象絵画を鑑賞しているような気がしてくるほど。

意味がわからない結末も、絵画だと思えば「どんなふうに見えるかはあなたが考えて」と言われている気がしてきます。梶井基次郎の感覚的かつ知的な描写や文体を自分なりの解釈で楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

今回ご紹介した『檸檬』は梶井基次郎の代表作でもあり、今でも学校の教材に使用されているなど大変ポピュラーな作品です。ぜひ『檸檬』を読み、自分なりの楽しみを見つけてみてはいかがでしょうか。

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