江戸時代の職人にスポットを当て、職人の生き様、人間関係を生き生きと描き、大人気!直木賞受賞後も乗りに乗っている時代小説作家・朝井まかての作品を6選、ご紹介します。
朝井まかては、1959年大阪府生まれの作家です。岡南女子大文学部国文学科を卒業後、コピーライターとして勤務した後、夫と共に独立し、制作会社を立ち上げました。2006年から、大阪文学学校に入学、小説の勉強に励みます。その時に書いたのが、『実さえ、花さえ、その葉さえ』(応募時タイトル)の1章で、学校の仲間に読んで貰ったときには、作品を読んでくれたことそのものがとにかく嬉しくて、泣けたといいます。
その後、『実さえ 花さえ』で2008年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して作家デビュー。2013年に『恋歌』で「本屋が選ぶ時代小説大賞」を、翌2014年に同作品で直木賞を受賞。続けて同年『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞を受賞しました。2015年には『すかたん』が「大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本」に選出されています。
朝井まかては、小さな頃から植物と江戸の雰囲気が好きで、好きな物をどちらも取り入れた、植木職人や花師を主人公にした作品には定評があります。自然や植物の緻密な描写は、好きだからこそ蓄積されてきた著者の知識があればこそ成り立っているのでしょう。
元気でおきゃんな女の子、寡黙で優しい男性、はちゃめちゃに明るい男性。魅力的な登場人物からは、自然の一部としての人間を見ている朝井まかて自身の優しいまなざしを感じます。みな、ただ明るかったりただおとなしかったりするのではなく、表情や仕草が丁寧に描かれているので、心の深い部分の動きが伝わってきて、読者の感動を呼ぶのです。
台詞の勢いのよさも、朝井まかて作品の特徴です。爽やかな読後感は、読者に「また読みたい」と思わせる一因になっています。
小さな植木屋「なずな屋」を舞台に、店を営む若夫婦にまつわる人間模様を描いた、ほろりとくる人情時代小説です。
今日も、「なずな屋」の中庭には、新次が丹精した苗や寄せ植えの鉢が所狭しと並べられ、それらを品定めする人々で賑わっています。中庭に面した縁側では、新次の妻・おりんの煎れた番茶で一服する客が、ほうっと一息ついています。
戦乱のなくなった徳川の時代には、園芸を楽しむ人々が増え、樹木や草花を種から育てたり、挿し芽や挿し木で増やしたり、品種改良で新種を作ったりという専門技術を学んだ花師達がいました。後世に残る品種のほとんどがこの時代に生まれています。
花師である新次と妻のおりんは、店で苗を買った客のために、普段の手入れ方法をまとめたお手入れ指南書を作っています。結婚前に手習いの師匠をしていたおりんが文章を書き、新次が絵を添えたもので、これもまた、なずな屋の人気の理由の1つとなっているのです。
可愛い苗に添えられている夫婦合作のカード、想像しただけでも素敵です。
さて、ある日、普段からなずな屋をひいきにしてくれている大店のご隠居の六兵衛から、快気祝いに配る花30鉢の注文がきました。花は早々に決まったものの、それに合う鉢の段取りがなかなかつきません。さあ、新次は、六兵衛の思いにかなう仕事ができるのでしょうか?
