『かもめのジョナサン』は1970年にアメリカで発表され、全世界で4000万部が売れた大ベストセラーです。主人公は、ただひたすらにストイックに飛ぶことを追求する、カモメのジョナサン。より速く、より自在に、と工夫と訓練を重ねる彼を、仲間たちは理解できず、遂には群を追放されてしまいます。それでも彼の追求は止まりません。 本作は、発表から44年後に幻の第4章を含む「完成版」が公表されたことでも話題になりました。そんな作品のあらすじや登場人物などをご紹介していきます。ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。
カモメのジョナサン・リヴィングストンは、仲間たちのように毎日餌を採るだけの暮らしには満足できず、飛行技術の向上に余念がありません。両親は、カモメらしく生きろといいますが、彼にはそれができないのでした。そして、とうとう群を追放されてしまいます。
それでも彼の飛ぶことへの情熱は冷めることはなく、工夫と訓練を続けます。その結果、普通のカモメを遥かに超えた飛行能力を身に付けました。ところがある日、彼を超える飛行技術を持った2羽の輝くカモメが現われます。彼らの導きによって、ジョナサンはより高次の世界に入っていくのです。
新たな世界には、彼と同じように「飛行に取り憑かれた」カモメたちが暮らしていました。彼はそこで、より高度な飛行技術を学びます。さらに、チャンという老いたカモメから、究極の「瞬間移動」を学び取るのでした。
- 著者
- リチャード バック
- 出版日
- 2015-06-26
ジョナサンは「さらに上の世界」を目指すことは一旦やめ、もと居た世界に戻って自分と同じようなカモメを見つけ出し、教育することを決意します。彼の弟子は増えていきましたが、彼を悪魔と呼んで敵視するカモメも大勢いました。やがて弟子たちが充分に力を付けると、彼は地上から姿を消すのです。
ここまでが、最初に発表された3章です。完成版では、幻の4章が加えられています。
本作は1973年にホール・バートレット監督によって映画化されました。人間は登場しない、カモメだけが出演する、映像詩のような美しい作品です。
- 著者
- リチャード・バック
- 出版日
1936年、アメリカ合衆国イリノイ州生まれの飛行家、作家です。元はアメリカ空軍の戦闘機パイロットでした。除隊後は、曲芸飛行士や、整備士として働きます。
また、飛行機に関するルポルタージュ風の作品を執筆。本作を発表すると、最初は話題になりませんでしたが、当時のヒッピー文化のなかで口コミで伝わり、1972年に突如大ヒットとなりました。
そして2012年8月、自家用の小型飛行機の操縦中に電線に引っ掛かって墜落事故をおこし、瀕死の重傷を負います。不運なようですが、これがきっかけとなって2014年に本作の4章を発表しました。
他の著書に『イリュージョン』『One』『フェレット物語』などがあります。
ここでは作品の登場人物をご紹介します。
ジョナサンは超能力を発揮し、瞬間移動の他にも、死んだカモメを生き返らせたりします。そういう神秘性や、修行によって時空間を克服するという思想も、精神世界(スピリチュアル)的な感じで、当時のヒッピー文化と馴染みやすかったのでしょう。
そういう神秘性を抜きにしても、常に限界を超えていこうとし続ける彼という存在は、私たちの日常的な感覚とは異なる境地に入っています。そこに、哲学性や宗教性を感じ取ったということもあるのはないでしょうか。
しかし解説で訳者も言っていることですが、ジョナサンは哲学的・宗教的な境地を目指して飛行を学んだわけではありません。ただ純粋に、飛ぶことの喜びを追求した結果、その境地に辿り着いたのです。哲学性や宗教性を目指すと、却ってそこに辿り着けないという矛盾を、4章では描いています。
訳者については、次のセクションで詳しく説明しましょう。
五木寛之は、1932年生まれの作家です。ラジオの番組作り、業界紙の編集長、CM制作、放送作家などを経て、『さらばモスクワ愚連隊』で小説家としてデビューしました。代表作に『蒼ざめた馬を見よ』『青春の門』などがあります。また、仏教にも詳しく、蓮如や親鸞に関する著作も多数です。
- 著者
- 五木 寛之
- 出版日
- 1989-12-15
彼は『かもめのジョナサン』の解説で、哲学性や宗教性は飛ぶことの喜び、身体を自在に制御する達成感の延長線上にある、という意味のことを言っています。
「内面の世界の追求は、彼の目的ではない。
『飛ぶ』『よりよく飛ぶ』ことのフィジカルな追求が、
おのずと精神世界に彼をみちびいたのである」
(『かもめのジョナサン(完成版)』より引用)
そしてアスリートの世界で「ゾーンに入る」といわれる特殊な意識状態を、現実における例として挙げています。
『かもめのジョナサン』は宗教的には禅の影響があるともいわれますが、五木は特に4章の内容において、僧である法然の思想との類似を指摘しています。
法然は、念仏だけですべての人は救われると説きました。儀式や戒律は必要ないという考えです。ところが法然が死ぬと、たちまち偶像化が始まります。それが、4章の内容にそっくりだというのです。
「ぼくは自分が空でやれる事はなにか、
やれない事は何かってことを知りたいだけなんだ。
ただそれだけのことさ」
「だが、彼にとってスピードは力だった。
スピードは歓びだった。
そしてそれは純粋な美ですらあったのだ」
「天国とは、場所ではない。
時間でもない。
天国とはすなわち、完全なる境地のことなのだから」
「一羽の鳥にむかって、自己は自由で、
練習にほんのわずかの時間を費やしさえすれば
自分の力でそれを実施できるんだということを納得させることが、
この世で一番むずかしいなんて」
(すべて『かもめのジョナサン(完成版)』より引用)
どれも、ジョナサンが純粋にスピードをきわめたい気持ちが強いのだとわかる言葉です。周りから仲間がいなくなろうとも、ただひたすらに速さを追い求めた彼。一体彼の気持ちとは、どのようなものだったのでしょう。
- 著者
- リチャード バック
- 出版日
- 2014-06-30
ジョナサンが姿を消してから何年かの間、カモメたちの多くは彼が残したメッセージを正しく理解していたはずでした。ところが、徐々にジョナサンの神格化が進んでいきます。ジョナサンはどんなカモメだったか、何をして、何を言ったか、そんなことばかりを知りたがる者たちが増え、肝心の飛行技術がおろそかになり始めたのです。
やがて、彼を直接知るカモメが死に絶えると、すべては形骸化した儀式となり、彼を神と崇めるカモメたち。儀式と、その解釈に多くの時間を費やすようになり、飛行訓練は忘れ去られてしまいます。
若いカモメのアンソニーは、そんな風潮に反逆し、遂にはこう言い放ちます。
「あなたの偉大なジョナサン師は、
ずっと昔にだれかがでっちあげた神話です」
(『カモメのジョナサン(完成版)』より引用)
日々のむなしさに絶望したアンソニーは、死んだ方がましだと思い詰めていくのです。
ジョナサンの思想が間違って伝えられていく様子を描いた4章で、最後に示されたのは、ある希望でした。結末は、本作の深さを感じられる内容。「死」というものをとりまいて動いてくストーリーをぜひ、ご自身の目でお確かめください。