上田秋成による怪異小説『雨月物語』。いつの時代も変わらない恐怖や人間の哀しさを描いた名作です。義兄弟に幽霊になって会いに行く「菊花の約」、裏切られた妻の怖い呪いから逃れられない「吉備津の釜」、ラストは意味不明?僧侶のゆがんだ愛を描いた「青頭巾」など、不気味で切ない物語を解説していきます。
『雨月物語(うげつものがたり)』は、上田秋成による怪談・怪異小説で、成立年代は江戸時代後期と言われています。怪談と言っても霊が出てくるようなものばかりでなく、どこか面白いお話や、切ない話などもあり、今でも親しまれている作品です。
溝口健二監督、田中絹代、森雅之などの出演で映画化されたほか、竹中直人主演のドラマ、『怪談百物語』でも、雨月物語のストーリーを下敷きにしたエピソードが登場します。
- 著者
- 上田 秋成
- 出版日
蛇の化身である女に付きまとわれる「蛇性の婬」、高野山で今は亡き豊臣秀次の宴に招待されてしまう「仏法僧」、崇徳上皇の亡霊と彼の書いた書物について議論する「白峰」、夢の中で鯉になって実際に釣り上げられてしまう「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」など、霊の恐ろしさを描きながら、人間の心をテーマにした話が多いのも特徴です。『古今小説』、『撰集抄』『安珍清姫伝説』など、古今東西の名作を元ネタにした話もありますが、元ネタを知らなくても楽しむことができます。
また、上田秋成は、序文(前書き)でも、『源氏物語』を書いた紫式部、『水滸伝』を書いた羅貫中を例に挙げて、「現実と見紛うほどの傑作を残した人物は後年ひどい目に合った」という怪談のような話を紹介し、「『雨月物語』のように、非現実的で荒唐無稽な話を書いた自分は恐ろしい目に合うことはないだろう」と、綴っています。
『雨月物語』は安永・天明文化期の、浮世草子(江戸時代の読み物)から人気が移りつつあったころの「読本(伝奇小説)」だといわれている作品。そんな流行に敏感な上田秋成とはどんな人物だったのでしょうか。
上田秋成は、子供のころ天然痘にかかりますが、父親が稲荷神社に回復を祈ったことで、「68歳まで生きる」と告げられたといわれています。このころから、怪異や不思議なものに縁があったのかもしれません。その後、医学や漢語、和歌、俳句などを学び、52歳の時、『雨月物語』を書きあげます。
また、国学者・本居宣長はライバル的存在で、『古事記』や『日本書紀』の解釈について激しい論争をくり広げました。この論争は「日の神論争」と呼ばれています。
儒学者「丈部左門」は、ある年の春、旅の途中で病に倒れていた軍学者「赤穴宗右衛門」を看病することになります。2人は意気投合し、宗右衛門も夏には無事回復。宗右衛門が故郷に帰ることになった時、2人は義兄弟のちぎりを交わし、菊の節句(9月9日)に再び播磨で会うことを約束して別れます。
約束の9月9日、左門は宗右衛門がやって来るのを今か今かと待ちますが、いつまで待っても現れません。そうして諦めかけたとき、ようやく彼が現れます。喜ぶ左門ですが、宗右衛門は一言も発することなく、酒も料理も断ります。不思議に思う左門に、宗右衛門は「実は自分は死霊の身である」と明かしました。
宗右衛門は故郷で謀反の疑いをかけられ、いとこの赤穴丹治によって監禁されてしまったのです。宗右衛門は、「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」(人は一日に千里の道を行くことはできないが、魂ならば千里を行くこともできる)という言葉を思い出し、自害して幽霊となって左門に会いに来たのです。宗右衛門は、左門に別れを告げると消えてしまいました。左門は、丹治の元へ敵討ちに向かいます。
物語は「咨、軽薄の人と交はりは結ぶべからずとなん」と結ばれています。「軽薄な人と関わるなというのは本当だった」という意味ですが、決して赤穴丹治だけが「軽薄な人」、と言い切っているわけではありません。左門と宗右衛門が交わした「義兄弟のちぎり」は、2人が恋愛関係にあったものだ、と解釈されることもあります。そうすると、恋人・左門のために自ら命を絶ち、武士としての務めを放棄した宗右衛門もある意味では「軽薄」ととることができます。
「軽薄」だったのは誰なのか、読者に考えさせる物語です。
下総の国葛餝郡真間の郷に、勝四郎といふ男ありなん。
(『雨月物語』より引用)
「下総の国に勝四郎という男がいた。」というこの一文から物語は始まります。
勝四郎には宮木という妻がいました。勝四郎が怠け者だったせいで家は貧しくなってしまいますが、一念発起して上京し、商売を始めることにします。勝四郎は「葛の葉が風で翻る秋には帰ってくる」と約束し、京へと出発しました。しかし勝四郎が旅立った後、享徳の乱によって関東は大混乱に陥ります。宮木は心細く夫の帰りを待ち続けます。
