天才科学者フランケンシュタインは、科学的野心ゆえに人造人間を作り出します。しかし自分の生んだ怪物のあまりの醜さに、見捨ててしまうのです。人間から拒否された怪物は孤独に絶望し、やがて自分を生みだした男への復讐を誓います。 近代イギリス幻想怪奇文学(ゴシック小説)の代表作であり、SF小説の原典の1つともいわれる名作で、映画などでくり返し映像化さています。
北極を探検中のウォルトンは、北極海で衰弱したフランケンシュタインを救出しました。物語はウォルトンが姉へ送った手紙の内容として、進められていきます。彼がフランケンシュタインから聞いた話を書き取ったものです。
主人公のフランケンシュタインは、科学者を目指す青年です。生命の謎を解き明かし、思うままに生命を操作しようという野心に取り憑かれています。そして彼は研究の末、自分の手で設計し組み立てた人工の肉体に、生命を吹き込むことに成功しました。
しかし、完成した怪物の姿はあまりにも醜くおぞましく、恐れをなした彼は、怪物を野放しにしたまま生まれ故郷のスイスに逃げ帰ってしまったのです。
見捨てられた怪物は苦難の旅を続け、その過程で言語や愛情を学びます。しかし、醜さゆえに人間に受け入れられることはありません。孤独に耐えられなくなった彼は、自分の創造主であるフランケンシュタインを見つけだし、自分と同種の女を作れと強迫します。
家族に危害が加えられるのを畏れたフランケンシュタインは1度は同意しますが、さらなる怪物の増加を恐れて、最終的に要求を拒否。絶望した怪物は復讐を開始するのでした。
- 著者
- メアリー シェリー
- 出版日
- 2010-10-13
原題は『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』です。プロメテウスとは、ギリシア神話に登場する巨人の神の1人で、神から火を盗んで人間に与えたエピソードが有名。土から人間を創造したともいわれています。ここでは、人工的に人間を作り出したフランケンシュタインを、プロメテウスに見立てているわけです。
この作品は、怪奇文学の名作として何度も映像化されています。最初の映画化は1910年のエジソン社によるものですが、1931年のユニバーサル映画によるものが怪物のイメージを決定付けました。広い額の面長な顔に数多くの傷跡が走り、首に太いボルトが刺さっているという様相です。
以後、吸血鬼や狼男と並ぶ怪奇物語の主役として、数多くの映画に登場。ユニバーサル映画でも『フランケンシュタインの花嫁』などシリーズ作品が作られています。
舞台演劇化も複数あり、ミュージカルもあります。『ヤングフランケンシュタイン』はパロディ作品で元は映画ですが、2007年にブロードウェイ・ミュージカル化され、2017年には日本公演もされました。
この作品から「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉も生まれました。ロボットテーマを得意としたSF作家のアイザック・アシモフが名付けたもので、神が人間を創造したように、人間が人造人間や人工知能を作ることへの憧れと、そういった人間が作った知性に人間自身が滅ぼされるのではないかという恐れの複合的な心理のことです。「フランケンシュタイン症候群(シンドローム)」とも呼ばれます。
作者は、1797から1851年に活躍した、イギリスの女性作家です。父のウィリアム・ゴドゥインは無神論者で急進的自由主義者、母のメアリ・ウルストンクラフトは女性解放を唱えた思想家でした。
一人娘でしたが出産直後に母は他界し、継母に育てられます。夫は詩人のパーシー・ビッシュ・シェリー。25歳の時に夫が溺死し、以後、生活費や子どもたちの学費のためもあり、多くの作品を書きました。
彼女が後に夫となるパーシーや詩人のバイロン、その友人らとともに旅行した時、雨に閉じ込められたので、バイロンが「皆で1つずつ幽霊物語」を書こうと提案。他の人たちは作品を完成させることはできませんでしたが、この時の彼女の着想が、後に『フランケンシュタイン』となります。
彼女はこの作品の執筆に先立ち、ミルトンの叙事詩『失楽園』を2度にわたって読んだと言われています。『失楽園』は『旧約聖書』の「創世記」にあるアダムとエバ(イヴ)が禁断の木の実を食べて、神に楽園を追放される物語を主題にした作品です。
怪物の人間社会からの拒否を楽園追放に見立て、神への恨みをフランケンシュタインへのそれに見立てて、参考にしているわけです。作品内では、怪物が『失楽園』を読んだという設定になっています。
「自分の境遇を思わせる箇所が目につくたびに、おれはわが身と引き比べた。
アダムと同じく、自分もこの世の存在とまったく無縁に見える」
(『フランケンシュタイン』光文社古典新訳文庫より引用)
そして、自分を作った者への恨みは次のように表現しました。
「呪われし創造主よ!
