日本人の多くが知っている人気の文学作品。小学生時代に習った方も多いのではないでしょうか?悲しいラストだったことはインパクトにあっても、そのテーマはどこにあったかというところまで理解している方は少ないかもしれません。今回はそんな本作についてご紹介します。
本作は新美南吉が原作を務める児童向けの文学作品で、小学校での国語の授業で習う学校も多くあります。いもとようこ、黒井健、箕田源二郎をはじめ、さまざまな人物よって絵本化されたり、『まんが日本昔ばなし』などのアニメ映画になったりして、広く認知されている童話の1つです。
元漁師の口伝としての『権狐』がはじめにあり、それを元に新美南吉が児童雑誌「赤い鳥」で執筆。それを鈴木三重吉が子供向けに編集して『ごん狐』となり、さらに最近のアニメや絵本などでは『ごんぎつね』いう平仮名表記で多く見られるようになりました。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
- 1998-06-01
ストーリーは、茂平という男から聞いた話であることが、前置きで語られるところから始まります。そこで語られた話は、以下のとおりです。
ある日、兵十という男が獲っているうなぎに、ごんぎつねがいたずらをしました。名前は、ごん。彼は家族がおらず孤独だった背景から、日頃からさまざまないたずらをして、人々を困らせていたのです。兵十にいたずらをしたのも、いつもと同じようにちょっとした寂しさからでした。
それから何日かしたある日、ごんは弥助の家内がお歯黒をつけているのを見て、お葬式があるのだと気づきます。誰のお葬式なのか疑問に思い、彼岸花の咲く墓地までついていくと、それは兵十の母親の葬式だったのです。
そしてあの時、兵十がうなぎを獲っていたのは、病気の母親のためだったのだと納得します。自分のいたずらのせいで亡くなる間際にうなぎを食べられなかったのだと思い舌打ちをして、こうつぶやくのでした。
「ちょっ、あんないたずらをしなければよかった」
(『ごんぎつね』より引用)
その後は、後悔からごんが栗や松茸などの食べ物を兵十の家へ届けるようになり、物語が進んでいきます。
『ごんぎつね』の登場人物や、その人物像を見ていきましょう。
まずは冒頭でこの話を教えてくれた茂平(茂兵という表記もあり)です。彼については、その後の作中で触れられることはありません。
主人公のごんは、ひとりぼっちの小狐です。作中では彼の母親は登場しませんが、『日本昔話』では序盤に母親と別れるシーンも描かれています。性格はいたずら好きで、兵十がせっかく獲ったうなぎを川へ投げ入れて返してしまいます。
そんないたずらに遭ったのは、兵十です。いたずらから10日経って母親を亡くします。普段は「赤いさつまいもみたいな元気のいい顔」をしていますが、お葬式の日は、やはりそんな素振りを見せません。
毎日ごんが彼へお詫びの食材を持って行っている時に、彼が不思議に思って相談したのがお百姓さんの加助です。彼はその不思議な出来事は神さまのおかげなのだろうと解釈をし、感謝するべきだと兵十に伝えます。
その他にも、お歯黒を塗っている弥助の家内や、髪をすいている新兵衛の家内の様子も描かれていますが、ごんや兵十と会話は交わしていないようです。
新美南吉は、日本の児童文学の作家で、愛知県の出身。体が丈夫でなかった代わりに、成績の優秀な子供でした。愛知県知多郡半田第二尋常小学校の代用教員として働いていましたが、退職。その後、「赤い鳥」に童謡が掲載されることとなります。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
教師の経験、童話作家、そして若くして亡くなってしまったという共通点から、宮沢賢治とともに語られることが多く、「北の賢治、南の南吉」と呼ばれることもあるようです。
「赤い鳥」に寄稿した代表作である本作の他にも、狐が登場する『手袋を買いに』などの童話が有名です。
また、作家の北原白秋とも交流があったことでも知られています。「赤い鳥」の主催者でもある北原の大ファンであった新美は、自身の作品が「赤い鳥」に掲載されたことを大いに喜んだそうです。その後、念願叶って、本人と対面することになります。
