1988年から幅広く展開したメディアミックス作品『機動警察パトレイバー』。舞台は、1998年という近未来。人型の巨大ロボット「レイバー」を駆使して治安を守る警察官の姿、そして予測される社会問題をリアルに描いたSF作品です。 この記事では、ゆうきまさみが6年かけて描いた漫画版「パトレイバー」の魅力を、ご紹介しましょう。
テクノロジーの急速な発達により、世に登場した多足歩行式マニピュレータ。「レイバー」と呼ばれるこの機械は、またたく間に発展・普及を遂げます。そして軍事・民間の区別なく、多岐に渡る用途で使用されるようになりました。
殊に東京では、沿岸を埋め立てる「バビロンプロジェクト」の作業のため、多数のレイバーが集結していたのです。
そのためレイバーの事故、また彼らによる犯罪が急増。これに対抗するため、警視庁は警備部に特車2課(特科車両2課)を新設し、レイバーを運用します。このレイバーは、「パトレイバー」と呼ばれるようになるのです。
おそらくは、警察の警邏(けいら。警戒のために見回るもの)用車両が「パトカー」と呼ばれるのと同じ造語の方法によるものでしょう。
- 著者
- ゆうき まさみ
- 出版日
特車2課第2小隊は、創設とともにパトレイバー最新機種である篠原重工製98式AV、通称「イングラム」を導入。その運用のために警察予備校を卒業間もない若者ばかりが隊員として選抜されました。何もかもが未知数の集団です。
彼らが数々の事件・問題と相対、そして苦悩・葛藤し、社会とともに成長していくのでした。
さらに、ゆうきまさみが描く漫画版では、極東地域でレイバー産業進出を図る多国籍企業、シャフト・エンタープライズ・ジャパンの企画7課と、その課長・内海の暗躍、そして彼らが生み出した規格外レイバー「グリフォン」と、主人公・泉野明(いずみ・のあ)が操縦するイングラムとの戦いが描かれます。
舞台は、本作の連載がはじまった1988年の10年後。1998年頃という近未来を描いた物語です。
オリジナルビデオアニメーション(OVA)、劇場用アニメーション、テレビアニメーション、小説、実写映画などいくつもの『機動警察パトレイバー』が存在しますが、それぞれ基本的な設定、登場人物を同じくしながら、各作品でストーリーや細部の設定が異なる平行世界として描かれています。
漫画『機動警察パトレイバー』も、その世界の1つという位置づけをされているのです。
日本では昭和の時代から、人間が機体の中に乗り込んで操縦する「巨大ロボット」が登場するテレビアニメーションがたくさん放送されてきました。みなさんのなかにも、こういった作品に親しんで育った人が多いことでしょう。
そしてすっかりご存じのことと思われますが、それらの作品に登場するロボットは、大抵が「戦う」ものでした。
しかし、昭和の終わりに登場した本作に登場するロボット「レイバー」は戦いません。もちろん軍事用に開発されて戦っている機種もありますが、基本的には工事現場で重機の延長線上のものとして使用されるなど、作業用のものがほとんどなのです。
警視庁特車2課で運用される「パトレイバー」も、本来は警備用の機械であって戦闘用ロボットではありません。業務のうえで、手段として戦闘をおこなう場面も少なくはないというだけです。
また、はじめて搭乗する者が直感や天性の才能だけで操縦できるものでもなく、搭乗者には多少のIT技術と知識が求められます。この点もまた、それまでの「巨大ロボット」とは異なる部分でしょう。
また、レイバーはOS(オペレーティングシステム / 基本ソフト)によって制御されます。その性能によってパフォーマンスに変化があるという巨大ロボットは、本作が登場するまで存在しませんでした。
「パトレイバー」が描かれた1988年は、パソコン(個人用コンピュータ)の普及率は現在に比べてかなり低く、「機械がコンピュータに制御される」ことは知っていても、「コンピュータはOSで制御される」ということを知る人は、まだ少ない時代。それだけに、目新しい設定だったのです。
基本ソフトによって制御されるコンピュータを搭載し、それを扱う人間が操縦もする戦闘自体が主目的ではない巨大ロボット。昭和最後期に創造された「近未来のロボット」は、当時としては「異色」といえるものだったのです。
より日常生活に近くて、より現実的な「近未来」の姿が本作には描かれています。しかし残念ながら、近未来をとおり越した未来にいる私たちは、当時の近未来をまだ見ることができていません。レイバーが活躍する「近未来」が訪れるのは、いつのことでしょうか。
- 著者
- ゆうき まさみ
- 出版日
漫画版である本作のレイバーの描写には、アニメーション版に劣ることのない精緻さと迫力があります。主役機イングラムは全高8m程度で、それまでのロボットアニメに登場してきた「巨大ロボット」に比べると小さめ。それでも、機械としてはかなり巨大なものです。
巨大な人型が動くさまを描写するのに、漫画はアニメーションに比べていささか不利といわれていますが、ゆうきまさみは引きの画を有効に使い、映画的な表現で見せる工夫をしています。
ここではいくつかのシーンを引用して、レイバーとその躍動がいかに巧妙に描かれているかを見てみましょう。
シャフト・エンタープライズ・ヨーロッパ製軍用レイバー「ブロッケン」が、工事現場でテロをおこなった場面です。
1ページの3分の1程度のサイズのコマで、さらに裁ち切り(コマの枠の外を紙面いっぱいまで絵を入れる)を使ってレイバーの全身と爆発、さらに被害に遭った建物や自動車を描き込んでいます。レイバーのスケール感、テロ被害の規模などがわかりやすく描かれているのです。
