イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの喜劇作品、『ヴェニスの商人』。制作時期は1594年から97年頃。本作は、14世紀後半のイタリア散文物語集『イル・ペコローネ』、13世紀のラテン語の説話集『ゲスタ・ロマノールム』を種本として書かれており、当時の人気作家クリストファー・マーロウの『マルタ島のユダヤ人』にも強く影響を受けています。そのため共通点も多く、対抗作品として執筆されたのではないかともいわれているのです。 ユダヤ人への差別問題など、多くの見解・解釈が存在し、今なおさまざまな切り口から、舞台や映画で上演されています。今回は、そんな本作のあらすじ、登場人物、作者、さまざまな読み解き方などをご紹介していきたいと思います。ぜひご覧ください。
本作は他のシェイクスピア作品と同様、多くの訳が出版されており、光文社からは安西徹雄、ちくま文庫からは『シェイクスピア全集』の10巻として松岡和子のものなどが発行されています。
訳者によって台詞や登場人物の名前、さらに人数なども違っていますので、読み比べてみるのも面白いかもしれません。では、まずはあらすじをご紹介しましょう。
主人公バサーニオは散財の末借金まで抱えていますが、富豪の娘ポーシャに求婚するためのお金が必要になります。そのため友人の貿易商アントーニオに用立ててくれるように頼みました。即座にお金を用意出来ないアントーニオは、ユダヤ人の高利貸しシャイロックからお金を借りられるように取り計らいます。
常日頃からアントーニオに酷い扱いをされ、恨みを抱いていたシャイロックは、借金を承諾する代わりに「期限内に返済出来なければアントーニオの肉1ポンドを切り取る」事を条件に出すことに。アントーニオはそれを承諾し、バサーニオは求婚のために旅立ちました。
ポーシャは父の遺言により、金、銀、鉛の3つの箱の中から、正しい箱を選び取った者と結婚しなければなりません。モロッコ王やアラゴン王が箱選びに挑戦して失敗しますが、そんななかバサーニオは正しい箱を選び取りました。
彼を憎からず想っていたポーシャは、この結婚を喜びます。さらに同行していたグラシアーノは、ポーシャの侍女ネリッサとの結婚を決め、祝福ムードが漂うのでした。
一方シャイロックの娘ジェシカは父の商売を嫌い、貴族の青年ロレンゾーと駆け落ちしてしまいます。財産を持ち出され怒り心頭、消沈するシャイロックですが、アントーニオの船が戻らない事に対しては喜びを隠せません。
そんななか、駆け落ちしたジェシカとロレンゾーに同行したサリーリオによって、アントーニオの危機を知ったバサーニオは、ポーシャの助力を得て、友人を助けるためにヴェニスに戻ります。
公爵らの忠告を聞き入れず、証文通りの返済を頑なに要求するシャイロックは、裁判でアントーニオを追い詰めます。バサーニオが、借りた金額の2倍を払うと申し出ても、要求を取り下げる事はできません。そして裁判官が、書記とともに現れ、判決を執りおこなうことになるのでした。
この人肉裁判は、いったいどういった結末を迎えるのでしょうか。アントーニオとシャイロックの確執の行方は、ぜひ本書で確かめて頂きたい部分です。
- 著者
- ウィリアム・シェイクスピア
- 出版日
- 1983-10-01
本作は映画や舞台でも楽しめます。
マイケル・ラドフォード監督作品の映画『ヴェニスの商人』では、シャイロックらユダヤ人側から見た悲劇的側面と、キリスト教徒側から見た喜劇的側面の両方を見せる事で、この作品の多面的な解釈を深く掘り下げています。シャイロック役にアル・パチーノを起用しており、彼の重厚な演技も見所です。
