親は子を大事に慈しみ、育てるもの。それが当たり前というのが理想ですが、実際はそう簡単にはいきません。近頃は、子どもが犠牲になる痛ましい事件がニュースを騒がせることもあります。 本作『坂の途中の家』は母や妻、そして家族について書かれた作品です。今回の記事では、2019年春にドラマ化も決定した本作の4つの見所をご紹介。ネタバレ注意です。
主人公・山咲里沙子は、特別な何かを持っているわけではありません。ただ当たり前に結婚をし、出産を経験。専業主婦として、もうすぐ3歳になる娘を育てながら家庭を守っている女性です。
淡々と日々が過ぎるなか、彼女の生活に変化が訪れます。なんと裁判員候補者に選ばれたと、裁判所から通知が舞い込んだのです。
裁判員制度により裁判官となった彼女が参加するのは、くしくも自分と同じように子どもを持っていた女性・水穂の公判でした。
- 著者
- 角田光代
- 出版日
- 2018-12-07
水穂は生後8か月の長女が泣き止まず、どうすればよいのかわからなくなり、子供を水が溜まっていた浴槽に落としてしまいます。それを帰宅した夫が気が付いて救急車で搬送するも、長女は死亡。故意に落としたとされ、彼女は殺人罪で警察に逮捕されてしまったのでした。
里沙子は、少し離れたところに住む義理の両親に子供を預けて、裁判所に通う日々が始まります。最初は被告に対して「我が子を殺す親」という目で見ていた彼女でしたが、公判が進むにつれ、心境に変化訪れてくるのです。
そして、水穂の置かれた立場や環境に共感し、自身の夫や娘、そして家族や社会について考えていくようになるのでした。
公判は10日ほどと作中で流れる時間は短いのですが、密度はかなり高く、濃厚。2人の女性が送ってきた日々を裁判という形で見ることにより、現代の女性が置かれている状況をリアルに感じることができます。
多くの女性の共感を得た本作は、2019年の春に有料衛星放送チャンネル「WOWOWプライム」にてドラマ化されることが発表されました。
裁判員として公判に参加することになる普通の専業主婦・里沙子を演じるのは、柴咲コウ。そのほかのキャストは公表されていませんが、過去の角田光代作品の映像化の際に脚本を務めた、篠崎絵里子が脚本を担当することが発表されています。
角田光代(かくた みつよ)は、1967年3月8日生まれ。神奈川県横浜市の出身です。早稲田大学第一文学部に在学中の1988年、『お子様ランチ・ロックソース』で集英社の公募文学賞「コバルト・ノベル」大賞を受賞。投稿時と同じ彩河杏名義でデビューをします。
大学を卒業後の1990年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、角田光代名義であらためてデビュー。以後数々の作品を発表してきました。
デビュー当初は純文学を主に執筆していましたが、20代後半でスランプ状態に陥ってしまいます。
- 著者
- 角田 光代
- 出版日
- 2007-10-10
しかし、そんななかで純文学以外の文芸誌にも作品を発表するようになり、スランプを脱出。2003年に『空中庭園』で直木三十五賞の候補に選出されます。
そして、2005年。『対岸の彼女』で直木三十五賞を見事受賞。他にも数多くの文学賞を受賞しています。また、映像化している作品も多く、2011年公開された社会派サスペンス『八日目の蝉』、2014年に映画化・ドラマ化された『紙の月』は大きな話題となりました。
心理描写が濃厚な角田作品ですが、読者に近い普通の女性を主人公とした作品が多いところも特徴です。2人の女性の友情関係を描いた『対岸の彼女』や、5人の母親の孤独と痛みを描いた『森に眠る魚』など、その問題が身近にあるからこそ多くの女性読者の共感を得てきました。
他にも『キッドナップ・ツアー』などの児童文学や、『幾千の夜、機能の月』『今日も一日きみを見てた』など旅や飼い猫との日々を描いたエッセイなども発表。幅広いジャンルの作品で読者を魅了しています。
本作の登場人物は、さほど多くはありません。主人公の里沙子、夫や娘と義理の両親、被告である水穂やその夫、さらに保健師などの周囲の人間、そして裁判に関わる人間たちです。
里沙子は33歳。もうすぐ3歳になる娘を育てる専業主婦です。ある日、裁判所から通知が来たことにより、裁判員として公判に参加することになりました。
専業主婦に憧れる女性も少なくありませんが、彼女は決して不満もなく順風満帆な日々を送っていたわけではありません。裁判員として水穂の事情に触れるにつれ、自分の周囲のことや過去を思い出していきます。
彼女は出産をする際、今までのキャリアを捨てて専業主婦になりました。仕事をしていないのだから楽、というわけではもちろんありません。実家と疎遠なため、義理の両親との付き合いが増え、その関係に苦悩する場面もありました。子どもは母乳で育てないと悪影響があると思い、精神の均衡を崩しかけたこともあります。
水穂も似たような経験をしていたことがわかり、里沙子は共感めいた気持ちを抱きました。どこか他人とは思えないその人生に触れながら、彼女は自分自身を振り返っていきます。彼女たちの抱く、夫やその両親への想いは実にリアルで、多くの女性が共感できるところでしょう。
共感ポイントをいくつか挙げると、社会から隔絶されていること、公共機関での移動が大変なこと、義理の母親のよかれと思った気遣いが逆に迷惑になること、などが挙げられます。
子どもとの移動だけでも大変なのに裁判で大変だから、とお惣菜を持たされるシーンなどは、相手の気遣いが目に見えるだけに心中はかなり複雑。ありがたいような迷惑なような、モヤモヤとした気持ちを思い出してしまいますね。
本作は、ごく普通の主婦が裁判員に選ばれることにより罪を犯した人の人生や考え方に触れることで、さまざまな事を考えていくという構成になっています。
