本作は、宮沢賢治による短編小説です。彼の地元の岩手の山奥で狩りを楽しんでいた2人の猟師が、いつの間にか日常とは異なる世界に迷い込みます。その世界の食堂では、自分たち人間が動物に食べられる側の存在となってしまったことを知り、彼らは恐怖するのです。 果たして2人はどうなってしまうのでしょうか?
本作は、学校の国語のみならず英語の教材としても採用されている、日本で有名な物語です。
この作品の何が多くの人の心を引き付けるのでしょうか?
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1990-05-29
『注文の多い料理店』は、2人の紳士が登場するところからスタート。山奥で、イギリスの兵隊のような恰好をして、ピカピカの銃を持った2人が獲物がまったくいないことに文句を言います。
さらに、それぞれが連れていた白い犬が突然倒れて死んでしまった時には、損失として文句を言い、命を物として扱い、金額としてしか見ていないことがわかります。
これらのことから、2人は動物の命を軽んじ、なんでもお金で解決しようとする性格であることが読み取れますね。そんな、あまり褒められた性格とは言えない2人が、いつの間にか普段とは違う世界に迷い込み、その中で一軒の食堂を見つけるのです。
食堂の名前は「山猫軒」。ちょうどお腹を空かせていた2人は、喜んで店に入りますが……。
作品の主な登場人物は、この2人の紳士だけ。他には、不思議な食堂「山猫軒」の中でいくつも登場する、扉に書かれた店側からの「注文」を中心に話は展開していきます。初めはその「注文」に疑いもなく従っていた2人でしたが、しだいにおかしさに気づくのです。そして……。
本作は学校教材としてはもちろん、アニメや映画、ドラマ、オペラ、絵本まで幅広いジャンルの題材にされ親しまれています。これは、このお話の中には単なる教訓だけではなく、娯楽性や読者に想像させる余地が残されているからではないでしょうか。
今回はそんな本作を紹介させて頂きますので、ぜひお楽しみください。
彼は、岩手県の富商の長男として生まれました。岩手の自然を愛し、農学校で教鞭をとる傍らで作品を執筆していきます。岩手県の農民の生活向上のために活動しますが、肺結核を患い、病の床に着くのです。その後、病床でも5年ほど執筆を続けますが、昭和8年に36歳の若さで帰らぬ人となりました。
生前に刊行された作品は『春と修羅』、『注文の多い料理店』のみでしたが、その後刊行された『雨ニモマケズ』や『銀河鉄道の夜』など、今でも読み継がれる多くの作品を生み出しています。
本作の序盤では2人の紳士が命を軽んじ、物事をお金に換算して考えています。そんな2人が、いつもと違う世界で入った食堂「山猫軒」では、客として店に入ったつもりが、店から「注文」をされ、まんまと店のために料理として「準備」をしてしまうのです。
当時の社会情勢とも考え合わせると、まず2人の紳士は、大正時代に新たに生まれた資本家か成金ではないかと考えられます。社会的に成功した自分たちのために店がサービスを提供するのは当然と考え、よりよいサービスを受けるために、店側の「注文」に従います。しかし気づかないうちに、自分たちがサービス(=自分達自身)を提供する側になっていたのです。
社会的に成功し、搾取する側になったと思っていたら自分たちが、なんと搾取される側になっていたという皮肉とも読み取れます。しかし自然を愛した宮沢賢治からすると、自然界の前では人間のルールなどいつでもひっくり返ると言いたかったのではないか、と考えてしまうのです。
本作で注目したい点は、場面の移り変わりに「風」が活用されていることです。宮沢賢治の作品では、作中で自然が作り出す現象を表現するオノマトペ(=擬態語)が重要な役割を果たしています。
ちなみに本作では、風は3回吹きます。
1回目は、2人の紳士の犬が死んでしまったとき。「風がどうと吹いてきて……」2人は不思議な世界に迷い込みます。
2回目は「山猫軒」の中で、店からの注文で2人が髪をけずって靴の泥を落としたとき。再び「風がどうと吹いて……」2人は店のさらに奥へと進んでいきます。
3回目は、2人が店から出される注文がおかしいと気づいたとき。自分たちが食べられてしまうと気付き、泣いているところに助けが入ります。そこで最後の「風がどうと吹いてきて……」2人は元の世界に戻るのです。
このように、風が読者に場面の移り変わりを教えてくれますが、その他にも「ごとんごとん」や「かさかさ」など印象的な表現が登場します。
このようなオノマトペについて、作品を「読む」ことに加えて「朗読」することでも、新たな発見が得られるかもしれません。今はさまざまな名作が、朗読家によって表現されたものを楽しめるので、1度調べてみてはいかがでしょうか?
本作では「山猫軒」での店側からの「注文」に対して、2人の紳士が抱く感情が徐々に変化します。前半の注文である、「髪をけずる」や「靴の泥を落とす」については偉い人たちが来る店ならば礼儀は当然と、自分たちにとって都合のよい方向に考え喜んで従います。
ですが、店の奥に進むほど、「クリームを顔や手足にぬってください」、「頭に香水をかけてください」のように、首をかしげたくなるような注文が増えていくのです。それに対しても2人は従うのですが……。
「からだに塩をもみこんでください」という注文をされた時、ようやく2人は気づいたのです。食べられるのは自分たちだと。自分たちは、自分たち自身が食べられる準備をしていたのだと…。
彼らが真実に気づいた時の恐怖は、どれほどだったのでしょうか。それこそ、顔がしわくちゃになるくらいに怖かったのでしょうね。
本作では山奥に「山猫軒」が現れることの他にも、不思議なことが起こります。それは、2人の紳士が連れていた犬たちが生き返るという事です。
自分たちは食べられてしまうとわかり、泣いて悲しんでいたとき、死んだと思われていた犬たちが突然店に飛び込んできて主人を助けます。犬たちが死んだ(ように思えた)とき、「損害」とモノのように切り捨てていた2人が、その犬たちによって助けられるというのはなんとも皮肉です。
しかし、犬たちはどうして生き返ったのでしょうか?ただ気絶していただけだったのか、それとも山猫の妖力のようなもので眠らされていただけなのか。
いずれにしても2人は、これからは犬たちを大事にするのではないでしょうか。
「山猫軒」で食べられそうになった2人の紳士ですが、犬たちが助けにきたおかげで無事に元の世界に戻ってきました。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1990-05-29
ですが、1つだけ変わってしまったことがありました。それは2人の顔が、紙くずのようにくしゃくしゃになってしまったことです。
「山猫軒」で食べられそうになった時、泣いて泣いて悲しんだことが原因だと思われますが、なぜ元の世界に戻ったあとも顔だけは戻らなかったのでしょうか?
「自然からの警告」や、「山猫の呪い」など読む人によっても解釈は分かれるかと思いますが、恐怖のあまり顔だけ異常に年を取ってしまったのかもしれません。
こういった、読む側によってさまざまな解釈ができる事も、この作品の魅力でしょう。
『注文の多い料理店』は、驕った人間への警告や自然が持つ怖さなど、重要なメッセージが込められています。そのうえ、読者が楽しめるさまざまな仕掛けが用意されている名作です。本を手に取って読んでみることももちろんですが、自分で声に出して朗読してみることでも、新しい発見があるかもしれませんね。