名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の6つの考察!【ネタバレ注意】

更新:2021.11.15

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』はフィリップ・K・ディックのSF小説です。賞金稼ぎの主人公が違法アンドロイドを追ううちに、彼らについて知っていく……。サイバーパンクの走りであり、後年の多くの作品に多大な影響を与えました。 人間とは何か、生命とは何かを問うやや難解な作品ですが、その魅力を考察しながらご紹介したいと思います。

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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は世界観がかっこよくて、面白い!【あらすじ】

時代は第3次世界大戦後の荒廃した地球。主人公リック・デッカードは、サンフランシスコ警察所属の賞金稼ぎです。世の中には植民惑星向けに人間そっくりの人造人間アンドロイドが普及していましたが、異常をきたして人間に擬態する個体も中にはいました。デッカードはそんなアンドロイドを見極め、処分する仕事をしていました。

ある時、火星を脱走した8体のアンドロイドが地球に逃亡してきます。2体は早々と処理されましたが、残り6体は行方知れず。デッカードは方々尋ね周り、感情移入度検査法で隠れ潜むアンドロイドを暴いていきます。

一方、ジョン・イジドアという男が1人で住む廃ビルに、時間は前後して3人の男女が流れ着きました。3人は逃亡したアンドロイドでした。イジドアはそうと知りつつ、彼らと交流し、受け入れていきます。

デッカードとイジドア、2つの視点から語られる物語は、やがて1つに合流して……。

著者
フィリップ・K・ディック
出版日
1977-03-01

本作のオリジナルが刊行されたのは1968年ですから、ちょうど50年前(2018年現在)の作品ということになります。ハヤカワ文庫の発表によると、21世紀に入ってからのハヤカワ文庫SFで売り上げベスト1位が本作とのこと。さすがに古くささは否めませんが、それでも未だに通用するのは、後述する物語に流れるテーマが普遍的なものだからでしょう。

本作はまさしくSF小説の金字塔とも呼ぶべき、偉大な作品です。我々の良く知る様々な作品に影響を与えています。

たとえばヒトの自意識のあり方、機械との差異という点は士郎正宗の『攻殻機動隊』(押井守の映画版に至っては都市のイメージも)やアニメ『イヴの時間』が挙げられます。あるいは同じくアニメの『サイコパス』に、森博嗣の『彼女は一人で歩くのか?』なども本作の影響下にある作品です。

また本作の映画版『ブレードランナー』も絶大な人気を誇っており、続編『ブレードランナー2049』が2017年に公開されたばかりです。

古典的名作が現代でもこれほど愛される理由を、少しずつ紐解いていきたいと思います。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の登場人物を解説!

あらすじでもすでに述べましたが、主人公はリック・デッカードです。作中ではリックと表記されますが、映画『ブレードランナー』の影響もあって本作の主人公と言えば、デッカードの方が通りはいいでしょう。妻のイーランとはある程度うまく行っています。

彼は警察署員にして賞金稼ぎで、人間になりすますアンドロイドを見極めて処理していきます。が、仕事をするうちに徐々に機械に対する考えが変わっていきます。体制側から実情を描いていく役割の担い手です。

デッカードとは逆に、アンドロイド側を掘り下げる視点がジョン・イジドアです。彼自身は地球汚染の影響で、生殖権を剥奪された特殊者(スペシャル)と呼ばれる人間。デッカードのような一般的な人々、適格者(レギュラー)とは区別されています。

さらにデッカードの同業者、フィル・レッシュも見逃せない人物。デッカードがソプラノ歌手ルーバ・ラフトの調査をしてる途中に知り合いました。彼の直属の上司、つまり警察がアンドロイドだったことがわかり、物語に混乱と疑心暗鬼をもたらします。

そしてキーとなってくるのが謎の女性、レイチェル・ローゼン。アンドロイドの頭脳、ネクサス6型脳ユニットを開発したローゼン協会の社員です。重役、エルドン・ローゼンの姪ということになっていますが……。イジドアが知り合う女性型アンドロイド、プリス・ストラットンと瓜二つ。

またこの世界に普及している新興宗教マーサー教の教祖、ウィルバー・マーサーもストーリー上で重要な位置を占めてきます。

作者フィリップ・K・ディックとは?