裁判員制度は平成16年に法制定されました。ランダムで選出された一般人が、実際の裁判に参加して判決にまで関わるのです。裁判員になると、会社を休まないといけないといった自身への制約があることはもちろん、他者を裁く立場になるという重責を突然担うことになります。
誰の目から見ても悪い事をしているのならば、あまり悩まないかもしれません。しかし、今回の水穂の事件のように、どうしようもなく追い詰められてしまった人間が起こしてしまった事件に関しては、裁かなければならない方も悩んで苦しみます。
裁判員を含めて、裁く方は絶対的な中立の目を持っていなければなりません。検察側、弁護側、双方から提示される様々な証言を吟味して考えていきます。里沙子は公判のなかで、証言はあくまでも証言に過ぎず実際には何が起こったのかは当人にしかわからないのだ、と気づきを得ました。
人は多くのもの事を、自分の視点から口にします。客観性を意識しても難しいこともあるでしょう。今自分たちが知っていることは、本当のことなのだろうか。里沙子同様、そんな疑問に囚われてしまうはずです。
育児に疲れ果てた末に起こった、今回の事件。里沙子は、水穂の夫・寿士が予想に反して常識人であることに深く驚きます。彼は家庭のために転職をし、妻と子供のために実家にも連絡を取るなどしていたのです。しかし、一見サポート体制がうまく整っているように思えるにも関わらず、事件は起きてしまったのでした。
寿士は、元カノと連絡を取っていたことが判明しています。しかし、その内容は育児に関することなどに終始しており、異性をしての関係を匂わす内容は一切ありませんでした。
そして寿士の母・邦枝は、孫の凜の夜泣きがひどかったことから、寿士に外泊を勧めたと裁判で話します。裁判員の大半は、この姑を理解のある母親だと理解を示すのです。
しかし、里沙子は違いました。水穂に非があったように話が展開されていっていると、彼女は感じたのです。実際は、ここでは誰が悪かったのかなんてわかりません。それでも彼女は主婦として、そして母として水穂に感情移入せずにはいられませんでした。
きっと、それぞれに強い悪意があったわけではなかったのでしょう。しかし、それぞれに考えが異なるため、裁判は里沙子が思う方向へはいかないのです。
果たして、最後に出る結論は……。
本作は、女性が共感するポイントが数多くありますが、特に夫をはじめとした男性からの扱いについては頷ける部分も多かったのではないでしょうか。
たとえば里沙子が裁判終わりでビールを飲んでいると、夫の陽一郎は2本だけで「飲み過ぎだ」と指摘。しかも、これ以降、彼女を「キッチンドランカー」呼ばわりしてくることになります。これは「母なのに」酒なんか飲んで、といった差別発言であるようにも捉えられるでしょう。
出産未経験という女性も、家族や恋人だけではなく会社の人など、身近な男性から似たような扱いや言葉を投げかけられ、傷ついたと感じている人もいるはずです。
世の中には、性差による役割が決まっている部分があります。もちろん身体的な構造として、女性にしか出産することはできません。そういった物理的な役割ではなく、精神的にもそれを求められるケースも多いのではないでしょうか。
具体的にいえば、結婚をして家庭に入ることで女性としての自分を捨てる、と感じる人もいるでしょう。家庭に入れば妻であり、出産すれば母親となる。夫は、家庭では夫でも外では一個人となって認められる部分もあります。しかし家庭の中にいる女性は、常に「妻」か「母親」でしかないのです。
実際、そういうものだろうと思う読者の方もいらっしゃるでしょう。確かにそういうものなのかもしれません。しかし、そこにいる個人の感情はどこに向かえばいいのでしょうか。特に里沙子の夫の、彼女への心ない言葉には憤りすら感じられます。
1人の女性だったはずなのに、妻であり母親であることのみを求められる。個人の人格が尊重されないモラハラな環境が、そこにはあるのです。身近な問題なだけに、より考えさせられます。
生まれた子どもを愛しいと思う半面、子育てには想像以上の忍耐が必要です。夜泣きが収まったから、乳離れしたから、言葉を話すようになったからといって、楽になるわけではありません。その段階ごとに親は試され、自分や子どもと向き合うことを強いられます。
水穂が子どもを殺してしまったことを、最初はどこかうがった見方をしていた里沙子でしたが、公判が進むにつれて共感する場面が増えてきました。娘の文香はイヤイヤ期で、何にでも嫌だと反抗する時期。つい子どもを突き放し、親の役割を放棄したくなる。そんな独白も見られました。
- 著者
- 角田光代
- 出版日
- 2018-12-07
なぜ水穂は、実の娘を手にかけてしまったのか。それが夫や義母、実母といった周囲の人間の口から語られていきます。他の家族の関係を目にしたことで、里沙子は自分の娘や夫のこと、義理の両親や実の両親のことを考えるようになっていくのです。
公判中もその後も、同じ母親の立場だからこそ水穂の気持ちに寄り添う彼女の姿が見られます。口を閉ざしてしまっても仕方がないような場面で、裁判員として、気持ちに共感した母親として、意見を述べる姿にはつい胸が熱くなるでしょう。
そんな勇気を持ったからでしょうか。彼女は自分の人生について考えるようになりました。そして、その後に彼女が取る行動とは……。
子どもを殺してしまった母親の裁判に裁判員として参加したという体験が、里沙子の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。その様子を見て、あなたは何を思うでしょうか?
作品を読むと、里沙子を自身の過去や家族と照らし合わせることが多くなるでしょう。読了までには、とてもエネルギーを使う作品です。だからこそ、心に深く残るものがあります。独特の薄暗いような、重いような空気が、ドラマではどのように表現されるのかにも注目です。