ファンタジー小説と一口に言っても種類が多々あります。今回はその中でも「大人のファンタジー」を中心にピックアップしました。ダーク・ファンタジーから幻想じみたものまであります。不可思議な非日常の世界へ旅立ってみませんか?
欧米SF文学賞の最高峰ヒューゴー賞、そしてフランスSF文学賞アポロ賞の2冠に輝いた小説です。
SFとファンタジーの中間とも言える『夜の翼』はまさに幻想SFな仕上がりとなっており、蝶の翅を背負う少女が描かれた小説カバーからもジブリ的なファンタジーの香りを感じ取ることができるでしょう。
舞台となった未来世界……そこに住まう人間文明は谷間の時期と言えるほどに衰退していました。過去栄華を極めた社会はいわゆる暗黒時代となり、他の星からくる来襲者におびえて暮らす毎日。人間はギルドを組織し、細々と再生を目指して懸命に生きている――「ギルド」という言葉の通り世界観はほぼ中世であり「未来世界にギルド」というギャップが不可思議な雰囲気を感じさせてくれます。
- 著者
- ロバート・シルヴァーバーグ
- 出版日
主人公の老人は監視ギルド所属の監視人です。彼を中心にしてお話が進む……のですが、この小説を幻想文学と至らしめる存在が、その老人と旅をする「翔人」の少女です。この翔人というのは背中に翼を持つ種族であり、彼らは夜しか飛ぶことができません。この少女が夜闇に向けて羽衣のような翅を広げるシーンは、まさにファンタジーそのもの。
また主人公の老人が歩む道筋もすさまじい。監視人のベテランとして異種族の襲来を監視していた彼が、過去の人間の行った罪と向き合い、そしていつしか「救済者」という新たなるギルドの一員となり、地球どころか宇宙規模の希望を見出す……ある種の神話じみたお話が読者の前に広がります。
SFらしいガジェットと、美しい翔人、そして小説全編を流れる幻想というにふさわしい雰囲気に魅了されてしまうはず。
新世代のファンタジー小説として英国幻想文学大賞を受賞した本作は、まさに大人のためのファンタジー小説にふさわしい出来栄えです。しかし、著者であるチャイナ・ミエヴィルは自身の小説をファンタジーではなく、怪奇小説と評します。ラヴクラフトから連なる怪奇小説の文脈に自らの小説を置いたわけですね。
舞台となる都市「ニュー・クロブゾン」はまさにスチームパンクな街。飛行船が空に浮き、馬車が行き交い、そして夜はガス灯が蒸気を照らす――黒々とした煙が高層建築物の頭を隠し、その間を駆け巡る鉄道高架線はさながら触手のよう。魔術で作られたゴーレムが都市を闊歩し、捨てられた野良ゴーレムが飢えを満たそうと世闇で目を光らせています。異形の者たちが闊歩する都市「ニュー・クロブゾン」の描写が秀逸で、まさに視覚的に都市を楽しめるはず。
もちろん、世界描写だけが優れているわけではありません。「ニュー・クロブゾン」には多数の種族が住んでおり、人間、昆虫人、両生類人、サボテン人間、改造人間から魔法使い、そして錬金術師に次元を調節するクモ、それから移動用に調教されたクラゲなどなど……まさにモンスターの宝石箱状態です。
- 著者
- チャイナ・ミエヴィル
- 出版日
- 2009-06-25
主人公は異端の科学者、アイザック。物語冒頭は彼とその恋人であるリンの痴話げんかシーンから始まるのですが……このリンというのが甲虫人で、頭から上は完全に虫、そこから下は人間という容姿をしています。やっているのはよくある痴話げんかなのに、やっている当人たちの姿が異様である……このギャップに心つかまれ、ページをめくる手がとまらなくなります。
その後、物語は徐々に加速。飛べない鳥人が現れ、異形の種族たちが続々と登場し、そしてしまいにはアイザックがひょんなことから手に入れた芋虫が、都市を脅かす存在へ羽化し……。
複雑そうに見える小説ですが、中身は完全なダーク・スチームパンク・エンターテイメントです。「ニュー・クロブゾン」のおどろおどろしさと、その楽しさを一度は味わっていただきたい。
現実と幻想世界の交錯というのはよく使われる手法です。その手法を用いる小説でも本作ほどロマンスに満ち溢れ、そしてどんでん返しを伴うものはありません。
