傾いていく陽は美しく、力強ささえ感じさせるもの。本作『斜陽』のなかで没落していく華族たちは、まさにそういった存在なのではないでしょうか。この記事では、そんな彼らの生きざまや名言、さまざまな考察などをご紹介。 2019年は、本作の作者・太宰治の生誕110周年。それに伴い、同年秋には2度目の映画化が決定しています。注目の話題作です。
「上流貴族のゆるやかな破滅と、滅びの中の美」を描いた物語。太宰治生誕110年である2019年、2度目の映画化が決定しています。2019年1月現在の段階では、キャストはまだ明らかにされていません。
本作の舞台は、第二次世界大戦で敗戦した後の日本。戦前は華族であった、かず子とその母、そして弟・直治は、時代の流れに翻弄されて、ゆるやかに没落していきます。そんななかで母は弱り、直治は荒んでいきますが、それでもかず子は気丈に、力強く生きていくのです。
そして直治の友人である小説家・上原との恋が、彼女に変化を与えていきます。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
あまりに売れたこの小説の影響で、辞書で「斜陽」という言葉に「没落」という意味が加えられた、とも言われています。没落貴族を「斜陽族」と呼び、潰れていこうとする企業や産業を「斜陽産業」と呼ぶようになったのも、本作の影響なのです。
また、バンド「Mr.Children」のアルバム『REFLECTION』に収録されている『斜陽』という曲も、本作がモチーフであるとボーカルの桜井和寿が語っていました。歌詞のなかの、
時の流れ 音をたてぬ速さで 様々なものに翳りをあたえていく
(Mr.Children『REFLECTION』収録曲『斜陽』より引用)
という辺りが、まさしく小説『斜陽』ですね。
しかし、かず子の「斜陽」は没落して終わりではありません。「暗い」の一言で片づけられやすい太宰作品ですが、本作はむしろ、ラストに希望や強さが立ち上ってくる作品なのです。
本作は、第二次世界大戦敗戦後の日本が舞台です。かず子たち華族だけでなく、日本という国そのものが憂き目にあっていた頃でした。
主人公・かず子は29歳。「斜陽」しつつある運命のなかで、もっとも順応が早いのが彼女です。畑を耕したり、母の着物を売ったりしながら華族らしくない暮らしを受け入れていき、そういうことのできる自分を誇らしく感じたりもします。
しかし、その一方で、いつまでも華族らしく上品で美しい母には、憧憬の念を抱き続けていました。
華族としての暮らしが長かった母は、華族でなくなることを受け入れられません。そんな彼女は「最後の貴族」としての品位を保ったまま、少しずつ弱っていきます。
かず子の弟・直治は、華族であっただけでなく自称・芸術家で、ちっとも現実には目を向けません。心の弱い彼は家の金を持ち出して、既婚の小説家・上原のもので荒んだ生活を送り続けます。
彼の心が弱いということは、裏を返せば繊細で優しいということ。荒んだ暮らしをしながらも、彼は姉や母に対しては思いやり深く、優しい青年でした。
そんな彼の友人であった小説家・上原は、既婚にも関わらず、かず子と恋愛関係に陥ります。彼もまた、直治同様に弱い男でした。かず子の人生に影響を与えますが、それは彼が光り輝いていたからではなく、かず子が強かったからなのです。
太宰は、津軽の生家である津島家で終戦を迎えました。「金木の殿様」と呼ばれるほどであった自分の生家が敗戦のあおりを受けて没落していくさまを見た彼は、「『桜の園』だ。『桜の園』そのままではないか。」とくり返し言ったそうです。
彼は、終戦後の実家がチェーホフの『桜の園』という戯曲のように寂れてしまったことに衝撃を受け、『斜陽』を描いたのでした。本作が『桜の園』の影響を受けていることは、太宰自身も認めています。
- 著者
- チェーホフ
- 出版日
- 1967-09-01
ただし、本作を執筆している時期に彼と不倫関係にあった太田静子の日記も参考にしたらしく、途中からは『桜の園』の内容とはかけ離れてしまったようです。最終的には、どちらかといえば静子の日記の影響が色濃くなり、没落よりも恋が中心となったなどとも言われています。
かず子は静子、上原は太宰自身をモデルにしており、箇所によっては静子の日記をほとんどそのまま書き写したと、後に太宰と静子の娘・太田治子が明かしています。
弱りゆく母と、荒廃していく直治の間で、かず子はしだいに孤独を覚えるようになります。誰にも相談できず、どちらかといえば2人を支えていかなければならない立場から、いつしか幸福というものについて考えを巡らすようになっていくのです。