また、グレゴリー・ドーラン演出の日本での舞台では、登場人物達がなかなかに癖のある演技で観客を楽しませてくれます。冒頭の、理由のわからない憂鬱を抱えた男アントーニオの登場シーンからして衝撃です。予想もつかない装いで登場する「彼ら」に思わず笑ってしまうのではないでしょうか。シェイクスピア、面白いじゃないか……!と思わせるには十分ですが、目のやり場に困ること請け合いです。
藤原竜也演じるバサーニオは、とんでもないダメ男な設定なのに、なぜか周囲の人々に愛されるキャラクターとして生き生きと動き回り、市村正親のシャイロックは物凄い目力で客席を睨み付け、寺島しのぶのポーシャは鋭い弁舌を思う存分に発揮します。
そして蜷川幸雄が手掛けた舞台は、シェイクスピアの時代と同じく、男性だけが演じる『ヴェニスの商人』です。中村倫也がポーシャを演じ、その可愛らしさが話題となりました。また市川猿之介演じるシャイロックは、歌舞伎の所作を取り入れる、見栄を切るなど、憎たらしいまでの悪役感が演出され、見所となっています。
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ここでは結構多めな登場人物たちを整理し、彼らの特徴をご紹介します。
『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』など、数々の作品を残してきた人物。いくつかの作品名を聞けば、1つも知らないという人はあまりいないのではないでしょうか。
1564年4月に、イングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンにて、手袋職人ジョン・シェイクスピアの長男として生まれたシェイクスピア。1560年頃の日本はといえば、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討った頃になります。シェイクスピアが彼らと同時代の人物、と考えると少し不思議な感じがしますね。
18歳で、8歳年上の女性アン・ハサウェイと結婚。翌年には長女、さらに翌年には男女の双子を授かり、一気に3児の父となります。ここからしばらく、彼の記録は途絶えます。
そして29歳。いつの間にかロンドンで詩人となっており、また劇団の座付き劇作家、役者として活躍していました。それから47歳で引退を決意するまでシェイクスピア劇団を共同経営し、宮内大臣一座から国王一座への昇格をも経験したのです。
ストラトフォードからロンドンに至るまでの記録が見つかっていない事から、その期間は「シェイクスピアの失われた年月」ともいわれ、その謎は多くの憶測を呼び、生存否定説や影武者説などが生まれる事となりました。
没年は1616年4月24日(あるいは4月23日)。また、彼が生まれた時の洗礼の記録が4月26日となっており、おそらくその2~3日前に生まれたのではとの推測があったため、生年と没年の日付の近さから、「同じ日に生まれて亡くなった」という事になっているようです。
不思議な偶然と呼ぶより他にありませんが、そういったミステリアスな部分、劇的な生涯が、今なお多くの人を惹き付けて止まない一因なのかもしれません。
『ヴェニスの商人』において、1番可哀想な人物といっても過言ではない、ユダヤ人の高利貸しシャイロック。ヘブライ語の「shalach(強欲者)」に由来する名を持つ彼は、この悲惨な結末のために造形されたキャラクターともいえます。
しかし、シェイクスピアが彼にいくつもの人間味を感じさせる台詞を与えた事により、本作は喜劇とされながらも、ユダヤ人差別の悲劇という側面を浮かび上がらせる複雑な作品となりました。
彼は、家業を嫌った娘に駆け落ちされ、積年の恨みを晴らすための復讐にも破れ、さらに死刑宣告にも等しい扱いを受けるなどして、敗者として舞台を去るのです。
