本作は、中島 敦による唐の時代の中国を舞台にしたお話です。自尊心の高さから何をしても現状に満足できず、自分を許せなくなった李徴(りちょう)は、ある時虎になってしまいます。 その後、偶然かつての友人・袁傪(えんさん)と、虎の姿で再会することとなります。そこで李徴は、人としての自分を振り返る機会を得るのです。その時、彼の心にあったものとは……。
『山月記』の主な登場人物は2人だけ。虎になってしまう李徴と、その友人の袁傪です。
物語の舞台となるのは唐王朝時代の中国で、当時はシルクロードを通じて周辺諸国との交易も盛んにおこなわれていました。
詩や絵画などの文化が大きく発展し、難関試験である科挙に合格した役人が支えることで国としても繁栄。そんな唐の優れた文化を学ぶために、日本からも遣唐使が派遣されていました。
このような時代の中国で、難関試験に若くして合格した李徴と袁傪でしたが、李徴はそのプライドの高さから周囲になじめず、あっさりと役人を辞めて詩人を目指します。
理由は自分の詩家としての名前を後世に残すため。しかし、思ったとおりにはいかず彼の生活は困窮します。
泣く泣く下級役人となりますが、そんな自分を許せない彼はある日、発狂して虎になってしまうのです。
- 著者
- 中島 敦
- 出版日
続いて、『山月記』の登場人物について整理してみましょう。本作に登場する人物は、李徴と袁傪の2人。それぞれ、どのような人柄なのでしょうか?
李徴は、小さい頃から天才と謳われ、自分でもその事を自覚し、高い理想を描いていました。しかし難関試験に合格するも、周りとうまく打ち解けられません。さらに、どのような仕事にもある下積み期間が我慢できず、遂には役人を辞めてしまいます。
優秀な学生が就職先に馴染めず辞めてしまうというケースは現代でも多々あり、唐の時代の話でありながら共感する人は多いでしょう。
そして、李徴が役人を辞めて何をするかと思えば、なんと今度は詩人を目指すといいます。
彼は自らの理想の実現方法として、歴史に名を遺すような詩を作ろうとしたのでしょうか?このような「プライドと自己顕示欲の塊」ともいえるのが、彼の人柄です。
一方、袁傪は彼の数少ない友人で、李徴と同じく難関試験に合格し、穏やかで柔らかい人柄から、性格に難がある彼ともぶつからずに友人関係を続けられました。
その人柄は、虎になった李徴すら受け入れるほどでした。
このような対照的な2人が、時を経て、偶然再会します。虎となってしまった李徴も、袁傪の前では弱音を吐き、人としての心を持って接することができます。
袁傪は李徴にとって、かつて自分が人であったことの「証」のような存在だったのかもしれません。
なぜ李徴は虎になってしまったのでしょうか?
もちろん、現実では人が虎になってしまうことはあり得ませんが、この理由を考えるのが山月記を読むうえで面白いポイントでもあります。
そもそも、李徴はプライドが高い人物で、歴史に名を残すような偉人になることを望んでいました。そんな彼が、下級役人として使いっ走りをさせられるのは耐え難かったことでしょう。
現実と理想のギャップを受け入れられず、「こんな姿は自分ではない」いう思いを抱いたかもしれません。
では、李徴はどんな自分になることを望んだのでしょう。おそらく、無意識のうちに強い姿、強い動物を思い浮かべたはずです。これこそ、彼が虎になってしまった原因ではないでしょうか?
虎といえば、中国では百獣の王と呼ばれる動物です。中国の文化においては権力や威厳の象徴でもあり、龍と同格の霊獣と捉えられています。
自己顕示欲の強い李徴は、そんな強さの象徴ともいえる虎に憧れを抱いたのかもしれません。
こんなはずではない。自分は強い。皆から注目される存在なのだ、と。
そう願い続けた彼は、自分が望んではいなかった方法で周囲から注目される虎となってしまったのでしょう。
虎となった李徴は、袁傪との再会を喜びます。袁傪の出世を祝福しながらも、同時に自らの人としての意識を保てる時間が日に日に短くなっていることを告げ、悲しみにくれます。
袁傪と話をするなかで自らが虎となってしまった理由を考察し、自嘲する李徴。そして虎になった理由は、自分のプライドの高さだという考えに至ったのです。そのうえで、それでも捨てきれないプライドから、自らの詩人としての名を残そうと袁傪に自分の詩を託しました。
見方によっては、自分の事しか考えていないようにも思えますが、そんな彼にも家族がいます。袁傪と再会したことで、人としての自分に残されたものを振り返った彼は、最後に家族への伝言を託しました。さらに、「虎となった自分の姿を去り際に遠くから見てほしい」と袁傪に頼みます。
この時の彼の心には自尊心や自己顕示欲というより、人としての自分がいなくなってしまうことが誰からも顧みられない、寂しさが溢れていたのではないでしょうか。このような彼の心情を、背景の月が演出します。
さて、袁傪と別れた後、李徴はどうなってしまったのでしょうか?完全に虎となってしまうのか、それとも袁傪と再会したことで何らかの変化が起こるのでしょうか?
山月記に対して「取っつきづらい」というイメージがある人も多いようです。
これは、『山月記』を読み解くには、作品内では語られていなかったり、解決していなかったりする内容が大切になるためです。
本作では、李徴の身に起きた出来事を通して、人の変えられない性分について取り上げています。
仮に、「李徴が自尊心の高さや自己顕示欲をこじらせ、虎となってしまった」という表面的な見方だけをすれば、『山月記』はそれほど印象深い話ではないでしょう。
しかし、本作を読み解くには、もっと多角的な視点が必要となるのです。
たとえば、李徴はどうして虎となってしまったのでしょうか?彼なりの理由は作品中で語られてはいますが、それが本当の理由だったのかはわかりません。
また『山月記』には基となったお話があるので、そのお話も読んでみなければ詳しくわからない部分もあります。
このように、人によって解釈が違ったり、1つの作品で問題が解決しなかったりするため、山月記は難しいという印象があるのかもしれません。
このように読者によってさまざまな解釈が可能であり、それゆえに読み解きにくくもある『山月記』。いきなり文庫などで読むのはハードルが高いという人におすすめしたいのが、漫画版です。
- 著者
- ドリヤス工場
- 出版日
- 2015-09-11
『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』では、『山月記』を含む有名文学作品のあらすじが、10ページに満たないページ数で描かれています。
絵の力を借りれば文章のみではイメージしずらい場面も読みやすくなるため、入門書に最適です。また、一度漫画で読めば、後から文庫などで読み直して自分なりの解釈をするときの手助けにもなるでしょう。
また、イラストによって恐ろしい虎のイメージが少し変わるのも漫画版の魅力です。
小説はハードルが高いけど、興味がある!という方は、ぜひ読んでみてください。
以上のように『山月記』について解説してきましたが、いかがでしたか?お話自体は短く、電車の移動中でも読めてしまう文章量ですが、読み手によって解釈に幅が出る面白い作品です。
ぜひ1度、手に取って読んでみてください!