第155回芥川賞に選ばれた『コンビニ人間』。書店で手に取ってみた人も多いのではないでしょうか。作者の村田沙耶香は、この作品で一気にその名前を轟かせることになりました。今回は芥川賞受賞作『コンビニ人間』以外のおすすめ作品をご紹介いたします。
1979年に千葉県に生まれた村田沙耶香は、家族サービスに熱心な裁判官の父や読書好きな母と兄に囲まれてすくすくと育ったそうです。実家の2階に書斎があって、そこにあるミステリーやSFを読み、小6の頃にはワープロを買ってもらって小説を遊びで書くなどしていました。
村田沙耶香の作品はいびつな家族や女性の姿を描いたものが多いので、仲の良い家庭で何不自由なく育ったというのは少し意外かもしれません。ただ、そういった環境が現実だったため、悲しい物語や痛ましい話などには敏感に反応していたそうです。
処女小説『授乳』でデビューが決まったのは大学卒業から2か月後のこと。就職活動はしていたそうですが決まらず、2,3年バイトをしながら小説を書こうと思っていた矢先のことでした。その後の活躍は目覚ましいばかりです。野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、芥川龍之介賞という純文学の新人賞三冠を達成した数少ない作家となりました。
そんな輝かしい受賞歴を持つ村田沙耶香ですが、面白いのは一流の小説家でありながらもコンビニのバイト店員でもあるということです。こうした背景があって『コンビニ人間』を書くにいたったんですね。
また、その少し変わった働き方以外でも変り者な作者。例えば、「村田沙耶香と結婚していいことは?」という質問に対し「死んでたら気付いてあげられる」と回答した事や、Twitterで天然なツイートをたびたびするなど……。極めつけは「仕事のモチベーションは喜。殺人のシーンを書くのは喜びです」というコメントも。
とにかく変わった作者ですが、その性格は非常に丁寧で柔和なものだそうです。そのギャップがまた村田沙耶香の魅力なのかもしれません。
タイトルがなんとも語感がよく、さわやかな印象を受けますが、中身はそこまでさわやかではありません。しかし、その落差がまた味があるし、最後まで読んでみるとこのタイトルの意味が分かるようになっています。そう考えると表紙から深みを感じさせる一冊ですね。
小学校高学年から中学生にかけての一時期というのは、体の変化も心の変化も激しい時期です。いわば子供であることをやめ、少しずつ大人の階段を上り始めるそんな時期。色々な不安やあるいは期待があったはずです。この物語は、そんな時期における二人の男女を描いたお話です。
主人公は小学4年生の結佳。クラスでは目立つ方ではなく、女の子同士の複雑な人間関係をなんとかやり過ごす毎日です。ある日、同じ習字教室に通う伊吹と仲良くなりました。伊吹への思いはまだ恋心とは呼べなかったまでも、次第に自分のものにしたいという独占欲が湧いてきたのです。そして、なんとなくキスをして恋愛でも支配でもない曖昧な関係を続けるままに、二人は中学に上がるのでした。さて、このあやふやな関係は中学生になったことで変わっていくのでしょうか、それとも……。
- 著者
- 村田沙耶香
- 出版日
- 2015-07-07
物語のポイントとしては、読者の共感でしょうか。成長期に日々自分の身体が変わっていってしまう、あの感じ。多くのものに守られていた少年少女から、一人の大人へと歩き出す合図なのですが、未知の世界だけに不安も大きかったことと思います。そんな子供たちの心理描写が実に精密に描かれているのですが、このリアルで繊細な描写には作家の筆力と想像力の凄さを感じずにはいられません。
また、共感とともに、村田沙耶香作品に通底する世界への違和感が表明されていることもポイントとしてあげられるでしょう。『コンビニ人間』を読んだ後、最初に読んでいただきたい作品です。
こちらも小学生女子の微妙な人間模様と処世術をテーマにした作品です。
物語はいきなりクラス替えのシーンから始まります。クラス替えは、新しい学年に上がって最初の、そして一番重要だといっても過言ではない儀式ですよね。仲良しの友達とワイワイ騒ぐ、いわゆる「イケてる」人たちにとっても誰と同じクラスになるかは大事ですが、いわゆる「イケてない」人たちにとってもクラス替えは大きな意味を持ちます。なぜなら、新しい安住の地を探さなくてはならないからです。