廃棄物13号の姿が明らかになったエピソードからの、1シーンです。後進する指揮車越しの、イングラムと廃棄物13号。指揮車の慌てぶりと、イングラムがリボルバーキャノンを構える迅速さがよくわかります。
次のシーンの描き文字が被ってきていて、リボルバーキャノン発射の轟音が響いているさまが窺えるでしょう。
グリフォンとイングラムの、最後の対決のシーンです。
イングラムに比べて機体を大きく傾斜させて描くことで、グリフォンの動きがいかに素早いかが表現されています。主たる要素のレイバー2体だけでなく、手前には看板や柵が描かれていて、そうした動かないものとの対比によって、さらにレイバーの躍動が感じられるようになっているのです。
またレイバーに限りませんが、次のような「ピント」の概念を取り入れた表現も、場面によって用いられています。
右のコマでは、手前にいる福島の像が少しぼやけて、奥にいる後藤がはっきりと描かれています。つまり、後藤にピントが合っている状態を描いたものです。映画や写真にたびたび用いられる手法ですが、これを漫画で取り入れて描くという、ちょっとめずらしいことをしているのです。
これも、ゆうきまさみ独自の表現といっていいでしょう。こういったものを用いることで、よりドラマティックな場面が構築されているのです。
漫画『機動警察パトレイバー』のストーリーに絡む主な事件には、次のようなものがあります。
これらの要素も、もちろん仔細な描写と巧みに組み立てられたストーリー構成で胸躍るものとして描かれていますが、そのほかにもたくさんの要素が組み込まれているのです。
たとえば、単行本6巻収録のエピソード「お役に立ちます」では、レイバー乗りとして天性の資質と素養を持つ主人公・泉野明が、それでも「自分は役に立っているのか」という不安を持つことから、事件に巻き込まれていきます。
この頃の彼女は、警察予備校から第2小隊に配属されて少し経ち、そろそろ職場や仕事に慣れつつある頃でした。
そういった頃というのは、考えごとをする余裕が少しだけ生まれて、いろいろと悩みがちな時期。就職したての若者が陥る苦悩と、それを乗り越えていく姿は、同じ時期を過ごす若者に安堵と希望を与えるのではないでしょうか。
21世紀に入ってからは、若者の自己肯定感の低下が問題となっています。若者自身がいかに自己肯定感を得るか。大人が彼らの自己肯定をどれだけ促せるか。「パトレイバー」が描かれた時代の未来である現代では、それらをより深く考えなければならないでしょう。
単行本11巻後半から12巻前半に収録されている「レイバーの憂鬱」というエピソードには、低賃金で過重労働を課される労働者や、能力はむしろ優れているのに劣る者として扱われてしまう外国人労働者の姿が描かれています。
さらにはレイバーの無人機が開発されることにより、自分たちが仕事を失うことを労働者が不安に思っている場面も。1980年代に発表された作品であるにもかかわらず、2010年代の日本が抱える労働問題が予見されているのです。
これらの問題は作品が描かれた当時すでに浮上しつつありましたが、30年経過してもまだ問題として残っており、それどころか、その重大さは増しています。もしかすると、深刻化することまでが予見のうちだったのかもしれません。
今回は2つだけ例に挙げましたが、このように本作には、社会のなかにある問題が当時から普遍的にあるもの、未来を予見したもの、いずれもあわせていくつも織り込まれています。
メインストーリーだけでなく短めのエピソードにもたくさんの要素を絡ませ、厚みのあるストーリーを築いていくのは、ゆうきまさみ作品の特徴でもあるのです。
- 著者
- ゆうき まさみ
- 出版日
本作は、警察官が主人公の物語です。警察を「正義」、犯罪者を「悪」とする視点で描かれる場面もあります。
野明は新任の警察官で、新設された特車2課第2小隊に初めて配属され、最新型のレイバー「イングラム」を自分専用の機体としている人物。治安を守り、犯罪を許さない警察官としてその自覚を養い、誇りを持って職務を遂行する者として成長していく姿が、ストーリーのなかに見られます。
他方、イングラムの宿敵といえるレイバー「グリフォン」のパイロット・バドは、10歳くらいの少年。人身売買組織からグリフォンを開発したシャフト・エンタープライズ・ジャパン企画7課の課長・内海に「購入」され、引き取られました。
内海は彼をパイロットとして育てるに当たり、グリフォンを「オモチャ」と呼び、「ゲーム」として他のレイバーとの戦闘をさせていたのです。
バドと彼が操るグリフォンは本人が言うとおり無敵の強さで、警察や軍用のどのレイバーと対戦しても、野明が乗るイングラム以外には圧勝を誇っていました。つまり、何体ものレイバーを破壊してきたということです。
バドと内海は野明のイングラムから勝利を得ることにこだわり、他者に譲り渡す算段を整えておきながら、その間際になってもグリフォンを動かしてイングラムに挑むために姿を現します。
機体の性能だけを見れば、イングラムよりもグリフォンの方が優れているでしょう。しかし接戦の末、ついに野明のイングラムはグリフォンを制しました。
それは彼女が生来備えた才能よりも、特車2課の任務をとおしておこなう警察の正義の実践と、イングラムでの実戦を重ねて身につけてきた技量、そしてイングラムという機体を育ててきた努力が結実した結果でもあります。
バドがグリフォンを使っておこなってきた所業は、紛れもなく犯罪です。バドと対面した野明はそれを怒りますが、彼は皮肉ではなく、心底から言うのでした。
ゲームやんか…
おねえちゃんの勝ちやのに…なに怒っとんの?
