『若草物語』は出版から150年経ってもなお、世界中幅広い年代に愛される作品。固定観念に捉われない、自分らしい幸せを追求する女性の生き方を描いた物語です。 2020年には、シアーシャ・ローナンやエマ・ワトソンをキャストにむかえ『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』として映画化されました。もう観た方も、観ていない方もこの記事を読むと、映画をより楽しむことができますよ。
『若草物語』は日本語版のタイトルであり、英語版のタイトルは『Little Women』。「小さいながらも立派な婦人たち」という意味を表します。姉妹4人の人生の選択を見守りながら、優しい気持ちで読み進めていくことができる物語です。
南北戦争の時代の物語。ニューイングランドに、マーチ家という家族が住んでいました。長女のメグ、次女のジョー、三女のベス、そして四女のエイミーです。4人は優しい母に見守られ、支え合いながら仲良く暮らしていました。
クリスマスを控えたある日から物語は始まります。マーチ家はもともとはお金持ちだったものの、父親が事業に失敗してしまい、お金がなくなってしまいます。4人はおばさんから1ドルずつもらい、自分へのご褒美としてクリスマスプレゼントを買いに街へ行きました。
しかし自分へのプレゼントを買ったものの、お母さんのスリッパがボロボロなことに気づきます。4人は自分に買ったプレゼントをすべて返し、その4ドルのお金で母親に新しいスリッパを買ってあげました。そして、第1話は父親が戦争から帰ってくるところで終わります。
その後、ジョーはローリーにプロポーズされます。メグはジョン・ブルックと結婚したり、ローリーは結局エイミーと結婚したりと、それぞれが自分の人生を歩み始めます。
ベスはもともと病弱だったのですが、ある時、重い病にかかってしまいました。それを聞いたジョーは実家に戻り、彼女の看病をすることに。その間に屋根裏部屋で思い出の品を見つけ、かつての暮らしを懐かしく思い出すのです。そんな彼女は、取り憑かれるように執筆活動を始めるのでした。
この物語は、マーチ家の家族の優しさや暖かさを、色濃く表している物語になります。まだまだ小さいマーチ家のお嬢さんたちですが、1人1人がとても暖かい心を持っていて、それぞれ立派な婦人として成長していくのです。
- 著者
- ルイザ・メイ・オルコット
- 出版日
- 2013-08-30
本作は1994年にウィノナ・ライダーやエリザベス・テイラーが出演する映画にもなりました。また、2020年にはグレタ・ガーウィグが再度映画化しました。
翻訳され日本語でも読めるほか、漫画化もされています。漫画版の『若草物語』について知りたい方は、こちらから。さらにアニメやミュージカルといった形でも楽しまれています。それぞれ特徴はあるものの、『若草物語』の本質を変えることなく、さまざまなメディアで楽しめます。
本作は、キリスト教の存在が一つの屋台骨になっている物語です。
マーチ家の四姉妹の父親は、もともと牧師をしていました。そのため子供たちに対しても、キリスト教的な博愛の精神に満ちた夫人なることを教育方針としていました。父親は娘が小さくても半人前扱いをせずに、1人1人立派な貴婦人として接していたのです。
キリスト教の教えによる、絶対的な存在、信仰というものが、本作の安定感、善なる雰囲気を作っているようです。
ここでは、それぞれの登場人物の設定をご紹介します。
本作が書き下ろされた当時は、女性が主人公となった作品はほとんどなく、文学とされるものは、男性が主人公の冒険ものが主流でした。
しかし、担当の編集者は本作を出版することを決断。販売初日は店頭に並んだ当日に売り切れるほど人気を攫いました。
実のところ女性の読者は、自分に置き換えて共感できる物語を欲していました。待ち望んでいた読者がいたから生まれた物語なのでしょう。
作者自身がモデルとされているジョーが執筆に命をかける人生に価値を見出しているのも、作者自身の執筆の体験がもとになっています。それが、現代の女性にとっても共感できる物語として愛され続けている理由でしょう。
2020年の映画でも主人公として描かれた次女のジョー。彼女の思い切った性格が読み取れる驚きのエピソードを、原作から紹介します。
ある日、マーチ家に電報が届きます。それは、戦争に行っている父親が怪我をして、ワシントンの病院に入院したことを知らせる電報でした。
マーチ夫人は今すぐにでもかけつけようとしますが、マーチ家には切符を買うお金がありません。そこでジョーは、マーチおばさんにお金を借りようとすぐに飛び出します。マーチおばさんは、父親の姉にあたる人物です。
お金を貸してくれと言われたマーチおばさんは、ジョーに愚痴を言い始めます。心配もあったのでしょう。愚痴を言われたジョーは、それをそのまま真に受け、怒って家を飛び出してしまいます。もちろんお金を借りられてはいませんでした。これでは父親の見舞いに行くことができません。考えに考えた彼女は、ある行動に出ます。