日本では、「ユダヤ人=嫌われ者」という構図はいまいちピンとこないかもしれません。しかし、当時のイギリスでは「ユダヤ人」と「高利貸し」は、嫌われ者の代名詞のような存在だったようです。
では、どうしてユダヤ人がキリスト教圏で嫌われるのでしょうか。たくさんの解釈、意見がありますが、いくつかご紹介していきましょう。
まず1つ目は、ユダヤ人がイエス・キリストを(間接的に)殺したという理由です。ユダヤ教の宗教改革をおこなったキリストは、ユダヤの権力者達から疎まれ、ローマ帝国に犯罪者として引き渡されて処刑されてしまいます。
このため、キリストの処刑の発端となったユダヤ人は、キリスト教圏で迫害の対象となってしまったのです。こういった意見は、反ユダヤ主義を主張する人々によって支持・主張されていますが、直接キリストを処刑したローマ人ではなく、ユダヤ人が名指しで批判されている点を疑問視する声もあります。
2つ目は、キリスト教では金貸しは良くない事とされており、それをおこなうユダヤ人によい印象を持たなかったというものです。しかし、キリスト教圏では迫害の対象であるユダヤ人の就ける職業は限られていおり、その少ない選択肢の1つが金貸しだったのです。
生活のためにその職業に就けば「金貸しなんてとんでもない」とさらに嫌われ、なかなか理不尽な状況といえます。
3つ目は、金貸しという職業をおこなうなかで成功を納め、金銭的に裕福なユダヤ人が現れた事への反感という点が挙げられます。それが原因で、国際資本を形成し始めた彼らが国家を乗っ取ろうとしているという、陰謀論にも発展したようです。
以上のような宗教的嫌悪感、金貸しという職業に対する嫌悪感、さらには資本力に対する不信感が背景となって、ユダヤ人=嫌われ者という構図が定着していったのではないかと考えられているようです。
『ヴェニスの商人の資本論』のように、本作から資本論を読み解こうという考え方もあります。『ヴェニスの商人』から資本・経済を見る向きは、カール・マルクスが『資本論』でシャイロックの台詞などを引用した事からも窺えるものです。
- 著者
- 岩井 克人
- 出版日
- 1992-06-26
マルクスは『ヴェニスの商人』だけではなく、シェイクスピアの作品から多くの引用を用いて『資本論』に取り入れている事でも知られています。
また『ヴェニスの商人』は主に裁判の場面から、グローバル経済の本質に迫る論理と展開を見る事が出来る作品という評価もあり、「金融業界の人間は1度は読んでみた方がいい文学作品」といわれることもあるようです。
文学作品としては興味を持てないという方も、こういった切り口からなら作品を鑑賞できるのではないでしょうか。
本作は、漫画で読むのもおすすめ。シェイクスピアのような古典を読むのが苦手という方、また、ほぼ台詞のみで構成された原作を読むのが難しいという方は、漫画で読破してみるのもいいかもしれません。
- 著者
- シェイクスピア
- 出版日
- 2009-06-25
よく似た名前の登場人物が多い本作ですが(サラリーノ、ソラーニオ、サレーリオなどは読んでいて混乱してしまう事があります)、絵で見る事でわかりやすく人物が把握出来る分、ストーリーを理解しやすく感じられるかもしれません。
アントーニオとシャイロックの確執など、読者に理解しやすいように場面を補って見せてくれるので、原作を読んで、台詞から推察するしかなかった部分も、すっと頭に入ってきます。シャイロックの悪い顔も、絵面で楽しめますよ。
本作にはたくさんの名言が登場しますが、ここではそのうち5つをピックアップ。有名なものも多いので、どこかで聞いたことのある言葉もあるかもしれません。
第5位
「大枚の儲けを邪魔しやがって、
わしが損をしたといっては嘲笑い、
わしが得をしたといっては嘲り、
われらユダヤの民を嘲弄し、
わしの商売を妨げ、わしの友情には水を差し、
敵の憎しみは煽り立てーー何のためだ?
