北杜夫のおすすめ代表作ベスト5!精神科医でもあった多才な才能を文庫本で

更新:2021.12.14

小説家であると共に精神科医でもあった北杜夫。その多才さは、書かれた作品にも遺憾なく発揮されています。今回は、そんな北杜夫の作品世界を味わえる5作品をご紹介します。

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自然を愛した作家・北杜夫

1927年に東京の青山で生まれた北杜夫(本名:斉藤宗吉)は、小説家であり、エッセイストであり、また精神科医でもありました。

同じく精神科医であった歌人、斉藤茂吉の二男として生まれた宗吉は、親の威光による影響を受けずに活動することを望み、北杜夫という筆名を用いたといいます。

彼は自然を愛する作家でもありました。少年時代は昆虫採集に明け暮れ、旧制高校時代は頻繁に日本アルプスへ登り、医師となってからは漁業調査船の照洋丸に船医として乗り組みインド洋から欧州を回り、またカラコルム・ディラン峰への遠征隊にも参加しています。

そんな彼の体験は、作品にもよく現れています。木々や川、海、そして昆虫の綿密な描写は、まるで図鑑を見ているかのような鮮やかさを伴うものです。

人気を博した『どくとるマンボウ航海記』のような軽妙なエッセイや、『ぼくのおじさん』のごとき童話、そして第43回芥川龍之介賞受賞作である『夜と霧の隅で』に代表される、人間の精神の内奥に手を差し伸べるような小説まで、幅広い作品を書いた北杜夫。

2011年に東京都内の病院で亡くなるまで、その作品は数多くの読者を魅了し続け、今なお読み継がれています。

5位:ダメダメだけど憎めない『ぼくのおじさん』

北杜夫の子供向け作品が収められた短編集『ぼくのおじさん』から、主に表題作を取り上げます。

語り手である「ぼく」のおじさんは、実にダメダメです。父親の弟にあたるおじさんは、週に八時間ほど大学で臨時講師として働いているそうですが、具体的にどういう専門なのかはよくわかりません。

ケチで、勉強も教えてくれず、動物園にも連れて行ってくれず、ロクなお土産も買ってくれないおじさんを「ぼく」は、「友だちに誇るどころか、ぼく自身にとって、なんの役にも立たない。ぼくだけでなく、ぼくの家じゅうにとって、なんの益もないおじさんなのだ。」とまで言うほど。

著者
北 杜夫
出版日

そんなおじさんですが、妙な理屈をこねてみたり、お見合いでビビってしまったり、懸賞を当てて海外に行こうとしたりと、何故か抜けていたりして憎めないのです。最終的には、ある方法により「ぼく」とおじさんはハワイに行けることになるのですが……。

どうしようもないダメおじさんでも、そこにいるだけで空気を和らげてくれます。こういう人の存在が許されるおおらかな社会というのは、それはそれでいいものだなあと思わせてくれる一作です。

他、少しSFチックな「雪は生きている」や童話のような「みつばち ぴい」「ローノとやしがに」など、やさしくちょっと風刺のきいた掌編が収録されています。

4位:消えない追憶が語られる『幽霊-或る幼年と青春の物語』

北杜夫の処女作である本作品は、山々を始めとする自然の鮮やかな美しさ、そして昆虫の外観や動態の緻密かつ繊細な描写が、大きな魅力の一つとなっています。草木の葉や陽の光の色合い、蝶の羽の微細な模様にまで行届く作者の観察眼は、彼の神経の細やかさをも示しているかのようです。

この作品の文章には、さほどユーモアが強く表れているわけではありません。僅かに、語り手である「ぼく」の若き叔父の描写などに片鱗が見えるくらいです。

著者
北 杜夫
出版日
1965-10-12

また、物語自体にわかりやすい起伏があるわけでもありません。幼年期から青年期に掛けての心の動きが、自然の描写と共に、しばしば白昼夢のように語られています。しかし、絵画のような記述が読者をとらえ、飽きさせることがありません。

お話の中に、伯父の別荘での一夏のシーンが出てきます。そこで「ぼく」は風呂上りに、ベランダの硝子窓越しに多くの虫たちが灯りに引き寄せられて集まっているのを目にします。光に集まる虫たちの様子なんて、虫に興味のない者からすれば、おそらく気持ち悪いだけのものでしょう。ですが、北杜夫の筆に掛かれば、そんな光景すらがきらびやかに輝くのです。