このお話の主人公はそんな「イケてない」グループに属する律と瀬里奈という二人の女の子です。「イケてない」グループの中にもイケてなさの度合いがあって、律はイケてはないものの大人しめの友達と無害なグループを作って、静かに自分たちの世界を楽しんでやり過ごすタイプ。一方、瀬里奈のイケてなさは抜群で、誰とも口をきかずに些細な事ですぐに泣くし、背が高く手足もひょろ長い上にいつも俯いているから、「イケてない」を通り越して「気持ち悪い」と悪態をつかれていました。
ある日、そんな瀬里奈の姿を見かねた律は「くるみ割り人形」の本を瀬里奈に読んで聞かせます。その朗読にいたく感動した瀬里奈は登場人物のマリーに憧れ、性格がガラッと変わってしまいました。昨日まで隅っこで目立たないようにしていたのに、いきなり煌びやかなお嬢様のように振舞うようになったのです。
あくまでも自分らしく振舞う瀬里奈と、周りと自分なりに強調して合わせて生きようとする律の姿は同じようでもあり、対照的でもあります。二人の出会いによって、それぞれが思わぬ方向へ進んでいきます。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2011-03-15
この本はとてもメッセージ性が強く、多くの人が一度は考えてみたことのあるようなことをじっと見つめてみる、そんな場面が多いです。例えば律が瀬里奈の協調性のなさにうんざりするところでは、「協調性って?高いとえらいの?協調ってそんなにえらいの?何で私が私の性格を誰かに許されなきゃいけないの」と返答する瀬里奈。
なんとなく頭ではそう思っていても、問われるとすぐには答えられないような人生の問題がちらほら。読み進んでいくと、うんうんと頷いてしまう場面がたくさんあります。
タイトルがなんともセンセーショナルな本作品は、内容も期待を裏切ることなく物議を醸した話題作となりました。センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞という珍しい賞も受賞しています。それだけ、小説としてだけでなく社会的に与える意味が大きかったのでしょう。
本作品は「殺人出産」を含めた4作の短編小説が収録されています。どれもこれも鋭いアイデアで現代の常識とされるものに切り込んでいきますが、中でも表題の「殺人出産」はイチ押しです。
舞台は22世紀の世界。人間の生死を取り巻く考え方が一変した世界です。この世界では人間が自然発生的に生まれることはありません。つまり、恋愛や性行為の先に妊娠や出産があるのではなく、体外受精や人工子宮などで計画的に生産されるのです。科学技術が大発展を遂げたこの世界で新しい命をもうけるには、何か強い命へのきっかけのようなものが必要で、「殺人」こそがその動機となりうる、とされています。そして「10人産めば1人殺して良い」という「殺人出産システム」が導入されたのでした。
このシステムを使う人は「産み人」として「命を奪い、命を造る役目を担う」ことで崇め奉られます。産み人としての役目を果たさないうちに殺人を犯してしまうと、死刑ならぬ産刑で牢獄に入れられ、一生出産し続けるということになり……。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2016-08-11
生と死の概念が、今の私たちとは全く違う世界ですね。この世界では人を新しく産むことと人を殺すことが今よりもドライで、単純に足し算引き算で考えているようにすら思えてきます。「人1人消すなら、色々考慮して10人作ってからにしなさいよ」ってところでしょうか。現代の生命倫理からは考えられないことです。
しかし、このお話があながち間違ってもいないなと思わされるのは、概念なんていつ変わるか分からないからですね。たとえば、戦時中は人を殺せば殺すだけ母国では英雄として扱われました。今ではただの大量殺人犯です。数十年で概念なんて変わるのですから、このお話の世界観ももしかしたら、すぐ近くまでやってきているのかもしれません。そう思うと、この物語は近未来的なSFでもありますし、現代の生死観に疑問を呈する社会派でもあります。色んなことを考えさせるお話です。
これまた終末観漂うタイトルとなっていますが、こちらもかなりセンセーショナルなお話にです。一体何が消滅するんだ?と気になるところですが、その消滅のプロセスが三段階に分けて書かれています。
