『遠野物語』は、柳田国男による、現在の岩手県遠野市に伝わる逸話や、伝承の聞き書きによる説話集で、1910年に発表されました。話者は遠野出身の作家・民俗学者の佐々木喜善です。遠野郷に伝わる話の数々を、そのままに近い形で収録。文学作品としても鑑賞に値するとして、泉鏡花など多くの文学者から評価されました。 かっぱや天狗といった妖怪や、オシラサマなど独特の信仰、少し不思議で恐ろしくも悲しくもある「遠野という土地で実際に話されていた出来事」は、今なお多くの人々に読み継がれています。 この記事では、そんな本作の世界をご紹介していきたいと思います。
119の小編が収められた本作。残酷な日本昔ばなしのような恐ろしい話、神霊に通じる幻想、妖怪たちの姿や、多くの不思議が日常のなかにある遠野の様子を垣間見せてくれます。
話の舞台となる岩手県遠野市では、2007年4月から「遠野遺産」の認定と登録をおこなっています。『遠野物語』に出てくる土地含め、2018年8月時点で合計157件の遺産が登録されており、遠野遺産公式ガイドブックも販売されるなど、本作の世界観を現実で感じられる場所が数多くあるのが魅力です。今でも遺産巡り、聖地巡礼として訪れる人が少なくありません。
- 著者
- 柳田 国男
- 出版日
- 1976-04-16
柳田国男は、民俗学者・官僚で日本民俗学の父とも呼ばれる人物。日本民俗学の先駆けともいわれる本作は『後狩詞記』、『石神問答』とともに彼の初期三部作の一作として知られており、本作の執筆後、多くの反響を受けて『遠野物語拾遺』も出版されています。
『遠野物語』について、柳田は晩年「あれはわたしの唯一の文学といってもいいでしょう。」と語ったそうです。文語体で書かれた本文は三島由紀夫から「簡潔さの無類のお手本」と評され、文学作品としても高い評価を得ていた事が窺えます。
しかし、文語体のままでは難読と感じられる事も多く、いくつかの口語訳作品が出版されました。近年なら、百鬼夜行シリーズなどで知られる京極夏彦による現代語訳で『遠野物語 remix』(2013年)、『遠野物語拾遺 retold』(2014年)があります。
「堅苦しい文章で何を言っているのかわからない」と感じる方には、「remix」版の方が手に取りやすいかもしれません。
それにしても初版から100年以上経っても、この本の魅力を知ってほしいと口語訳され、出版されている本作は、時を経ても変わらない魅力を持っているといえるのではないでしょうか。
- 著者
- 京極 夏彦 柳田 國男
- 出版日
- 2013-04-18
近代の御伽百物語の徒に至りてはその志や既に陋かつ
決してその談の妄誕にあらざることを誓いえず。
窃にもってこれと隣を比するを恥とせり。
要するにこの書は現在の事実なり。
単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。
(『遠野物語』より引用)
これは序文の抜粋ですが、柳田は「本作に書かれている事は遠野の現在の事だから、よくあるでたらめな怪談本と一緒にされては困る」と序文で断りを入れているのです。そのため本作は怪談集ではないとされてきました。
怪奇幻想文学の評論家である東雅夫は、本書に「怪談実話集」としての性質を見出だしています。確かに本作は簡潔であるからこその独特の余韻と怖さがあり、和製ホラーの趣を匂わせているのです。
しかし柳田は、安易に「怪談」という言葉を使用する事をよしとしなかったため、本作を怪談という観点からは見ないというスタンスが長く暗黙の了解となっていました。
また序文には「願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。」という有名な一文もあります。合理主義的考え方、「科学で全て説明できる。不思議なことなど何もない。」という考え方が主流となっていた時代のなかで成立した『遠野物語』のこの一節に柳田はどのような思いを込めたのでしょうか。
また、岩手放送開局30周年記念として制作された、村野鐵太郎監督作品の映画『遠野物語』も、1982年に公開されています。出演は原陽子、隆大介他。