主人公のカレンはまさに絵にかいたような幸せな女性で、完璧すぎる夫と親友に恵まれ、子宝も授かり幸せすぎる毎日を送っています。
しかし、それは現実だけのこと。夜、彼女は夢の世界ロンデュアへと旅立ちます。ロンデュアはまさに夢と形容できるような場所で、カレンはそこで「ペプシ」という現実に存在しない息子と一緒に、ラクダなどの動物を引き連れて「月の骨」を探す旅へ出かけます。
- 著者
- ジョナサン・キャロル
- 出版日
この小説の見どころは現実と夢の世界のギャップでしょう。現実は幸福な世界。しかし、夢は存在しないものを集めた世界。昼と夜のシーンが交互に現れ、物語終盤へいくにつれて夢は連続したものになっていきます。夢幻が現実へゆっくりと侵食していくようで恐ろしくもあり、現実パートの夫とのロマンスなど幸せなシーンの存在が、夢の来訪というシーンをより一層怖く引き立てる。
また描かれるロンデュアも美しく、まるで児童文学のような世界はジブリを思わせるようなもので、水中の描写はひときわ目を引く。しかし一転、ロンデュア後半はおどろおどろしい展開となり、まさにダークな雰囲気が強く醸し出されます。
なによりも「ペプシ」の存在が強く引き立つ今作。その子どもの正体と、ラストシーンで起こる現実と幻想の交錯……。幸せから一転、暗闇へと落ちていく主人公の姿に胸が痛くなること間違いありません。しかしながらどんな暗闇にでも救いはあるもの。カレンがペプシへ投げた最後の言葉は暗闇に浮かぶ蛍のように、強く印象に残るはず。
遥か未来の地球を描いた、SFとファンタジーの境界に位置する作品です。
小説内で描かれる遥か未来の地球はまさに異形の星と化しています。太陽は肥大化し、さらに地球は自転をとめ「永遠の昼」部分と「永遠の夜」部分に分かれていて……『地球の長い午後』というタイトルは、この「永遠の昼」部分を指しているのでしょう。
天候が変化すれば住まう生物も変化する。この地球では永遠の昼がもたらす熱帯効果により、あらゆる植物が巨大化しています。人間社会は崩壊しており、生き残った人間たちは地球の主役となった植物・昆虫たちの影に隠れながらひっそりと暮らす姿が描かれます。
- 著者
- ブライアン W.オールディス
- 出版日
- 1977-01-28
この小説の注目点はそのほとばしるイマジネーションです。その象徴たるのが「ツナワタリ」の存在でしょう。「ツナワタリ」とは月と地球を結ぶ糸で生活する全長数キロにもなる巨大なクモです。月と地球が、クモの糸でつなぎ留められている……想像さえできませんよね?
もちろん、ツナワタリだけが素晴らしいわけではありません。トラバチ、木蜂、草蟻、ハガネシロアリ、ポンポンなどなど異形の世界を形作る住人たちが次々に描かれ、「この生物はどんな生物なのだろう」与えられる情報から各生き物の姿を想像することがとても楽しく、読者のイマジネーションが問われる瞬間が次々に訪れます。
そんな世界に生きるひとりの少年、グレンを主人公として物語は進みます。ちなみにこの小説は『風の谷のナウシカ』の元ネタであるといわれており、『風の谷のナウシカ』に登場するグロテスクな植物・昆虫たちのルーツが垣間見える1冊です。
世界幻想文学大賞を受賞した本作はブラックユーモアに満ち溢れた恐ろしいファンタジー小説です。
簡単にあらすじを説明するならば「世界中の動物が人間に反旗を翻した。しかし、唯一人間の味方となったのは狂った実験ネズミだけだった」です。
この狂った実験ネズミというのがタイトルにもなったドクターラットです。彼が主人公となり「人間VS動物」という地球を二分に分ける状態を描いていきます。小説序盤、ドクターラットは実験室の異変に気付きます。収容されている実験動物たちに落ち着きがなくなっている……ドクターは他のネズミに話しかけますが、彼らの説明する「自分に起きている異変」というのが抽象的すぎて、あまり理解することができません。