おまえすらも嫌悪に目を背けるようなひどい怪物を、なぜつくりあげたのだ?」
(『フランケンシュタイン』光文社古典新訳文庫より引用)
ここでは、怪物の名前だと思われがちなフランケンシュタインなどの登場人物について紹介していきます。
この作品は「怪物創造」という恐怖小説の新機軸を打ち出したという点で、文学史的に重要です。そして「自分の創造物に復讐される人間」を描いたことで、SF小説の先駆的作品となりました。
こうした「科学技術の持つ明暗の両面性」や「命や知性を作り出すことの冒涜性」といった主題は、現代SFにも着実に流れています。分子生物学や人工知能の発達した現代にこそ、その重要性は増しているともいえるでしょう。
フランケンシュタインは、メアリーの父ゴドウィンを投影したものである、という説があります。彼は結婚制度を否定し自由な恋愛を支持した、当時としては急進的な自由主義者でした。
しかしメアリーが詩人のシェリーに恋をすると、彼に妻があることを理由に反対します。こういう矛盾が、自分で作り出した生命を拒否するフランケンシュタインの態度と似ているという考えです。
この時代のイギリスが、産業革命の進んでいた時代であったことから、フランケンシュタインを「資本家」、怪物を「労働者」の隠喩と見る読み方もあります。あるいは、フランス革命の余波で「国家を脅かす新たに台頭して来た勢力」の影を、怪物に見る読み方もあるのです。
怪物はその醜さゆえに、人間、自分の創造者から拒否されます。ここから、弱者やマイノリティへの差別を読み取ることは容易です。最初は善良だった怪物が迫害の末に復讐を誓う過程から、「悪はどのように生まれるのか」という主題を読むこともできるでしょう。
多様な読み方が可能な本作ですが、読者はまず、迫害され阻害され、生みの親からも拒絶された怪物の深い孤独と悲しみに共感しなければならないでしょう。
怪物は最初、善良な性格でした。1度、手酷く人間から拒絶された怪物は、人間との接触に臆病になっていましたが、それでも孤独には耐えられません。姿を隠して何か月も観察を続けて、ある家族がとても優しい人たちだと確信するのですが、彼らの前に姿を現す勇気が出ず、盲目の老人が1人でいる時にこっそり訊ねます。
まず老人と親しくなり、他の家族に仲介してもらおうと思ったのです。思惑通り、老人は怪物を受け入れますが、目の見える家族はその姿を見た途端、弁解する暇も与えずに激しく攻撃し追い払います。
その場所から離れ、人目を避けながら森の中をさ迷う彼は、ある時、急流に落ちた少女を助けます。しかし少女の知り合いらしい若者がそれを見付けると、少女を引き離し、彼を銃で撃ったのです。
「これが善意の報いだ!
破滅から救ってやったのに、その代償として肉と骨を砕かれ、
堪え難い傷の痛みに苦しむことになる」
(『フランケンシュタイン』光文社古典新訳文庫より引用)
彼は自分の存在に悩みます。
「まわりを見ても、同じような存在はいないし、聞いたこともない。
では自分は怪物で、この地球上の穢れなのか?
だから誰もがおれから立ち去り、誰もがおれを見捨てるのか?」
(『フランケンシュタイン』光文社古典新訳文庫より引用)
今で言えば自己同一性(アイデンティティ)が失われていたのです。
彼が最後に望みをたくしたのは、生みの親であるフランケンシュタインでした。生みの親ですら自分を受け入れてくれないので、同種の伴侶を作ってもらい、孤独を癒そうと思ったのです。彼の性別は男ですから、妻を作ってもらおうとしたのです。
強迫されて、1度は彼の妻を作ろうとしたフランケンシュタインでしたが、彼の種族が増える事を嫌って、作りかけた女を破壊してしまいます。怒った彼は、フランケンシュタインの友人ヘンリー、結婚したばかりの妻エリザベスなどを次々に殺します。
彼は残忍な殺人者ですが、いたずらに殺すことを楽しんだわけではありません。彼が願ったのは、孤独からの解放、ただそれだけでした。
- 著者
- メアリー シェリー
- 出版日
- 2010-10-13
家族や友人を殺され、怪物への復讐を誓ったフランケンシュタインは、北極へと怪物を追いかけますが、力尽き、衰弱していたところを探検船に救助されます。これが冒頭の場面です。
ウォルトンに全てを語り追えた彼は、息絶えます。その遺体の前に現われたフランケンシュタインはウォルトンに、復讐をとげた今、自分はこの身を焼いて死ぬ積もりだ、と告げて姿を消しました。こうして悲劇は終わったのです。
どこまでも悲しい物語。あなたはここから何を読み取るでしょうか?