その人との出会いを喜びたい

就職活動中は、多くの大人から「社会人になったらまず、人脈を広げて…」と、よくアドバイスされました。その都度ぎょっとして、将来への期待や楽しみがしぼんでゆきました。社会に出たら、新たな友情が生まれることはないのか、と諦めを強要されている気さえしました。

学生のうちは同じクラスとか部活とか、体育祭や文化祭で共に汗水流しているうちに、いつの間にか友情が芽ばえていたような気がします。上下関係があってもいつの間にか「仲間」になっている。それが社会に出たら、人と出会う度に利害関係を考える…!そんな生活寂し過ぎる!だいたい出会ってちょっと喋っただけじゃ、その人が敵か味方かなんて分からない。何より、そんな判断を下す前にその人との出会いを喜びたい!

文化放送に入社して4年目の今でも、自分の周りにいる人の誰が敵か味方かなんて分かりません。ただ、共演者や会社の上司、番組スタッフなどと接してゆく中で同じ方向を向いている感覚があります。それは学生時代の仲間づくりと何ら変わりのない人間関係の構築のされ方のように思います。

自分たちも気づかない友情のかたち

何が答えなのかは分からないまま新たな年度を迎え続け、今年の4月からは、平日朝7時〜9時の生放送番組「The News Masters TOKYO」(月)〜(木)のアシスタントを担当するようになって、ちょっと生活も変わりました。そんな中で出会った作品がこちらです。

著者
柚木 麻子
出版日
2018-02-09

大手総合商社でバリバリ働く東京出身の栄利子と、気取らない日常をあけすけに綴る主婦ブロガーの翔子。そんな2人が出会い、違和感を感じながらも友達になろうとする話です。 
 

そもそも栄利子も翔子も同性の友達を作るのが苦手だと自覚しています。

疑問を抱きながらも、自分の描く“女友達”の枠に囚われ、過剰なまでに翔子に固執する栄利子は、

自分の夢はそんなに大それたものなのだろうか。ただ、性欲や利害が介在しない状態で、他者とくつろいだ関係を築きたいだけなのだ。

と開き直ってもいます。心を許しあえる。話したいときに話したいだけ話せる。それぞれ自分の思う枠に当てはまる女友達を求めている栄利子と翔子。

ただ、こんなにもフラットな関係を渇望する2人が、出会ってすぐの段階から既に自分と相手を比べているところに人間らしい面白味を感じました。出身地や容姿、それぞれの経済レベル。受けて来た教育。経験値。最近は、「マウンティング」なんて言葉も聞きますが、自分を客観視して勝手なヒエラルキーを形成して、自分や相手をそのボーダーで区切ってゆく。

栄利子も翔子も自分の欠陥には気づいているようで気づかぬまま、仕事や家族から派生する人間関係にも揉まれ、徐々に離れてゆきます。少しずつ少しずつ人間関係の綻びをクリアしてゆく2人ですが、なかなか向き合いません。それでも、栄利子は翔子を、翔子は栄利子を思い出している。 

私からすると栄利子と翔子は、既に友達になっている気もするんです。ドロドロした羨望を向けることもあれば、相手の苦しみを見つけて爽やかに幸せを願うこともある。2・3回女子会しただけじゃここまで過剰になれないはずなので、これこそが明確な友情なのでは?出会った他人を、これほどまでに意識するってことは、それだけ心を侵食しあっているということなのでは? 

 

結局、学生だろうが仕事していようが、自分がどんなポストにいようが何歳だろうが、利害関係で結ばれるだけが人間関係ではないと私は思うのです。誰かの中でつくられたヒエラルキーなんて幻想です。全く意味がない。

その実感は今でも変わらなくて、例えば文化放送に入社してからも、損得を考えずに喜べる出会いはたくさんありました。 

 

 

人との繋がりって、相手を思う強さのこと

ラジオ番組作りには放送局の社員の他にフリーランスで働く方も多くいます。台本を書く作家や、ディレクター、共演者など。そんな人たちと共に仕事をし、日々色んなアドバイスをもらいます。細かい原稿の読み間違いやミスの指摘、会話中のこの切り返しが良かった悪かった、この部分はもっと間をとった方が良いなど。挙げてゆくときりがないですが、放送の中身のこと以外に、私個人へのアドバイスもたくさんもらいました。「西川はこうやった方が伸びるぞ。」と。

その都度この人はどんな立場からものを言ってくれているのだろうと考えます。会社の上司はもしかしたら部下を育てる義務もあるのかもしれません。ただ、周囲の人には私がどうなろうと関係ないと思うのです。それこそ得なんてない。それでも番組内容以外のところで私を育ててくれている。何の経験もなかった自分と向き合ってくれている。 

また私も、仕事していく中で尊敬出来る人や一緒にいて楽しい人、新しい世界を見せてくれる人など「この人すき!」と思ったときには、“勝手に懐く”スタイルをとっています。パッと何人もの顔が浮かびますが、何か利益を生み出せる関係でもないので、人脈という表現にはそぐわないと思います。相手が自分をどう引き立ててくれるか、喋り手としてどう評価されているかなんてことは全く考えずに勝手に懐いて、ぐいぐいアドバイスをもらいにいったり、とにかくたくさん会話したくなる。人との繋がりって、相手を思う強さのことだと思います。 
 

利害関係や勝手につくったヒエラルキーを意識し過ぎるあまり、自分たちの思う友情を築けなかった栄利子と翔子の物語を読んで、出会いを無駄にしたくないという自分の気持ちを再確認しました。

今後も人脈なんて言葉に流されずに、人間関係を築いていくぞ、と改めて将来への期待や楽しみを膨らませたのでした。
 

 

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