泣ける物語の代表作。その1つとして、昔から取り上げられるのが本作です。時代背景や家族の形も、現在とは比べ物にならないほど古めかしいなかでのお話。しかし、今もなお心を揺さぶられるのはなぜなのでしょうか。 世間に翻弄される純粋な恋心の、あまりの切なさに涙がこみあげる。そんな本作のあらすじから結末まで、詳しく解説します。 ちなみに本作はスマホアプリ「オーディオブック」で30日間無料で聞くこともできます!
本作は作者・伊藤左千夫の最初の作品であり、夏目漱石が「何百篇読んでもよろしい」と絶賛したことで有名です。現在は岩波文庫などから発行されています。
ではあらすじを追ってみましょう。
物語の語り手である僕(政夫)には、十年以上経ってもどうしても忘れられない、思い出すだけでも涙が出てくる出来事がありました。
それは彼が、15歳の時の話。病弱な母の看護や家事の手伝いなどをするために、親戚の家からいとこ・民子に来てもらっていました。当時、彼女は17歳。2人は幼い頃から仲良しで、それは今も変わりません。
掃除の合間などに、彼が勉強している座敷に遊びにやってきたり、ちょっかいを掛け合ったりして、それなりに楽しく過ごしていました。しかし微妙な年齢である2人に、周囲の目に冷ややかさが混じり始めます。
ある日、彼らは山仕事を命じられて出かけます。それは2人きりの、とても楽しい時間でした。花を摘んだり、他愛ないおしゃべりをしたり……。ずっと幼馴染で仲良しだった2人。しかし政夫は、彼女の美しさに気づき、そして恋心を自覚したのでした。それと同様に、民子も自分の心に気づくのです。
楽しかったこともあり、彼らの帰りは思いの他帰りが遅くなってしまいました。しかし、そのことをきっかけに、2人の運命は大きく変わってしまったのです。
- 著者
- 伊藤 左千夫
- 出版日
本作のメインとなるのは、山歩きの時間です。1つ1つの会話や行動が、子供の無邪気な様子から淡い恋心を通わせる甘い雰囲気に変化していくさまを表しているといえます。
本作で有名なセリフ「民さんは野菊のような人だ」「僕は野菊が大好きだ」などの微妙な会話は、この時間に生まれたものです。
本作は何度も、映画化や舞台化がされています。もっとも新しいものだと松田聖子が映画で主演を務め、舞台では宝塚歌劇や、座などが演じています。またドラマでは、1977年に山口百恵が民子を好演し話題となりました。
ちなみに本作はスマホアプリ「オーディオブック」で30日間無料で聞くこともできるので、2人の切ない恋路の様子を耳で味わうのもおすすめです。
本作の主人公は政夫と民子ですが、その他にも個性的な登場人物が多数存在します。
伊藤左千夫は、明治時代に活躍した日本の歌人であり、小説家。正岡子規に師事し、彼の亡き後は意思を引き継いで若い歌人たちの育成に力を尽くしました。
彼は千葉県出身ですが、本作も千葉県松戸市が舞台となっています。政夫と民子の別れの場面となるのが、千葉県松戸市に存在する矢切の渡しなのです。
彼が生まれたのは、幕末。新しい時代とともに成長した10代であったといえます。さまざまな形の学問が流れ込み、それを吸収していった時期は、かなり濃厚なものであったと思われます。
そんな彼は20代で家出をしたり、牛乳搾取業の商売を始めたりと、かなり行動的なタイプだったよう。文学に関わるようになったのは、30歳を過ぎてからでした。
本作が書かれたのは、40代になってからのこと。彼の作品は、男女の繊細な心の動きを表したものが多いのが特徴です。それはきっと、さまざまな経験を積み重ねた若い時代があったからこその、独自の世界観あってのものだったのでしょう。
そして彼は48歳の時、決して長くないその生涯に幕を閉じたのでした。
『野菊の墓』の民子にはモデルがいたという説があります。それは複数存在するようです。
左千夫が若い頃心を通い合わせていた近所の娘で、結婚を反対されて別れた女性であるという説。彼が家出をして、矢切の渡し付近で働いていた頃知り合った娘さんであるという説もあります。この女性とは、彼女の親に反対され別れますが、彼女の行く末が民子に似ているのです。
その他にも、彼の愛人説などがありますが、民子のモデルは特定の1人ではなく、それぞれの女性たちの魅力的な部分を寄せ集めたのではないかという意見もあります。実際のところはわかりませんが、1番説得力のある説かもしれませんね。
「民さんは野菊のような人だ」のお返しとして、民子が口にする「政夫さんはりんどうのような人」という言葉も有名ですね。
