1925年に出版され、2013年にはレオナルド・ディカプリオ主演で映画化、日本では舞台化もされている『華麗なるギャツビー』。Modern Libraryの発表した英語で書かれた20世紀最高の小説では2位を獲得するなど、アメリカでは多大なる人気を誇る小説です。人気の秘密はどういうところにあるのか?あらすじを追いながら解説していきます!
『華麗なるギャツビー』(The great Gatsby)は1925年に出版されました。作者はスコット・フィッツジェラルド。この作品は、彼の代表作であるとともにアメリカの文学作品としても代表的な作品として知られています。
- 著者
- フィツジェラルド
- 出版日
- 1989-05-20
作品は、ニックの視点で始まります。彼がアメリカのロングアイランドのウェスト・エッグに家を借りた時に出会ったのが、その家の隣で毎週末豪勢なパーティを開いている男。それこそがギャツビーでした。
彼と仲良くなっていくニックですが、彼のパーティに来ている人々は彼の実態をなにも知りません。不思議に思い、彼のことを聞き出していくにつれて、デイジーという女性への愛情の深さについて知ることになるのです。
そんななか、ニックを通じてデイジーと再会したギャツビーは、彼女を振り向かせるために一途に想いを伝えます。しかし、デイジーは純粋な女ではなく、愛人としてギャツビーをキープするのみでした。かならずデイジーが僕の元に帰ってきてくれる。そう信じていたギャツビーでしたが、不運が重なり悲しい最期を遂げます。
この本のタイトルは、彼の名前の「ギャツビー」の前に「華麗なる(great)」と形容詞がついています。なぜ、そのようなタイトルになったのでしょうか。
ギャツビーは戦争から帰ってきて、愛する女性を振り向かせるために短期間で巨額の富を築きます。その一途な想いとは裏腹に、集まってくる人々はパーティの楽しさや、ゴシップ、金を求めるばかり。そんな世俗の欲にまみれた中で、一人純粋さを貫くギャツビーを見てニックが名づけたのが「華麗なる(The Great)ギャツビー」。彼だけがあの中で価値のある人間だった、とニックが語ったのがこのタイトルになったのではないでしょうか。
この物語の主要人物を紹介します。
主人公であるギャツビーは、毎週末豪華なパーティを開けるような裕福な男です。数年前に軍人として戦争に出ましたが、帰国してから酒の密輸で儲けるようになります。パーティに来ている人々は彼の本当の想いを知りませんが、実は好きな女性を振り向かせるための行動だということが後にわかってきます。
そのギャツビーと仲良くなり、この物語を語っていくのが隣に越してきたニックです。最初は信用ならなかったギャツビーに興味を持ち、話を聞いていきます。証券会社で働いており、物静かな好青年。ギャツビーのことを最後まで見守っている唯一の親友ともいえるでしょう。
そして純粋なギャツビーが想いを寄せるのがデイジーです。かつては愛し合っていた2人でしたが、ギャツビーが戦争へ行ってしまったあと、彼女は富豪のトムと結婚。天真爛漫で美人なデイジーはトムの不倫に悩みつつも、お金のある生活を手放せません。富を築いたギャツビーに出会い、また再び惹かれていくのですが、よくも悪くも欲望に正直な女性といったところでしょう。
デイジーの主人であるトムはシカゴ出身の富豪です。たくましい肉体を持ち、金持ち特有の傲慢さと横柄さを持ち合わせます。デイジーと結婚するも、結婚生活に飽きてきた彼は、付き合いのあるカーガレージのオーナーの妻、マートルという女性と不倫を楽しむのでした。
ジョージとマートルの夫妻は「灰の谷」で暮らし、カーガレージを経営しています。ジョージは、お得意様であるトムには頭が上がりませんが素朴で正直者。マートルはうだつの上がらない夫に魅力を感じず、トムとの不倫を楽しみます。美人ではありませんが肉感的な魅力のある女性です。
デイジーの親友であるジョーダンは、プロゴルファーの美女です。社交的で華やか、男性の興味を引くものの、決してこびない女性として登場します。ニックはそのようなところに惹かれよい仲になりますが、結局はジョーダンも他の女性と同じであることに気づき別れを告げることになります。
出てくる登場人物は、アメリカンドリームとロマンスという目に見えないものや、現実的に価値があるとされるお金に惹かれている人々ばかり。一方そんな人々の中にいながらも、一途にデイジーという女性を想い続けるギャツビーはとても純粋に思えます。出てくる人々とギャツビーの想いのギャップ、その結末はどうなっていくのかが見どころとなるでしょう。
作者フィッツ・ジェラルドは人物のモデルがいないと書けない、と言っていた作家です。
そんな彼が描いた本作に登場するデイジーのモデルは、妻ゼルダといわれています。そしてギャツビーのモデルは、作者のフィッツ・ジェラルドでしょう。ニューヨークに住んでいた夫妻は毎晩のようにパーティに明け暮れていましたが、そんな生活に疲れフランスに渡ります。
しかし、そこで退屈になったゼルダが不倫に走り、作者との仲に亀裂が入ります。どうでしょう、ここまででもデイジーにそっくりではないでしょうか?