一方の勝四郎は、京都で商売を成功させていました。約束の秋になって東へ帰ろうとしますが、関東で戦があったこと、新しい関所ができていて旅人さえも通行できないことを知りました。勝四郎は「家も兵火にや亡びなん。妻も世に生てあらじ。」(「家も戦火で燃えてしまっただろう、妻も死んでしまったに違いない」)と気落ちして、ついには病気になってしまいます。
回復した勝四郎は関東に帰ることもできず、そのまま7年の月日が流れます。そして、せめて妻の墓だけでも作ろうと、故郷に帰ることを決意。すると驚いたことに、家は昔と同じ場所に変わらず建っていたのです。そして家の中には、やつれはてた妻の宮木が待って今のです。
2人はお互いの近況を語り合いました。
妻涙をとどめて、
「一たび離れまゐらせて後、
たのむの秋より前に恐しき世の中となりて
里人は皆家を捨てて海に漂ひ山に隠れば、
適に残りたる人は、多く虎狼の心ありて、
かく寡となりしを便りよしとや、
言を巧みていざなへども
玉と砕ても瓦の全きにはならはじものをと、
幾たびか辛苦を忍びぬる」
(『雨月物語』より引用)
妻は涙をこらえて、「貴方と別れた後、待ちわびていた秋より前に、恐ろしい世の中になってしまい、人々は家を捨てて、海に逃げたり、山に隠れました。たまたま残った人は、多くが恐ろしい心の持ち主で、寡(やもめ)になった私を言葉巧みに誘惑してきましたが、貞操を守って死んでも、不義をして生き延びるようなことはできないと、いつも辛いことに耐えてきました。」と語った、ということです。
その晩は疲れてくっすりと眠ってしまった勝四郎ですが、目が覚めると、家は昔の面影もないあばら家になっていて、妻の姿もありません。妻がすでに死んでいて幽霊になっていたこと、そして死して尚彼を待っていたことを知った勝四郎は涙を流します。
「菊花の約」と「浅茅が宿」ではお互いを信じ、この世の者でなくなっても約束を果たしたいという強い気持ちが感じられ、悲しい話ですが、同時にその固い絆に感動させられます。しかし、『雨月物語』に収録されているのはこんな綺麗な話だけではありません。強すぎる想いは時に恐ろしい行動を引き起こしてしまいます。
正太郎という、酒と女遊びの好きな男がいました、家族は何とか身持ちを固めさせようと、磯良という娘と結婚させることにしました。磯良の両親もこの話に賛成します。
そこで、磯良の両親は結婚の前に、「御釜祓い」を行いました。この占いでは、釜でお湯が沸きあがったとき、吉兆ならば牛が吼えるような音が鳴り響き、凶兆ならば音が出ないといわれています。
ところが、占ってみると、釜からは何の音も出ませんでした。不安に思う両親でしたが、磯良が結婚を楽しみにしていることもあり、「たまたま音が出なかっただけだろう」と縁談を進めてしまいます。
磯良は夫によく仕え、正太郎も磯良を気に入り、結婚生活はうまくいくかに思われました。しかし、庄太郎の浮気性は治りませんでした。いつの間にか袖という名の遊女と恋仲になり、家にも戻らないようになってしまったのです。
磯良のことを気の毒に思った正太郎の両親は、正太郎を家の中に閉じ込めます。磯良は再びかいがいしく正太郎の世話をしましたが、正太郎はそんな磯良をだまして家を抜け出し、袖と駆け落ちします。磯良は嘆き悲しみ、ついには寝込んでしまいました。
一方、袖と正太郎は、袖のいとこである彦六の助けもあって初めは仲睦まじく暮らしていました。しかし、しだいに袖の様子がおかしくなってきたのです。まるで、なにか物の怪にでも憑かれたような袖の様子に、正太郎は「磯良の呪いでは……」と怯えます。正太郎の看病もむなしく、七日後に袖は死んでしまいました。
正太郎は毎日袖の墓に参る日が続きました。ある日、いつものように墓参りに行くと、若い女がいます。話を聞くと、仕えている家の主人が亡くなり、奥様があまりに悲しんで病に臥せっているので、自分が代わりに墓参りをしている、といいます。正太郎はその奥様に興味を持ちました。そして女の案内で彼女に会いに行くことになります。
女に連れられて小さな茅葺の家につくと、そこで待っていたのは磯良でした。「つらき報いの程しらせまゐらせん」(「どれほど辛かったか思い知らせてやろう」)という磯良の恐ろしさに、正太郎は気絶してしまいました。
気が付くと、そこは荒野の三昧堂(僧侶が修行する場所)でした。慌てて家に帰った正太郎は、陰陽師に助けを求めます。陰陽師は正太郎の体に呪文を書き、今から42日間物忌みをして、絶対に外に出てはいけない、と言い聞かせました。正太郎は磯良の霊に怯えながら閉じこもります。
