ノーベル文学賞を受賞しているアーネスト・ヘミングウェイ。彼の代表作である『老人と海』は、自然と戦う人間の姿を描ききった名作として映画や漫画にもなっています。日本のバンド・ヨルシカもオマージュした楽曲を制作したことで知っている方もいることでしょう。 今回の記事では、『老人と海』のあらすじや魅力をご紹介しつつ、作品から読み取れる教訓についても考察していきます!
舞台はキューバ・コヒマル。この土地に住む漁師のサンチャゴ老人は、84日間も不漁が続いていました。彼は今日こそは大きな獲物を捕まえてみせると、早朝の海に漕ぎ出します。その途中で巨大なカジキと遭遇し、戦いを始めますが……。
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- ヘミングウェイ
- 出版日
『老人と海』は、1952年に出版されたヘミングウェイの短編作品です。自然と戦う人間の姿を描いたストーリーで、現在でも読書感想文の課題になる傑作です。この作品がきっかけで、ヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞したといわれています。
福田恆存や野崎孝といった著名な翻訳家によって翻訳されており、日本はもちろん、世界中の国々で愛される名作です。
『老人と海』は同じくアメリカ文学の傑作である『白鯨』に似ているといわれており、2つの作品は対応する要素を持っています。
エイハブは白鯨を憎んでおり、サンチャゴはカジキを尊敬しているという点は違いますが、「獲物に特別な感情を抱いている老人が海に出る」という構図は共通しているので、似ていると言われることが多いのでしょう。
そんな『老人と海』の原文は英語の教科書としても掲載されるなど、日本でも広く読まれています。
ハードボイルドな作風で面白くないという意見もありますが、多様な読み方ができるという点では大変面白い作品です。新潮社の累計発行部数では3位に入り、大きな売上をあげています。映画やアニメ、漫画版も出ており、世界中で親しまれています。
2021年には日本のアーティストであるヨルシカが本作をオマージュした同タイトルの楽曲をリリース。CMソングとしても親しまれました。文学作品の『老人と海』を知ったうえで、楽曲の歌詞を見比べながら楽しめば魅力も倍増ではないでしょうか。歌詞の最後に登場する「ライオン」の一節の意味も、この記事を読めばヒントが得られますよ。
昔の小説について「難しい」「つまらない」といったイメージを持っている人にこそ読んでいただきたい作品です。今回の記事では、『老人と海』が好きになるような魅力を、ふんだんにご紹介していきます。
アーネスト・ヘミングウェイはアメリカ出身の小説家です。『日はまた昇る』『武器よさらば』などの作品で知られ、1954年にノーベル文学賞を受賞しました。『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などの作品は映画にもなっています。簡潔な文体が特徴で、多くの作家に影響を与えました。
スペインの内戦に従軍記者として関わり、その時の経験は『武器よさらば』などの戦争を扱った作品に活かされています。ボクシングや狩猟も趣味で、活動的な作家として知られていました。
ノーベル文学賞を受賞した年に飛行機事故にあい、その後うつ病になってしまいます。この頃から活動的な一面はなくなってしまい、1961年にショットガンで自殺しました。
『老人と海』の主人公はサンチャゴという老人です。かつては腕のいい漁師でしたが、84日間も不漁が続き、漁師仲間からは馬鹿にされています。
もう一人の登場人物は、マノーリンという少年です。マノーリンは以前までサンチャゴとともに漁をしていましたが、彼が不漁続きになったので、両親から別の船に行くように命じられました。マノーリンは現在では「親方」の船に乗っていますが、食事の差し入れなどをしてサンチャゴを気づかっています。
主な登場人物としてはこの2人ですが、海で出会うマカジキやトビウオに、老人は人間のように話しかけます。魚をはじめとした自然も、登場人物として物語の重要な要素になっているのです。
『老人と海』には、興味深い解釈があります。「サンチャゴはキリストの象徴なのではないか」というものです。
『老人と海』の冒頭では、サンチャゴの小屋にマリアの絵と「色刷りのイエスの精神」が飾られているという描写があります。また、海でカジキと戦うときも、老人は「我らの父」と「アヴェ・マリア」の祈りを口にしているのです。
