樋口一葉はお札にもなるほどの日本を代表する作家。そんな彼女の代表作が「たけくらべ」。しかし、その知名度とは裏腹に、作者自身がどんな人か、「たけくらべ」がどんな話なのか知らない人は少なくないかもしれません。 言葉使いも古めかしく、ストーリーもむずかしいのでは?と思いがちですが、実は本作は10代の子供たちの話なのです。この記事では、そんな意外と実際には知られていないかもしれない名作「たけくらべ」をひもといていきます。
たけくらべは吉原で暮らす少年少女たちの話です。たくさんの子供たちが出てきますが、その中で中心人物になるのは「美登利(みどり)」「信如(しんにょ)」「正太郎」の3人。
主人公は美登利で年は14歳です。近所の子供たちの中では姉のような存在です。吉原の売れっ子遊女を姉に持っていることから、気前もいいし性格も勝気。
信如は僧侶を父に持つ15歳の少年。真面目で内向的です。生臭坊主の父を疎ましく思っています。
正太郎は金貸しの息子。喧嘩っぱやくて大人びた言動の13歳の少年です。美登利を慕っています。
この3人を中心に、いろいろな人や出来事を巻き込んでストーリーが展開していきます。子供たちによる町内組の対立や喧嘩。まわりの大人たちとの関わりや反抗。そして全体の軸をなしているのが、美登利と信如の関係です。
以前つまらないことからまわりにひやかされ、信如はそれをきっかけに美登利を避けるようになります。美登利はそんな彼の態度に戸惑いを感じ、勝気な性格と相まって信如を毛嫌いしている旨の言動を表に出すようになってしまいます。しかしそれは本心ではなく、彼女は悶々とし続けており……。
この物語の見せ場は、信如が美登利の家の前を通りかかった際に、彼の下駄の鼻緒が切れてしまうという場面。わけ合って2人の心の距離は遠く離れており、そんな折の思わぬ再会でした。言葉のやり取りはほとんどなく、2人の心の動きだけで魅せる場面描写は絶妙です。
美登利は遊女に、信如は僧として生きていくことが決められている運命。大人になっていく子供たちの背中に写る年月のはかなさと切なさが、この「たけくらべ」の最大の魅力です。
- 著者
- 樋口 一葉
- 出版日
さて、樋口一葉とはどういった人なのか見てみましょう。樋口一葉は明治の小説家です。 裕福な家庭に生まれ教養に満ちた少女でした。しかし一家の中心であり文学好きの一葉の理解者でもあった父が亡くなると、すべてが一変します。17歳にして残された母と妹を養っていく荷を背負うことになるのです。婚約者との仲も破談となり、貧窮生活に陥ります。
少しでも生活の糧になればと、一葉は小説を書くため『半井桃水』に弟子入りします。公私ともに力になってくれる桃水に一葉は心を寄せますが、いろいろとあって離別。
しかしそれがきっかけになったように、一葉は後のヒット作となる名作を怒涛のように発表することになるのです。森鴎外や幸田露伴にも認められ、これからと言う時に肺結核により他界。わずか24歳でした。彼女が小説家として活躍したのはわずかな間で、「奇跡の14か月」と言われています。
- 著者
- 大津 有一
- 出版日
- 1964-12-16
ところで、タイトルの「たけくらべ」とはどういう意味なのでしょう。通説としては「伊勢物語」の二十三段「筒井筒」というお話に由来していると言われています。 昔遊んでいた幼馴染どうしが成長し、後に再会し結婚する恋愛物語です。
『たけくらべ』では、お互いを意識しあうような年頃になった時に歌を交わし合うのですが、 男性からは「いっしょに背比べした私の背も、しばらく会わない間にずいぶん高くなってしまいましたよ」。 女性からは「長さを比べあった私の髪もずいぶん長くなってしまいましたよ。あなた意外の誰のために結うことができるでしょうか」。
背丈、髪の丈、それを比べあった子供の頃の思い出を読み込んだこの歌から「たけくらべ」という題名がきていると言われているのです。幼馴染や子供、思春期など設定がとてもよく似ていますね。
しかし、もう1つの説として、「筒井筒」を題材につくられた「井筒」という能の方が強く意識されているのではないかというのもあります。
