村上春樹が書いた最新の長編小説である、『騎士団長殺し』。発売当時からテレビニュースでも取り上げられるなど、大変な話題となりました。第2部まで合わせ1000ページを超える大作で、これまでの村上春樹の作品のなかでも最高傑作と呼ばれることもある作品です。 この記事では、そんな本作をわかりやすく解説。その魅力をお伝えいたします。
本作は、主人公が突然妻から別れを告げられ、彼女が戻ってくるまでの9ヶ月間にあったことが大枠となった物語です。
「第1部 顕れるイデア編」と、 「第2部 遷ろうメタファー編」に分かれています。村上春樹の作品には珍しく、ミステリー要素が強いことも特徴です。
騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
また、そんな本作を執筆した村上春樹は、いわずと知れたノーベル文学賞候補の作家。彼が書いた『ノルウェイの森』は日本最高の売り上げ部数を誇ります。
彼のファンは「ハルキスト」と呼ばれ、新刊発売前日から本屋に行列ができるほどの人気ぶりです。
ここでは本作の登場人物たちをご紹介いたします。
・主人公(私)
36歳の肖像画家。妻との離婚話のせいで、家を出て放浪の旅に出ます。彼の名前は、物語のなかで一切登場しません。
・柚(ユズ)
主人公より3つ年下の妻。離婚手続き前から別の男と付き合っており、妊娠しています。
・小径(こみち)
主人公の妹。通称・コミ。生きていれば柚と同い年です。しかし、心臓病で12歳のときに他界してしまいます。
・雨田政彦(あまだまさひこ)
主人公の美大時代の友人。主人公にアトリエを貸してくれます。
・雨田具彦(あまだともひこ)
92歳になる政彦の父。認知症を発症しています。もともと有名な日本画家で、彼の別邸から主人公は『騎士団長殺し』という絵を発見します。
・秋山まりえ
13歳の中学1年生。無口ですが、優れた芸術を見抜く能力に秀でています。
・免色渉(めんしきわたる)
主人公が暮らすアトリエの近くに住んでいる、豪邸の主人。主人公に肖像画を書いてほしいと依頼します。
本作にはプロローグがありますが、エピローグはありません。後でも説明するように、プロローグがあるにも関わらずエピローグがないことから、第3部が発行される可能性があるのではないか、このプロローグがエピローグの役割も果たしているのではないかなどと話題になっています。
本作はプロローグで、主人公が「顔のない男」の肖像画を書こうとする場面から始まります。そして、この肖像画は、物語の最後まで完成することはありません。
ここで主人公が書こうとしている「顔のない男」は、彼の想像の世界と現実の世界を、「橋渡し」をする役割を担っています。騎士団長殺しという物語のなかで、彼の心の中の思想や出来事は彼が絵を書くことによって現実となります。
このように、主人公が書こうとしている「顔のない男」の肖像画は、2つの世界の架橋するという、重要な役割を担っているのです。
本作では、主人公がサラダをしつらえるシーンがあります。しかし、彼がしつらえるサラダがあまりに昭和のレシピを用いたものであったため、それが話題になりました。彼が作ったのは、レタスとトマト、ピーマンの輪切り、そして玉ねぎを使ったサラダという、1970年代の喫茶店を彷彿されるものであったからです。
村上春樹『騎士団長殺し』34の謎 (アオシマ書店)
この話題、通称「昭和サラダ問題」は、『村上春樹「騎士団長殺し」34の謎』という本のなかでも語られ、「おしゃれ」を象徴するような村上春樹の作風が前時代的になっているのではないかとちょっとしたトピックになりました。
この「昭和サラダ問題」にも現れていますが、村上春樹の本は料理にも注目したいもの。彼は昔からジャズ喫茶で働いていたという経歴があるため、ジャズ喫茶の料理として出てきそうな料理が、小説の中でたくさんで登場します。『騎士団長殺し』も例外ではありません。
ただ、その内容が今の時代とは少し離れているところが、このサラダが話題になった理由なのでしょう。
本作のなかには、白いスバル・フォレスターに乗った男が登場します。しかし、騎士団長殺しの本を最後まで読んでも、彼が本当に存在する人物なのかどうかはわかりません。
ある日、東北訛りの若い女から逆ナンパされた主人公はラブホテルで関係を持ちますが、朝起きてみると彼女の姿はありませんでした。その後ホテルで朝食をとっていると、主人公は白いスバルフォレスターに乗った男に睨まれます。非難するような意味を感じさせる眼差しでした。
主人公は、関係を持った女が話していた、彼女を追っているDV男ではないかと想像します。
実のところ、白いスバル・フォレスターの男は、主人公の中だけに存在する架構の人物。この男は絵に描かれることによって、初めて現実の世界で見えるようになります。彼は、主人公の心のうちを映す鏡のような存在なのです。
主人公は女と関係を持ちましたが、それは自分から望んだことではありませんでした。だから彼は、内面では自分自身を非難していました。あのとき彼に見えたのは、ユズを裏切って、他の女と関係を持った自分自身を非難する、彼の内面だったのです。