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2011-12-15
ひたむきに頑張ってようやく芽が出て形になりそうだと思った時に邪魔が入る様子には、まさに「出る杭は打たれる」という言葉が頭に浮かびますが、2人にとっては、周りの人に喜んでもらえる仕事ができて、周りの人を大切にすることが幸せなのです。
新次の幼なじみの留吉夫妻、その3人の子ども、そしてひょんなことから預かることとなった雀という10歳の男の子、六兵衛と孫の辰之助など、物語には魅力的な人物が登場し、仲違いをしたり仲直りをしたり、助けたり助けられたりして、時に優しく時に切なく、物語は進んでいきます。
行く手にどんな困難が待ち受けていても、この夫婦なら力を合わせて乗り越えていけるだろうなと思えます。
優しい気持ちになりたいときにおすすめの本です。
親の記憶もなく、盗みをはたらくことを何とも思わない、大人の言うことに耳を貸す気なんてさらさらない、そんな浮浪児だった“ちゃら”が唯一信頼できたのが、庭師の親方である辰蔵でした。赤毛で瞳の色も薄く、「ちゃんちゃらおかしいや」という口癖から“ちゃら”と呼ばれる荒っぽい男の子は、説教でも哀れみでもなく仕事を勧めてくれた辰蔵に出会って以来10年間、辰蔵の下で弟子として仕事を続け、今では、腕のいい庭師となっています。
辰蔵の一家「植辰」には、ちゃら以外に、一人娘の百合、池を始め水関係の専門である庭師の福助、石組みが専門の庭師である玄林がいました。
修行した京都仕込みの腕を持つ辰蔵達の仕事は信用され、仕事も順調にいっていました。
あるとき、仕事先で耳にした“嵯峨流”なる作庭の流派が、植辰のお得意様ばかりを狙って仕事をかすめ取っていくようになります。それだけでなく、お得意様に次々と不幸をもたらすのです。やがて、植辰の職人達にもひたひたと魔の手が近づいてきます。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2012-12-14
嵯峨流が陰で手を染めている悪事にいち早く気づいたのは、ちゃら、昔の弟子仲間で今は船頭をしている五郎太、侍の伊織。3人にお百合を加えた若者達の大活躍が光ります。
嵯峨流の家元とは、どんな人物なのか、何を狙っているのか。そのヒントは、意外なことに、お百合も知らない辰蔵の修行時代にありました。
ミステリアスな事件や悲しい出来事も起こりますが、ちゃらと辰蔵、お百合と福助、玄林、そして植辰一家の会話がテンポよく流れ、お百合と辰蔵の親子愛、お百合がちゃらに寄せるほのかな思いも描かれているため、爽やかに読むことができます。
江戸詰め藩士だった夫が大坂赴任を命じられ、共に大坂の地に来てわずか1年後、夫に病死された知里が主人公。夫の国許である美濃から夫の義弟が出てきて家を追い出され、自分の生家は兄嫁が支配していてもはや居場所がなくなっていた知里は、仕方なくひとりで、大坂で生きていくことに決めました。
手習い所の男師匠に雇われて女師匠としてわずかな給金をもらって細々とやっていた知里ですが、住んでいた長屋に空き巣が入り、家賃も払えなくなってしまいます。口入れ屋(仕事を斡旋するところ)に仕事を探しに行ったところ、知り合いになった清太郎の紹介で、清太郎の家である、大きな青物問屋(八百屋の問屋)に住み込んで、女中奉公することになりました。
店主の妻であるお家さんの志乃は厳しく、知里の一挙一動に目を光らせてお小言を言いますが、知里は、朝から晩まで身を粉にして働きます。そんな知里にも、楽しみなことができました。それが、“食べること”です。江戸の武家とは違って、大坂の商家では、食べ物が豊富で、女中の知里にもおいしい料理が出され、台所女中のおかねとも親しくなります。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2014-05-15
奉公に来て以来、紹介してくれた当の本人の清太郎の顔を見ることがないことに気づいた知里は、若旦那である清太郎が、遊び人であることを知ります。
本当の清太郎は、生産者であるお百姓達を大切にする人だったのですが、問屋商の組合仲間からは理解されません。
知里は、店では見られない清太郎の野菜に対する熱い思いを知って、徐々に惹かれていくようになります。