本作のストーリーに戻ると、デイジーと結婚寸前までいきますが、ギャツビーは戦争へ行くことに。彼は「お金ができたら結婚しよう」と愛する彼女に手紙をしたためます。しかし、お金がないこと、遠距離恋愛になってしまうことに魅力を感じなかったデイジーはあっさりと富豪のトムと結婚してしまいます。
さらに、遊び暮らしていた中でギャツビーと再会したものの、富豪であるトムとは別れず金持ちになったギャツビーとも不倫を楽しむのです。自分の主人も不倫をしていたので、自分も少しくらい、という気持ちもあったのではないでしょうか。
愛もお金も全て手に入れたい。そのためなら馬鹿なふりもするし、不倫に気づいてないふりもする。さらに愛人も作って利用する。なぜギャツビーはこんな女性を好きになるのだろう?疑問ではありますが、ギャツビーとは対照的にデイジーの悪女っぷりが目立ちます。
もしかすると、フィッツ・ジェラルド自身も悪女な妻に疲れていたのかもしれませんね。
彼らが住むきらびやかなウェスト・エッグと対比して描かれているのが「灰の谷」です。この頃のアメリカはアメリカンドリームを体現した大金持ちたちと、貧困層に大きく分かれていました。その人たちが住むのが灰の谷です。
遊びほうけている金持ちたちは、うそ偽りで飾り付けられ、自分たちのお金のみをひけらかし、実は中身がからっぽの人々ばかり。しかし、その空っぽさを見抜けず、自分たちもいつかはああなりたい、と願うのが灰の谷の人々という印象も受けます。実際、トムと不倫しているマートルはいつかトムと結婚することを夢見ています。そうやって、自分も向こう側に行くことを常に夢見ているのです。当時のアメリカの状況を実際に目撃しているかのようです。
そんな町にあるのが、とある眼科医の看板でした。
神の目と比喩されたその看板は、全てを見通しているように見えました。特別に何かがあったわけではないですが、その目は金持ちと貧困層を見つめ、金に群がる人間たちをあきれたように見ている、という比喩だったのではないでしょうか。神のみが、うそまみれの人間たちを見つめ、それをどうすることもなくただ達観している。真実は神の目だけがわかっている、そういうような表現だったのかもしれません。
最後までデイジーへの純愛を貫いたギャツビー。状況が一転するのはデイジーが起こした事故でした。
イライラを納めるためにギャツビーの車で運転していたデイジー。そんなときに、トムの愛人マートルが道路に飛び出してきます。そのまま車でマートルを轢いてしまったデイジー。ここでもデイジーに一途なギャツビーは彼女をかばいます。
自分の妻をひき殺されたジョージは、トムにそそのかされてギャツビーを射殺します。事故のことも、妻が不倫していた相手も全てギャツビーだったのではないかと疑ってしまったのです。
あっけなく最期を迎えたギャツビー。あんなにパーティには人が集まっていたのに、葬式に来たのは父親とニックだけでした。デイジーさえも、彼の葬式には参加しなかったのです。
後日ニックはトムとデイジーに出会いますが、何事もなかったかのように振舞われて困惑。ギャツビーの純愛をもてあそび、はちゃめちゃにしておきながら、後始末もお別れもせず、笑顔で握手を求める彼女……。そんな彼らをニックはまったく好きになれませんでした。
ニックはその後、これらの話を回顧録として語り終えます。あの日々は、嘘や欲望にまみれていたこと、しかしギャツビーだけが真実の愛を求めた純粋な男だったということ。それは最後にニックがギャツビーに交わした言葉に表れています。
「ギャツビー、君に比べたら連中はくだらないよ。
束になっても君にかなわない」
(『華麗なるギャツビー』より引用)
ニックはギャツビーの純粋さを心に、その後の人生を生きていきます。
では、なぜこの作品がアメリカで人気の作品なのでしょうか?