自分の長くて、美しい、艶やかな髪を売ったのです。髪は女の命です。相当な覚悟が必要だったことでしょう。こうして切符代を自ら稼いだ彼女のおかげで、マーチ夫人はワシントンに行くことができました。
本作のテーマには、女性の自立があると考察することができます。1人で生きていくことも自立ですが、この物語では、家族としての自立が大きなテーマになっているのではないでしょうか。
マーチ家では、父親が戦争に行ってしまい、家には女性しかいませんでした。そしてお金も少なく、貧乏な生活になっていたため、女性同士で助け合って生きていかなければなりません。
今でこそ、女性も男性以上にお金を稼ぐことができますが、当時は南北戦争真っただ中。女性の人権は今ほど確立されていなかったと考えられます。そのため女性のみで生活をしてくには、なかなか厳しい時代だったのではないでしょうか。
そんななかでマーチ家の四姉妹は、互いに自分の役割を担い、それぞれを補うようにしながら工夫して生活していきます。それは、やはりマーチ夫人の教えがとても大きいでしょう。彼女は時に優しく、時に厳しくマーチ家の四姉妹を育てていました。
彼女の子どもを自立に導く育て方、そして接し方は、世の中の子どもを育てる方にとって、とても参考になることでしょう。四姉妹は助けありながら「小さな貴婦人」を目指して生きていったのでした。
お子さまや、活字よりもイラストで名作を味わいたいという方には、漫画版もおすすめです。
オールカラーで原作の世界が再現されており、あらすじを追うだけにとどまらず『若草物語』を味わうことができます。巻末には作品や作者についての解説も収められていますので、世界の名作を学習するという目的の方にも適した内容になっています。
- 著者
- ["nev", "Alcott,Louisa May", "オルコット"]
- 出版日
長年愛されてきた名作小説『若草物語』が『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』として再映画化し、2020年3月27日に公開されました。今回は小説家志望の次女・ジョーの視点から描かれ、『レディ・バード』でも主演を演じたシアーシャ・ローナンが演じました。
長女・メグを『ハリーポッター』作品で有名なエマ・ワトソンが、ジョーと恋に落ちる資産家の息子・ローリーを『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメが演じるなど豪華な俳優陣が脇を固めます。
第92回アカデミー賞では主演女優賞(シアーシャ・ローナン)、助演女優賞(フローレンス・ピュー)、脚色賞、作曲賞、衣装デザイン賞の6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞し、評価の高い作品です。
その他、詳細な情報は映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で公開されていますので、ぜひチェックしてみてください!
予告動画がありますので、興味がわいた方はぜひ観てみてはいかがでしょうか。
本作は、作者自身がモデルの次女・ジョーの視点で、自身の少女時代をもとに描かれています。したがって、作者を知ることで作品にもより思いを馳せることができるでしょう。
アメリカで生まれ育ち小説家となった彼女は、1888年に55歳という若さでこの世を去りました。生前にいくつか有名な言葉を残していますのでご紹介します。
進み方がどんなにゆっくりでもいい、徹底的に勉強していこうよ。
先を急ぐのではなく、深堀していきながら人生を歩んでいくという意味が込められている言葉です。現代のインターネットが普及した世界で実践するのは本当に難しいですが、とても重要な考えですね。
人間の顔は、彼の持っている徳の一部である。
よく、顔に生きざまが表れるといいます。悪い感情を抱いていればすべて顔に表れてしまいますし、逆によい行いをしていれば、それが顔にも出るはずですね。
ほめられ甲斐のある方から賞められるようになることが大事ですよ。
人は、本当の意味ではなかなか誉めてくれません。社交辞令で誉めてくれる人はたくさんいるでしょう。しかし人生において、そのように誉められても何も意味がありません。自分が誉められたい人から、本心で誉められるということが人生においての活力となり、それが好循環をもたらすのではないでしょうか。
わたしは嵐を恐れない。航海の仕方を学んでいるから。
よく人生は航海にたとえられます。いくら嵐がきても、やるべきことをやって、持つべきものを持っていれば何も怖くないでしょう。何が起こるかわからない航海だからこそ、準備という勉強がとても大事なのではないでしょうか。
私たちはみな追い求める人生があり、形作るべき自身の夢がある。
そして、信じ続ける限り、私たちはみな夢を現実にする力を持っている。
彼女は本当に地道にやるべきことをやって、信念を曲げずに生きてきたのでしょう。その生き方が、この名言に集約されているように感じます。