第一段階は、おそらく現代の話。男女が恋仲になって性行為を行い、子孫を繁栄させていく世界です。結婚して家庭を持ち、その家庭で育てられた子孫は親と同じプロセスを踏んで、また新たな家庭を築いていくのです。
第二段階では、性行為が前時代のものとなり、人々の性欲はもっぱら自慰行為によって処理されるようになります。全ての人は避妊処理が施され、子供をもうける時には人工授精を利用しなくてはなりません。また、家族や夫婦の概念が変わって夫婦間の性行為が禁じられるのです。夫婦は家族であるため恋愛の類のものであってはならず、恋愛をするならば家族の外で恋人を別に作る必要があるのです。
そして、第三段階の舞台はとある実験都市。ここでは家族の概念が完全になくなり、成人はすべて一人で生活することに。恋愛感情もなしに選ばれた男女が人工的に受精して、生まれた子供は育成センターで育てられます。親子という括りすらなくなって、成人はみんなが「おかあさん」となり子供を愛するのです。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2015-12-16
この物語で消滅するのは、家族や恋愛といった人間という生命体の生の根底を支える概念であり、性という生態的な機能です。それはこの世界を創ってきた基本的な歯車そのものであり、こうした生命の土台が失われることは世界を失うことと同じ意味合いを持つものです。
新しい世界は、恋愛における情念や性における欲望やドロドロした生々しさが全て排除された、極めて合理的で効率的な世界。この完璧に計算されつくした、清潔で完全無欠の理想郷をどこか空恐ろしく感じてしまうのは、「現代の常識」に囚われている証拠なのかもしれません。
「色んな価値観が崩れていく不思議な体験だった」と語る作者。現代では非常識とされることが許されて楽に生きられる世界を想像してみたかった、ということがきっかけとなって執筆を始めた本作品が示唆する事は、とても鋭い視点で描かれています。少子高齢化や未婚の成人男女が増えるこの世の中にあって、作者の描き出す世界というのは、そこまで非現実でもないことを読了後に感じさせるのです。
「本当の本当、という言葉が小さい頃からの口癖。本当の家族や愛って何?って。そこにたどり着く手段として小説がある」とも語る作者の作品は、小説の新たな可能性を見出す偉大な発明品なのでしょう。
野間文芸新人賞を受賞した本作は、「ひかりのあしおと」「ギンイロノウタ」からなる中編小説集です。どちらのお話もタイトルの爽やかさに反して不気味なのですが、ここでは表題作の「ギンイロノウタ」のご紹介を。
主人公は土屋有里という、臆病でなんの取り柄もない女の子。幼稚園でも友達が作れず、家では冷たい父とヒステリックな母に挟まれて息のつく間もありません。周りから見放され、存在を否定され続けていた有里ですが、自分が女性であることを武器にすれば生きていけると思い、早く大人の女性になることを夢みています。
ところが中一の初体験で大失敗し、唯一残っていた武器さえも失くしてしまった有里はますますふさぎ込んでいくように。学校でもバイトでもうまくいかない有里は、息を吸うようにストレスを溜め込んでいきました。そして、このストレスがはじけ飛んだ時、有里は殺人への衝動を抑えられなくなってしまい……。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2013-12-24
このお話のポイントとしては、人はこうして狂っていくのだ、ということがまざまざと描かれている所です。多くの人がえてして目を背けてしまうような物事を描くのは、作者の力量であるといえるでしょう。
ステレオタイプに言えば、けして望ましい世界ではありませんが、現実にこうしたこともあるということを気づかせてくれる、ある意味とても現実的なお話です。おどろおどろしい感情は誰しもが持ちうるものですが、普通であればそういったものは多くの人が隠して見せないようにしている。そんな人間の側面を小説に落とし込むのが本当に上手い、と実感させられる一冊です。
以上、村田沙耶香の『コンビニ人間』の次に読むおすすめ作品をご紹介しました。作者の写真を見てみるとなかなか美人なのですが、作品は打って変わってドロドロしたものが多いです。ただ、そのイメージ通りではないところもひとつの魅力ですね。この機会にぜひとも手に取ってみてください。