(『機動警察パトレイバー』22巻から引用)
彼にとってグリフォンを使ってしてきたことは、コンピュータゲームで遊ぶのと同じことであって、悪いことでも何でもなかったのです。グリフォンで戦うゲームに勝つことは「いいこと」で、うれしいことだったのでした。
しかし、悪と知らずにおこなったとしても、悪は悪です。罪を罪と、悪いことを悪いことと認識する知恵を得る機会を奪われてきた犯罪者たる子供を目前に、野明はやりきれなさを胸に詰まらせます。
生来の正直な性質と、職業倫理により正義をおこなう、またおこなわなければならない野明と、悪意なき悪・無邪気な悪であるバドの二項対立は、本作のストーリーを一貫する、重要な骨組の1つです。
正義が、罪を知らない罪人にできることは他にあったのでしょうか。考えさせられる問題です。
- 著者
- ゆうき まさみ
- 出版日
本作は少年漫画誌に掲載された作品にしてはめずらしく、おじさんが大勢登場します。魅力に満ちたおじさんも少なくはなく、なかでも警視庁特車2課第2小隊の隊長・後藤と、シャフト・エンタープライズ・ジャパン企画7課の課長・内海は、魅力的なおじさんの2大巨頭といえるでしょう。
後藤は、のらりくらりとして捉えどころのない昼行灯のようですが、第2小隊各員や事件関係者への目配りはしっかりとしていて、隊員のミスの予防やフォロー、捜査の根まわしなども要領よくこなします。
常に情報収集に努め、加えて先見の明やひらめきなどで鋭く事件に切り込む場面も多く、警察官としての有能振りはぼんやりとした風体からは想像できないほどです。
その一方、事件を解決に導くために上司を恫喝したり責任問題を押しつける、命令無視や独自行動などのあくどいこともやってのけます。第2小隊初出動の折りには、その存在価値を認めさせるために第1小隊を犠牲にし、あくどいと指摘する第2小隊の者に「みんなで幸せになろうよ」という名文句を口にするのです。
内海は、常に笑顔でへらへらとして頼り甲斐もなさそうですが、課長という役職に就くくらいですから切れ者ではあります。自分が楽しいことを常にやりたい人物で、やりたくないことはやりません。
やりたいことのためなら犠牲を厭わず、それを妨げようとする者にはしかるべき報いを与えるのです。子供じみた、というよりは、まさに子供。20歳ほども年少のバドにも、対等の友達のように接しています。
また、ゲーム開発の裏でグリフォンの開発を手掛け、足りない開発資金は社内の使途不明金を引っ張ってきたり、グリフォンを活躍させる下地をつくるためにレイバーを密輸したり、テロ組織を支援したりと、不正もためらうことなく無邪気におこないます。
グリフォンのパイロットであるバドは、自分好みのわんぱく少年を、と人身売買組織に注文して買うなど数々の大規模な犯罪を、犯罪であることを知りながら悪意なく笑顔でこなす人物。従来になかったタイプの悪役といえるでしょう。
どちらも属する組織からはみ出してしまっていて、部下など周囲の者にはかなりいい加減な人物像として映っています。
この両巨頭が顔を合わせることこそありませんが、ストーリーの最終盤に2回、電話越しに対決をします。いずれのシーンも作中屈指の名シーンといっていいでしょう。
機知とユーモアに富んだ会話はなごやかに見えますが、実際は非常に緊迫感があります。一見使えなさそうになおじさんの頭の中では、鋭い思考がフル回転しているであろうことが窺える、これらのシーン。
ここを楽しむために、読者は単行本全22巻のうちの20巻を読破するのだと言って過言ではないほどなのです。
本稿でご紹介したほかにも、漫画『機動警察パトレイバー』には見所となる要素・場面が数多くあります。連載終了から30年が経っても愛され続けている本作の、その理由をみなさんも探ってみてください。忘れていた方も未読の方も、のめり込むこと間違いなしです!