『東海道中膝栗毛』を要点を押さえて解説!作者、タイトルの意味、エピソード

更新:2018.10.15

しくじりを繰り返して江戸に居づらくなった弥次さんと喜多さん、逃げるように、というか逃げて、伊勢参りに出発します。軽薄で粗忽でお調子者の2人組、東海道を行く先々で、珍妙、滑稽な騒動を起こします。身勝手な小悪人なのになぜか憎めない彼らの珍道中を描いた、江戸時代の傑作コメディです。 ここでは、東海道の名所を紹介する旅のガイドブックとしても読まれ、当時のベストセラーになった本作を、徹底解説します!また、参考は「新編 日本古典文学全集」シリーズの『東海道中膝栗毛』です。

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小説『東海道中膝栗毛』のあらすじ、タイトルの意味とは?映画版の魅力も紹介!

浮付いた性格で落ち着いた暮らしができない弥次さんと喜多さんは、住み慣れた江戸を離れて伊勢参りに出かけます。根が軽薄でお調子者の2人は、お互いにからかい合うばかりか、行く先々で出会う人にもちょっかいを出してふざけますから迷惑な話です。そういう愚行の果てに失敗をしてひどい目にあっては、下手くそな狂歌を読んでオチがつく、という構成の話が、宿場毎に繰り返されます。

江戸時代後期に書かれた、滑稽本と呼ばれる今でいう、喜劇やコメディの類の傑作です。土地毎のお国柄や名所、名産品などが丁寧に描かれているので、旅行案内としても重宝されたようです。出版されるや大人気となり、類似の本がたくさん作られるほどでした。

タイトルの「膝栗毛」の栗毛とは栗毛の馬のことです。自分の膝を馬の代わりに乗って行く、つまり徒歩旅行のことを洒落て「膝栗毛」といいました。

著者
十返舎 一九
出版日

古典喜劇の名作中の名作ですから、映画化作品も数多く「弥次喜多もの」という1つのジャンルを形成しているほどです。

また、HDカメラで撮影した歌舞伎の舞台公演を、スクリーンでのデジタル上映で楽しむという形式の「シネマ歌舞伎」の一環として、2016年に『東海道中膝栗毛〈やじきた〉』が公開されました。

弥次さんを市川染五郎(2018年現在・松本幸四郎)、喜多さんを市川猿之助という豪華キャストでした。江戸を逃げるように伊勢参りに旅立つという大筋は同じですが、途中でラスベガスに行ってしまうなど、思い切った奇想天外な脚色で人気を博し、翌年には続編『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』が公開されました。

作者・十返舎一九とは?

十返舎一九は、1765(明和2)年、駿府(現在の静岡市葵区)生まれ。幼名は市九で、一九の名はここから取ったようです。江戸、大阪で武家に奉公しましたが、後に浪人して浄瑠璃作者となりました。30歳で江戸に戻り、黄表紙と呼ばれる絵本を描いて作家活動を始めます。一九は文章だけでなく絵も描いたので、版元には重宝されました。そのため、黄表紙以外にもさまざまな本を書き、自作以外の出版も手伝いました。

1802(享和2)年『東海道中膝栗毛』が大ヒットします。当時は、本の刷り部数に応じて報酬を支払う印税という制度がなく、作家の報酬は原稿料だけでした。そのため、滝沢馬琴などの人気作家ですら副業を持ち、大変に貧しい暮らしをしていたのですが、一九は作品執筆による収入だけで生活したと言われますから、人気のほどがわかります。

目の病気や中風を患い、晩年は貧しく暮らし、67歳で没しました。辞世の句は「此(この)世をば どりゃおいとまに せん香と ともについには 灰(はい)左様なら」という、「おいとまにせん(しよう)」と「線香」をかけ、線香の灰と「はいさようなら」をかけた、とぼけた句でした。

『東海道中膝栗毛』の登場時人物を紹介!