フィリップ・キンドレド・ディックは1928年生まれのアメリカのSF作家です。二卵性双生児でしたが、出生直後に双子の妹が亡くなり、その事実が彼の作風に多大な影響を及ぼしています。

1950年代にデビュー後、1982年に亡くなるまでの間に数多くのSF作品を発表。作品に社会的問題、政治的問題、あるいは形而上学的思想を盛り込んでいるところに特徴があります。その知名度と人気はアーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインら世界的に有名な「ビッグ・スリー」に勝るとも劣りません。

現在有数の高い評価を受けている反面、意外にも小学生時代の作文成績は低いものでした。しかし、その時点でもストーリーテリングの才能の片鱗があったと担当教師は語っています。中学生時代にSFと出会って、それが彼のその後の人生を決定付けました。

代表作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や『高い城の男』など。日本においては彼の小説よりも、それを原作とした映像作品の方が有名かも知れません。

たとえば1990年、2012年に公開された『トータル・リコール』は短編『追憶売ります』が原作。トム・クルーズが主演した『マイノリティ・リポート』もフィリップ・K・ディックの同名短編小説が元になっています。

最も早くに製作された本作の映画版、リドリー・スコットの『ブレードランナー』は原作者本人も認める珠玉の作品です。ただ、フィリップ・K・ディックはその完成を見ることなく53歳でこの世を去りました。

ネタバレ考察1:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のタイトルの意味を解説!哲学的で深い!

アンドロイドを見分ける方法として、デッカードは感情移入度検査法を用います。

正確には「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」と言い、刺激的な質問に対する表情の変化、顔色の変動を検査キットにかけて判定します。これは人間だけが感情を持ち得て、人間そっくりに作られてはいても、アンドロイドには感情(言い換えれば心)がないという前提を持ってつくられたものです。

デッカードはこの検査でアンドロイドを見破っていきますが、完全に人間としか思えない者達も出てくるのです。たとえばルーバ・ラフトの歌声は彼を感動させました。そんなことが感情を理解出来ないはずのアンドロイドに可能でしょうか?

あるいはイジドアが交流を深めていく3体のアンドロイド。当初こそ違和感があるものの、彼らもどんどん人間的な反応を見せるようになります。

本当にアンドロイド=機械には感情が宿らないのか?

ひょっとすると後天的に獲得出来うるものなのかも知れません。もしそうだとすれば、人間とアンドロイドを区別するものはなんなのか。アンドロイドも生きているとしたら……。

人間や動物など、発達した脳を持つ生物だけが、眠る時に夢を見ます。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というタイトルには、人間が生物である羊の夢を見るように、アンドロイドも自分たちと同じ仕組みでできている電気羊の夢を見るのか、という意味。「アンドロイドは果たして、人間と同じように生きているといえるのだろうか?」という問いかけになっているのです。

ネタバレ考察2:ピンボケの特殊者であるイジドアが物語上で果たす役割

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の舞台は、第3次大戦後の荒れ果てた地球です。世界中至るところに死の灰が降り注ぎ、人間はおろか生物はまともに住めなくなっています。多くの人々は植民惑星に移住し、残された(あるいは残った)人々は限られた土地で身を寄せ合って生きています。

ジョン・イジドアはそうしてガラガラになった都市の廃ビルに、1人で住んでいました。彼は大戦後の影響で体質が変わり、子供を作れなくなった特殊者です。それに加えて精神能力テストできわめて低い数値を出したことから「ピンボケ」という最低ランクの評価も受けています。

イジドアは人間であって人間ではない、言わば社会から爪弾きにされたはぐれ者。彼と小さなコミュニティを築くことになるプリス・ストラットン、ロイとアームガードのベイティー夫婦、3体のアンドロイドも同様に社会から追われるはぐれ者です。

どれだけ非人間扱いされても、イジドアが人間であることは変わりません。そしてそんな彼と交流し3体のアンドロイドもまた、読者にとっては人間と変わりない存在のように感じられていくのです。

イジドアは人間としてアンドロイドと同じ立場、同じ境遇、同じ反応をすることで、作中で常識とされているアンドロイドの既成概念に、読者が疑いを持つよう仕向ける役割を果たしているのです。

ネタバレ考察3:マーサー教とは結局何だったのか。荒廃した時代の宗教

この時代は世界も、そして人の心も荒れ果てています。隣人の多くは地球を離れていき、自然の生物も死に絶えました。

地球に住む人々の周辺には、生命の営みが感じられなくなったのです。そこで人々は、悲しみを慰めるように動物を飼い始めました。動物を慈しむこと(動物への共感)がステータスであり、人間的活動の象徴となったのです。