りんどうとは紫色の、秋に咲く代表的な花です。「どうしてりんどうなのか」という政夫の問いかけに、民子は「どうしてということはないけれど、りんどうのような風だから」と曖昧な返しをしています。これは先に政夫が言った「野菊のような人」、「僕は野菊が大好き」という一連の言葉のお返しなのです。
彼の場合も、「どうして野菊?」と聞く民子に、同じように「野菊のような風だから」と答えています。しかし少しだけ違うのは、民子はりんどうを手にして、すぐに「りんどうが好きになった」と述べています。その後に、政夫のことを「りんどうのような人」と続けるのです。
幼いながらも、こんな告白ができるなんて、政夫も民子もなんて素敵なんでしょう。はっきりとした告白でないところも、またキュンとくるポイントです。
小説で読むのはしんどいという人には、漫画をおすすめします。
小説は想像の世界です。本作は時代設定が古く、時代物などに馴染んでいないと、文化や風習が容易に想像できないということもあるのではないでしょうか。しかし漫画であれば、それらのものを絵として学んで、確かめながら読み進めることができます。ストーリーにも集中できますね。
- 著者
- ["伊藤 左千夫", "知念 政順"]
- 出版日
- 2010-09-10
漫画によっては自分が頭の中で描くイメージや、人物像とのギャップがあるものも少なくありませんが、こちらの絵は多くの人が抵抗なく入っていける人物描写の絵になっているのではないでしょうか。
服装や所作を含め、主人公の2人の表情もさわやかで、「淡い恋物語」というイメージを損なわないものになっています。また1つ1つの絵も大きめで、わかりやすい漫画です。
やはりダントツに有名なのはこの言葉。
「民さんは野菊のような人だ 」
(『野菊の墓』より引用)
野菊が好きでしょうがないという民子にかける言葉ですが、その後に「野菊が大好きだ」と続けることで、立派な告白になるわけです。
野菊の会話の後で、民子が考えこんでしまった理由。
「私つくづく考えて情けなくなったの。
わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。
私は十七だと言うんだもの、ほんとに情けなくなるわ」
(『野菊の墓』より引用)
突きつけられる現実に、彼女の本気度がうかがえます。しかし、これに対する政夫の返答がいたって呑気なのです。一体彼は、なんと返したのでしょうか。
最後に、本作の締めの一行をご紹介。
僕の心は一日も民子の上を去らぬ。
(『野菊の墓』より引用)
純愛ここに極まれり、といった政夫の言葉です。
愛を育んでいた幼い2人は、大人たちによって引き裂かれてしまいます。山仕事での帰りが遅くなったことに腹を立てた政夫の母が、彼を予定より早く東京の学校の寮に入れることに決めたのです。
彼が東京へ出発する前日、民子は彼に一通の手紙を送りました。野菊を添えた手紙です。
彼らは正月に会うことを約束し、別れました。再開を信じていた2人。しかし、正月に会うことはできませんでした。
- 著者
- 伊藤 左千夫
- 出版日
民子は勝手に縁談を進められ、正月も実家から出ることを許されなかったのです。縁談を拒む彼女。しかし、政夫の将来を考えて身を引いた方がよい、という言葉に負けて、結局縁談を受け入れてしまうのでした。
一方政夫は彼女の事情など知る由もなく、約束どおり会えなかったことにショックを受けます。そんななか、民子の実家に嫌気を差したお増が彼の前に現れ、今の状況を説明しました。彼は慌てて、彼女の実家へと向かいます。
なんとか彼女に再開し、彼は一輪のりんどうを渡しました。しかし、それが精一杯で、言葉を交わすことができません。それでも彼の想いを受け止め、民子は涙を流すのでした。
それからしばらくして、政夫の元にある報せが届きます。それは、とても信じがたいものだったのです。彼らの恋の結末。それは、ぜひ実際に本を手に取ってお確かめください。
もしかしたら周りの大人たちは、彼らのことを思って行動していたのかもしれません。しかし、それは本当によいことだったのでしょうか。結果的に、彼らを苦しめただけだったのではないでしょうか。
本当の幸せとはなんなのか、それを考えさせられる作品です。純愛を貫いた2人の真っ直ぐな愛と、本人たちに関係なく引き裂かれてしまう切なさに、読んでいて胸が締め付けられることでしょう。
自由な恋愛が許されない、親や大人の意見が絶対であった時代が、かつての日本にはありました。『野菊の墓』で時代を振り返り、現代の幸せや、自由恋愛について、ふと考えてみる時間を持ってはいかがでしょうか。