柳田の『遠野物語』(『山の人生』にも取材)の他、岩手県出身の画家・阿伊染徳美が郷里の信仰を調査してまとめた『わがかくし念仏』を原作としていますが、道ならぬ恋を貫いた男女の幻想譚として、ほぼオリジナルの脚本作品となっています。
オシラサマ、南部曲がり家など、随所に遠野独特の信仰や風習・風景が見られ、本作の舞台を堪能することが出来る作品となっています。
ここからは、『遠野物語』に出てくるスポットを、具体的に紹介していきましょう。
カッパ淵は「かっぱ淵~蓮池川(はせきがわ)流域」として遠野遺産第22号に登録されています。土淵町の常堅寺裏を流れるこの小川は、昔にカッパが目撃されという場所なのです。常堅寺はカッパに縁深く、火事の際に火を消してくれたという言い伝えが残っており、頭に皿のある狛犬が置かれていたりします。
また遠野市観光委員会が「カッパ捕獲証」を販売しており、この許可証を持っていれば淵でのカッパ捕獲が認められます。実際に遠野に足を運んで、毎年更新するタイプの写真入り許可証もあり(5年以上の更新でゴールド許可証にグレードアップするという特典付き!)、更新がてら遠野に毎年足を運ぶリピーターを着実に増やしているそうです。
こんな愉快なカッパ淵ですが、『遠野物語』に出てくるのは、面白カッパだけではありません。母娘二代でカッパの子を産んでしまったという話などもあります。娘のもとにカッパが通ってくるのを、どうやっても止められなかったそうです。
漢字で河童と書きますが、日本各地ではガタロ、ヤマワロなどの名前で呼ばれることも。遠野のカッパは赤い顔をしているのが特徴との事ですが、赤顔を持つ恐ろしい存在は他にも存在します。
「異人」と呼ばれる存在がそれで、特に女性が拐われる事が多かったらしく、人々に恐れられています。異人は皆一様に背が高く、赤い顔をして、恐ろしい目の色をしているとのこと。西洋人かとも思える特徴を持っていますが、海岸の方に白子と呼ばれる西洋の人たちがおり、異人とは区別されているようです。
異人から木の葉をもらった娘が占いの才を授かったという話もあり、その正体は山の神であったとされています。天狗と同じく、修験山伏(山で修行する者)ではないかともいわれていますが、共通点は赤い顔で、不思議な術を使う事でしょうか。
九州のヤマワロなどは、春夏は川におりカッパと呼ばれ、秋冬には山に入りヤマワロと呼ばれるそうです。遠野のカッパも、山に入れば異人と呼ばれるのでしょうか。
また遠野の山中で遭遇することがあり、恐れられている山男も、長身で赤ら顔です。
「山口デンデラ野」として遠野遺産第21号に登録されています。映画「デンデラ」でこの言葉をお聞きになった方もいらっしゃるかも知れませんが、デンデラ野とはいわゆる姥捨て山の事で、『遠野物語』にも「111 ダンノハナと蓮台野」として紹介されています。
遠野の山口・飯豊などいくつかの地所にはダンノハナと呼ばれる場所があり、その近所には必ず蓮台野(れんだいの)という地名があるのだそうです。「れんだいの」が訛って「デンデラ野」となったなど、その呼び名の由来には諸説あるようです。
遠野市では「デンデラ野」には、「姥捨」「死者の霊の行く処」という意味があるようで、昔は60歳を越えた老人をここに追いやる習わしがあり、追われた老人は日中には里に降りて農作業をおこない、生計を立てていたのだといいます。
現在は原野・畑地となっていますが、ダンノハナとはかつて刑場であったといわれている事や、「デンデラ野」の意味から心霊スポットとして紹介される事もあり、遠野遺産巡りには欠かせない場所となっています。また、土淵のデンデラ野には、佐々木喜善の墓もあるそうです。
御蚕神堂(おしら堂)は「遠野伝承園とその周辺」として、遠野遺産第36号に登録されています。遠野伝承園は遠野市土淵町土淵にあり、『遠野物語』の話者・佐々木喜善の記念館、菊池曲がり家、御蚕神堂などもあります。ここに祀られている「おしら様」は蚕の神様、農業の神様、馬の神様、「お知らせ」の神様ともいわれているそうです。
物語は、ある百姓の美しい娘が、家で飼っている馬と結婚してしまった事で父親の怒りを買い、馬が桑の木に吊るされて殺されてしまうという風に始まります。娘が、死んだ馬にすがっていつまでも泣くので、父親はさらに馬が憎らしくなり、斧でその首を切ってしまいました。
すると、驚くことに首は娘を乗せたまま天に昇ったのです。めでたし、めでたし?