『騎士団長殺し』という物語のなかで、白いスバル・フォレスターの男は人間の心の内(無意識)に存在するもののメタファーとして機能しているのです。
本作は、ジョージ・オーウェルの『1984年』にも言及しており、村上春樹が前に書いた『1Q84』でも主題として取り上げられていた作品。
『1984年』のなかで、ジョージ・オーウェルは二重思考について語っています。彼のいう二重思考(=メタファー)とは、「1つの精神が同時に相反する2つの信条を持ち、その両方を受け入れることができる能力のこと」。具体的な例としては、戦争は平和なり、自由は隷属なり、無理は知なり、というスローガンなどに表現されています。
ただしジョージ・オーウェルは、二重思考は人間が自発的に受け入れるものではなく、作中に登場するビッグブラザーという巨大な権力によって強制されたものだと説明しています。
村上春樹はなぜ、この二重思考という概念を、本作に導入する必要があったのでしょうか。その謎解きをしていきましょう。
- 著者
- ジョージ・オーウェル
- 出版日
- 2009-07-18
村上春樹が『騎士団長殺し』のなかで言っているメタファー(=思考)とは、自分自身の中にある、相反する2つの信条のことを表します。したがって、二重思考が本人の外側から強制されるものとして描かれている一方で、二重メタファーはその人自身の内側から生成されるものということです。
主人公であるわたしは、イデアである騎士団長に導かれて、二重メタファーと戦い、物語の最後には現実の世界へと戻っていきます。二重メタファーは私たち人間の世界では有害で、正しい思いを貪り食ってしまうことが特徴とされている存在です。
物語のなかで、ドント・アンナは二重メタファーについて、次のように語っています。
「あなたの中にありながら、
あなたにとっての正しい思いをつかまえて、
次々に貪り食べてしまうもの。
そのように肥え太っていくもの。
それが二重メタファー。
それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの。」
(『騎士団長殺し』より引用)
二重メタファーの具体的な例としては、二重思考にも重なりますが、「戦争が平和をもたらす」、「自由とは従属すること」「無知は知」であるなど、1つの言葉の表の意味とは裏腹の、裏側に潜むもののことです。
平和とは本来戦争によってもたらされるものではありませんし、自由も従属によってもたらされるわけではありません。平和とは平和そのものであるはずであるのに、平和になるためには戦争が必要悪であるとするのは間違いなのです。
しかし、私たちは心のどこかで(つまり人間の内側で)戦争が平和をもたらすのだし、自由になるためには従属が必要だと思っている節があるのではないでしょうか。
このように、言葉には二重のメタファー(隠喩)が隠されているのです。このことによって、絡め取られた人間の内面を暴き出すことが、村上春樹の描く作品の隠れたテーマとなっているのでしょう。
本作のなかで、もっとも難解なのは「イデア」の存在です。イデアとは一体何なのか、これが何を意味しているのかを理解することが、本作を楽しむためには大切となってきます。
一般に哲学では、イデアとは概念のことをいいます。概念とは私たちが生きている世界を認識するために区切っているものです。つまり、私たちが世界を認識する方法そのものということができます。
この概念には、目に見えるような形はありません。非常に抽象的です。しかし私たち人間は、その抽象的なものによって、世界を区切ってイメージできるようにしているのです。
絵画から出てきた騎士団長は、「私はイデアだ」と言います。ということは、彼はイデアそのものであって、私たちの世界の認識の仕方そのものです。ただし、絵の中の彼が現実世界で生きているということではなく、絵とは関係ない抽象的なイメージとして存在していることになります。
イデアとは、私たちが世界をイメージするために生み出したものであると同時に、私たちの世界を根拠づけているものです。たとえば、石という概念が存在するからこそ、私たちは石をイメージすることができますし、私たちの世界はそのようなイメージによって根拠付けられて存在しています。
逆に概念がなければ、私たちは世界を認識することさえできないのです。
つまり本作のなかでは、騎士団長(=イデア)が、私たちが世界をイメージするために生み出したものであると同時に、私たちの世界に対するイメージを根拠づけるものとして機能しているといえるでしょう。
本作は、毎夜、主人公である私が鈴の音を聴くことによって物語が進展していきます。その音は、彼が暮らしている小田原郊外の屋敷の後ろにある、藪の中から聞こえてくるのです。
その音の出処を探ろうと、彼は藪の中へと入っていきます。そして祠の裏側で井戸を一回り大きくしたような穴を発見しました。鈴の音は、どうやらその穴の中から聞こえてくるようなのです。
しかし音が聞こえるということは、その中で誰かが鈴を鳴らしているということ。こんな夜中に、藪の中の仄暗い穴の中で、一体誰が鈴を鳴らすというのでしょうか?