このように、ところどころにキリスト教のモチーフが使われているだけでなく、帰港したサンチャゴはマストを背負って坂道を歩いていきます。この姿は、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かう姿に重なります。
『老人と海』は、不漁続きだったサンチャゴが久しぶりに大きな獲物を捕まえる話ですが、ヘミングウェイはその姿にキリストの復活を重ねたといわれているのです。
『老人と海』最大の見どころは、サンチャゴがマカジキと戦う場面です。
3日間にわたる戦いは、どんな結末をむかえるのでしょうか。
一人で漁に出たサンチャゴは、大きさが18フィート(約5.5メートル)もあるカジキと出会いました。カジキは釣り糸につながり、船を引っぱっていきます。なんとしてもしとめたいサンチャゴは、3日の間死闘をくり広げるのです。
船には食料がなく、肝油や釣り上げた小魚の刺し身を食べながら、老人はカジキと戦います。最後にはカジキにとどめをさすことができましたが、彼の本当の戦いはここからがはじまりでした。
『老人と海』は、外面描写にこだわった作風なので、人物の感情や思想といった内面についてはあまり説明されていません。そのため、作品にどんな意味があるのか、なぜ名作なのかが分かりづらいかもしれません。この作品を通して、ヘミングウェイは何がいいたかったのでしょうか。
サンチャゴは84日間もの不漁のなかにいて、漁師仲間からも笑いものになっています。サンチャゴは失意のなかにいて、心の支えはマノーリンだけです。
マノーリンはサンチャゴと船に乗っていた時期もあり、老人を慕っています。少年は別の船で獲物を釣りあげており、漁師としての腕を上げています。サンチャゴにとって、彼は希望といえる存在です。
また、マカジキとの出会いは、サンチャゴが漁師としての名誉をとりもどすチャンスでした。しかし、捕まえたカジキは港に戻る途中で失ってしまうことになるのです。それは人生の残酷さを象徴しているかのよう。
結局、なにも手に入れられなかったサンチャゴは、疲れはてて眠りにつきます。しかし、少年は彼から教えてもらった技術や経験を活かして、漁師として成長しています。老人はすべてを失ってしまいましたが、少年に技術と希望を伝えることができました。
下の世代に価値あることを伝えられたことによって、老人の人生も報われたのかもしれません。
『老人と海』のなかで、印象に残る一節をご紹介します。
きっときょうこそは。とにかく、毎日が新しい日なんだ
(『老人と海』より引用)
不漁が続く毎日にもめげず漁に出るサンチャゴが、船をこぎ出すときのセリフです。逆境にも負けない力強さが感じられますね。
けれど、人間は負けるように造られてはいないんだ
(『老人と海』より引用)
3日間の死闘の末捕まえたカジキは、ある存在によって無残な姿にされてしまいます。それを見たサンチャゴの言葉です。戦っているうちにカジキを「兄弟」と呼ぶほど親近感を抱いていた老人にとって、カジキが変わり果てた姿になってしまったのはつらかったはず。それでも前を向く彼の姿は、敗北に屈しない意志を感じます。
カジキとの戦いが見どころの『老人と海』ですが、結末はどうなるのでしょうか。
3日間の戦いの末にカジキを捕まえた老人ですが、港に帰る途中、カジキはある出来事によって、見るも無残な姿に。そして、骨だけになったカジキを連れて、彼は帰ってきました。
サンチャゴは小屋に帰って眠りにつくところで話は終わりますが、結末に関してはいろいろな解釈があります。
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- ヘミングウェイ
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- ["ヘミングウェイ", "高見 浩"]
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1部の研究者の間では、「夢オチだったのでは」という意見もあります。根拠としては
などです。老人は最初から夢を見ているだけで、漁になど出ていないという可能性が指摘されています。
老人の船に横付けにされている釣った魚の骨を見て、給仕は「ティブロン(スペイン語でサメのこと)」といいます。カジキと戦っていたというのは、夢に過ぎなかったのではないか、という意見です。
また、本作の最後は「老人はライオンの夢を見ていた」という一説で終わります。「ライオン」というモチーフは、作中のところどころで出てきます。それは老人が若いころに見たもので、彼がもっとも活躍していた時代を象徴するものでもあります。
不漁つづきで失意の底にいた老人は、自分の黄金時代を夢に見ていただけなのかもしれません。あなたは実際に作品を読んだ時、どう感じるでしょうか?