オシラサマというのは、その時出来た神様だとされています。馬を吊った桑の木を3つに分け、3体の神像を作ったのだそうです。
「蚕の始まり」という昔話では続きがあり、嘆く両親の夢に現れた娘が「馬の頭の形をした虫が臼の中にいるから、桑の葉を食べさせてください」と伝え、そのとおりにしてみると絹糸が取れた事から養蚕が始まったとされています。
岩手県遠野市綾織町上綾織山口にある続石は、遠野市指定天然記念物です。遠野三山・石上山の南麓にあり、石上山の登り口として山神を祀った祠が存在します。その前にあるのです。
細く隙間を開けた、2メートル程の大きさの2つ石の上に、笠石と呼ばれる7メートル程の巨石が乗って鳥居状になっています。間を人が通行する事が可能で、よく見ると、上の巨石は片方の石にしか乗っておらず、片側が少し浮いているという絶妙なバランスでとどまっているのがわかるでしょう。
『遠野物語拾遺』に登場するこの石は、昔、武蔵坊弁慶が作ったものとされています。上に乗っている笠石を別の石に乗せたところ、その石が一晩中夜泣きしたので別の石の上に移動させたという逸話で、今現在笠石が乗っているのを「続石」、泣いた石は「泣石」と呼ばれるようになったそうです。
その続石を過ぎると、すぐに愛宕神社があり、こちらは遠野遺産第108号として登録されています。「愛宕さん」と呼ばれる境の神は城下町を守り、旅立ちの時に安全を祈願したりする身近な神様で、火防の神でもあるのです。
『遠野物語拾遺』には愛宕さんが和尚の姿を借り、町内の家事を消してくれた話が出てきます。
『遠野物語』には、この付近で山の神が遊んでいる所に遭遇し、気丈にもちょっかいをかけようとしたために病みついて亡くなってしまった人の話が「91 鳥御前と山の神」として収録されているので、あわせて読むのもおすすめです。
天ヶ森(てんがもり)は岩手県遠野市にある低山で、天狗森とも呼ばれます。
この森には昔から天狗が多くいるという事が知られており、『遠野物語』の「90 天狗森」では、ある若者が畑仕事の最中顔の赤い大男と遭遇し、喧嘩をしかけて逆にはね飛ばされた話が収録されています。
その年の秋、その若者は深い谷底で、手足を抜き取られて死んでいるのが見つかりました。異人、山男、天狗……。山に棲む異形のものたちは皆、共通して顔の赤い大男とされているようです。
現在の笛吹峠は、遠野盆地を囲む峠の1つで、遠野市から六角牛山と権現山の鞍部を釜石市へ越える、岩手県道35号釜石遠野線です。峠の標高は867メートル。岩手県教育会上閉伊郡部会出版の『上閉伊郡誌』には、「ふぶき」が訛って笛吹となったとの説が見られ、冬季には吹雪によってしばしば方角さえ見失う難所とされています。
また、『遠野物語拾遺』には、笛の好きな継子が焼き殺された時、火の中で笛を吹きながら死んだ場所が今の笛吹峠であるという説が収集されているようです。
『遠野物語』では「5 笛吹峠の山人(やまびと)」という話で掲載されています。
この峠を越えると頻繁に山男や山女に遭遇すると噂になったため、恐ろしがった人々は境木峠の方に別のルートを拓いて、遠回りにも関わらず、ほとんどの人がそちらの道を通るようになったそうです。
そうまでして笛吹峠を避けるという所に、遠野の人々がどれほど恐ろしく思っていたのか伝わってくるようです。具体的に「こういう事があった」と記されていないところが、想像力を掻き立てるのかもしれません。佐藤誠輔の口語訳にも、「車道となった今でも、通る車は多くありません。」という注釈が添えられています。
狼
遠野の人々は狼の事を御犬とも呼び、普通の狼の他に、年を経て妖怪となったもののことを特に「御犬の経立(ふつたち)」と呼び習わしているそうです。遠野の方言で「フツダツ」=「年寄りの猿、狼の古きもの」という意味のため、「経立」という字は柳田の当て字ではないかともいわれています。
本書には、36~42の7つのお話に、狼がメインで取り上げられているので、ぜひご覧ください。
狐
遠野にはカッパも多いですが、狐に関するお話も多く伝わっています。
ある男が、夜遅くに帰宅する途中、妻の姿を見かけます。時刻の遅さから、これが妻であるはずはない、きっと人ではないものの仕業だと思い、男はそれを包丁で刺し殺してしまうのです。
しかし、倒れて死んだ妻は、妻の姿のまま倒れているので不安に思い、大急ぎで家に帰ると、夫の帰りを待っていた本物の妻から「今、夢を見ていてあなたを途中まで迎えにいったら誰かに刺された」と聞かされます。現場に戻ると、狐が横たわって死んでいました。
男が刺したのは狐が化けた妻だった、というお話ですが、本物の妻は夢で誰かに刺されています。一体どうしてそんなシンクロが起こったのか、とても不思議な話です。
サムトの婆
本書の「8 寒戸の婆」に、神隠しに遭った娘が年を経て老婆となり、生家に帰ってきたという話が収録されています。
このお話は、松崎村寒戸(正しい地名は登戸)の百姓家の娘が神隠しに遭い、30年以上経ってから老婆となって不意に戻ってくるのですが、少し会話を交わした後、またふっと姿を消してしまったといいます。
暴風雨とともにやって来たことから、そんな天気の日には「今日は、サムトの婆が帰ってきそうな日だ」という言い回しが出来たそうです。
松崎町登戸にサムトの婆の石碑があり、天ヶ森登山の後に立ち寄る人もいらっしゃるそうです。
マヨイガ
マヨイガとは「迷い家」と書かれる事もあり、深山に迷い込んだ時に突然現れる無人のお屋敷で、1度目にした者は2度と見ることは出来ないといわれています。
立派な家の中に入ると、鉄瓶に湯が沸いていたり、ふっと人の気配を感じる事もあるのに、誰もおらず、恐ろしくなって家を後にするという話が本作には収録されています。
誰でもマヨイガを見つけられるわけではなく、そこに招かれた者は何かしらを授けられる事が許されているため、必ずその家の道具や家畜などを持ち帰る事になっているそうです。マヨイガから何か持ち帰ったら、家が栄えるとされているそう。
『遠野物語』の不思議な話、興味がわきましたら、ぜひ1度読んでいただきたいです。