しかしその騒動は世界規模のものへと変化し、食用豚は自我を得、牧場の牛は囲いを突破して自由への道を疾走し、飼い犬・野良犬たちは一致団結してある方角を目指して動き始めます。動物たちは人間の支配から脱却しようと、世界規模の自由動物運動を展開していくわけですね。
そんな彼らをとめようとする唯一の動物はドクターラットだけでした。彼は動物たちに向け、「我々動物には魂がないのだ!」と訴え、人間への服従を続けよと主張するのですが……彼の言葉は届くはずもありません。そこでドクターラットは人間至上主義を掲げたまま、動物の反抗を食い止めるために孤独な戦いを展開します。
- 著者
- ウィリアム・コッツウィンクル
- 出版日
- 2011-03-16
読んでいると感じるのは得も知れぬ恐ろしさ。世界中の動物に起きた異変、人間VS動物の構図……もしも、これが現実で起きてしまったら? そう考えただけで、背筋がゾクリと寒くなる。豚が「わたしはわたしだ」と自我を得た直後に食肉加工されるシーンなどはまさにホラーじみた恐さを感じてしまうでしょう。
その恐ろしさの中心に立つのが「ドクターラット」に他ありません。彼は人間に従うのが動物であるという思想を掲げ、人間に味方していくわけですが……小説を読んでいるうちに、彼が狂ったネズミであるならば、彼と同じ考えの元動物を虐げる現代人はどうなのか、という疑問が脳裏をよぎります。
唯一の救いはドクターラットにユーモアがあるということでしょうか。本人(本ネズミ)は真面目にやっていることでもどこか調子はずれでかわいげがあって、とても微笑ましい。しかしながら彼の知識や考察はまさに博士的であり、道中メスネズミに迫られた際は自身が去勢されていて事に及べなかったにもかかわらず「不毛な快楽だ」と吐き捨てるなど、キャラの濃さで雰囲気を和らげてくれます。
アルジャーノンやジェリーなど、世界で愛されるネズミはたくさんいますが、ここまで人間の味方になる珍妙なネズミはきっと彼だけ。
そんなドクターラットの戦いは報われるのか? 動物たちの反乱の結末とは? とても読み応えがあり、考えさせられる大人のファンタジーです。
チェコ人が描く幻想譚。欧米とはまた違う東欧の幻想を堪能することができます。
小説の舞台はプラハ。物語の語り手であるわたしは、ある日古書店で1冊の本と出会った。本には署名も著者名も記されておらず、本を開くとそこには見知らぬ文字で文がしたためられていた。語り手はそこに別世界の存在を感じ取り……これをきっかけにし、プラハの街に共存する「もうひとつの街」を語り手は発見していきます。
- 著者
- ミハル・アイヴァス
- 出版日
- 2013-02-22
作中に挿入される小話がとてもシュールで面白く、読んでいるだけで「??」となってしまう。例えば、
「水の壁から魚が顔を出して映画について語り始め、気がつくと美女が悪魔と一緒にクッキーをむしゃむしゃ食べている話になってそしてカニになったピアノが寝室を這い回って、最終的に映画館のホールから逃げ出そうとしたけど鍵がかかっている」
これでも読みやすいように整理しましたが、それでも意味が分からない。言葉によるイメージの連打が思考を狂わせ……そのほろ酔い感がなんとも心地よく響く。こういった東欧独特の幻想ヴィジョンがプラハの街を飾り、独特の、引き込まれる雰囲気を形作っています。
また姿を見せる「もうひとつの街」が不可思議すぎる。書棚の奥深くにジャングルがあり、雪の上で魚がぴちぴちと踊っていたり、チベットまで伸びる路面電車から姿を変える水蒸気の彫像、それから街を泳ぐサメなど、夢幻が闊歩する風景が当たり前の存在のように描かれ、静かな迫力をもって読者に迫り来る。
語り手はそんな「もうひとつの街」の存在に翻弄されますが、ひたむきに、一途にその街を追い求めていく。シュールレアリスム的言葉遊びと、まったく異質な「もうひとつの街」へ挑む語り手の冒険譚……東欧幻想文学を読みたい方にはぜひとも手に取っていただきたい1冊です。
大人のファンタジー6選でした。どの小説も不可思議な世界をたっぷり味わえるものばかりです。休日、たまには本で異世界旅行も乙ですよ。