「かげおくり」とは、影法師をじっと見つめて10数え、その後すぐ空を見上げると、影が空に映って見えるという遊びです。ちいちゃんとおにいちゃん、おかあさん、おとうさんは4人で「かげおくり」をします。 翌日、おとうさんは戦争へと向かいました。家族3人の暮らしが始まった夏、ちいちゃんは空襲に遭います。悲惨な戦争に消えた、小さな命の物語です。
本作は、第2次世界大戦の悲惨さを描く物語です。おとうさんを戦争に送り出して、ちいちゃんたちは家族3人の暮らしを始めました。その夏のある朝、ちいちゃんの街は空襲に遭います。焼け出されたちいちゃんは家族とはぐれ、ひとりぼっちになってしまうのです。
ちいちゃんには、助かるチャンスもありました。おかあさんとはぐれて途方に暮れていたときに、彼女を抱いて逃げてくれたおじさんや、家まで一緒に行ってくれた近所のおばさんを頼れば、生き延びることができたでしょう。でも彼女は、ひとりでお母さんを待ちました。
彼女は防空壕の中で、干し飯を食べながら飢えをしのぎました。干し飯というのは、炊いたお米を乾燥させて作る保存食です。
たっさたひとりで空腹に耐え、生きようとした小さな女の子。ちいちゃんの目から見た戦争が、ありのままに、悲しく描かれます。
- 著者
- あまん きみこ
- 出版日
光村図書出版の、小学3年生の国語の教科書に掲載されている作品。この絵本には、戦争を激しく否定するような言葉はまったく出てきません。しかし戦争がどんなものか、ということがしっかりと伝わってきます。友達と、家族と、戦争について話し合うきっかけになるでしょう。
家族がバラバラになること、あたりまえに普通の生活ができないこと。軽々しく「泣ける」などというと不謹慎に思えるほど、儚く消えた女の子の姿を静かに描いています。
シンプルながら、強いメッセージを感じられる一冊です。
本作に登場する人物たちを紹介します。
児童文学作家である彼女は、1931年、旧満州で満鉄社員の父の家に生まれました。14歳で敗戦を迎えて帰国します。創作を始めたのは結婚後で、自作の童話をわが子や近所の子どもらに読み聞かせていました。
生や死といった重いテーマも、柔らかなユーモアで包み込むところや、幼い頃から好きだったという宮沢賢治に通じる、透明感のある文章に特徴があります。代表作は「車のいろは空のいろ」シリーズなど。
- 著者
- あまん きみこ
- 出版日
- 2000-04-01
ひとりっ子で、少女時代は病弱だった彼女。寝ていることが多かったのですが、物資的には戦争中もあまり不自由のない暮らしをしていました。
知る筈もなかった満州社会の実態を知ったのは、当然、終戦後のこと。以来「中国の人たちを追いやって、自分は豊かな暮らしをしていた」という罪悪感を持ち続けていました。「知らないことは免罪にならない」と、理屈ではなくそう思っていたそうです。
『ちいちゃんのがげおくり』でも声高に戦争を否定するのではなく、淡々と少女の苦境を描いたのは、「被害者のように振る舞うこと」に対する抵抗があるからなのかもしれません。
太平洋戦争末期には、ほとんど毎日、日本全土に空襲がおこなわれ、広島と長崎に原爆が落とされました。『ちいちゃんのかげおくり』は実話ではなくフィクションですが、現実に、ちいちゃんのように、誰にも気付かれずに亡くなった人がたくさんいたことは間違いありません。
そして、そのひとりひとりに家族があり、幼い者は幼いなりに、記憶や人生がありました。戦争さえなければ続くはずだった未来が、その人の命とともに消え去ったのです。
本作の背景となっているこの戦争は、対象読者の年齢では理解するのが難しいかもしれません。今は日本とアメリカは表面的に大きな問題はないですから、戦っていたといってもピンとこない子供もいるでしょう。
そういうときには、今でも続いている中東やアフリカの戦乱を例にとって、人間というのは時々すごく愚かになって憎み合い、殺し合うこともあるのだ、と説明してみるのもよいでしょう。そして、つらいことに、そこでは今でも、ちいちゃんのような目に遭っている子供たちがいるのだと。
その子の興味に合わせて過去にあったことを学ばせるのに、本作は良い資料となるでしょう。
物語の最後では、ちいちゃんが家族4人で「かげおくり」をした場所は、今は公園になっていると書かれています。この公園は一体どこでしょうか。
さまざまな憶測をよんでいるこの設定ですが、手掛かりになる描写が一切ないので、特定することはできません。戦時中、空襲のあった場所ならどこでも可能性があります。東京大空襲があった東京かもしれませんし、原爆が投下された広島かもしれません。
むしろ、場所を特定しようとするのではなく、自分の住む町の公園や、故郷の公園など、よく行く公園が、戦時中はどんな場所だったのか。そういったことをお年寄りに聞いてみたり、調べてみたりしてはどうでしょうか。
焼け落ちた家の壊れかけた防空壕の中で、ちいちゃんはお母さんを待ち続けました。食べる物は、干し飯しかありません。夜が来て、朝が来て、また夜が来ます。
次に明るくなったとき、彼女は青い空に向かって「かげおくり」をしてみました。すると、空には人の影が4つ浮かびます。彼女の体はすうっと空に吸い込まれていき、おとうさん、おかあさん、おにいちゃんに再会するのです。
こうして、ちいちゃんは亡くなりました。彼女は持っていた干し飯を僅かしか口にせず、ひどく喉が渇いていたという描写もあるので、死因は栄養失調か、脱水症状と思われます。体が弱っていたので、感染症などの病気かもしれません。また、再び空襲があったとも考えられます。
しかし実際のところ、作者は死因を明確にしていません。
- 著者
- あまん きみこ
- 出版日
お話の冒頭で、家族4人でやった「かげおくり」と、ちいちゃんが最後にたったひとりでやった「かげおくり」の、なんと違うことでしょう。「2つのかげおくり」の間に、おとうさんは戦争に行き、残った家族は空襲に遭い、ちいちゃんはその家族とも離れてひとりぼっちになってしまいました。
燃える街の恐ろしさや、飢えや渇きの辛さも可哀想ですが、家族とはぐれてしまった小さな女の子の心細さを想像すると、ひときわ胸が締め付けられます。
「かげおくり」自体は、人間の視覚の仕組みに基づく残像現象で、科学的に説明がつくものです。でも、昔の人は、そこに何か神秘性を感じて、それが死んだ身近な人や先祖の霊であるという解釈をしていたこともあるようです。
ですからその考えにたった場合、このお話の結末でちいちゃんが「かげおくり」に家族の姿を見るのは、すでに家族たちが死んでいることを示唆します。また、冒頭で家族4人で「かげおくり」をすることも、彼らの死の伏線とも読むことができるでしょう。
ただ、作者の伝えたいことは、そのように解釈や分析をして主題を読み取ることではなく、ただ深く、ちいちゃんの気持ちに寄り添うことではないでしょうか。
あかね書房版のあとがきで、作者は、ちいちゃんはひとりではなく、たくさんのちいちゃんがいた、といっています。そして、こう結ぶのです。
「いえ、いまでもいるのです」
(『ちいちゃんのかげおくり』あかね書房版「あとがき」より引用)