若々しい感受性をもって語られるこのお話に、身も心も委ねてみてはいかがでしょうか。

3位:激動の時代を描く骨太な人間ドラマ『楡家の人びと』

三島由紀夫が絶賛したという本作は、東京にある楡病院を経営する一族という対象を通じて、戦前から第二次世界大戦の終戦後までの約30年間の時代を描き出す物語です。

文庫本は出版年によって2分冊ないし3分冊に分かれますが、それほどの重量感をもった作品といえます。

変動の時代を、ある一族がどのように生きるかということを、その当時の空気感まで込みで描写する大作で、楡一族はもとより、楡病院に入院している患者や職員まで個性的で面白みのある面々が揃っているのが見所の一つでもありましょう。

著者
北 杜夫
出版日
2011-07-05

本作はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に影響を受けて書かれたといいますが、後にご紹介する『どくとるマンボウ航海記』にも、ブッデンブロオクの家を観に行ったというくだりがあります。また、序盤で楡家の三番目の娘の桃子が歌っている歌は『ぼくのおじさん』収録の「赤いオバケと白いオバケ」にも出てくるもので、こうした繋がりが随所に見られるのも楽しい部分です。

自分が体験している時代ではなくとも、どこか懐かしさを感じさせてくれる北杜夫のおおらかでありながら緻密な筆致は、この大河にも似た物語のうねりと合わせ、必読ともいえるものでしょう。

大がかりな人間ドラマを堪能したい方には、是非読んでみて頂きたい一冊です。

2位:問われるべき人間の尊厳『夜と霧の隅で』

本書は北杜夫の初期短編集であり、表題作を含む5編が収録されています。その中から、主として表題作を取り上げましょう。

ナチス・ドイツの「夜と霧」作戦をモチーフにした本作品で、北杜夫は1960年、第43回芥川賞を受賞しました。

舞台は南ドイツの州立精神病院。ナチス・ドイツの政策の一つである、障碍をもった人間を処分するという方針に直面した医師たちが、連れ去られようとしている患者たちを救えないかと奮闘する話です。

著者
北 杜夫
出版日
1963-07-30

このように述べると、ある種の感動話のようにも思えますが、史実が示す通り、その内容は暗く重く、陰惨ともいえるものです。たとえば、医師の一人であるケルセンブロックの無謀ともいうべき治療は、患者の多くを廃人にしてしまいます。また、日本人の患者であり、ユダヤ人の妻をもつ医師でもある高島も、不幸な結末を迎えます。

何よりも恐ろしいのは、これが完全な作り話ではなく、1941年以降にドイツで実際にこうしたことが起きていたということでしょう。歴史上の出来事を下敷きにして作者が人間の尊厳を厳しく突き詰める本作は、人類にとっての普遍的な問いを示しているようにも思えます。

他にも、山の断崖にて生と死が幻のように交錯する様を描く「岩尾根にて」など、奇妙な味わいを噛み締めることのできる作品集です。

1位:船旅したくなる!ユーモアエッセイ『どくとるマンボウ航海記』

この本を読んだ時に、あとがきの一文に心惹かれました。

「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変りはないが書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした。」

独特のユーモアに溢れた文章で綴られるこの作品は、「読むと船旅がしたくなる話」です。もちろん作者の実体験に基づくお話(漁業調査船の照洋丸に船医として乗り組んだ時のもの)なので、楽しく愉快なことだけが書かれているわけではありません。
 

著者
北 杜夫
出版日
1965-03-02

船酔いや便秘に悩まされた話、道に迷った話、ブッデンブロオクの家を観に行ってみて期待外れだった話など、失敗談の類もいろいろ出てきます。

ですが、失望したり失敗したりといったエピソードですら面白おかしく読めるように書いてあるのは、さすが北杜夫というべきです。

随所に語られている風景描写の丁寧さ、的確さは、やはり実際に旅をし、また幼少期より自然に慣れ親しんできた彼の観察力の賜物でしょうか。

旅行記というものは、読者の行ったことのない場所についても語られるものですから、読んでいてどんなところなのかというイメージを伝えてくれるかどうかは非常に大事です。この『航海記』は、その点において実に優れたものだといえるでしょう。

「くだらぬこと」「取るに足らぬこと」こそが面白いのだと、よくわかる一冊です。

多才さというのは、幅の広さでもあります。北杜夫の作風というのは、有名な「どくとるマンボウ」シリーズの影響のためか、ユーモアに満ちた軽妙なものだと思われがちかも知れません。ですが、大自然を前にして身を打たれるような、清冽な湧水に似た文章もまた北杜夫の持ち味の一つです。

そのどちらも力強く書けるのが北杜夫の魅力なのです。これを機に、彼の様々な作品を味わってみるのはいかがでしょうか。

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