純文学系の新人賞として、数々の話題作と作家を輩出してきた「新潮新人賞」。既成の価値観を覆すことが求められ、受賞作はどれも独特の視点や世界観を描いたものばかり。この記事では、そのなかから特に読んでおきたいおすすめの作品を紹介していきます。
出版社の新潮社が主催している純文学の公募新人文学賞である「新潮新人賞」。1968年に「新潮文学新人賞」として始まり、長い歴史があります。
ノンフィクションや評論などの部門が設置されていた時期もありましたが、2008年から小説のみが対象となりました。それでも毎年応募作の数は約2000編と、人気がある賞だといえるでしょう。受賞作は文芸誌「新潮」の11月号に掲載されます。
「新潮新人賞」の目的は、「文学の新たな可能性を拓く未知の才能を開拓する」こと。そのため文体やストーリー、キャラクターのいずれにも高い独自性が求められることが特徴です。受賞者は他の文学賞でも実績を残すなど、ハイレベルな作品が集まっています。
2014年に「新潮新人賞」を受賞した高橋弘希の作品です。芥川賞にもノミネートされました。
太平洋戦争末期、主人公の「私」は南方の戦地で遠くない死をひしひしと感じていました。負傷し、自決の瞬間を待っているだけの日々でしたが、野戦病院に収容されたことで身近に感じていた死の存在が唐突に遠のいてしまいます。
「私」は戦死した友人の指の骨を形見として持ち歩きます。かつてその指と「ゆびきりげんまん」をしたという記憶は、かすかなものとなっていました。
やがて敵軍は勢力を増し、味方は次々と拠点を失っていきます。「私」は再び最前線へと赴くことになり……。
一兵卒が目の当たりにした現実を、強烈なまでに描ききった新しい戦争文学です。
- 著者
- 高橋 弘希
- 出版日
- 2015-01-30
作品の冒頭から物語を貫いているのは、常に淡々と自分の死を見つめ続ける「私」の視点です。上官の死、旧友の死、その他多くの死を通り過ぎ、何もかもが麻痺してしまったような印象を受けます。
本書は、人々の記憶から薄れつつある太平洋戦争で、記録にも残らないたったひとりの兵士の目線を借り、「戦争で死ぬこと」について語る意欲作です。苛烈を極めた戦いの最前線で、人はどこまで自分の生を「現実」だと捉え続けることができるのでしょうか。
生きるという選択肢が残されていないなかで生き抜こうとする「私」の姿を通して、忘れてはならない過去を突き付けてくれる一冊です。
2013年に「新潮新人賞」を受賞した上田岳弘のデビュー作です。「太陽」と「惑星」という対を成す2編が収められています。
欲望と享楽の果てに、「太陽」による錬金術を完成させた人類。不老不死すらも実現し、その先に求めるものとは何なのでしょうか。
- 著者
- 上田 岳弘
- 出版日
- 2014-11-27
太陽から金を作りだそうとする執念や、金、肉欲、物欲、利己の追求……本書では、人間が持ちうるすべての欲求が生々しい筆致で描かれています。
さまざまなシーンとロケーションを使い、時に残酷に、時に冷淡に物語は展開していきます。そこから読み取れるのは、欲求を持つという「人間らしさ」でしょう。
望み、得たいという感情は、人間が生きて自己実現を果たすための不可欠な要素です。しかし本書ではその欲求がどこまでも先走り、あらゆるものを得てもなお、その車輪の進みを止められなくなってしまっているのです。
何を望み、どこまで得れば、満たされたことになるのか。本書を読むことで自分の欲求とも向き合える作品です。
2011年に「新潮新人賞」を受賞した滝口悠生の「楽器」が収められている作品です。
毎年1回、秋津を散策するとある芸術家4人。かつて電車の窓から見つけた小さな池を探しています。しかし何年経っても見つけることができず、その代わり、毎年一風変わったものを見つけているのです。やがて池を探すという目的は、仲間たちとそぞろ歩きすることの楽しみにすり替わっていきます。
今年は、奇妙な家を発見。その中では何がおこなわれているのでしょうか。
- 著者
- 滝口 悠生
- 出版日
- 2014-03-28
作中では、たびたび語り手の視点が変わります。一人称で語られていた文章が突然三人称に変わったり、また一人称に戻ったりするのです。さらに時系列も無視されて、初見ではなかなか読みづらい印象を受けるかもしれません。しかし実はこれこそが、本作の重要な構造なのです。
街を迷いながら歩く彼らのように、迷路をさまようような感覚を味わえます。計算されたストーリーを介して、自分自身が物語のなかに取り込まれていく感覚は秀逸。奇妙な家の中で宴会をしている人々と、4人の思い出が交錯し、幻想的な世界観を楽しめる一冊です。
2010年に「新潮新人賞」を受賞した小山田浩子の作品です。
巨大な工場で従業員たちが働いていますが、彼らは自分たちが何を作っているのかを知りません。敷地内にはなぞの生物がうごめいています……。
現代社会が抱える、働き、生きていくことに対する不安や不条理を、独特の視点で描いた作品です。
- 著者
- 小山田 浩子
- 出版日
- 2018-08-29
自分はいったい何のために働いているのか。誰しもが1度は考えたことがあるのではないでしょうか。もちろん、工場で働くことにも、どんな会社で働くことにも、本来は意味があります。しかし、超過労働が社会問題化している現代において、働くこと自体に不条理を感じている人もいるのです。
従業員たちが何を作っているのかわからない工場、という本書の設定こそが、日本の労働環境の痛烈なメタファーだといえるでしょう。
何のために働くのか、なぜ生きるのかを読者に問う作品です。
2007年に「新潮新人賞」の評論部門を受賞した「宮沢賢治の暴力」が収められています。
菜食主義に徹し、自らの作中でもくり返し「自己犠牲」を描いた宮沢賢治。その作品を検証し、「暴力」の真髄にいたろうとする一冊です。彼の思想や人生に迫ることで、生きることと暴力は切り離すことはできないのか、誰かの犠牲のうえに命が成り立っているのかを問いかけていきます。
- 著者
- 大澤 信亮
- 出版日
- 2010-10-01
作者の経験と宮沢賢治の著作を通して、人が暴力を振るうことについてモデリングすることに成功した作品です。
「宮沢賢治」と「暴力」というと、一見かけ離れたイメージのようにも思えますが、ここでいう「暴力」とは、肉体的、精神的な攻撃のみならず、他者の命を奪うという避けがたい日常のこと。
そう考えると、実は日常的に「暴力」を振るわずに生きることができる人などいないのではないでしょうか。文芸批評の新しい可能性を感じられる一冊です。