しかしそれだけでは足りません。デッカードも含めた一般人は、ペンフィールド情調オルガンという感情制御装置を使って生活しています。文字通り気分をスイッチで切り替えているのです。便利ではありますが、それは本物の感情ではありません。

そこで登場するのがマーサー教です。過酷な修行をおこなう教祖ウィルバー・マーサーと「共感ボックス」と呼ばれる装置を介して一体化し、その苦しさから生きている実感を得るのです。共感ボックスは言うなればバーチャルリアリティで、マーサー教は精神安定剤と言ったところでしょう。

これはこの世界の人間の不自然さを表しています。人間は感情の生き物であるという前提がなされている本作の世界ですが、その感情は機械やVRを通してしか感じることが出来ないのです。こんな風になってしまっても、本当に彼らがしているのは人間的な活動といえるのかを、読者に問いかけてきます。

ネタバレ考察4:映画『ブレードランナー』と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の違いは?

『ブレードランナー』は1982年に監督リドリー・スコットが作った、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画です。フィリップ・K・ディックはその完成した姿を見ることなく亡くなりましたが、まさしくSF映画の金字塔と言って差し支えないでしょう。

世界観や設定は原作に準じていますが、異なる点がいくつかあります。

まず『ブレードランナー』では人造人間はアンドロイドではなく、「レプリカント」と呼ばれます。そしてデッカードに妻はおらず、ロイ・ベイティー(映画ではロイ・バッティー)が重要人物です。

そして最大の違いは、デッカード自身がレプリカントであることが示唆されるということです。ただし、事実は劇中で明言されておらず、いくつかある映画のバージョンによっても異なります。

ネタバレ考察5:結局、人間をたらしめるものとは?結末から解釈!

アンドロイドを仕留めた懸賞金で、デッカードは念願だった生きた山羊を購入しました。それは彼にとって何よりも大事なものでした。

全てが終わった後、自宅に戻った彼はイーランから、山羊が殺されたことを聞かされます。途方に暮れた彼は、マーサー・ウィルバーがそうしたように砂漠を彷徨い、そこで1匹の絶滅したはずのヒキガエルを見つけて再び帰ってきます。

羊を殺したのはレイチェル・ローゼンでした。なぜ彼女が凶行に及んだのでしょうか?

デッカードはレイチェルがアンドロイドと知りつつ肉体関係を結んでいました。それに対し彼女は自分が1番に愛されているわけではないと見抜いていたのです。やはり、境目がないように見えて、人間でなくては、愛せないのかという疑問が湧いてきます。

そしてデッカードは最後にヒキガエルを大事に飼おうとするのですが……。

本作の結末が言わんとするのは、やはり感情です。愛情、憎悪、あるいは引っくるめて共感。それこそが人間的だと言うことなのでしょうか。ぜひ最後まで読んでいただき、余韻のある結末からあなたなりの作品のテーマを読み取ってみてください。

最後に名言から『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の魅力を解説!センス良すぎ!

著者
フィリップ・K・ディック
出版日
1977-03-01

 

この物語の中には、フィリップ・K・ディックがテーマを仄めかすように仕込んだ、キーポイントとなるデッカードの台詞がいくつか登場します。それらの言葉の変化が、彼の心境を如実に表しているのです。

彼は最初に、冒頭でこんなことを言っていました。

「生まれてこのかた、おれはひとりの人間も殺したおぼえはないぞ」
(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』より引用)

賞金稼ぎの仕事を人殺しと妻に言われ、こう反駁しました。アンドロイドを人間と同等だと思っていないからこその台詞です。

それが中盤になって、デッカードはフィル・レッシュにこう問いかけました。

「きみはアンドロイドに魂があると思うか?」
(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』より引用)

彼の中で、形にならない疑問が渦巻いているのがわかります。

そしてラストシーン。ここへ来てデッカードの考えは完全に変わりました。様々な経験を経て出した答えです。これこそが作品を通して作者の言わんとしたことでしょう。

「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」
(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』より引用)

いかがでしたか? このSF小説の金字塔に興味を持って頂けたでしょうか? 日本のサブカルにも少なからず影響を与えているので、本作を読めばより一層それらを楽しめること請け合いです。

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