大江健三郎のおすすめ小説9選!日本で2人目のノーベル賞作家!

更新:2021.12.14

芥川賞だけでも大変なことなのに、あらゆる文学賞の果てにノーベル賞まで受賞した大江健三郎。冷静に人間を見つめる目と硬質な文章が特徴です。そんな、大江健三郎の作品のおすすめを9作ご紹介します

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経験と豊富な読書から名作を生みだし続ける大江健三郎

大江健三郎は日本の小説家で、1935年、愛媛県喜多郡内子町に生まれ、東京大学文学部フランス文学科を卒業しました。

在学中の1958年『飼育』で、当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。戦後の日本の閉塞感と恐怖をグロテスクなまでの性のイメージで描いて、石原慎太郎、開高健らとともに新世代の作家と注目されるようになっていきます。

その後、著作が、世界各国で翻訳されて出版されるようになって海外での評価が高まり、1994年には日本文学史上2人目のノーベル文学賞受賞者となりました。

小説の他にも、『世界の若者たち』『ヒロシマ・ノート』『小説の方法』などの評論、随筆なども書き、井上ひさし、筒井康隆、谷川俊太郎、武満徹、小澤征爾などとの共著も数多く執筆するなど、多才です。

また、1995年に自身にとって最後の小説のつもりにしていた『燃えあがる緑の木』が完結しましたが、1996年の作曲家・武満徹の告別式で新作を捧げるとの弔辞を読み、実際に1999年『宙返り』で執筆を再開しています。これ以降の創作活動を大江は「後期の仕事(レイト・ワーク)」と呼んでいます。

少年と黒人兵の交流を通して少年時代の終わりを描く

戦時下、村に飛行機が墜落し、搭乗していた黒人兵を捕虜として地下の倉に閉じ込めることにしました。「僕」は囚われの黒人兵と仲良くなって、連れ出してしまいますが、周囲の大人たちも黙認します。ですが、黒人を県に引き渡すこととなり……。

著者
大江 健三郎
出版日
1959-09-29

「僕」は戦争というものも、その状況の中での黒人兵の立場もわかっておらず、子どもとしての世界で完結しています。飛行機が墜落した理由、黒人兵の処遇、人質にとられる理由のすべてが理解できていなかったのでした。

子どもが通過儀礼を受けて大人になるというテーマのもと、後味はあまり良くはないのですが、物語構造がジンプルなので読みやすく、展開にも無駄がありません。短編ですので、大江を知るきっかけとして、まず手にとってみていただきたいです。

大江健三郎の代表作

重度の精神障害の子をもつ根所蜜三郎は、親友を自殺で失ってしまったことがきっかけで60年安保闘争に挫折しました。傷心の蜜三郎は、アメリカから帰国した弟・鷹四に誘われるまま、拠りどころと再生を求め、四国の山奥にある故郷へと帰ることにするのですが……。

著者
大江 健三郎
出版日
1988-04-04

生まれつき障害のある我が子の養育を放棄してしまった夫婦と、アメリカへの遊学から帰国したものの、かつての学生運動の影響で暴力に怯えつつ暴力的傾向を持つ弟の姿と、彼らの故郷・四国の村での事件が描かれています。

発表当時32歳なため、最年少での谷崎潤一郎賞受賞作となりました。大江がノーベル賞を受賞した際にも、代表作としてとりあげられ、戦後日本の文学を代表する作品のひとつとされることも多いです。

多少難解な部分もあるものの、文句なしの傑作。大江文学の集大成との誉れ高い作品ですので、敷居が高く思えても、ぜひ読んでみてください。

大江健三郎中級者以上におすすめの作品

大江健三郎には脳に障害を持った息子、光がいます。その光との暮らしをきっかけとして書き上げた小説のうちのひとつがこの『ピンチランナー調書』です。

息子たちが通う学校で出会った「森」とその父親である「森・父」について描かれています。最初は筆者とのやりとり目線で記述されますが、途中からは「森・父」の要求に基づく、「森・父」のゴーストライターとして物語が記述されるのです。

家庭でいさかいがあった翌日に目覚めたとき、「森」と「森・父」は「転換」していました。「転換」とは8歳であった「森」は28歳に、38歳であった「森・父」は18歳に「転換」してしまうのです。

28歳に「転換」した「森」は、静かに老成した青年になっていました。その行動は勇敢で的確、しかも慈しみを与えるものであり、それをみる「森・父」は、驚きつつも、当然のこととして納得するのです。老成していた息子が、ことを成し遂げるとき、父である「森・父」はしっかりとそれを見届け、物語が完結、昇華していきます。