厳しい志乃が生きてきた道、女中仲間のおかねの人生などを絡ませて、知里の変化や清太郎との関係が温かく描かれ、ラストで胸がいっぱいになります。
江戸の尾張藩上屋敷で、亡き父の後を継いで、用人見習いとして経理や庶務の仕事に精を出す榊原小四郎は、周りで働く年輩の上司達のゆるい仕事ぶりに苛立ちながら、心の中では見下し、いつかは出世してみせるとの野望を胸に抱いていました。
そんな小四郎をさらに苛立たせる存在が、尾張から参勤交代で江戸に来ている遠縁のおじさん達、勘兵衛・藤兵衛・伝兵衛の3人、まとめて“三べえ”です。瓢箪を逆さまにしたような顔の勘兵衛、美男に見えなくもないが鼻が赤くてぼんやりした藤兵衛、首が短くずんぐりした身体の上に立方体のような顔が乗っている伝兵衛、この3人は、小四郎の亡父の友人でもあり、江戸に来る度に小四郎の家に集って飲み食いしては騒ぐので、家に帰ってからも将来のために勉強したい小四郎にとってやっかいもの以外の何者でもありません。
小四郎の生母は小四郎を生んですぐに亡くなり、育ててくれたのは生母の妹である稲でした。この稲ができた人で、飲んで騒ぐ三べえにもいやな顔ひとつ見せるでなく、気持ちよく接待し、家計のやりくりも上手で、学問の素養もあり、小四郎に幼い頃から学問を身につけさせたのも稲でした。
ある日、小四郎は上司に呼ばれ、尾張で“御松茸同心”としての勤めを果たすように命じられます。尾張国の特産品で、上納品やお歳暮などに需要の高い松茸が、このところ不作続きなので、どうにかして松茸の生産量を増やすようにとの仰せ付けでした。御松茸同心なる役名すら知らなかった小四郎は強いショックを受けますが、逆らうわけにもいきません。
当然尾張までついてくると思っていた養母の稲からは、子育ての役割は果たしたからこれからは自由に自分のしたいことをして生きていきたいと言われ、二重のショックを受けながら、不始末をしでかして国許に帰されることとなった三べえと共に尾張への道を歩く小四郎でした。
無事、尾張の地に着くと、地元の山を守る同心の権左衛門から聞く仕事の中身や地元との関係を築くのは想像以上に難しく、権左衛門の孫娘である千草からは軽くあしらわれる始末。初めて出会った、自分以外の御松茸同心の栄之進に至っては、拝命してから15年経つが江戸からは何の知らせもなく、どうやら自分は忘れられた存在らしいと聞かされます。
机上の仕事しかしたことのなかった小四郎が、自然の中で身体を動かしながら働くうちに、自分のやるべきことに気づき、今まで自分にうぬぼれて他人を見下してきた自分の愚かさも見えてきます。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2014-12-10
この作品は、ひとりの青年の成長物語で、やっかいものと思ってきた三べえに助けられたり、
礼儀知らずでがさつな女の子だった千草から教えられたりしながら、仕事や人間関係において大切なものを自ら学んでいく小四郎の姿が半ば滑稽に描かれています。
三べえがそれぞれに個性的で面白く、くそ真面目な小四郎がユーモアを解する柔軟な心持ちに変わっていくさまは、読んでいてとても気持ちがいいのです。
完璧な人に見えた小四郎の養母のキャラクターが、途中から崩れてくるのも面白おかしく読むことができます。
かつて、こんな型破りな医者がいたでしょうか?平気で患者を待たせ、口が悪く、下世話な話が大好きな小児の医者、それが天野三哲です。
「子どもは体が小さいから大人を診るよりラクだろうと思って小児専門の医者になった」と言ったり、子どもの症状を説明する親に「うるさい!」と怒鳴ったり、「藪のふらここ堂」と呼ばれても全く気にしません。
父親の仕事を助けて受付、計算、待合室で患者をなだめる、これらの仕事を一手に引き受けているのは、娘のおゆんです。生まれてすぐに母を亡くしたおゆんはしっかり者ですが、三哲に似ず引っ込み思案な女の子。
おゆんは、母はいなくても、近所のお安と産婆のお亀婆さんから愛情いっぱいに可愛がられて育ちました。大人の中で育ったせいか、お安の息子で、同じ乳を飲んで育った次郎助以外の同世代の若い人とのつきあいが苦手でした。