アメリカンドリームは、当時、多くのアメリカ人にとって憧れでした。きらびやかなパーティ、使っても使ってもなくならないお金、同じような階級の人々。アメリカが一番輝いた時代だったのではないでしょうか。
しかし、その中身のないような楽しさに少しの不安を抱えていた人々もいました。その人たちが惹かれたのが、ギャツビーの純粋さであり純愛です。アメリカンドリームとロマンスに翻弄され、愛を貫いたがために起こった悲劇。その対比の見事さが人気の理由なのではないでしょうか。
『華麗なるギャツビー』は数回映画化されています。一番最初は本が出版された1920年代に『或る男の一生』という題名でされていますが、残念ながら本編のフィルム版は紛失されているようです。
有名なものでは、1974年のジャッククレイトン監督のものと2013年のバズ・ラーマン監督のものがあります。
もちろん原作がありますのでストーリーに大きな変わりはありませんが、注目するのは当時を再現するきらびやかなファッションです。特徴として、シルクやサテン、ビーズなどがつかわれたドレス、ヘッドギアと呼ばれる頭のアクセサリーも特徴的です。
1974年の映画では、ラルフ・ローレンがコラボレーションし、1920年代の衣装を表現しつつ「ギャツビー・ルック」と呼ばれる現代人が着てもカッコいいファッションを作り上げました。白のフランネルスーツ、ショートドレスが特徴的なスタイルです。
2013年版では、プラダやミュウミュウとコラボレーションしただけでなく、ジュエリーや食器はティファニーとコラボレーションしました。作者のフィッツ・ジェラルドはティファニーの顧客でもあったそうです。1920年代のアールデコ様式を見事に再現しています。
2013年版では車にもこだわり、当時の富豪の象徴とも言われた「デューセンバーグ」を使用しています。
1974年版はゴージャスさはあまりないかもしれませんが、1920年代当時を忠実に再現したようなファッションや音楽が特徴です。一方2013年版は音楽もミュージカル調で、現代風にアレンジしたゴージャスさが特徴といえるでしょう。
『華麗なるギャツビー』は翻訳版がいくつか出ています。それぞれ特徴が異なりますので、読み比べてみるのも面白いかもしれません。
- 著者
- スコット フィッツジェラルド
- 出版日
小説家・村上春樹が翻訳したグレート・ギャツビーは、思い入れのある作品のようで、丁寧に日本語訳したのが伺えます。解説も充実しており、翻訳作業と作品への愛について30ページほども費やされています。
特徴的なのは、親しい友人へ呼びかける際の、「old sport」という呼びかけの訳です。文中で「あなた」に「オールド・スポート」とルビを振っています。あとがきで適当な訳語は見つからなかったと告白しており、悩みに悩んだ末の対処のようですね。
野崎孝は「親友」と訳し、大貫三郎は「ねえ君」に「オールド・スポート」とルビを振っています。古くから何種類か出ていますが、2000年代に出版されたものの方が訳としては読みやすいでしょう。
最後に、いくつか「華麗なるギャツビー」の名言をご紹介します!
「子供ができた時、もし女の子なら"おバカに育て"、そう思った。
女の子は美しいおバカが最も幸せ」
(『華麗なるギャツビー』から引用)
デイジーの言葉です。女性がこの時代、うまく生きていくためには必要なことだったのでしょうか。しかし、このような考えだからこそギャツビーが報われなかったと思うと複雑です。
- 著者
- フィツジェラルド
- 出版日
- 1989-05-20
「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」 と父は言うのである。
「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、
ちょっと思いだしてみるのだ」
(『華麗なるギャツビー』から引用)
ニックの父の言葉です。この後、ニックはきらびやかだけども空っぽのひとたちや、愛に生きる人たちに出会います。恵まれているとはどういうことだったか。様々な人々を見て、あらためて思いなおしたのではないでしょうか。
「ギャツビー、君に比べたら連中はくだらないよ。
束になっても君にかなわない」
(『華麗なるギャツビー』から引用 )
ニックがギャツビーへ述べた言葉です。彼と彼の周りをきちんと見てきたニックだからこそいえる台詞ですね。お金を手に入れて、過去すがった愛に生きようとするギャツビーをニックは尊敬します。だからこそ、彼は最後にギャツビーを『The Great Gatsby』と表現するのです。
いかがだったでしょうか?数種類の翻訳、映画化と様々な楽しみ方のできる「華麗なるギャツビー」。ぜひ手にとって、アメリカンドリームの世界に思いを馳せてみてください!