ただ、わしがユダヤ人だからという、ただそれだけのため。」
(『ヴェニスの商人』より引用)
第4位
「ユダヤ人には目がないのか。
ユダヤ人には、手がないのか。
胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。
四肢五体も、感覚も、感情も、激情もないというのか。
同じものを食い、同じ刃物で傷つき、
同じ病で苦しみ、同じ手当てで治り、
夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないととでもいうのか。
何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。
針で突けば、わしらだって血は出るぞ。
くすぐられれば、笑いもする。
毒を盛られれば、死ぬではないか。
それならば、屈辱を加えられれば、
どうして復讐をしないでいられる。」
(『ヴェニスの商人』より引用)
まずは、シャイロックの台詞を2つ。この台詞の切実さ、この訴えの真に迫っていることから、本作をただのユダヤ人差別と片付ける事が出来ない、という見解があります。一方で、彼から見たキリスト教徒の矛盾や滑稽さこそが、喜劇であるとも考えられるでしょう。
第3位
「でも、恋は盲目っていうもの。
恋する者の目には、自分たちの他愛ない馬鹿な真似など見えないもの。」
(『ヴェニスの商人』より引用)
ジェシカの台詞。恋は盲目というフレーズは、耳に馴染みがあるかもしれません。変装して恋人と駆け落ちする自分の姿は、恥ずかしくて見られたものではないけれど、恋をしている者は自分の滑稽な姿など見えなくなってしまうものだ、と独白しています。
第2位
「輝くもの 必ずしも 黄金ならず」
(『ヴェニスの商人』より引用)
3つの箱は金、銀、鉛でできています。箱選びに臨んだモロッコ王は金の箱を選び取りますが、その中に入っていたのはドクロでした。そして、ドクロとともに入っていたのがこの言葉です。
輝いているものが、必ずしも黄金だとは限らない。見た目に騙されてしまったモロッコ王は、この詩の意味を噛み締めながら、去っていくのでした。
第1位
「そう、確かに、見かけと中身とは、往々にして似ても似つかぬ。
人はいつでも、見た目の美しさに、つい欺かれるもの。」
(『ヴェニスの商人』より引用)
箱選びに臨むバサーニオが、それぞれの箱を見ながら呟く台詞です。金銀の美しい箱を前にして、人は見かけに騙されてしまいがちだが、本質はどこにあるのだろう、と思案に暮れる場面です。
『ヴェニスの商人』の名言たち、いかがでしたでしょうか。どこかで聞いたことのある言葉の元ネタが見つかったかもしれませんね。この他にも素敵な台詞、格言、面白味のある皮肉や、笑ってしまう会話が満載です。
興味を持った方は、ぜひ名言集などをチェックしてみてはいかがでしょうか。なお、この引用は安西徹雄訳『ヴェニスの商人』(2007年、光文社)の本文を用いています。
さて、衝撃の人肉裁判ですが、気になるこの顛末を少しだけご紹介していきましょう。
法廷に招かれた裁判官(ポーシャ)は、シャイロックに金銭での妥協を勧めますが、あくまで彼は「証文通りの正義」にこだわります。この件に関して、彼の最大の望みは金銭ではなく、アントーニオの命だったからです。
頑なに意思を曲げないシャイロック。裁判官は最終的に彼の主張を認めますが、契約書の内容を逆手に取り「キリスト教徒の血を一滴も流さずに」肉のみを取れと言い渡します。契約書には血は明記されていないため、それは含まれていないと言うのです。
もし血を流したら、契約違反。逆にシャイロックが土地財産の全てを没収されてしまうことに。血を流さずに肉を取る。そんな事は不可能ですから、シャイロックもついに諦めました。
彼は金銭でかたをつけると言うのですが、裁判官はなおも追撃の手を緩めません。1度拒否した金銭の受け取りは認められないとして、望み通り「肉1ポンド」を取るよう促すのでした。
一転して、窮地に追い込まれたシャイロック。彼の決断、そして公爵とアントーニオの示した「慈悲」。果たして彼に待つ結末は、一体どんなものになるのでしょうか。
- 著者
- ウィリアム・シェイクスピア
- 出版日
- 1983-10-01
この裁判の後、大団円に向かうのですが、そこにも喜劇的一幕が……。そこはもう、ポーシャとネリッサの独壇場です。2人の夫は、今後キッチリ嫁さんの尻に敷かれていくのではないかと思わせるほのぼの感は、シャイロックの悲壮感とのすさまじいギャップを漂わせています。
この軽さ、明るさが、むしろシャイロックという存在を突出させているようにも感じられるのです。
「いいや、命も何も、全部取れ!
許しなんぞ、いるか!
家を支える柱を取りゃあ、家を取ったも同じこと。
おれの命の支えは金だ。
金を取るなあ、おれを殺すも同じじゃねえか。」
(『ヴェニスの商人』より引用)
シャイロックの台詞をどう読むかは、読み手に委ねられています。シェイクスピアの「喜劇」は意味深なのか、深読みせずに楽しむのか。
たくさんの読み方、楽しみ方があると思いますので、ぜひ1度お手に取ってみてはいかがでしょうか。
映像化も多く、いろいろな角度から読み始めやすい作品だと思いますので、おすすめです。