幸福感というものは、
悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではないだろうか。
悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、
あれが幸福感というものならば、
陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。
(『斜陽』より引用)
これが、さまざまな悲しみを味わった後の、かず子の結論です。幸福というものを、決して晴れやかで華やかなものと捉えていないこの名言は、明るく振る舞っている彼女の、本当の悲しみを映し出しています。
本当は悲しくて、孤独で、寂しかったかず子。だからこそ、上原との禁断の恋に陥ってしまったのかもしれません。恋をしてからの、
不良とは、優しさの事ではないかしら。
他の生き物には絶対になくて、人間だけにあるもの。
それはね、ひめごとというものよ。
(『斜陽』より引用)
といった彼女の言葉も、恋をした人の共感を呼ぶ名言だといえますね。
かず子が、直治の悪友であり、自身の恋の相手である上原にあてた手紙には、「MC」という言葉が書かれています。
「MC」は、かず子が上原に恋をし始めた頃は「マイ・チェーホフ」という意味で、作家である彼を文豪のチェーホフのようだと称える言葉でした。恋愛初期の彼女にとっては、彼がチェーホフのごとく才能あふれて輝く存在に思えたのでしょう。
上原という人間のことがよくわかりはじめてからのかず子は、「MC」を「マイ・チャイルド」にあらためます。格好をつけているだけの彼を「子供のようだ」と捉えるようになったのかもしれません。口先で、理想だの革命だの言いながら、実は幸せな家庭で安心感に浸かりながら生活している凡庸な上原を揶揄していたのでしょう。
そして、ラストの「MC」は「マイ・コメディアン」。かず子も上原もさまざまな悲劇に見舞われましたが、結局自分達は喜劇中の登場人物だったと、自虐的に揶揄していたのかもしれません。
彼女は物語の最後、上原に手紙を送ります。そして自身が産んだ子供について「直治がある女に生ませた子」という一言を添えて、上原の妻に子供を抱かせることを望むのです。
これは、正妻に自分と上原の子をそうだとは悟らせずに抱かせるという嫌がらせの側面と、直治が上原の妻に抱いていた恋心を成就させてやろうという側面を持つ、とても複雑なものとなっています。
物語最後のかず子の言動は、「最後」というより「戦闘開始」のような力強さを持つものなので、読み方によってさまざまな解釈ができます。そうしたところが、また本作の魅力なのでしょう。
上原との恋を経て、
人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
(『斜陽』より引用)
と断言するようになったかず子からは、女性というものの強さを感じとらずにはいられません。ただ口にするだけでなく、彼女は本当に自分で、自身の生きる道を切り開いていくのです。
「革命」というと、世の中や政治を変えていくことだと考えてしまいがちでしょう。しかし、我々は彼女から、「自分の生きる道を、自分自身で見定めて切り開いていくことこそが、革命だ」ということを学ぶのです。
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
太宰治は「かくめい」という、以下のよういな短い文章を書いています。
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、
かくめいも何も、おこなわれません。
じぶんで、そうしても、他のおこないをしたく思って、
にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、
にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
(『かくめい』より引用)
これは、『斜陽』を読んで我々がたどり着く結論と、同じことを述べています。「こうでなければならない」といった道徳や常識に縛られているうちは、革命なんて起きないし、起こせません。
かず子は敗戦後まもなくの日本で、誰かに訴えかけるわけでもなく、静かにそれらに反旗を翻すのです。その姿に強い感動を覚えない人はいないでしょう。
『斜陽』は誰の立場で読むか、自分は今どんな状況にあるかによって、見え方の変わる作品です。ご紹介した以外にも琴線にふれる名言がたくさんあるので、ぜひご一読ください。