そして42日後、彦六は夜が明けたのを見て、正太郎に外に出てくるように呼びかけます。ところが、部屋の中から正太郎の叫び声が聞こえてきます。何があったのかと彦六が外に出てみると、空はまだ暗いままで、正太郎はどこにもいません。明かりをつけてみると、軒先に男の髪の毛だけがぶら下がっていました。
吉備津の釜の占いも陰陽師の予言も間違っていなかったのです。
磯良の怨霊は、夜が明けたと錯覚させ、正太郎を外に誘い出して襲ったのです。正太郎がどんな目に合ったのか詳しくは描かず、想像にゆだねられているため恐ろしさが募る物語となっています。
ちなみに、「吉備津の釜」の磯良は、地獄を舞台にした漫画『鬼灯の冷徹』にも、「正太郎への恩を100倍くらいの仇で返され、100倍くらいの恐怖で返した」怨霊として登場します。
「青頭巾」はより「生きた人間の恐ろしさ」が強調された物語です。
快庵禅師が旅の途中、下野の国の里で宿を探していると、人々が皆「鬼が出た」と言って逃げて行ってしまいます。ようやく宿の主人と話をすることができた快庵禅師は、恐ろしい話を聞くことになります。
近くの山にある寺に阿闍梨という徳の高い僧侶がいましたが、一人の稚児を寵愛するようになり、修行もおろそかになっていきました。ところが、今年の春、その稚児が病で死んでしまいます。阿闍梨の悲しみようは尋常ではなく、稚児の遺体を埋葬することもせず、生きていた時と同じように可愛がりました。
しかし、遺体はやがて腐敗してきます。阿闍梨は肉が腐っていくのさえ惜しんで、その肉をすすり、骨をなめて、やがて食べつくしてしまったのです。やがて阿闍梨は夜な夜な墓を暴いて歯肉を食べる「鬼」と化してしまったのです。
この話を聞いた快庵禅師は、彼を人の道に戻す決意をします。その夜、件の山寺に向かうと、寺はすっかり荒れ果てていました。現れた阿闍梨に一晩の宿を頼むと、やせ細った僧が弱々しく現れ、「好きになさるがよい」と言って寝室にこもってしまいました。
ところが真夜中、阿闍梨は鬼のように暴れだします。快庵禅師が「もしひもじいのであれば私の肉で腹を満たしてください」と言うと、阿闍梨は餓鬼となってしまった自分を恥じ、「かく浅ましき悪業を頓にわするべきことわりを教へ給へ」(「このように浅ましい悪行をすぐに忘れられる方法を教えてください」)と頼みます。快庵禅師は自分がかぶっていた青頭巾を阿闍梨にかぶせ、2つの句を教えました。
江月照松風吹
永夜清宵何所為
(『雨月物語』より引用)
「江月照し松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」と読むこの句の真意がわかれば、仏の心に出会える、と伝えて快庵禅師は旅立ちます。1年後、快庵禅師が再び下野の国を訪れると、さらに荒れ果てた寺がそこにありました。寺の中には、あの阿闍梨がいて2つの句をつぶやいています。快庵禅僧が阿闍梨の頭を叩くと、その姿は氷が朝日に溶けるように消えてゆき、後にはあの青頭巾だけが残されました。
山寺は里の人々によって復興され、快庵禅師は住職となり、曹洞宗本山・大中寺として大いに栄えたということです。
ラストで快庵禅僧が出した問題、「江月照松風吹 永夜清宵何所為」はどういう意味なのでしょうか。直訳すると、「江を月が照らし、松林に吹く風が吹いている。永い秋の夜の清らかな宵の口の光景は一体何のためにあるのか」となります。自然はそこにあるだけで美しいものです。自然の摂理をありのままに受け止めて初めて、自分の中にある仏心を見出すことができる、と解釈できます。
また、この句自体に意味はない、とする考え方もあります。ただただ一心に句の事だけを考え続けていたため、かつて捕らわれていた煩悩が消滅していた、と言うわけです。こうした「問題」は「禅問答」「公案」と呼ばれ、決まった回答は存在しないといわれています。
いずれにしても、快庵禅僧が出した問題で阿闍梨は煩悩を捨て、成仏することができたということです。
- 著者
- 出版日
- 2016-07-21
『雨月物語』は古い文体で書かれているため、読むのを躊躇してしまう方もいるかもしれません。そんな方には漫画版もおすすめです。怪奇の世界を画でも楽しむことができ、一度小説を読んだ方も改めて名作のよさを再確認できます。
特に今回ご紹介する『漫画訳 雨月物語』は漫画『鈴木先生』の作者として有名な武富健治が描いており、『鈴木先生』に登場したキャラクター達もそれぞれ『雨月物語』の登場人物の役で出てくるので、知っていればニヤリとできるような内容。もちろん知らなくても、純粋に漫画になってわかりやすくなったストーリーを楽しめます。
全9編がこの一冊にまとまっているので、とても手に取りやすくなっています。こちらを読んでから現代語訳や原文を読むのもおすすめです。
雨月物語は古い話ですが、現代人が読んでもゾッとしたり、考えさせられるものがあります。怪奇で悲しい世界をぜひ味わってみてください。