本作の名コンビ2人組をそれぞれご紹介しましょう。

 

  • 栃面屋弥次郎兵衛(とちめんややじろべえ)

    通称・弥次さん。元々は駿府の大きな商家の息子でしたが、生まれ付きの遊び人で、店の金に手を付けて商売に穴を開け、仕方なく江戸へ逃げて来ました。江戸では細々と絵を描いて売る暮らし。東海道の旅に出発したときは数え歳50(満49)歳でした。

     
  • 喜多八

    通称・喜多さん。元々は華水多羅四郎(はなみずたらしろう)という役者の一座の一員で、その時の名前は鼻之助。駿府で弥次さんと出会い、一緒に江戸へやって来ました。江戸で喜多八と名を変えて、商家に奉公に出ます。旅への出発当時、数えで30(満29)歳でした。

『東海道中膝栗毛』の目的地伊勢神宮までのルート案内!

さて旅の発端はというと、平穏な暮らしが退屈になった弥次さん、何の罪もない女房を策略を用いて追い出してしまったからひどい話です。罰が当たったのか、女房を騙すために雇った身重の女が死んでしまいます。

一方、喜多さんは、奉公先の店の主人が死にかかっていて、死んだらそこの主人に収まろうと算段しています。これもひどい話。これを見破られて店をクビになります。運の悪さを嘆く2人は、連れ立って厄払いの伊勢参りにと旅立ちます。

弥次さん喜多さんが旅をした東海道は、江戸時代の主要五街道の1つです。五街道は徳川家康が全国統治のために整備した道で、東海道は江戸日本橋から京都三条大橋までの約125里(500km)を結ぶ街道です。その間に53の宿場があり、これがいわゆる東海道53次。箱根と新居には関所が設けられていました。弥次さんと喜多さんは、日本橋から伊勢神宮までを15日で旅し、その後、京、大阪へと向かいます。

また、宮(現在の愛知県名古屋市熱田区付近)から桑名(現在の三重県桑名市)の間の7里(28km)ほどは東海道唯一の海上ルート。作品中では、客の持っていた蛇が船の上で逃げ出したり、弥次さんが筒の中にしたおしっこをこぼしたりして、大騒ぎになります。

『東海道中膝栗毛』売れた理由を考察!

この作品が大ヒットした理由として、戦のない江戸時代も後期になると、平和な世の中が定着してきたという時代背景が挙げられます。暮らしに余裕ができ、各地に作られた寺子屋などに比較的豊かな町人や農民の子供が通うようになり、識字率が上がりました。最初は、読み書きは仕事の質を向上させる目的だったのでしょう。しかし結果として娯楽としての読書が流行し、「黄表紙」「洒落本」という絵入りの娯楽読物が多く出版されました。

また、日本語の文字種類の多さがネックとなって、日本では活版印刷はなかなか普及しなかったこともヒットの理由に一役買っているでしょう。江戸時代の出版物は、ほとんどが版木を手彫りした木版印刷で作られました。技法としては原始的ですが、浮世絵を見ればわかる通り、非常に洗練された印刷技術があったのです。

さらなるヒットの理由としては、江戸時代に何度もあった伊勢参りの流行もありました。旅行案内としての需要もあったのです。作品最大の魅力は弥次さん喜多さんの滑稽な振舞いですが、各地の名所、名物なども詳しく描写されていて、旅のハンドブックとしてとても便利でした。

御当地グルメだけでも、府中の安倍川餅、丸子のとろろ汁、瀬戸のそめ飯、桑名の焼はまぐりなどが紹介されています。滑稽な娯楽読物としても面白く、案内書としても便利だったのから、お得に感じられたことでしょう。

『東海道中膝栗毛』江戸時代のBL小説⁉

この作品は、弥次喜多の生い立ちと出合いから、江戸に来てさらに旅立つまでを描いた「発端」という章から始まりますが、この発端は、実は旅を描いた部分が全部でき上がった後から付け加えたものです。もっと読みたいという読者へのサービスか、むやみに江戸っ子ぶっていた2人が実は地方出身者だったおかしさを描こうとしたのかも知れません。

