『昭和天皇物語』彼の人は何を思ったのか?2巻までの見所をネタバレ紹介!

更新:2021.11.14

まもなく平成が終わろうという日本(2018年7月現在)の近現代史において、その果たした役割や重要にも関わらず、現代人に馴染みのない人物がいます。それは今上天皇の父君であられる、昭和天皇です。 本作は、かの昭和天皇の人生を題材に取って、時代の流れを描いていく物語です。タレント武田鉄矢も絶賛した、その魅力をご紹介しましょう。

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『昭和天皇物語』あらすじ

 

昭和20年(1945年)、終戦直後の日本。駐日アメリカ合衆国大使館へ、ある要人が訪問してきました。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーとの会見のために訪れた第124代裕仁天皇――すなわち昭和天皇です。

 

著者
能條 純一
出版日
2017-10-30

 

そこでマッカーサーは、意外な言葉に打ちのめされます。第1次大戦の敗戦国ドイツでは、カイゼル皇帝が自身の責任を棚上げして助命を願い出たことを彼は知っており、昭和天皇もそうするのだろうと予期していたのですが……。

昭和天皇はその予想に反して、戦争行為に付随するあらゆる事件と行動の全責任を自分1人が負う、と明言しました。

一体どのような人生を歩めば、一国の元首がこれほどの覚悟で命を投げ出せるようになるのか。物語は彼の幼少期、まだ迪宮(みちのみや)と呼ばれていた少年時代に遡って語られていきます。

 

見所1:未だかつてほとんど描かれなかった、昭和天皇の姿を描く!

 

皆様ご承知のこととも思いますが、昭和天皇は戦後にいわゆる「人間宣言」でその神性を否定したとはいえ、戦前および戦中は、まさに現人神でした。また戦後に至っても在位期間が長かったことも合わさって、ご本人にまつわる諸事はある種の禁忌、アンタッチャブルな話題となっていたのです。

そのため歴史の教科書に書かれていない、等身大のお人柄はほとんど知られていない――というより、以上の理由から伝えられていないのです。しかし、近年ようやくその傾向に変化が出てきて、回顧録やメモといった形で、その人物像が見えるようになってきました。

 

著者
半藤 一利
出版日
2009-06-11

 

たとえば、在位中の食事を担当した元大膳課料理人による『昭和天皇のお食事』では、日頃のメニューから昭和天皇の思わぬ素朴な素顔を垣間見ることができます。天皇家の食卓は意外に質素。イチゴジャムのサンドイッチが好物だった、という話もあるのです!

本作『昭和天皇物語』では謎のベールに包まれた彼の人生を、半藤一利『昭和史』をベースに、いくつかの史料から幼少期、青年期の皇太子時代、そして天皇即位……と移ろう時代とともに描き出していきます。

物語の序盤は未だ歴史の一大転換期、明治の余韻が残る時代です。歴史が地続きであることを痛感させるように、昭和天皇以外にも歴史的な偉人が登場人物として出てくることも少なくありません。幼少期からも交流の見られる、そういった人々との関わりにもご注目ください。

 

見所2:実力派2人の最強タッグ!この作者で面白くないわけがない!

 

本作の原作者は、半藤一利です。文藝春秋新社の編集員だった彼は、文豪・坂口安吾から歴史的な視点を得て、戦争体験などの取材に従事。そして、その経験を活かして上梓したのが『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』です。

 

著者
半藤 一利
出版日
2006-07-01

 

日本が敗戦を受け入れる経緯を綴ったこのノンフィクション作品は、後に1967年と2015年に2度の映画化がされました。特に2015年版は、日本映画で初めて昭和天皇が登場人物とし描かれた、歴史的作品でもあります。

作画を担当するのは、能條純一。代表作は『哭きの竜』、『月下の棋士』。無頼でクール、どこかアウトロー的な主人公の物語を得意としていますが、その一方で人情味のある作品も多数あります。写実的でありつつ、どこかデフォルメされた人物描写が特徴です。

 

『昭和天皇物語』1巻の見所をネタバレ紹介!

 

当時は実母が親王を育てないしきたりになっており、足立タカという女性が迪宮=昭和天皇の養育係となりました。東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)を卒業し、付属幼稚園の教諭から抜擢されたタカは、優れた知性と感性の持ち主でした。

 

著者
能條 純一
出版日
2017-10-30

 

彼女は後に、内閣総理大臣にもなる鈴木貫太郎の妻となる女性。成長するに従って迪宮は彼女と会うことも限られていきますが、その存在は迪宮にとって非常に大きく、幼い彼の情動形成に寄与していくことになりました。

そして成長した迪宮が学習院初等科に進学する頃、乃木希典が明治天皇から直々に学習院院長に任命されます。彼は先の日露戦争の旅順攻囲戦で、陸軍大将として多大な犠牲を出したことを悔いていました。そんな彼に迪宮を任せる意図とは……。

彼は教育者となり、体当たりで教育をおこなっていきます。迪宮は着実に後の昭和天皇となる人格を築いていきました。

時代は、明治から大正へ。迪宮は裕仁と名を変え、親王から皇太子になります。裕仁のために設置された東宮御学問所には、東郷平八郎が総裁として就きました。日露戦争でバルチック艦隊を破ったあの東郷です。

そして、そこで帝王学を教える役目となったのが、杉浦重剛です。彼は裕仁に、天皇のために国民があるのではなく、国民のために天皇があるのだと説きました。帝王学の一環として倫理を教えたのです。

裕仁は偉大な先人に導かれて、多くを学んでいったのです。

 

『昭和天皇物語』2巻の見所をネタバレ紹介!

 

引き続き東宮御学問所で、裕仁皇太子はさまざまなことを学んでいきます。

教師は杉浦重剛以外にも、たくさん出てきます。教鞭執る者達は、いずれも各分野の教授陣です。そのなかには先鋭的、先進的な教えもちらほらと出てきます。表向き天皇家は神代から続く神聖な系譜であるとされていますが、生物学の常識に則って天皇家も含めた人類の祖先が猿であることも講義されるのです。

 

著者
["能條 純一", "永福 一成"]
出版日
2018-03-30

 

そうして裕仁は知識を吸収していきますが、軍上層部は苦い顔。その筆頭が元老の山県有朋です。伊藤博文とも並ぶ明治維新の傑物は、大正11年に亡くなったので、劇中の舞台となっている時代にはまだ存命でした。

そんな頃、大正天皇が病に伏せります。そして立太子の礼によって、後継者に指名されていた裕仁の妃選びが始まりました。長州派の山県は長州の息がかかった人物を皇太子妃に据えようと画策していましたが、貞明皇后は政争を避けるべく、自ら妃選びに奔走します。

そこで選び出されたのが、後に香淳皇后となる良子(ながこ)です。

しかし、彼女は薩摩系の血筋でした。当然、薩摩といがみ合う山県有朋が黙ってるはずもなく、このことが後々の「宮中某重大事件」に繋がっていくのです。

 

いかがでしたか?昭和天皇の知られざる側面を描く『昭和天皇物語』。ぜひ、ご一読ください。

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