著者
大江 健三郎
出版日
1982-03-29

大江健三郎は本書のあとがきの中で、本書の表紙に採用されている大小の人間が並んだ図に言及しています。父は「大きいほうが父で、小さいほうが息子」と判断していましたが、息子のほうは「大きいほうが息子で、小さいほうが父」とみていたことに本書の着想を得たそうです。どちらの見方も正しく、どちらにも行ったり来たりできることが小説あるいは人間の自由な部分であり、そのことを小説として構成することで新たな物語を創り上げることができると述べています。

脳に障害を持つ息子と暮らしていくという現実世界に対し、物語として再構成された世界から提示される明るい暖かな光が、この物語を読んだ読者に心の安寧をもたらすのだと思います。

息子・大江光の影響を大きく受けた作品

知的障害者のジンとともに東京郊外の核避難所跡に籠もり、「樹木の魂」「鯨の魂」と瞑想で交感する大木勇魚は、「自由航海団」の若者たちに出会いました。リーダーの喬木は、「来たる大地震による東京崩壊を逃れる為に予め海上に船で出る目的を持った集団」がこの「自由航海団」だと語り……。

著者
大江 健三郎
出版日

妙に閉塞感が漂っていますが、打破する目標が明確ではない中、航海団は迷走しながらも前へと進んでいこうとするのです。知的障害者ジンの静かな口調、粘着質めいた性描写や伊奈子ののびのびした性格などが、物悲しい物語を美しく彩っています。

センチメンタルでありつつも、そこに終始しない大江の筆力が素晴らしいです。目指す思いが破れてしまう部分も切実に伝わってきます。もっとも、彼らのような思想は常に敗れ去るものなのかもしれませんが…。

冗長に感じる部分も多少ありますが、読後のカタルシスはぜひ味わっていただきたいです。

命や性のあるがままの姿を描く

「『雨の木』というのは、夜なかににわか雨があがると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから」や「頭がいい木でしょう」などと登場人物によって説明される「雨の木」に重ねて、男女の生き死にを描いていく物語。

著者
大江 健三郎
出版日
1986-02-27

『頭のいい「雨の木」』『「雨の木」を聴く女たち』『「雨の木」の首吊り男』『さかさまに立つ「雨の木」』『泳ぐ男――水の中の「雨の木」』の5本からなる連作小説で、ある言葉がひとつ前の言葉を打ち消したり、ある章がその前の章を打ち消したりしながら進行していく独特な展開をしていきます。そして、収録作品のタイトルすべてに使用され、彼らをおおうように描かれている「雨の木」には、荒涼とした社会への再生をイメージしているような存在感があるのです。

1983年に読売文学賞を受賞。作曲家の武満徹は、連作の1作目に収録されている『頭のいい「雨の木」』に触発されて『雨の樹(レインツリー)』を作曲しました。

作中のように『雨の樹』を聴きながら読んで、ロマンティックな気分に浸ってみることをおすすめします。

両親に置いていかれた三兄妹の物語

家の下水を直そうとして失敗し、家長としての威厳がないと思い込んだ作家の父が、逃げるようにオーストラリアの大学の講師職を決め、母もいっしょに行ってしまいます。女子大生の娘と、音楽の才能を持ちながら障害者の兄と弟の3人が家に残されることになり……。

著者
大江 健三郎
出版日
1995-09-04

冷たくて難しくてかちっとした文章や構成という大江作品のイメージが覆る、あたたかな作品です。ベースは冷静なのに、そこはかとなくあたたかいのです。息子さんをモデルにしているからでしょうか。

特に、障害のあるお兄さんがどんな状況にあっても妹を守ろうとする姿に胸を衝かれます。とても美しいシーンでした。

描かれている家族環境は特殊ながら、どのエピソードも淡々としていて優しくて、まさにタイトル通り『静かな生活』が存在しています。

優しい気持ちになりたいときにぜひ読んでみてください!!

大江健三郎の描く戦争

戦時中、疎開(田舎などへ人を分散・避難させること)先の村で感化院(いわゆる児童自立支援施設)の子供達に起こった出来事です。

感化院の子供達がある村に集団疎開するところからはじまります。子供達は疎開先の村人から不当な扱いを受け労働を強いられます。

そんなある日、村で疫病が流行りだしました。村人たちは避難し、子供達は村に閉じ込められてしまうのです。残された子供達は絶望します。しかし彼らは一層の事自分たちだけの自由の国を作ろうと試みます。はたして、子供達をどんな運命が待っているのでしょうか。

 

著者
大江 健三郎
出版日


まず、舞台となる時代について見てみましょう。太平洋戦争末期。空爆による日本本土への侵攻が激しい時代です。被害を少なくするため全国各地で疎開が行われます。この作品の主役である子供達は感化院に入っています。感化院もまた疎開の必要に迫られるのでした。