弥次さんと喜多さんの出会いは駿府のことですが、喜多さんはまだ若い役者で鼻之助と名乗っていました。弥次さんは、大きな商家の息子で大金持ちだったのですが、この鼻之助に夢中になり、2人で贅の限りを尽くして遊びまくり、揚げ句の果てに莫大な借金をこしらえます。

そう、2人はホモセクシャルの関係だったのです。弥次さんはしかたなく、鼻之助を連れて江戸へ逃げて来ました。つまりは男同士の駆け落ちです。

それにしては、旅の間の2人のやり取りに色気がありません。もはや中年とはいえ、かつては恋人同士だったなどという雰囲気がまったく感じられません。2人は、女性に夜這いをかけるなど、旅の間にスケベな悪さをさんざんしますが(そしてことごとく失敗するのですが)、それもあんまりべとつかず、あっけらかんとしています。どうもセックスや恋愛に関する意識が、現代の私たちとは違うようです。

こういう現代との感覚の違いを知るのも古典を読む楽しみの1つでしょう。

『東海道中膝栗毛』のエピソード紹介!結末はどうなる⁉

ここではピックアップした各地のエピソード、彼らの旅の結末をご紹介しましょう。

 

  • 小田原

    弥次さん喜多さんの泊まった宿の風呂は、当時上方で流行していた五右衛門風呂。湯の湧いた鉄釜に簀の子を踏み沈めて入る形式ですが、2人とも入り方がわかりません。

    そこで火傷しないように下駄を履いて入りますが、喜多さん風呂の中ではしゃぎ過ぎ、釜の底を抜いてしまいました。喜多さんは火傷をするやら、火に湯が流れて煙が立つやらで大騒ぎになりました。

     
  • 蒲原

    お金がなくてひどく粗末な宿に泊まった2人でしたが、同じ宿に泊まった巡礼の娘が気に入った喜多さん、夜中に2階へこっそり夜這いをかけることに。真っ暗な中で手探りすると、それは娘ではなく宿の婆さんでした。彼女に怒鳴られて逃げ出した喜多さん、床を踏み抜き1階の仏壇へと落っこちました。弥次さんいわく「おめえもよくいろんなものをぶち抜く男だぜ」。

     
  • 大井川

    この時代、通行を管理するため、川には橋を架けず、人足に担いでもらって川を渡る方式でした。弥次さんはお侍に、喜多さんはそのお供に化けて、ちょっと高級な人足を雇おうとします。

    脇差の鞘袋を後ろに伸ばして、立派な刀に見せ掛けたのですが、そこの部分が柱に当たって折れ曲がり、たちまち化けの皮がはがれてしまいました。そして、喜多さんはこの後、今度は籠の底を抜いてしまいます。

     
  • 浜松

    浜松の宿で、弥次さん、疲れを取ろうとあん摩を頼みました。ところがこれが人が悪いあん摩で、弥次さんの体を揉みながら「この宿には幽霊が出る」と脅します。

    夜中に小便がしたくなった弥次さんと喜多さん、怖くて便所に行けません。2人で雨戸を開けて庭にしちゃおうとしますが、庭に何か白いものが動くので悲鳴を上げてひっくり返ります。宿の人を起こして大騒ぎしますが、白いものの正体は取り入れ忘れた洗濯物でした。

     

この後2人は、念願の伊勢に参り、花の都京を見物し、天下の台所大阪で遊びます。帰りは木曽路経由で、草津の温泉に浸かり、善光寺、妙義山、榛名山に参詣し、無事に江戸へと帰国しました。そして旅は終了です。

どこに行っても悪ふざけと失敗を繰り返す2人。下ネタ満載で本当にくだらなく馬鹿馬鹿しく、肩の凝らない笑いに満ちています。笑いながら、当時の人々暮らしや旅の知識に触れられる良作ですので、ぜひ気楽に読んでみてはいかがでしょうか。