世界でもっとも民主的だといわれた「ワイマール憲法」。日本にも大きな影響を与えています。この記事では、概要や内容、第151条「生存権」、日本国憲法との関係、問題点などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
第一次世界大戦に敗れたことをきっかけに1918年に起こった「ドイツ革命」。ドイツ帝国が崩壊した後のドイツで新しく制定された憲法が「ワイマール憲法」です。
ワイマールは、1919年1月に憲法制定の国民会議が開かれた都市ヴァイマルに由来しています。ドイツの首都はベルリンですが、敗戦とそれに続く革命によって混乱していたベルリンを避け、ヴァイマルで開催されることとなりました。
ドイツ民主党の政治家だったフーゴ―・プロイスが起草文を作成し、初代大統領のフリードリヒ・エーベルトの調印を経て、8月14日に公布されます。
国民主権、男女平等の普通選挙、議会制民主主義体制、大統領制などが盛り込まれたほか、基本的人権の「社会権」が初めて規定されました。社会権とは、生存権や教育を受ける権利、労働基本権などを指します。
旧皇族や貴族の政治的影響力は縮小して、実業界の大物や知識層など市民出身者が政界に加わるようになり、当時は世界でもっとも民主的な憲法だといわれました。
ワイマール憲法が画期的だとされる理由のひとつである「社会権」。なかでも重要なのが、第151条に定められた「生存権」だといわれています。
元々、19世紀の近代国家が憲法に盛り込んだ基本的人権の柱は、思想や表現の自由など国家からの自由を保障する「自由権」でした。国家は市民の安全と自由を守る役割を果たす存在で、個人の領域に過度に干渉しないことが望ましいとされていたのです。
しかし資本主義経済が発展すると、貧富の差や失業などの社会問題が生まれ、資本家と労働者との間で階級闘争が起こります。
ワイマール憲法制定時のドイツは、敗戦と革命で揺れているだけでなく、ロシア革命の余波による共産化の恐怖にさらされていました。共産化を防ぐためにも、市民が人間の尊厳を保って生活できるよう、経済活動や国民生活への介入を認める福祉国家という考えが広がります。
この考えのもとに、ワイマール憲法の第151条には「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない」と明記されています。そしてこれは、以降に制定される諸国家の憲法にも大きく影響を与えることとなりました。
第一次大戦の敗戦後に制定されたワイマール憲法と、第二次大戦の敗戦後に制定された日本国憲法には類似点があるといわれています。
特に第151条に定められた「生存権」の規定については、日本国憲法の第25条にある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障や、公共の福祉に反しない範囲での経済圏の自由などの記述とほぼ一致します。
ただ日本国憲法に影響を与えているのはワイマール憲法だけではなく、イギリスの「権利の章典」、アメリカの「ヴァージニア権利章典」、「アメリカ独立宣言」、「アメリカ合衆国憲法」、「フランス人権宣言」なども挙げられます。いわば18世紀から20世紀にかけて発展してきたさまざまな憲法典を持ち寄ってできたもので、憲法典の歴史・系譜に連なるものだといえるでしょう。
ワイマール憲法はナチスの台頭によってわずか14年で機能を失ってしまいますが、そこに盛り込まれた画期的な精神は今なお日本国憲法の内に生き続けているといえるのです。
世界でもっとも民主的といわれたワイマール憲法を14年で消滅させたのは、アドルフ・ヒトラーです。
第一次世界大戦に敗れたドイツは、ヴェルサイユ条約によって海外の領土をすべて奪われたうえ、多額の賠償金を課されました。その支払いのために貨幣を増刷した結果、ハイパー・インフレが起こります。
賠償金は支払えたものの貨幣経済は崩壊し、労働者は苦境に喘ぐことに。高まった不満は政府に向かい、政情は安定しませんでした。
そのような状況のなかで台頭していったのが、国家社会主義ドイツ労働者党、通称「ナチス」です。1921年にヒトラーが党首となりました。当初は非合法的な武闘路線をとっていましたが、1923年の「ミュンヘン一揆」に失敗してヒトラーが逮捕されると、合法路線に転換します。
1929年にアメリカを発端とした世界恐慌が発生すると、ドイツにも波及し、700万人もの失業者が出ました。国民生活が疲弊するなかで、人々は強いリーダーシップを求めるようになります。
1930年の総選挙でナチスは一気に党勢を拡大し、国会第一党に。1933年にはついにヒトラーが首相に就任しました。
彼が合法的に権力を握ることができた理由のひとつに、ワイマール憲法の第48条に定められた「大統領大権」の存在があります。国家が危急の事態に瀕した場合には、緊急令を発令して必要な措置を講ずることができるとされていました。
問題なのは、この緊急令の成立には国会の審議が必要なく、「危急の事態」とは何を指すのかという明確な定義もなかったことです。いわば大統領の裁量次第で、「なんでもあり」という状況でした。
当時の大統領は、第一次世界大戦の名将といわれたヒンデンブルク。君主主義者で、そもそも民主主義的な憲法を守ろうという意志はありません。議会を排除した権威主義的な統治を目指していたヒンデンブルクはヒトラーを利用できると考え、手を組みます。
多くのドイツ国民は、戦後のワイマール共和国は戦勝国から押し付けられた臨時政府に過ぎないと考えていたため否定的な人が多かったという背景もあり、ヒトラー政権はヒンデンブルグの大統領大権を利用して、ワイマール憲法が定める人身の自由や、言論・集会・結社の自由といった基本的人権を合法的に停止。自身の権力を高めて独裁をするにいたったのです。
特に悪名高いのが、1933年に発令された「民族と国家を防衛するための大統領緊急令」。この緊急令はユダヤ人迫害を含むナチスドイツのさまざまな人権侵害の法的根拠とされました。
最終的には全権委任法を成立させ、ワイマール憲法自体が実質的に機能停止に追い込まれることとなります。
- 著者
- 池田 浩士
- 出版日
- 2015-06-19
世界でもっとも民主的だとされた憲法によって合法的に生み出された、史上もっとも有名な独裁者アドルフ・ヒトラー。 ドイツ国民はなぜ彼に魅了されていったのでしょうか。
不況とソ連の恐怖におびえていた当時のドイツ国民は、集団で考えることを放棄しヒトラーを支持していきました。ワイマール憲法を捨て、独裁者を生み出してしまいます。
本書は、ワイマール共和国の成立から第二次世界大戦後までのドイツの歴史をさらいつつ、どのようにしてナチスが台頭していったのかを解説し、最後は現代日本への問題提起をしています。文章も非常にわかりやすく、歴史を学べるだけでなく、国民の在り方やファシズムについての知識もつけられる一冊です。
- 著者
- 林 健太郎
- 出版日
ワイマール憲法が機能していた14年間のうち、ドイツでは20もの内閣が誕生しました。それだけ不安定な時代であったことがうかがい知れます。
本書は、ワイマール共和国の歴史をまとめつつ、どうしてヒトラー政権が誕生してしまったのかを政治的側面に焦点をあてて解説した作品です。
民主主義は「少数の政策決定者の判断の誤りによる暴走を止めるための制度」とされますが、これは多数派の判断が正しいという前提に立っています。 しかしこの前提が正しくないことが歴史的にも、あるいは今日の日本を見てもわかるでしょう。
本書が発表されたのは1963年のことですが、その内容にまったく古さはありません。当時のドイツを理解するためにも、民主主義を考えるためにも読んでおきたい一冊です。