彫刻家としても有名な高村光太郎。そんな彼の代表作といえば、愛妻である智恵子への想いを綴った本作です。本作には、彼の切実な思いが込められた詩が多数収録されています。すぐれた詩集ではありますが、作者のことや時代背景を知らないと、その本当の良さは伝わりません。 そこで今回の記事では、本作の魅力を知るために、作者・高村光太郎や、その妻・智恵子のことを始め、関連した事件などもお送りします。ぜひご覧ください。
高村光太郎が、妻への愛をつづった詩集、『智恵子抄』。岩波文庫などから出版されており、教科書にも載っている有名作品です。
テレビドラマや映画など、映像化もされている、多くの人の心に響く本作。映画には岩下志麻などが出演し、当時話題になりました。
- 著者
- 高村光太郎
- 出版日
- 2011-04-15
本作は、高村光太郎が妻・智恵子への想いをつづったピュアな作品ですが、裁判が起こったのをご存知でしょうか。もともと龍星閣という出版社から刊行されたのですが、同社の編集者が編集著作をしたと主張。光太郎の遺族が、それに抗議して提訴したということがあったのです。
裁判は長期にわたりましたが、原告側の勝訴で終わっています。
智恵子と光太郎は、共通の知り合いがいた縁で知り合いました。光太郎のアトリエに智恵子が訪れたことが、2人のはじめての対面だったとされています。そのときには智恵子に婚約者がいたため、光太郎は動揺していたのだそう。そのときの気持ちを、「人に」という作品でうたっています。
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて
(『人に』より引用)
高村光太郎は、彫刻家としても有名です。本作の他に『道程』などの詩集が知られ、日本の近現代を代表する詩人としても知られています。評論や短歌も創作し、多彩な才能を持っていました。フェミニストとしても知られ、駒尺喜美が書いた『高村光太郎のフェミニズム』という本も出版されています。
- 著者
- 駒尺 喜美
- 出版日
- 1992-05-01
妻・智恵子とは、光太郎のアトリエで知り合いました。彼女は洋画家で、彼との出会いで絵への意欲がかきたてられたといわれています。
1914年に、2人は結婚。しかし、1929年に智恵子の実家が破産し、この頃から彼女は健康を害していくこととなります。やがて精神疾患にかかり、発狂。光太郎は、熱心に看病をしました。智恵子の家族が住む千葉の九十九里浜に移住するなどしましたが、回復はしませんでした。
そして1938年、智恵子はこの世を去りました。
彼女の生家は、生誕地の二本松市に再現され、裏庭には智恵子記念館があります。九十九里浜には、光太郎の自筆で詩が刻まれた「智恵子抄の碑」も建てられました。
その後の光太郎は真珠湾攻撃を称賛するなど、戦争協力詩を多く発表。戦後は岩手県に粗末な小屋を建て、そこで7年間過ごしました。これは戦時中に、戦争協力詩を作ったことへの自責の念からきているといわれています。
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
(『智恵子抄』より引用)
この詩は「レモン哀歌」と並んで有名な作品で、教科書にも載っています。結婚して10年目のときに書かれたもので、2人の何気ないやりとりが描かれています。一見すると微笑ましい会話のようですが、ここでそれぞれの生い立ちや考え方の違いが浮き彫りになっているのです。
智恵子は病弱だったので、東京の空気は体に合いませんでした。彼女にとっては、阿多多羅山(現在の安達太良山)のある空こそが、本当の空だったのです。詩のなかでの彼女の発言は、名言といってもいいでしょう。
一方で、光太郎は都会育ち。彼は東京の空を見慣れているので、彼女の気持ちがわかりませんでした。あどけない話ではありますが、2人のすれ違いが描かれている詩でもあるのです。
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽(せいれつ)な生き物が
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
(『智恵子抄』より引用)
この詩は、智恵子の没後に刊行されました。女性は装飾を減らすことで美しくなるということに気づいた驚きが、簡潔に表現されています。
智恵子が生きていたころ、夫婦の生活は非常に貧しいものでした。着物を仕立てることもできなかったので、智恵子は粗末なセーターとズボンだけで過ごしていたのです。しかし、それがかえって彼女の美しさを引き立てることになりました。
人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
(『智恵子抄』より引用)
1934年5月。光太郎は精神を病んだ智恵子を、千葉県の九十九里浜に療養のためにつれてきます。ここには彼女の妹であるセツ一家と、実母がいました。彼は週に1度は彼女の元を訪ね、その療養生活は8ヶ月におよびました。
智恵子の体の状態は回復し、朦朧とした意識は元に戻ったものの、脳の状態は悪化。自分を鳥だと言ったり、光太郎の名前を1時間も呼び続けたりするなどしたのです。この詩では、変わってしまった彼女に対する、光太郎の気持ちが歌われています。
「ちい」が5回続いている部分が鳥の鳴き声で、3回の部分が智恵子の声です。それを見た光太郎が立ち尽くしているところに、彼の感情が込められています。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
(『智恵子抄』より引用)
光太郎の詩のなかで、もっとも有名な作品です。智恵子が息を引き取る瞬間の情景が描かれています。「トパアズ色の香気」など、あまりにも美化された表現が賛否両論を呼んでもいます。そこまでしなければ、彼は彼女の死を描けなかったということなのでしょうか。
智恵子は「山麓の二人」という作品でも「わたしもうぢき駄目になる」といっており、死期が近いことを悟っていました。こちらの詩も、光太郎の悲しみが伝わってくる名作です。
智恵子は切り絵が趣味で、生前はさまざまな作品を創作していました。
その切り絵に関するエピソードが、本作には収録されています。
- 著者
- ["高村 智恵子", "高村 規"]
- 出版日
精神を病んでから半年ほどしたころ、光太郎が病室に千代紙を持っていきました。智恵子はマニキュアに使うハサミで、さまざまな絵を切り抜いていきます。そして2年足らずのうちに、数千点の作品が作られたのです。
彼女は切り絵を人に見せず、光太郎が見舞いにきたときだけ恥ずかしそうに披露したそう。
その切り絵は、福島県の二本松市にある、智恵子記念館で見ることができます。画集も発売されているので、興味のある方は手にとってみましょう。
「名作なのはわかったけど、詩はあんまり読まない……」
そんな方には、本書の漫画版がおすすめ。こちらもあわせてご紹介します。
- 著者
- 高村 光太郎
- 出版日
- 2009-09-30
『智恵子抄〜深愛〜 (マンガで完読)』は、光太郎の詩を19篇とりあげ、すべてを漫画化しています。文字だけでは伝わらない情景も描き、わかりやすいと評判です。
史実を元に、2人の人生についても描かれているので、伝記を読む感覚で楽しめるかもしれません。詩の世界観をうまく表現した、美しい絵にも注目です。
詩集を読むきっかけや、再読の際に参考にするには、うってつけ。詩集で挫折する人もいるので、そういった方にプレゼントしても喜ばれるかもしれません。