沖縄の研究や社会的弱者への聞き取り調査など、社会学者として知られる岸政彦。その一方で、2017年に発表した初めての小説『ビニール傘』が芥川賞にノミネートされ、話題を集めました。この記事では、そんな彼の作品のなかから特におすすめのものを5冊ご紹介します。
1967年生まれの岸政彦。立命館大学大学院で教授を務める社会学者です。
主な研究テーマは、沖縄、生活史など。鋭い切り口で物事を見つめる視線と文才に定評があり、2016年には『断片的なものの社会学』で「紀伊國屋じんぶん大賞」を受賞しました。
さらに、2017年には初めての小説『ビニール傘』が「芥川賞」と「三島由紀夫賞」にもノミネートされ話題を集めています。社会学者と小説家、双方で活躍が期待される人物です。
「お父さん、犬が死んでるよ。沖縄県南部の古い住宅街。調査対象者の自宅での、夜更けまで続いたインタビューの途中で、庭のほうから息子さんが叫んだ。動物好きの私はひどく驚きうろたえたが、数秒の沈黙ののち、語り手は一瞬だけ中断した語りをふたたび語り出した。私は、え、いいんですか?と尋ねたが、彼は、いやいや、いいんです、大丈夫とだけ言った。そしてインタビューはなにごともなかったように再開され、その件については一言も触れられないまま、聞き取りは終わり、私は那覇のホテルに帰った。その後その語り手の方とは二度とお会いしていない。」(『断片的なものの社会学』より引用)
印象的な書き出しで始まる本作。 岸政彦が社会学の聞き取り調査や、日常生活のなかで出会ったさまざまなエピソードの断片と、それに関する彼の考察が収められている作品です。
タイトルに「社会学」とあるものの、アカデミックなことは書いておらず、本書を読んで社会学に関する知識が増えるわけではありません。散りばめられた断片を岸が優しく受け止めている作品なのです。
- 著者
- 岸 政彦
- 出版日
- 2015-05-30
岸政彦は、本書がこれほどまでに評価されたのは、これらの断片が、私たちの「存在の仕方」に関係しているからだと分析しています。私たちは路上の石と同じく無意味な存在だけれど、この世界でなんとか生き延びようとするときに「意味」が生まれるのだそう。
語り口は優しく、それぞれのエピソードがじんわりと胸に染み入ってきます。
各断片について、岸政彦自身の考察はされているものの、「正しくはこうだ」と結論付けているわけではありません。またエピソードにオチがあるわけでもないのです。
本当に無造作に、一見脈絡もなく散りばめられた断片は、読者に考える余白を残してくれます。そしてそこにこそ、社会学の本質があるのかもしれません。
幼い頃に南米から移住して自分がゲイだと気付いた人、夜の世界で生きるニューハーフ、摂食障害者、満州で生まれ大阪でホームレスをしている人、シングルマザーの風俗嬢……。
岸政彦が5人にインタビューをし、彼らの語りを、そのまま喋り言葉で収録したノンフィクションです。
- 著者
- 岸 政彦
- 出版日
- 2014-05-31
インタビューをされているのは、いわゆる社会的弱者やマイノリティとされている人たち。岸政彦は聞き役に徹し、彼らの生き方に対して何か分析をするわけではありません。
極限まで編集をせず、生の声を脚色なく読者に突きつけることで、人物像がくっきりと浮かびあがってきます。語られていない彼らの人生にも、想いを馳せることができるのです。
5人それぞれがバラバラで、私たちと関わることもないのだろうけど、どこの街にもそんな人たちが集まっています。個人にフォーカスすることで社会が見えてくる、興味深い一冊です。
2017年に発表された、岸政彦の初の小説です。「芥川賞」と「三島由紀夫賞」にノミネートされ、話題になりました。
表題作の「ビニール傘」は、大阪を舞台に、複数の「俺」と「私」がもがきながら生きているさまを描いた作品。
そして「背中の月」では、会社から突然のリストラを言い渡されたうえに妻を病で亡くした男の想いが語られています。
- 著者
- 岸 政彦
- 出版日
- 2017-01-31
「ビニール傘」に登場する「俺」は複数います。タクシードライバー、日雇い労働者、コンビニの店員……皆少しだけ貧しく、寂しさを抱えながらも生きている、平凡な人です。視点が変わっても同じ「俺」、つまり同じ人間なのでしょう。
彼らの物語が順不同に語られていくさまは、これまでの岸政彦作品とおなじく断片的。しかし読後には不思議とまとまりを感じることができるのです。
どうしようもない誰かの人生を、まるでビニール傘越しに見ているような感覚。全体的に退廃的な雰囲気が漂っていますが、その向こうに何となく光を感じられる作品です。
20代の時に初めて沖縄を訪れ、魅了された岸政彦。やがて「沖縄」を研究テーマとする社会学者になり、約20年が経ちました。
本書は、そんな岸が記す「沖縄論」です。タイトルから連想されるような観光情報が載っているわけではありません。岸がはじめて沖縄に出会った頃にさかのぼり、「ナイチャー」として沖縄で暮らす人々へ聞き取り調査をした記録や、体験したことが綴られています。
- 著者
- 岸政彦
- 出版日
- 2018-05-05
「沖縄には、『ナイチャー』という言葉がある。『ヤマトンチュ』という同じ意味の言葉もあるが、あまりふだん耳にしたことがない。日常会話ではナイチャーという言葉のほうがよく使われるような気がする。どちらも同じ意味で、『内地のひと』『大和のひと』という意味だ。要するに、『沖縄以外の都道府県のひと』である。
こういう言い方は、北海道には少しあると聞いたが、これほど強い言葉として日常会話のなかに残っているのは、やはり沖縄だ。他の都道府県には、まず存在しない。」(『はじめての沖縄』より引用)
沖縄では、沖縄で生まれ育った人である「ウチナンチュ」と、「ナイチャー」を区別することが日常的にあるといいます。「ナイチャー」は時には、「日本」を意味することもあるのだとか。
「ナイチャー」であるがゆえに沖縄に魅了された岸政彦。「ウチナンチュ」の語りを聞き、綴るのですが、そこにはどこか戸惑いや逡巡、遠慮のようなものも見られます。そして私たち「ナイチャー」も、沖縄の人を区別してきたのではないかと語るのです。
歴史的背景を紐解き、「私」と「あなた」の関係を考える一冊です。
自伝的エッセイ『女子をこじらせて』が話題となったライターの雨宮まみと、岸政彦の異色の対談集です。
ミシマ社の「コーヒーと一冊」シリーズで、100ページ前後のボリュームでコーヒータイムに一冊を読み切り、読了した感覚に浸ってもらいたいというコンセプトで作られました。
- 著者
- ["雨宮まみ", "岸政彦"]
- 出版日
- 2016-08-25
タイトルに「雑談」とあるとおり、2人が日々感じていることを包み隠さず話している印象を受けます。
主な話題は現代の「生きづらさ」にまつわること。「欲望」「自己肯定」「ジェンダー」「SNS」などに関する意見や考えを知ることができるでしょう。
興味深いのは、日頃からライターとして自分を発信している雨宮まみに対し、岸政彦は普段は社会学者として人々の話を聞く立場の人であること。彼が自身のことを語る言葉に注目です。