一方、はきはきと明るい青年である次郎助は他の若者達ともよく遊び、人気者のようです。そんな次郎助は、最近、実家の果物屋を放っておいて、医者になりたいと言って三哲の下で修行しています。
お亀婆さんの暮らす長屋に佐吉という薬種問屋の手代が引っ越してきました。佐吉はたいそういい男っぷりで、お安とお亀婆さんは胸をときめかせます。妻に死なれて勇太という幼い息子をひとりで育てている佐吉のためにと、なにくれとなく勇太の世話をするお安とお亀につられて、いつの間にかおゆんも勇太の世話をするようになっていました。
さて、藪医者として名を馳せていた三哲ですが、余った薬を使って丸薬を作ることを思いつき、できあがる前から風呂屋で吹聴していました。そのせいで、丸薬目当てでやってくる患者が増えて、ふらここ堂はここのところ大忙しの日々です。そんなある日、三哲のもとを、御公儀のお使いが訪れます。庶民にとっては雲の上の存在である徳川家の将軍が、三哲にいったい何の用があるというのでしょうか。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2015-08-20
型破りにしか見えない父を褒める佐吉の言葉を聞いてから、父が、実は子どもの体質や症状を見極め、薬に頼らず、体が本来持っている治癒力を引き出そうとしているいい医者なのかもしれないと思い始めるおゆん。
誰も知らなかった三哲の出自、佐吉の過去、おゆんと次郎助達の恋模様などを絡ませながら、ユーモラスな筆致で描かれた人情ものです。周りの若者に引け目を感じて悩むおゆんに、いつもはふざけてばかりのお亀婆が話してくれたことに、じーんときます。
ちなみに、“ふらここ”とは、ブランコのことで、三哲の庭にありました。ブランコを漕ぎながら、おゆんはどんなことを思うのでしょうか?
『恋歌』は2013年に「本屋が選ぶ時代小説大賞」を、翌2014年に直木賞を受賞した作品です。明治時代に活躍した女性歌人、中島歌子をモデルにした自叙伝風物語となります。
明治時代、中島歌子は裕福な婦女子に和歌を教える和歌塾を主催していました。塾は繁盛し、樋口一葉も弟子として通っていました。歌子はなぜ和歌塾を開くことになったのでしょうか。
江戸末期、江戸の宿屋の娘、歌子は登世という名でした。宿屋に投宿した水戸藩士林忠左衛門以徳を慕い、水戸に嫁入りします。
当時の水戸藩は尊王攘夷で統一されていましたが、天狗党と諸生党に分裂し、激しく対立していたのです。林は天狗党メンバーではありましたが、藩内分裂を回避するため藩論統一に奔走。新婚の登世ともあまり触れあうことなく忙しく活動していました。そんな時起こった天狗党の乱に加わることになり、戦病死してしまうのです。天狗党幹部の親類縁者として妻登世も投獄されます。
夫に再び会えることを信じて生き延び、出獄後は水戸を脱出した登世は、夫が戦病死していることを知ります。それでも夫の遺志を尊重し、生き延びねばならないと信じていた登世は、夫から贈られた和歌への返歌が心残りでした。なぜ思いこがれている夫への想いを歌に込められなかったのか?そう思ったところから、命を懸けて和歌の道を究めようと心に決め、和歌の道を突き進みます。
そんな登世改め歌子は死期を悟り、自身の半生を自叙伝としてまとめるのです。壮絶な愛の道に生きた半生は、その自叙伝を読むであろう人へのメッセージであることが明らかになります。恋慕い水戸に赴き、天狗党と諸生党の争いの果てに水戸で起こった悲劇。その悲劇に決着をつけるために歌子は自身の半生をしたためたのです。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2015-10-15
歴史の教科書では明治維新に至る幕末の動乱のひとコマとしてしか紹介されない天狗党の乱。関わる人には、それぞれのドラマがありますが、歴史の影に隠れがちです。朝井まかてはそれを、女性歌人の恋物語としてまとめ上げました。歴史物ですが、読みやすい言葉遣いと人々の静かな感情を紡ぎあげる作風は『恋歌』でもしっかりと受け継がれており、情熱的な物語に仕上がっています。
幕末の動乱から明治維新に至る歴史物が好きな方も、歌人の恋物語といった一味違った目線で楽しめる一冊です。
朝井まかての作品を6つご紹介しました。ほっこりした気分になりたい時や、優しい気持ちに包まれたい時、ぜひ手に取ってみて下さい。