そんな時代背景の中、主人公”僕”の「絶望に屈しない強さ」と「無力さ」がこの作品では描かれています。僕は大人から、世界から抑圧を受けます。そしてそれに屈しない強さ、頑なさを私たちに見せつけます。しかし僕は無力で、対抗してみたところで結局は絶望させられてしまうのです。

そして、この何かに押し潰されそうな世界観を筆者は独特の言葉選びで表しています。堅苦しく痛々しい表現に、いやでもこの時代の陰惨さを感じさせられるのではないでしょうか。1958年に出版されたこの作品。戦争の傷が癒えない時代に書かれたからこそのリアルさは、まるで自分がその場にいるかのような気持ちにさせられます。

忘れてはいけない世界がこの作品には描かれています。ためらいなく突きつけられる絶望に、感動に似た恐怖を覚えるのではないでしょうか。壮絶な時代を生きた子供達の運命をぜひ、ご一読ください。

大江健三郎の描く昭和30年代

大江健三郎が23歳から書き始めた長編小説です。恋人の娼婦と夜を共にしながら大学生活を送る靖男を中心に、バンドマンの弟など周辺の若者の性的で退廃的な生き方を、その時代の若者の目線で描いた作品です。

靖男は年増の外人専門娼婦に囲われて生活しながら、大学生活を送っています。そんな中、懸賞がフランス留学となっている論文に応募、期待していなかったものの最優秀に選ばれ、フランス留学を手にするのです。しかしそれは恋人との別れを意味することでもあります。囲われて暮らすこの怠惰な生活から抜け出したいという思いが、恋人に対して醜い想いとなって現出するのです。

弟の滋は同い年の康二と朝鮮人の高の3人で若者ロックバンドを組み場末のライブハウスで活動しています。群れてくる女性ファンに媚びを売ったり、しりぞけたりしながら社会に対しては斜に構えた生活を送ります。それこそが、彼らの時代なのです。

そんな中、冒険的に刺激を求めるため、天皇行幸の車列に手榴弾を投げ込む計画を立て、失敗します。それまでバンドで世間に反逆ののろしを立てていたものの、手りゅう弾を投げ切れなかった弱さを3人は痛烈に実感するのです。

著者
大江 健三郎
出版日
1963-07-02

昭和30年代の朝鮮戦争以降の時代背景、当時の若者世相を色濃く反映した長編小説です。当時の若者文化、若者の考え方そのものに挑戦、冒険した小説でもあります。大江健三郎の、その後の難解で落ち着いた文体とも異なり、チャレンジ作品です。

若者は何を考え、活動に耽るのか?今の時代とのギャップは何なのか?想像してもきりがありませんが、果てしない世界がそこには広がっており、大江健三郎の幅広い才能に向き合うことができます。

大江健三郎が描く、黄金の青春時代とその幻影

過激な性描写とトピックスが荒々しい青春の光と影を描写します。

初めての性交で梅毒にかかったのではないかと恐れる「僕」は、診療した医師からあるアメリカ人を紹介されます。そのアメリカ人はヨットで世界一周する仲間を募っており、一緒に共同生活を送るのです。一緒に暮らすのは、アメリカ人であるダリウス・セルベゾフと黒人の「虎」、朝鮮人と日本人のハーフである呉鷹男。4人で暮らしている時が最も青春を謳歌する時間だったと後から知るわけですが、暮らしている最中は小さなトラブルに見舞われ、4人の間も溝が出来たり、支えあったりします。

そんな黄金の時間も、すこしずつ崩れ去っていきます。ダリウス・セルベゾフは少年に対する誘拐監禁容疑で国外追放となるのです。「虎」はアフリカへ帰ることを夢見て横須賀で銀行強盗を計画、憲兵に射殺されてしまいます。そして、僕が結核にかかりサナトリウムで静養している間に、鷹男は「怪物になるために」少女を扼殺して、死刑の判決を受けるのです。

著者
大江 健三郎
出版日
1990-03-05

各人が持つ性癖や出自に縛られ、目指していた夢が破滅へとつながってしまいます。それが仲間の散逸に至り、孤独へと陥ってしまうのです。「荒涼として荒涼と荒涼たり」と、孤独と挫折のなかで「僕」は静かに叫びます。

若者特有の青春に対する焦燥感や孤独感を、過激な性描写や突飛な行動で荒々しく描写することで、がつがつとした雰囲気が巧みに表現されています。それが読む人の心にずかずかと突き刺ささってくるのです。『叫び声』を読んで、明るさと暗さが併存していた青春時代を振り返ることができるのではないでしょうか。

ノーベル賞作家ということで敷居が高いと思われがちな大江健三郎。ですが、しっかり読んでみると優しくあたたかな作品もあるのです。難しくない作品からでも手にとってみませんか?

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