充実した日々を送っていましたが、結核のため、29歳の若さで亡くなりました。
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教科書などで主流になっている『ごんぎつね』は、最後のシーンは、鉄砲で打たれたごんが「お前だったのか」と言われて、頷くシーンで終わります。しかし原版である新美南吉の草稿の最後は、
権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。
(『権狐』より引用)
という一文があります。この草稿は「スパルタノート」という新美のノートが見つかっていることからも、こちらが原版であることはどうやら間違いないようです。
しかし、ここは鈴木三重吉が児童向けに編集した際にカットされ、「うれしくなりました」の部分は「うなずく」に書き換えられています。
どういう意図があってこういう編集になったのかは調べても謎のままですが、現在主流になっている『ごんぎつね』は、新美の『権狐』を元に、鈴木が編集を加えたものから広まっているため、そちらがポピュラーになっているようです。
ごんは最後嬉しかったの?と思うと、本作へ抱く印象が少し変わってきますよね。
本作は、ひとりぼっちの小狐ごんの様子から始まるのですが、彼が幼くして母親と離別していることがわかります。それから、さらに死の描写が2回もあるので、多くの子供にとっては死を濃厚に扱った異質で印象に残る作品だといえるのではないでしょうか。
大人になってから「国語のあれ、トラウマだったよね!」と多くの人の話題にのぼるらしく、やはりそういった切ない物語を忘れることができないからかもしれません。そういったどこか物悲しい文学作品は、日本の国語の魅力でもありますね。
本作の最後の場面は、ごんが兵中に鉄砲で打たれるという、つらいシーン。いたずらをした事を反省したごんが、つぐないのために兵十の家へ栗を持って行ったところに、再びいたずらをしに来たと勘違いした兵十が、鉄砲で撃ってしまいます。
食材は神様のおかげだと考えている彼からしてみれば、ごんが恩返しをしているだなんて思いもしなかったために撃ってしまったのですね。そして彼に「お前だったのか」と言われ、ごんは頷くのでした。
教科書などでポピュラーになっている『ごんぎつね』は、この打たれたごんの心情が読み取りにくいまま終わっています。新美の「スパルタノート」の草稿では、最後にはごんが嬉しくなっているので、わかってもらえてよかったね、という解釈ができなくもないです。
そちらのほうが少し救いはありますが、子供のころに相手の悲しさや思いやりをしっかりと学んだり、相手の気持ちをしっかりと考えたりするきっかけになるという意味では、最後に頷くだけ、という想像の膨らむ終わり方がよいともいえるでしょう。
本作のラストは、編集によって草稿とは変わっていたり、教科書によっては別の部分がカットされていたりという経緯がありますので、どう解釈するかまではあまり言及されないのが一般的のようです(編集の仕方によっては、打たれたごんが最終的に亡くなっていなかったと解釈することもできますので……)。
ですから、今回は一般的なテーマ(主題)を考察したいと思います。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
- 1998-06-01
まず、わかり合うことのできなかった人間ときつねの話であること、お詫びの気持ちを持って兵十の家へ出向いていたことが共通してどのバージョンでも描かれていることから、ごんが自分の行動へ罪の意識を持ち、兵十へお詫びにいくというのが主題となるでしょう。
つまり「ごんの贖罪(※しょくざい……代償をささげて罪をつぐなうこと)」が、この作品のなかの大きなテーマであると解釈するのが無難かもしれません。
また、兵十が母を亡くしてひとりぼっちになってしまったとき、親がおらず同じくひとりぼっちだったごんが、なにかしらの共感を抱いたと考えられることも、この贖罪の背景となるのではないでしょうか。
さて、今回は『ごんぎつね』についてお伝えしましたが、いかがだったでしょうか。大人になってから読むと、またひと味ちがうのが本作の魅力です。あなたも、もう1度読んでみませんか。