主人公は、即身仏や亡霊のような存在が鈴を鳴らしているのではないかと考えるようになります。というのも、免色から上田秋成の作品である『春雨物語』について聞いたからです。
その物語の中では、井戸の中で鈴を鳴らしていたのは即身成仏しそこなったミイラ。それは俗世において、妻を娶(めと)り、仏になろうとしたのにも関わらず、世俗的な生活をするようになり、そのせいで周囲の村人から「入定の定助」とバカにされるようになった存在でした。
主人公は重機を使ってその穴を掘り返しますが、結局ミイラは出てきません。しかし、穴の中から鈴が発見されます。この鈴を誰が鳴らしていたのか、その手がかりはまったくつかめません。しかたなく彼は、その鈴を家に持ち帰りますが、それが絵画の中から騎士団長を呼び寄せることとなるのです。
なんともいえない恐ろしさを感じさせる展開で、背筋がひやりとしますね。結局、誰が鈴を鳴らしていたのでしょうか……?
本作は香港の司法当局によって、18歳未満への販売が禁止となりました。暴力シーンやわいせつ表現を含むとして、流通を制限する条例に基づき、18歳未満への販売が禁止されたのです。
そのせいで、香港の書店では『騎士団長殺し』はビニールで密封して販売されており、立ち読みをすることさえできません。それに対して、この決定の撤回を求める署名活動が展開されるなど、混乱を招きました。
こういった流れで販売抑制となったという体裁となっていますが、一部では香港大規模民主化デモである「雨傘運動」を支持したことに対する、政府の危機感を示しているという見方もあります。
ここにいう雨傘運動とは、2014年9月26日から79日間、香港で続いた民主化要求デモのことです。催涙弾や催涙スプレーでデモに参加する民衆を排除しようとした警察に、デモ参加者が雨傘をさして対抗したことから、こう呼ばれています。
直接的には言及されていていませんが、本作に限らず、村上春樹の作品には反体制的と考えられるような記述が見られます。そのせいで香港では、本作が発禁になったのではないかという見方もあるのです。
先ほども少しお伝えしたように、本作には第三部があるのではないかという噂があります。それは回収されないまま終わった伏線が、多数存在するからです。実際、村上春樹はたくさんの暗示を第二部までに散りばめています。それが今後大きなテーマとなって展開される可能性も、十分に考えられるでしょう。
たとえば、本作に登場する『ドン・ジョバンニ』という曲は、物語のなかで重要な役割を担っています。そのテーマとなるのが「父殺し」です。しかし本作のなかでは、ほとんど父殺しに関する記述がありません。
村上春樹は、かねてから『カラマーゾフの兄弟』のような本を書きたいと言っています。その作品もまた、父殺しがテーマとなった小説です。これは関係があるのでは?と、つい考えてしまいますよね。そして彼のような経験ある作家が、この伏線を放っておくわけがないという予想からも、第三部があるのではないかとされているのです。
しかし、販売が期待されているというだけで、実際に出版される予定は今のところありませんので、作者のみぞ知るところですね。
本作の基調となるテーマは、「この世界とはどのような世界」なのかということ。私たち人間は、世界をどのようにして認識しているか。それが、村上春樹が本作を通じて読者に訴えかけたかったことなのではないでしょうか。
この本は、第1部として「顕れるイデア」、第2部として「遷ろうメタファー」に分かれています。前で説明したようにイデアという概念は、私たちや私たち以外の事物の根拠を存在させるために必要な根源です。
私たちはそれがないと、存在することはできません。というよりイデアがなければ、私たちは存在しているということを認識することさえできないのです。
しかし、イデアは世界そのものではありません。抽象的になってしまいますが、主人公は画家として世界そのものではないイデアを、現実の世界で描こうと奔走します。
真実そのものではないイデアは、メタファー(暗喩)となって、現実の世界を埋め尽くしていますが、主人公はイデアを描き出すことによって、自分の心の闇を覆い隠そうとしているのです。
彼の挑戦を見ていると、私たちが認識している世界とは、真実そのものではなく、メタファーによって埋め尽くされたイデアなのかもしれない、という考えが浮かんできます。そのように、イデアによって埋め尽くされた世界を、どのように克服するかということこそが村上春樹が取り組んだ課題であり、テーマなのかもしれません。
『騎士団長殺し』では、作中にクラシック音楽やジャズ、ロックがたくさん登場します。
物語のなかで特に注目に値するのが、モーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』と、リヒャルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』という2つの名作オペラです。
