優れた短編小説で知られる芥川龍之介。彼の作品のなかでも有名なものに『杜子春』があります。中国古典を題材にしており、子供から大人まで親しまれる名作です。 教訓や道徳的なテーマも込められた本作は、題材になった古典との違いなど、調べてみると面白い点がたくさんあります。今回の記事では、『杜子春』のあらすじや、原作との相違点を解説します。これを読んで、あなたも芥川龍之介の名作に触れてください。
本作は、中国古典を題材にして書かれており、見慣れない漢字ですが「とししゅん」と読みます。小説作品として出版されましたが、劇やアニメ、ミュージカルにもなっており、広く親しまれている作品です。
芥川は短編を多く執筆しました。本作もそのひとつで、泣けるストーリーとして有名です。鉄冠子という仙人と、杜子春という青年のやり取りが面白いので、簡単にあらすじをご紹介します。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 1968-11-19
唐王朝の洛陽に、杜子春という青年がいました。彼は資産家の息子でしたが、財産を使い果たしてその日の暮らしにも困るほどになっていました。
ある日、ひとりの老人がやってきて、「夕日の光の中に立ち、お前の影の頭の部分を掘るように」といって去っていきます。怪しいとおもった杜子春でしたが、とりあえずいわれたとおりにしてみます。すると、地面の中からたくさんの黄金が出てたのです。
一夜にして大金持ちになった杜子春ですが、遊びほうけて財産を使い果たします。するとまたあの老人がやってきて、黄金を見つける方法を教えてくれます。それをまた使い果たして……ということをくり返したあと、杜子春は財産はどうでもよくなりました。
彼は老人が鉄冠子という仙人であることを見抜き、弟子入りさせてほしいと頼みます。老人は杜子春を連れて山へ飛んでいき、仙人になるための試練を与えます。それは「どんなことがあっても声を出すな」というものでした。
ひとりになった杜子春のもとに、虎や妖怪が襲いかかってきますが、彼は教えの通り絶対に声をあげないようにします。果たして、杜子春は仙人になれるのでしょうか。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
芥川龍之介は日本を代表する小説家のひとり。『蜘蛛の糸』などの子ども向けの作品から始まり、教科書にも載っている『トロッコ』『羅生門』などが有名です。代表作のひとつである『鼻』は、夏目漱石に絶賛されたことでも名高いですね。
晩年は『河童』などの人間社会を批評するような作品も書いています。遺作となった『歯車』は、自身の経験をもとにした不気味な作品です。
多くの小説家や芸術家に影響を与え、日本を代表する映画監督である黒澤明は『羅生門』という映画を撮っているほどです。
ここでは作品の登場人物をご紹介しましょう。
もとは金持ちの息子でしたが、遊びのために財産を使い果たし、貧しい暮らしになっていた青年です。鉄冠子の助言に従って何度か大金持ちになりましたが、周りの人間がお金目当てに近づいてくることに嫌気がさし、財産や名誉には興味がなくなります。
不思議な術を身につけた仙人です。杜子春の素質を見抜いて仙人になるチャンスを与えます。普段は好々爺ですが、厳しい一面もあわせ持っています。
おなじみの地獄の王様です。杜子春がどんな苦痛にも声をあげないのをみて、畜生道から彼の両親を連れてくることを思いつきました。
すでに亡くなっており、畜生道に落ちていました。杜子春に声をあげさせるために連れてこられ、ムチで叩かれます。そんな状況になっても、母親は杜子春さえ幸せならそれでいいといいます。
本作の最大のみどころは、最後の場面です。杜子春の両親は畜生道に落ちており、馬に変えられています。杜子春の前に二人は連れ出され、拷問を受けます。それでも仙人になるために声を出さない杜子春。
杜子春の頭の中に、母親の声が響きます。「お前さえ幸せになってくれるならお母さんはそれでいいんだよ」。親子の情が湧いてきますが、杜子春は声を出さないようにします。それでもひどい拷問をうける母親を前に、彼はどうするのでしょうか。
芥川の代表作でもある本作ですが、最後はどうなるのでしょうか。
地獄に落ちたり虎に襲われたり、さまざまな試練に耐えてきた杜子春ですが、それらはすべて幻でした。鉄冠子に諭されて、財産や仙人になることよりも大切なことを知ります。
「これからどうするか」と鉄冠子にいわれて、杜子春は答えます。
「なんになっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
(『杜子春』より引用)
この作品のテーマを象徴するセリフですね。
本作が中国古典を下敷きにしていることは先述のとおりですが、原作との違いはどのような点なのでしょうか。元ネタとの比較をしてみましょう。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 2017-10-25
原作の『杜子春』では、地獄に落ちた杜子春は女に転生し、子供を生みました。日中は子育てをしていますが、それでもひとことも言葉を発しないので、夫が怒って赤ん坊を叩き殺します。それを見て叫び声を上げたところで目が覚め、鉄冠子が「声を出さなければ不老長寿の薬が手に入ったのに」といって突き放すという結末です。
芥川の作品では、杜子春の前で馬になった彼の父母が拷問を受け、堪えられずに声をあげたところで現実に戻ります。鉄冠子は「もし声を上げなかればお前を殺すつもりだった」と言います。それに対して杜子春は先ほど説明したように「人間らしい生活をする」と答え、鉄冠子から彼の家と畑を譲られるのです。
原作よりも優しい終わり方になり、児童向けになっていますね。
原作とは違う結末になっている本作に、芥川はどんなメッセージを込めたのでしょうか。『杜子春』の教訓とテーマを考察します。
- 著者
- 芥川 龍之介
- 出版日
- 1968-11-19
物語の最後で、杜子春は財産や仙人になることよりも大切なことを知りました。鉄冠子もそれを見て愉快そうに笑っています。最初からそれをわからせることが目的だったかのように。
芥川は、財産や名誉といったものよりも大切なものがあることを、読者に伝えたかったのです。試練の最後で馬になった両親に出会ったときの杜子春のとった行動が、それを表しています。
原作の『杜子春』はどちらかといえばバッドエンドですが、芥川はさわやかな後味のある終わり方にアレンジしました。子ども向けにしたかったということもありますが、大人の読者にも伝えたい普遍的なテーマがあり、このような物語にしたのでしょう。