「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。印象的なこの言葉を、聞いたことがある方も多いことでしょう。この言葉は、高村光太郎の詩『道程』の一部です。 本作はシンプルながらも力強く、伝わってくるメッセージの多い詩。ここでは、そんな『道程』の表現技法や成立過程をご紹介していきます。国語の教科書でも有名な、本作の魅力を再確認してみてください。
国語の教科書で目にした詩というのは、記憶の片隅に残っているもの。 本作「道程」を、そういう理由で目にしたこともあるという人も多いでしょう。
この作品のタイトルは「どうてい」と読み「ある地点にたどり着くまでのみちのり」という意味を持ちます。詩の内容はタイトルにふさわしく、今まさに「ある地点」へと歩みだそうとする者の決意が、高らかに謳い上げられています。
- 著者
- 高村 光太郎
- 出版日
- 1999-12-25
謳いあげる相手は「自然」。この詩は、自然を父にたとえて、それに対して自分の決意を告げています。「~ような」といった語句を使わずに、自然を父として呼びかける表現は、暗喩表現です。
また「守ることをせよ」「僕に充たせよ」という形で「呼びかけ」技法も使用。そして、最後にリフレイン(反復)という表現技法で「この遠い道程のため」をくり返すことで、深い祈りと決意を感じさせるのです。
これらの表現技法とともに、この詩が口語自由詩だということは国語の授業で学習したことでしょう。
ここからは、学校で習わない詩集『道程』や、作者・高村光太郎についてご紹介していきます。
高村光太郎は詩人でありますが、彫刻家・画家でもあります。
『智恵子抄』や『道程』が著名になったため近代文学の立役者のように考えられていますが、彼は生涯彫刻家でした。詩作は「彫刻にそれ以外のものが混ざらないようにするため」のたしなみだと、光太郎本人も述べています。
彼は、常に絶望している彫刻家でした。日本の美術界や、そこに所属する父・光雲に対して反感を抱き、いつも鬱屈としていたのです。その頃の詩には、批判的な言葉がたくさん並んでいます。
- 著者
- 高村光太郎
- 出版日
- 2011-04-15
しかし、そんな彼を1人の女性が変えます。
その女性こそが『智恵子抄』で描かれる長沼智恵子。洋画家であった彼女は、光太郎と惹かれあいます。そして、すべてを投げ出して、文字どおり身一つで光太郎のもとにやってきたのでした。
情熱的で、純粋で、素直な智恵子。そんな彼女との生活を綴ったのが『智恵子抄』なのです。鬱屈としていた光太郎は、彼女と出会ってから、自然とそれに類する世界を受け入れるようになりました。
『智恵子抄』には、そんな素直で情熱的な2人の、清らかな暮らしがふんだんに描かれています。智恵子が精神を病んでから書かれた「レモン哀歌」が有名ですが、それ以前のただただ愛し合う子どものような彼らの幸せが『智恵子抄』にはあふれているのです。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
(『道程』より引用)
「道程」は、とてもシンプルで力強い作品です。「僕の前に道はない」とすることで、自分は誰かと同じ道は歩まないんだという断言をしています。そして、「僕の後ろに道はできる」と言うのです。
自分が新しい何かを切り開いていこうという気概。
それを「自然よ」「父よ」という形で、父なる自然に訴えかけていきます。必死で新しい何かを作り出していく自分に対して、自然には「守ることをせよ」「気魄を僕に充たせよ」という要求をつきつけ、その要求は「この遠い道程のため」のものであると明かしているのです。
「この遠い道程のため」を2回くり返すことで、これから成し遂げようとしていることは、とてつもなく大変なことだということを訴えているのでしょう。
壮大な決意表明。それが「道程」という詩の本質なのではないでしょうか。
『道程』は、発表当初102行もある詩でした。以下が、その冒頭部分です。
どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
冒頭だけで、たった9行しかない現在の「道程」の文字数を超えていますね。102行の「道程」は、光太郎自身の過去から現在に至る歩みを表現したものでした。しかし、この詩を発表した8か月後、彼は9行に仕上げた「道程」を含む詩集 『道程』を発表します。
自分の作った詩から「自身の歩み」の部分を削り取って、「決意」の部分だけを残したのです。彫刻家であった彼は、詩集に入れる際「道程」を見直したのでしょう。そして彫刻を作るように、不要な部分を削りに削ったのです。
また、102行の「道程」には「自堕落に消え滅びかけたあの道」「やくざに見えた道」といった批判的な文言がでてきます。これを書いた時に彼は、智恵子に出会っていませんでした。しかし、詩集『道程』を出すまでの間に、2人は出会います。
9行の「道程」のなかに批判的な言葉が出てこないのは、彼女の影響もあったのかもしれません。
魯迅は著作『故郷』のなかで「思うに希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」と述べています。
「もともと地上には道はない」の部分が、「道程」の「僕の前に道はない」とよく似ていますね。
- 著者
- 魯迅
- 出版日
- 2009-04-09
この部分がよく似ているため魯迅と光太郎は比較されがちですが、実は言おうとしていることはまったく違っています。
魯迅の脳裏には、常に「民族」や「歴史」があり、この「もともと地上には道はない」の部分も、「歴史」というものが作り上げられる過程を表現しようとしているのです。世界や歴史全体の流れのなかの「道」というものについて説明していると考えましょう。
一方、光太郎は「自分自身の芸術」に特化して語っています。世界や歴史ではなく、自分自身がこれから成し遂げていこうとしていることを「道」と呼んでいるのです。
表現の仕方は似ているのに、表現しているものがこうも違うのが面白いですね。
詩集『道程』は、表題作の「道程」がものすごく有名です。しかし、実はそれ以外にもおすすめのものが数多く存在します。今回は、そのなかから1つご紹介しましょう。それが、『五月の土壌』です。
五月の日輪はゆたかにかがやき
五月の雨はみどりに降りそそいで
野に
まんまんたる気魄はこもる
(『道程』より引用)
冒頭部分です。この詩には、「道程」と同じように「気魄」という言葉が出てきます。「道程」によく似た力強さと潔さは、智恵子と出会ってから書かれた作品に共通するものです。
- 著者
- 高村 光太郎
- 出版日
- 1999-12-25
一面に沸き立つ生物の匂よ
入り乱れて響く呼吸の音よ
無邪気な生育の争闘よ
わが足に通って来る土壌の熱に
我は烈しく人間の力を思ふ
(『道程』より引用)
直接的に励ますような言葉は出てきません。しかし、土壌の、地球の力を礼賛するこの詩には、間違いなく人を勇気付ける力がこもっています。なんとなく元気が出ない人に、ぜひ読んでほしい詩です。
また、智恵子と出会い、自然と世界を受容し始めた光太郎の一面がはっきり確認できるので、光太郎という人物を理解するためにも、読むことをおすすめします。
いかがでしたでしょうか。教科書でその詩の存在は知っていたけど、詳しく知らないという方も多い高村光太郎の『道程』。その意外な事実や魅力をご紹介しました。ぜひこの機会に、本作に触れてみてください。