騎士団長はドン・ジョヴァンニに殺された、ドンナ・アンナの父親です。騎士団は広大な領地を有しています。それは実質的に、国に匹敵する規模です。そのため騎士団長は国家元帥に等しい地位を持っているといえます。
『騎士団長殺し』のなかでは、リヒャルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』が登場。しかも、演奏はゲオルク・ショルティが指揮する、ウィーンフィルのものが名指しされています。
このように、本作のなかで村上春樹は、数々の音楽を登場させているのです。
本作には、たくさんの名言が登場します。
まず紹介するのは、騎士団長が主人公に向かって言う言葉です。
目に見えるものが現実だ。
しっかりと目を開けてそれを見ておればいいのだ。
判断はあとですればよろしい
(『騎士団長殺し』より引用)
私たちは、目に見えるものしか、現実として認識することができません。だから、それをありのままに認識することが大切です。しかし私たちにとって重要なことは、現実を認識することではなく、現実について判断することなのです。
物語の最後では、主人公の妻である柚が、主人公に対してこんなことを言っています。
「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、
でもそこで起こることのほとんどすべては、
私とは関係のない場所で勝手に決められて、
勝手に進められているのかもしれないって。
つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、
結局のところ私自身は大事なことは何ひとつ選んでいないのかもしれない。
そして私が妊娠してしまったのも、そういうひとつの顕れじゃないかって考えたの」
「こういうのって、よくある運命論みたいに聞こえるかもしれないけど、
でも本当にそう感じたの。
とても率直に、とてもひしひしと。そして思ったの。
こうなったのなら、何があっても私一人で子供を産んで育ててみようって。
そして私にこれから何が起こるのかを見届けてみようって。
それがすごく大事なことであるように思えた」
(『騎士団長殺し』より引用)
私たちは、自分の意思で人生を生きていると思いがちです。しかし、人生は決して思うようには進まないのが常ですし、その思想すらも何かに影響されて形作られたものです。そうすると、確かに人生は自分とは関係ない場所で勝手に決められていて、勝手に進められているとも感じられますね。
絵画「騎士団長殺し」の中から騎士団長が出てきたのをきっかけに、「現実世界」と「想像の世界(イデアの世界)」を行ったり来たりするようになった主人公。
そんな彼はある日、免色から秋川まりえの肖像画を描いてほしいと依頼を受けます。そして、その様子を見せてほしいと頼まれるのでした。彼女は、免色の娘かもしれないらしいのです。主人公は、その依頼を受けることにしました。
しかし、そんななか、まりえが行方不明になる事件が発生します。騎士団長にアドバイス受け、主人公は雨田具彦の元を訪れることに。そのことをきっかけに、絵画「騎士団長殺し」についての秘密が明かされることになるのです。
現実と想像が混在する物語は、いったいどういった結末を迎えるのでしょうか。気になるかたは、ぜひお手に取ってお確かめください。
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編
2017年02月24日
本作を読むと、私たちが生きている世界がどれだけ「想像の世界(イデアの世界)」によって構成されているかが理解できます。たとえば、私たちが生きている世界には、神は実在しませんよね。しかし、私たちは神の存在を信じることができます。
つまり、私たちは「想像の世界(イデアの世界)」を信じることができる、ということを意味しているのです。
しかし、「想像の世界」がメタファーによって覆われてしまうと、その意味が一気に変質してしまいます。「想像の世界」がメタファーによって覆われることについて少し補足説明をしましょう。
たとえば、神の存在を私たちは信じることはできますが、神が何を私たちに伝えたいのかを正確に認識することはできまません。神が伝えたいことを私たちが補おうとすれば、想像するしかないのです。そうすると、神の意思とは関係なく、想像の世界が独り歩きしてしまいます。最終的に、独り歩きした想像の世界が、私たちを規定するようになってしまうのです。これが、「想像の世界」がメタファーによって覆われるということ。
私たちの生き方を規定するようになった、想像の世界に覆われた現実世界を克服するためには、どうしたらよいでしょうか?
本作のなかには、結末にそのヒントがほのめかされています。これから読む方は、ぜひそのヒントを読み解いてみてくださいね。
村上春樹の最新長編小説である『騎士団長殺し』は、彼が書いた作品のなかでは、わかりやすい作品といわれています。しかし、1000ページ以上にわたる長い作品なので、まずはあらすじだけでもおさえておいたほうが読みやすくなるでしょう。ぜひ、この記事を参考にしてみてくださいね。