世阿弥が作ったという風に考えられており、夫を待ち続ける女の幽霊が幼馴染であった夫との思い出話を語るというもの。こちらの方は丈を比べた思い出に加え、年老いていくことの辛さ、時の流れの無常などが盛り込まれており、大人になることの寂しさを出している『たけくらべ』により近いというのです。また、女の幽霊の話を聞く人物も僧ということもありますし、なかなか類似性が見出せます。
『たけくらべ』を読んでみよう、と原文を手に取った方の中には、書き出しでいきなりつまづいてしまった方も多くいたかもしれません。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、
お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く
(『たけくらべ』青空文庫より引用)
『たけくらべ』の有名な書き出しですが、出てくる言葉の意味も難しく、こんな調子で文が続くと思うと音を上げたくなる気持ちもよく分かります。ちなみに、会話文を表す「」(かぎかっこ)もないです。
読み慣れてしまうと、原文もとても味があって素敵な文章なのですが、ストーリーをまず理解したいという方には現代語訳がおすすめです。
また朗読を聞いてみるというのもおすすめ。女性らしい流麗な文章が特徴的なので、音として聴くと、文字を追うよりも物語の情景が浮かびやすく、セリフのニュアンスなども理解しやすいと思われます。
『たけくらべ』をめぐって、「たけくらべ論争」というものがあります。美登利が大島神社の酉の市の日、髪を島田に結い花かんざしをつけるのですが、この日以来活発で明るい性格が一変し、急に元気を失うのです。正太郎や他の子供たちのことも避けるようになります。
その理由が物語中には書かれていないのです。当然いろいろな推測がされます。論争が起きるまで通説とされていたのが、「初潮」を迎えたからだというもの。髪を島田に結うということは、大人の女性の象徴でもあるわけです。初潮を迎え、島田に結った自分と向き合わざるを得なくなって気持ちが沈んでいったのではないかと言われてきました。
それに対して出たもう1つの説が「初店」というもの。姉と同じ遊女になることが決まっていた美登利が初めてお客をとったというものです。理由として、源氏物語の中の若紫が処女を失った直後の場面と似ているというのです。しかしこれに反論する人も出て、いろいろな作家や評論家の方々を巻き込む論争となっています。
『たけくらべ』は1955年に美空ひばり主演で映画にもなっています。ひばりさんは映画の中で歌う作品が多いのですが、こちらはまったく歌わず、演技だけで勝気で多感な少女美登利を演じて高評価を得ました。
ちなみに、1924年にも制作されています。
- 著者
- 樋口 一葉
- 出版日
たけくらべのもう1つの謎としてラストの場面があります。ある日、美登利の家の格子門の内側に水仙が差し置かれていたのです。沈んだ毎日のままの美登利はそれを一輪挿しに飾り寂しげに見つめるというものですが、誰が置いたものなのかは書かれていません。
しかもその水仙は生花ではなく造花なのです。その日が信如の去る日であったことから置いたのは彼であるというのは間違いないことだと思われていますが、なぜ造花だったのかというところが意味深です。
解釈として言われているのは、それが生花でなく造花であるということで、「偽物」「作りもの」という負の要素が込められ、彼らにハッピーエンドはないということをにおわせているというもの。 2人の道は真逆の道であり、それらが決して1つになることはないことを暗示し、またもう2度と子供の頃の純粋な時には戻れないことを意味しているというのです。
たけくらべは、今でいうと中学生に当たる子たちの心情の機微を描いています。暗い物語が多いと言われる樋口一葉の作品の中で、明るい光を放っている名作を、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。